広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2023年10月12日号
夢のエンジン

マツダは1967年に世界で唯一、量産化に成功したロータリーエンジンを11年ぶりに復活させる。プラグインハイブリッド車の発電機として使う、初の搭載車を11月に発売予定。小島岳二(たけじ)専務が「マツダのアイデンティティーであり歴史そのもの」と断言する、ロータリーエンジンの足跡をたどると不屈の技術者魂が浮かび上がる。
 おむすび型のローターが回転するシンプルな構造、小型で軽量、高出力と静粛性を兼ね備える一方で、耐久性などの課題が山積する「夢の技術」には、モータリゼーション前夜の日本だけでなく、世界の自動車メーカー各社がこぞって挑戦した。しかし、トヨタやフォードといった企業でもさじを投げるほど、開発は困難を極める。そんな中、三輪トラック製造から乗用車市場に参入してわずか10年弱の東洋工業(現マツダ)が、不可能とされた技術をなぜ実現できたのか。
 会社存続に関わる危機が背景にあった。年に池田勇人内閣が掲げた「所得倍増計画」などを受けて高度成長に突入した日本では、多くの企業が急速に規模を拡大。これに対し通産省は、企業をより管理しやすく合理的な体制をつくるため「特定産業振興臨時措置法(特振法)」の検討を始める。その肝の一つとなっていたのが、メーカーが乱立する自動車産業の再編だったという。ロータリーエンジン研究部長を経て社長、会長を務めた山本健一さん(2017年没)は、会長退任後のインタビューで、
「国は貿易自由化に備えて日本メーカーの国際競争力を高めようと、三つのグループに集約しようとしていた。法案が成立すれば後発の当社が淘汰されるのは間違いない。競合他社にない特徴を持ち、単独の企業として生き残るために、ロータリーエンジンの実用化は至上命令だった」
 63年に山本さんを含む47人の若い技術者が集められ、社運を懸けたプロジェクトが始まった。最大の課題はローターが高速で回転する際、外側のハウジングという部品を傷付けること。洗濯板のようなギザギザの傷は「悪魔の爪痕」と呼ばれ、技術者たちを深く悩ませた。ローターの角に取り付けるアペックスシールに問題があるはずと、あらゆる材質のシールを試作。挙げ句には牛や馬の骨まで試したが、活路は見いだせない。そこで素材ではなく構造に問題があると考え、中に空洞のある形を試作したところ、傷が付かないことを発見。実用化への光が差し、翌年には強度に優れたカーボン複合材のシールが完成する。さらに3年後、初の量産車「コスモスポーツ」の発売にこぎ着け、世界を驚かせた。
「実は、研究部長を命じられた時は大ショック。その頃はまだ、この技術に懸ける会社の思いを知らず、問題ばかりのエンジンを押し付けられたと思っていた。しかし、業界を取り巻く再編の動きを知って以降、寝ても覚めても頭はロータリーのことばかり。コスモ発売前には台のパイロット車を全国の販売店に送って入念な品質テストを行うなど、こだわり抜いた」
 その後も搭載車を次々に投入。特振法が廃案となったことも手伝い、一気に総合自動車メーカーへの階段を駆け上る。順風満帆と思われたが、70年代に入りまたも苦難の道を歩むことになる。それをいかに乗り越え、令和まで唯一無二の技術をつないできたのか。次号で。

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