広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2025年12月4日号
    再生医療への執念

    まっさらな市場を創造し、急成長を目指すスタートアップにとって、経営リスクは限りなく大きい。広島大学発の再生医療ベンチャーのツーセル(南区出汐)は、膝の軟骨を治療する製品の実用化を見据え、2017年から臨床試験(治験)に着手した。だが、2023年、ほぼ確信に近かった予想に反し、有効性の証明には至らなかった。それから事態は急転直下、会社は急速な縮小を迫られることになる。当時、取締役として治験を率いた松本昌也社長(39)は、
    「治験に協力してもらった医師から良い感触を得ていただけに、まさかだった。それまでの〝いけいけ、どんどん〟から一転。会社をたたむことも頭をよぎった」
     共同開発で提携していた中外製薬が早々に契約の解消を発表。長年積み上げてきた関係が崩れ、将来への展望も一瞬にして閉ざされた。
    「ただ、いちるの希望は残っていた。主要な評価項目では期待を裏切られたが、副次的な指標で軟骨の再生が確認されている。治験の設計次第でまだ道はある、と信じて疑わなかった」
     事業再生へ踏み出す第一歩は、人員整理。断腸の思いで社員への解雇通告を進め、次に求めたのは、人生を懸けて会社を起こした創業者と、プロ人材として迎えた前社長の退任だった。それが経営継続の条件の一つだった。
    「私も覚悟を決めた。すぐに二人を訪ねたが、すんなりと事情を受け入れてくれた。その上で彼らから、製品開発の可能性を絶やさないでほしいと強く激励された」
     23年11月に再起を懸け、37歳で社長に就任。そこから取締役の長谷川森一氏、塚本稔氏と共に、会社の立て直しへ模索を始める。
     90人を超えていた社員数は十数人にまで減少。旧本社から退去し、資産の売却を進めた。スタートアップ事業の源泉である知的財産を高値で売却する案も浮上したが、踏みとどまった。
    「明日の資金が足りず、数字と向き合う日々。解雇を告げた社員からは、なぜ私が、ときつく問われたこともあり、苦楽を共にした仲間を失う苦しい時期だった」
     それでも耐え抜けたのは、創業から受け継いだ志があったからだという。
    「前回の治験で、当社の製品そのものが否定されたわけではない。むしろ今後の可能性を示す結果とも考えられる。われわれの志は、現在の医療では治療法のない、または根治が難しい患者に再生医療という新たな選択肢を提供することにある。誇りを持って突き進もうと、社員にメッセージを送り続けた」
     一番大事な士気を失ってはならない。社員と膝を交え、会社の存在意義、製品の価値を共有し、いつも希望を語り合った。
     いま光が見えてきた。6月に科研製薬(東京)との間で開発の進ちょくに応じて最大70億円に上るライセンス契約を締結。再び薬事承認を目指すステージに立った。
     製薬会社に依存する不安定な経営からの脱却を図り、治験で積み上げたエビデンスを活用して自由診療の領域にも参入した。北海道の医療機関で同社の幹細胞を使った再生医療の提供が始まっている。今期は2年ぶりの黒字化を見込む。松本社長は、
    「研究は根気そのもの。失敗は必然であり、乗り越えた先にしか成果はない」
     執念こそ源泉という。

  • 2025年11月27日号
    広島と石見地域つなぐ

    広島から車で約2時間。この時間距離に〝広域観光〟の可能性ありと踏んだ。広島商議所・都市機能強化委員会の山下泉委員長(ゼネラル興産会長)は、さっそく「島根県石見地域との広域観光ルート形成へ向けた調査」をスタート。今後は広島、島根県と関係市、経済界の協力を得て実現へ動き出す。
     2023年から委員会メンバーや広島市の観光関連担当者らと視察を重ね、現地自治体が抱える課題や広域連携の可能性などを探った。江津市・浜田市では温泉リゾートや日本遺産の石見神楽、はまだお魚市場などを見学。益田市は島根県芸術文化センターグラントワや萩・石見空港。
     今年10月には大田市を訪ね、温泉街では全国初の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された温泉津温泉や世界遺産の石見銀山などを視察。手応えを得た。本年度内に広島と島根両県に広域観光へ連携を働きかける。
     広島には原爆ドームと厳島神社の二つの世界遺産があるが宿泊を伴わない、消費額の小さい通過型観光地という課題を抱える。平和記念資料館の入館者数は昨年初めて200万人を突破、広島市の入込観光客数は過去最多の1434万人に上り、うち外国人は251万人を記録。宮島の来島者数は過去最多の485万人。大いににぎわう。欧米豪中心のインバウンドで沸く。政策投資銀中国支店調査の人流分析で昨年度の広島の訪日外国人は138万人。岡山の38万人に比べて4倍近い。しかし1人当たり平均消費額は3万6534円にとどまり、岡山は5万3064円。大阪は9万円超と格段の差がある。
     平均宿泊は広島の1.9泊に対し、岡山は2.2泊(24年度)。山下委員長は、
    「待っているだけでは物事は動かない。こちらから出向くことで互いの意識、関係性も深まる。視察、対話、交流を通じて新たな課題、可能性が見えてきた。何としても自治体の関与が欠かせない。温泉や銀山、石見神楽などは外国人をひきつける。それぞれの地域、観光資源を生かし合うことで魅力は倍加する」
     東京・新橋駅前で目にした岡山と鳥取の合同アンテナショップが発奮材料となった。広域観光は自治体の枠組みを越えた意思疎通、情熱が決め手という。
     広島商議所には既に自治体を越えた広域連携の実績がある。広島〜山口の9市6町や商議所などでつくる「広島湾ベイエリア・海生都市圏研究協議会(松藤研介会長)」が推進する体験型修学旅行の誘致活動だ。
     08年度から商議所が音頭を取り、自治体の首長が参画して8地域協議会が体験の受け皿となり〝民泊〟事業を展開。19年度は過去最多の116校1万5093人を受け入れたがコロナ禍で一転。民泊受け入れ家庭へのテコ入れが課題となっている。対策として広域連携で1校を複数地域で受け入れる一方で、昨年から地域の本音を聞き、コミュニケーション不足を解消する座談会方式の交流会を開く。12月には安芸太田町、北広島町、庄原市で意見交換する。
     災害時などの有事だけでなく、互いに懐に入る関係を日頃から築いておく。
    「むろん行政任せはダメ。自治体連携のきっかけをつくりまずは、われわれが先頭に立って血の通う交流を深めんといかん。やればできる」
     一段と熱意を込める。御年89歳。視線の先に広島の未来を描く。

  • 2025年11月20日号
    広島を引っ張る

    とうとうガラスの天井を破った。日本で初めて、女性の総理大臣に就いた高市早苗さんの支持率が高い。いきなり外交に大奮闘し連日、ニュースや各局の報道番組で話題をさらう。隣りの国からX(旧ツイッター)に物騒な投稿があったという。しかし言うべきは言う。考え抜き、言ってはならないことは言わない。そこら辺りの加減が暫く、周囲をはらはらさせそうだ。何しろ近い国につわもの3人がそろう。
     広島県知事選は11月9日の投開票で前副知事の横田美香さん(54)が初当選。中国地方初の女性知事が県政を引っ張る。呉市出身。東京大学法学部卒。1995年農林水産省に入り富山県副知事、内閣官房内閣審議官などを経て2025年4月に副知事。新しい風に期待したい。
     広島経済界は6年ぶりにリーダーが交代した。11月4日にあった広島商工会議所の議員総会で、広島ガスの松藤研介会長を新会頭に選任。就任会見で「前例にとらわれることなく、常に新しい挑戦を続けた池田前会頭の広島活性化に向けた熱い思いを大切に継承していきたい」と意欲をにじます。副会頭は、ひろぎんHDの部谷俊雄社長、中国電力の皆本恭介副社長、オタフクHDの佐々木直義社長、福屋の大下洋嗣社長、マツダの菖蒲田清孝会長(再)。専務理事に西本尚士事務局長が昇格。女性初の正副会頭は、まだ先になりそう。
     広島の県政と経済界リーダーが時を同じくし新旧交代。互いに言うべきことは言う。そうした意見交換を通じて広島を元気にする原動力へつなげてもらいたい。
     松藤会頭は1959年11月27日生まれで南区出身。83年に関西大学経済学部を卒業し広島ガスに入る。秘書部長や取締役常務執行役員エネルギー事業部長などを経て2017年に社長、24年から現職。家族旅行やスキューバーダイビング、カメラなどの趣味がある行動派。社長就任時の本誌インタビューで、
    「地域社会から信頼される会社を目指す。受け次がれてきた経営理念を踏襲していくことが使命だと考えている」
     と実直である。
     広島ガス出身の会頭は山内敕靖さん、深山英樹さんに続き松藤さんが3人目。戦後80年。歴代の会頭出身企業(社名・肩書は就任時)を順に並べると、
    ①中国電力(鈴川貫一社長)
    ②広島機帆船運送(中村藤太郎社長)
    ③広島銀行(伊藤豊副頭取)
    ④フジタ(藤田定市社長)
    ⑤中国醸造(白井市郎社長)
    ⑥広島総合銀行(森本亨社長)
    ⑦広島電鉄(伊藤信之社長)
    ⑧マツダ(河村郷四専務)
    ⑨中国新聞社(山本正房社長)
    ⑩中電工(村田可朗社長)
    ⑪広島銀行(山田克彦副頭取)
    ⑫広島ガス(山内敕靖社長)
    ⑬中電工(中野重美会長)
    ⑭マツダ(山崎芳樹相談役)
    ⑮広島銀行(橋口収頭取)
    ⑯中電工(池内浩一会長)
    ⑰広島銀行(宇田誠会長)
    ⑱広島電鉄(大田哲哉社長)
    ⑲広島ガス(深山英樹会長)
    ⑳広島銀行(池田晃治会長)
     松藤会頭は歴代21人目になり、広島銀行や公益性の高い企業のトップがずらりと名を連ねる。
     会頭は中国地方商工会議所連合会会頭、県商工会議所連合会会頭や日本商工会議所副会頭も兼務。物価高対応、中小企業向け伴走型支援などを優先課題に挙げる。27年完成へ建設中の中区基町の高層ビルへの移転を控える。持ち前の行動力に期待したい。

  • 2025年11月13日号
    瑞穂の国づくり

    やっぱり新米はうまい。一時は店頭からコメが消え、政府の備蓄米を争奪する現象さえ呈した令和のコメ騒動はいま、ようやく落ち着きを取り戻してきた。だが、コメは増産か、減産か、主食は大丈夫かと不安は拭えない。
     2024度の日本の食料自給率はカロリーベースで38%にとどまる。東証グロース市場に上場する医療関連情報サービスのデータホライゾン(西区草津新町)を創業した内海良夫さん(78)は、かねて食料安全保障の観点から輸入に依存する現状に危機感を募らせていた。
     もっか「(社)若者米作り推進協会」の設立準備を進めている。狙いは、耕作放棄地が増える水稲栽培へ若者の参入を促し、担い手を育てるビジネスモデル構想を描く。
    「実は数年前、コメ増産につながればと思い立ち、輸出も念頭に入れてカップヌードルのような世界に通用する〝即席むすび〟をメーカーと数種類ほど試作した。しかし、うまくいかなかった。それではと100ヘクタールほどの水田を確保して自らコメ作りを手掛けようと情報収集したが、毎年1万数千ヘクタールもの水田が消えていく現実にぶつかり断念した」
     と明かした。
     企業経営者として社会課題の解決を事業目的に据えてきた。データホライゾンでは呉市モデルともいわれる重症化予防事業を起点に、医療保険者が担う効率・効果的な保健事業・データヘルスを確立し、国の事業へと促した。
     世界情勢が緊迫しようと、コメさえ自給できれば命をつなぐことができる。内海さん個人で発案した若者米作り推進協は次第に賛同者が集まっている。「国を動かす心意気で現状に風穴を開けたい」と志は高い。
     ビジネスモデルは、農業高校の新卒者らに水稲栽培の研修を受けてもらい、会社勤め並みの年収を2年間支給。その間に農業経営者として自立を促す。その原資は個人で賄う予定。水田は各地域の農地中間管理機構(農地バンク)の仲介で原則、賃借する。何よりも若い人が水稲栽培を希望し、進路にコメ作りを選びたくなる土壌を用意する構え。
     八十八の手間がかかると言われるコメ作りだが、いまやロボット農機が登場。国策としてスマート農業が導入され始めた。内海さんは第一人者の北海道大教授や先進自治体の岩見沢市長らを訪問し、自らが果たすべき役割が次第に明確になってきたという。
     広島県も重労働の追肥作業にドローンを活用し、成果を上げる。しかし広大な農地で生産性の高い北海道とは異なり、広島は中山間地が7割を占める。専業農家の損益分岐点の水田面積は7〜8ヘクタール。小規模では農機具や肥料などのコストに見合う収益を確保できない。もうかるコメ作りと程遠く、新規参入を阻む。既にコメ作り農家の平均年齢は70歳を超える。ここ数年が水田継承のラストチャンス。
     9月9日、農林水産省は10年後に担い手不在の農地を都道府県別に初めて集計。拡大する耕作放棄地は西日本に多く、広島県は7割近い。北海道でさえ水稲の新規就農は昨年、わずか5人だった。
     古事記や日本書紀に日本の美称に「豊葦原之瑞穂国」とある。葦がしげり、稲穂がみずみずしく育つ豊かな国という。その瑞穂の国の水田を無くしてはならない。決してコメ作りを他人事で済ませてはならない。いまや一人一人の覚悟が求められていると内海さん。まだ間に合う。

  • 2025年11月6日号
    大神輿を担ぐ

    戦いに明け暮れた戦国時代が終わり織田信長、豊臣秀吉を経て徳川家康が幕府を開いた江戸時代は、世界にまれな天下太平の世だったという。
     広島城下の地誌「地新集」に、江戸初期に始まった神輿行列「通り御祭礼」の様子を伝えている。
      「町々両側に拝見の男女家毎に充満し、近国遠在よりも承り伝えてこの御祭礼を拝み奉らでやむべきかはとあらそいあつまるもの幾十万ということを知らず」
     次第に町人も行列に加わるようになり、大いににぎわったようだ。
     御祭礼は家康の没後50年(1666年)に始まり、その後も50年ごとに4回まで続いたが幕末の動乱、戦争、原爆によって途絶えていた。だが、経済界や市民らが協力し2015年、200年ぶりに復活。奇跡的に被爆による消失を免れた約1トンの大神輿(広島市重要文化財)を100人の肩、両手で担ぎ、総勢550人の時代行列が東区二葉の里辺りを練り歩いた。伝統芸能の花田植えや子供歌舞伎なども彩りを添えた。来場者は約7万人。
     被爆で多くの人々が亡くなり、多くの伝統行事も途絶えたが、はるか時代を超えて広島城下町の華やかな光景をよみがえらせた意義は大きい。わが町の歴史に思いをはせた人もいたのではなかろうか。
     次回の開催は2065年になるが、前回の御祭礼からまだ10年の今年、伝統継承への願いも込め、御祭礼を模した「広島神輿行列」を11月9日(日)に繰り広げる。
     警護御先手足軽、町奉行、御弓、御鉄砲、拍子木打、御長柄、町年寄、壬生の花田植、麒麟獅子、御庭払、朱傘、太鼓・笛の楽人ら時代装束をまとった総勢約300人で、350メートルに及ぶ行列をつくる。
     当日は、二葉の里の広島東照宮境内で出発式を済ませた後、午前11時ごろ饒津神社へと向かう。およそ3時間にわたり大神輿を担ぎ、華やかな石引台花車の山車を引いて東照宮から饒津神社までの往復約1・5キロを歩く。
     共催事業もある。「広島江戸祭2025」は東照宮境内で伝統文化ステージ、文化体験ブース、飲食ブースなどを設ける。東照宮境内前のシリブカ公園で物販、飲食ブースなどを開く。
     主催は、広島神輿行列実行委員会(山根恒弘委員長=ヤマネホールディングス会長)と中国新聞社。特別顧問に浅野家18代当主、徳川宗家19代当主、上田宗箇流家元を招く。副委員長は久保田育造(久保田本店会長)、山本一隆(中国新聞社特別顧問)、久保允誉(エディオン代表取締役会長)、長沼毅(長沼商事代表取締役)、久保雅義(サンフレッチェ広島社長)、平尾圭司(東照宮世話役会会長)、三戸皓一(神輿頭東照宮世話役会副会長)の各氏が名を連ねる。
     長沼商事の先代社長で、東照宮責任代表を務めていた長沼博さんらが尽力し、1998年11月に御祭礼に倣って神輿行列を復活。実行委員会の副委員長を務めた長沼さんは2015年7月7日に他界し、楽しみにされていた、その年の御祭礼を見ることは叶わなかった。
     広島市文化協会の山本一隆会長は、
    「広島の秋を代表する神輿行列に定着すると、多くの人を集める観光資源として価値は大きい。世界情勢が緊迫する中、天下太平の歴史絵巻から平和を願う機会としたい」
     わが町の伝統文化を再現するひと幕を見逃す手はない。

  • 2025年10月30日号
    事業を断捨離

    芭蕉は「不易流行」という俳諧の理念を示した。企業経営も変えてはならない(不易)ことがあり、一方で時代に合わせて何を変えていく(流行)のか、その両立を見極める岐路に立つことがある。
     来年で創業170年を迎える、千福の醸造元の三宅本店(呉市)は祖業を守り続けながら、日本酒の消費量が減り続ける時代にどう対応するのか厳しい選択を迫られていたが、洋酒部門へ打って出る決断をした。10月6日、自社蒸留所「セトウチディスティラリー」で初めて、ジャパニーズウイスキー「瀬戸内 オロロソシェリーカスク」の発売に踏み切った。
     キリンビールで営業を経験した後、2017年に28歳で創業家である家業に戻った三宅清史統括本部長(35)は、
    「従業員が先々、安心して働ける環境をつくるには、まず経営の方向性を明確にしなければならないと痛感した。そこで着手したのは事業の断捨離。不採算商品や取引を整理し、主力の千福を中心に経営資源を集約していった」
     ドラスチックな変化を受け入れられずに去った社員もいたが、会社が守るべきものを明確に示し、曖昧だった方向性に一本の筋を通した。
     広報改革にも着手。テレビCMなどで年間数千万円に上っていた広告費を削り必要最小限の媒体に絞った。浮いた資金を商品開発に回し、新たな市場開拓へ力を注いだ。
     こうして生まれた低アルコール飲料「瀬戸内蔵元ゆずれもんサワー」などのRTD商品は、日本酒になじみの薄い層に広く浸透し、売上構成にも変化が生まれた。
     社内では「これ、いるんかな」の合言葉で改革に着手。仕事の目的を問い直し、当たり前を疑う。その視点が業務の隅々へ浸透した。経理に総務の知識を学ばせるなど、部門を越える取り組みから始めた。働く意識も変わった。年功より成果を重んじ、挑戦すれば評価が上がる。現状維持に甘んじれば評価が下がる人事制度に移行。むろん当初は職場に大きな戸惑いもあったが、やがて自ら考え、行動する気風が根付き、新しい息吹が生まれた。
     採用面にも波及。今年4月に日本酒の醸造現場に大卒の女性が新卒で加わった。伝統に安住せず挑戦を続ける企業姿勢が、次の時代を担う若い人材を引き寄せた。
     売り上げが低迷したコロナ禍の20年、既存の焼酎用設備と清酒造りの発酵技術を応用して蒸留酒事業を強化。21年には瀬戸内の果実を生かす「クラフトジン瀬戸内」を発売して手応えを得ると、長期熟成を前提としたウイスキー造りへ挑む決意を固めた。
     23年には京都大学工学部大学院で研究を積んだ弟の清隆さんが戻り、ウイスキー造りに参画。蒸留器の調整や温度制御の改良など技術の安定化を担い、生産体制を築き上げた。また3年熟成が条件のジャパニーズウイスキー発売を見据えて0、1、2年の熟成過程を味わえる酒を発売。購入者を対象に月2回の有料工場見学会を開き、2年間で約400人に現場を体験してもらって信頼を醸成した。
     25年3月期の売上高は5期ぶりに10億円台へ回復。清酒の需要が落ちる夏場にもジンやウイスキーといった新商品群が売り上げを支えた。試行錯誤の先に生まれたジャパニーズウイスキーは単なる新商品ではなく、社内改革の成果を映す結晶でもある。不易流行をとことん突き詰めた決断が、未来を開く。

  • 2025年10月23日号
    中央会の底力生かす

    中小企業団体全国大会が11月12日、中区基町の県立総合体育館で開かれる。全国に約3万組合を擁し、当日は各地から約2000人が参加する予定だ。今回で第77回を重ねる。広島で開く全国大会は65年ぶり、2回目。
     団体中央会の全国組織と広島県中小企業団体中央会(伊藤学人会長)の共催。全国の意見をとりまとめ、国や関係方面へ表明し、併せて組合活動の功労者を表彰。同体育館B1で物産展も催す。
     大会を終了後、リーガロイヤルホテルに会場を移し、約1000人が参加する「交流会」を開く。元総理の岸田文雄衆議院議員の来賓挨拶も予定。かつてない大規模な交流会を計画する。伊藤会長は、
    「全国各地からさまざまな業種の人が大勢集まる、せっかくの機会を逃す手はない。顔を合わせて話すうち新しい角度、接点を発見し、思いがけないビジネスチャンスをつかんでもらいたいと考えた。むろん広島を好きになり、全国各地に広島の良さを宣伝してもらいたい」
     参加者は約30分ごとに席を移動し、名刺交換や対話の機会を促す。日常を離れて出会った人、その地での出来事は印象に残りやすい。今後は広島方式の交流会が定着し、商取引のマッチングや人脈づくりの場へと全国に広がっていくきっかけになれば、その効果は大きい。
     県中小企業団体中央会は12月に創立70年を迎える。会員組織で運営。経済団体としてはやや地味な存在だが、事業協同組合を中心に商店街振興組合や企業組合など会員は547組合に上る。組合に加入している企業を合計すると約3万200社になる。団体中央会の主な業務は、個々の事業者が団結、集団化することにより経済的、社会的な地位向上を図ろうとする中小企業の組織化(組合設立)を指導するほか、設立後も各組合の円滑な運営などを後押ししている。
     いまはナンバーワン、オンリーワンが評価されるようになり、時代の流れが個へと振れている。革新的な技術、ビジネスモデルで短期間のうちに急成長を目指すスタートアップが脚光を集める。中小企業が助け合う組合の在り方を見直し、団体中央会も新たな運営活動が求められている。
     1990年の905組合をピークに減り続け、35年間で358組合が去った勘定になる。しかし全国ネットワークを擁する団体中央会の情報力、異業種のノウハウなどにデジタル技術がかみ合うと、新たなビジネスチャンスが生まれる可能性も秘めている。ひとつ奮起してもらいたい。
     歴代会長の在任期間が比較的長期に及んでいることも、ひとつの特徴といえよう。初代の長尾次郎さん13年、2代目の筒井留三さん16年、3代目の内海得治郎さんは6年だったが、4代目の伊藤学さんは体調を崩して辞任された2003年5月まで13年に及ぶ。5代目の白井隆康さんは5年、6代目の櫻井親さんは4年、7代目の伊藤学人さんは12年に就任以来、今年で13年になる。遺伝子のせいか親子共に会長職を担う。
     伊藤さんは広島で開催された全国大会の世話役を多く経験してきた。広島青年会議所時代は全国大会懇親会担当委員長、全国法人会総連合の青年部会連絡会議実行委員長、国内最大級の全国菓子大博覧会は大会事務局長をこなし、大成功へ導いた。全国大会での出会いを縁に、いまも交流を続ける人は多いという。

  • 2025年10月16日号
    建築と都市と歴史

    ひろしま国際建築祭が10月4日に開幕した。11月30日まで58日間にわたり、福山と尾道の7会場を中心に繰り広げる。建築文化の発信などを目的に昨年設立した(財)神原・ツネイシ文化財団(神原勝成代表理事)が3年に一度、継続開催する。
     今年を初回とし、世界を舞台に活躍する建築家、未来を担う作家ら総勢23組に焦点を当てる。〝建築〟で未来の街づくりを提案し、こどもの感性を育み、地域の活性化を促すとともに、名建築を未来に継承する使命を掲げる。
     瀬戸内ならではの風景とともに歴史的な地域の建築物の魅力を再認識し、未来へつなぐ建築の力を地域の魅力に高めようとする意気込みが伝わってくる。
     会場の一つ。世界的に活躍する安藤忠雄氏が設計した尾道市立美術館では、建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー建築賞」受賞建築家を紹介する企画展「ナイン・ヴィジョンズ ― 日本から世界へ 跳躍する9人の建築家」を開く。受賞者54人のうち日本は現在、米国と並ぶ8組9人と世界最多。日本古来の伝統や技術、思想や自然観などをバックボーンに、世界が認める建築の技術、心を研ぎ澄ましてきたのだろう。
     広島の街に「平和の軸線」を提唱。平和記念公園などを設計し、広島の復興と都市計画に功績を残した丹下健三をはじめ、槇文彦、安藤忠雄、妹島和世・西沢立衛SANAA、伊東豊雄、大竹市の下瀬美術館を設計した坂茂、磯崎新、広島市西消防署を設計した山本理顕の作品からどんなメッセージを受け取ることができるか。都市と建物のかかわりと息づかいに思いをめぐらす人々の感性を刺激する。都市、街角の姿が多くの人を呼び寄せ、訪れた人の記憶に深く刻み込まれる。
     常石造船(福山市)2代目社長の神原秀夫さんが1965年に建立した禅寺の神勝寺や禅と庭のミュージアムは緑、池、建物が織り成す風景が素晴らしい。紅葉のころを散策したい。ふくやま美術館、尾道の旧銀行支店を改修したまちなか文化交流館、志賀直哉が暮らした長屋に隣接し、築110年の茶園(別荘)を生かした文化交流施設LLOVE HOUSE、海運倉庫をリノベしたU2、旧共同住宅を宿泊できる複合施設にしたLOGを会場に多様なプログラムを展開。若手建築家の発想に心を動かされる。
     遣隋使・遣唐使の時代から文化・物流の大動脈だった瀬戸内海を臨む地域では風土や景観、伝統に呼応した名建築の数々が生まれてきた。そうした古建築と現代建築が集積し、響き合うことで建築文化への興味や関心も高まる。
     広島は駅一帯をはじめ再開発が進み、そこに何があったか思い出せないほど変貌を遂げている。2013年に始まった名建築を発掘・発信する県民参加型プロジェクト「ひろしまたてものがたりフェスタ」が今年も広島、呉を巡る。11月7、8、9、15、16日、特別公開やガイドツアーなど49プログラムを展開。見慣れた建築物の背後にある物語に思いをはせ、新たな光景を見ることができる。
    「建築自体がアート作品で、未来への資産になる。開発オンリーではない、まちづくりが地域固有の魅力を生む。建築文化が集積する瀬戸内海地域から、新しい建築の在り方を提唱し、未来像を考えるきっかけになればうれしい」(建築祭事務局)。
     まずは足を運んでほしい。

  • 2025年10月9日号
    ウェル認証を申請

    米国で生まれたウェル認証が日本でも広まってきた。人に大切な空気、水、栄養、光、運動、温熱快適性、音、材料、こころ、コミュニティの10のコンセプトに沿って審査基準を設けている。
     産業機械、空調機器機材など機械商社のビーテックは9月16日、中区大手町から西風新都の安佐南区大塚西に移転し、業務を始めた。これを契機にウェル認証を申請し、来春には取得見込みという。
     新本社屋はアストラムライン大塚駅近くの敷地4086平方メートルに2階建て延べ2217平方メートルを新築。1階に大会議室、倉庫棟などを設置。2階のオフィスは大きな窓を設け、広々と開放感がある。机は1フロアに80席分。ビーテックサービス、中区本川町から移ったシステム計装のグループ3社の社員が働く。
     電動で上下し立ったままで業務が可能な机、キッズルームを導入。会社補助で健康に配慮した冷凍食品や飲料などを用意する。垰田実社長は、
    「アストラムラインやバスの公共交通機関から徒歩10分圏内、ワンフロアを広く使えることで用地を選定。業務効率を高め、設計施工、環境改善等の新規事業などで社員間のコミュニケーションがとりやすくなります。駐車場は社員分含め現在80台分を確保。計100台分以上になるよう周辺で整備しています」
     座りっぱなしが続くと寿命が短くなるというデータがあるという。立っても座ってもデスクワークを可能とし、採光などに気配りした。
     1951年2月に父の明氏が中区本通(当時の播磨屋町)で「新東洋貿易」を創業。60年に「新東洋」に社名変更し、76年に創業25周年記念事業として西区庚午北に自社ビルを建設し移転した。87年に「ビーテック」に社名変更。
     2000年の50周年記念事業で中区大手町の7階建てビルを購入し移転した。82年に空調自動制御部門をシステム計装として分社化。93年には空調機器修理・部品販売部門をビーテックサービスに分社化。95年には中国に合弁の大連ビーテックを設立し、中国事業を展開するなど業容を拡大。来年に75周年を迎える。
    「オイルショックやバブル崩壊、リーマンショックなどを何とか乗り越え、多くの取引先に引き立てられことが大きい。経済、社会環境の変化に対応して工夫しながら今日に至っています。過去の成功体験や価値観に縛られない、柔軟に対応し続ける経営を目指しています」
     25年3月期の連結売上高は84億円。いまは100億円規模を目標に置く。
     18年に女性営業職の採用を始め、現在5人のチームで空調機のフィルター販売保守事業を行う。システム計装は新規事業として省エネ・省CO2の課題解決を図る「環境ソリューション事業」に注力する。パナソニックを窓口にウェル認証を申請中。
    「健康経営やSDGs経営などウェルビーイングの観点で、職場環境や労働環境を整備。就業規則にもフレックスタイム制の適用、勤務間インターバル・連続勤務の制限、職業訓練制度・関連資格取得の授業料補助、産業医の定期的面談などを盛り込みました。企業経営で人の大切さを実感。働きがいのある職場環境を整備していきます」
     人的資本投資で企業価値を高め、社員のエンゲージメントも向上。採用活動にも生かせる。基本コンセプトに沿って職場を創り、100年へ向かう。

  • 2025年10月2日号
    安芸灘の誇り

    日本は古来、海藻類を多く食生活に取り入れてきた。ワカメ、コンブなどは和食の名脇役として、料理の腕の見せどころという。もう一つ。ヒジキはヨウ素やカルシウム、マグネシウム、鉄分、食物繊維を多く含み、血液を固まりにくくする作用で動脈硬化、血栓を防ぐ健康食としても根強い人気がある。
     しかし国内に流通するヒジキの90%が韓国、中国からの輸入。このままでは天然ヒジキのおいしさが失われてしまう、何とかせんといけん。呉市近海の安芸灘で取れた新鮮なヒジキの販路開拓、新製品開発に奮闘する松島やの北尾悦子さん(69)は、
    「一時はスーパーに卸していたこともあったが、この20年は仕入れがままならない状況になり、やめると決意。ところが、どうしても安芸灘のヒジキでなくてはと多くの声を受け、心を奮い立たせた」
     呉市豊浜町の豊島出身で、実家はタイ一本釣りの漁師。20年ほど前から毎年、冬場になると母親から乾燥ヒジキをもらい受け、友人や知人にお裾分けしていた。そのうちあちこちから「売ってほしい」という声が出始めた。そもそも売る気はなかったが、友人から背中を押されて、飛び込み営業した先が、道の駅がある舞ロードIC千代田。海の幸だから山あいの千代田で扱ってもらおうという単純な発想だったが、たまたま知人の農家が栽培する豊島レモンを扱っていた縁もあり、とんとん拍子で話が運んだ。
     その後、その道の駅が広島市内スーパーへ移動販売するときもヒジキを扱ってくれるようになり、商いとして軌道に乗り始めた。
     近年、瀬戸内海の海水温のせいか、漁獲量は年々減り、捕れる魚の種類も変わりつつあるという。北尾さんは3年前、ヒジキの不作に見舞われた。相手は自然。なすすべなく受け入れるほかないが、今年もそろそろヒジキの収穫時期を迎える。寒の季節の12月から2月にかけ、身が引き締まり、色や食感も格段に良くなるという。
     品質の良さを認めてくれる人が多いのだろう。着々と販路を広げている。現在は特定の漁師から限られた収穫量で商品化。県が推進する「ひろしま里山チーム」の500登録者・約50団体の産品を集め、そごう広島店である〝さとやまマルシェ〟にも出品を重ねる。4年前には実家の屋号〝松島や〟ブランドでパッケージを刷新。売れ行きは2.5倍に急伸した。百貨店の訴求力もさることながら品質に加え、デザインの大切さも学んだ。
     湯崎英彦知事は、
    「里山、里海には四季折々の自然が織りなす豊かな恵みや伝統文化などの地域の魅力があふれている。ぜひその魅力に触れてほしい」
     希少な天然ものヒジキを昔ながらの鉄窯製法でゆで上げた後、天日干しで磯の香り豊かに仕上げる。乾燥ヒジキのほか、炊き込みご飯のもとに続き、せんべいも商品化。OEM先も開拓した。今冬、そごう広島店から初めてギフト展開に乗り出す。
    「乾燥ヒジキをつくる工程で出る、細かな芽を何とか生かしたいと作ったのが炊き込みご飯のもと。さらに細かなヒジキも使い切りたいと考えたのがせんべい。食の豊かさは心の豊かさと信じています」
     原材料の量に限りがあるから商品アイテムを増やしヒジキとの接点を広げ、販路を広げる。「安芸灘の誇り」があるから先へ、先へ進む。

  • 2025年9月25日号
    価値を創る経営

    多くの蔵元を訪ねた。土地柄や気候、その地に伝わる物語を知り、さらに銘酒へ寄せる思いは募った。
     〝日本の酒〟に特化した独自の成長戦略を描く酒類販売の酒商山田(南区宇品海岸)は10月1日、京王百貨店新宿店内に出店する。いま日本最大級のデパ地下へリニューアル中の西武池袋本店内に次ぐ都内2店目。新たな挑戦のチャンスをつかみ、日本の酒の底力をインバウンドに沸く都心から発信する。
     蔵元やワイナリー400社以上の6000アイテムを扱う。市内4店と東広島、福山市、都内2店の計8店の直営ほか、大阪のエディオンなんば本店の酒売り場を運営。百貨店直営だった酒売り場を引き継ぐ新宿店は、海外のワインやウイスキーなどもそろえる〝世界の酒〟店をうたう。百貨店には卸さない蔵元も含め、83平方メートルの売り場に1000アイテム計5000本を置く。山田淳仁社長は、
    「1日350万人が利用する新宿駅に直結した百貨店で売り場の専門店化はできない。人気の海外酒はむろん、当社ならではの品ぞろえと店づくりを期待されたのでしょう」
     新宿店、年明け以降のリニューアルオープンを待つ西武池袋本店それぞれ3億円と5億円の年商規模を見込む。
     酒商山田は1931年に創業。3代目の父親が病に伏し1989年に実家に戻る。当時の年商は約1億5000万円。借入金の返済金利に追われる厳しい状況だった。どう立て直すのか。翌年、日本の酒をテーマに〝存在価値のある会社を創る〟と決意。その後、ドミナントによる成長戦略、コラボやアライアンスによる業界の活性化など次々と新機軸を打ち出した。
     日本酒の国内出荷量がピークの4分の1まで落ち込む逆風に立ち向かうように業績を伸ばしてきた。2027年3月期で初の20億円突破を見込む。新たな需要を生み出した決め手は何か。
    「出荷量が増加傾向にあった〝特定名称酒〟に着目した。原料や製造方法等の違いで吟醸酒、純米酒、本醸造酒等に分類される。実働する酒蔵約1000のうち、95%以上が中小や個人の蔵。そうした小さな蔵のこだわりや情熱が、個性ある酒造りを支え、風土に応じた豊かな食文化を醸成する。互いを疲弊させるような価格競争から抜け出し、価値で競争することにした。日本の酒を伝えていく。使命が定まり、戦略の軸ができた。〝戦わない経営〟が可能になってきた」
     戦わないために多店舗展開するとともに、選りすぐり銘柄を独自の日本酒シリーズとして全国の酒販店に卸す「コンセプトワーカーズ・セレクション(CWS)」を企画。蔵元と酒販店、ゆくゆくは酒米農家が共に潤う仕組みを生み出した。こうした〝異質化戦略〟が都心で勝負する実力を養ったのだろう。来年、新たに山形の秀鳳(秀鳳酒造場)、三重の半蔵(大田酒造)、山口の天美(長州酒造)など6銘柄が加わり、CWS参画蔵元は41蔵になる。
     価値で戦う経営を軌道に乗せた。かつて数億円で推移した頃の売り上げは料飲店などへ卸す業務用が8割近く占めていたが、27年3月期決算で16%を切る見通しという。
     6年後に控える100周年ビジョンに「独創的価値共創企業」を掲げた。働きがいのある職場づくりも進める。来年2月には新社屋も建つ。
     「人を感動させる人生を生き切りたい」と先を見る。

  • 2025年9月18日号
    伝統技術で世界へ

    筆ハ道具ナリ。ひと言で筆というが、いろいろある。白鳳堂の高本和男会長(当時は社長)は2005年、ものづくり日本大賞の伝統技術の応用部門で「内閣総理大臣賞」を受けた。伝統的な毛筆製造技術を応用した新製品〝化粧筆〟を開発・提案し、国内外へ新市場を開拓したことが高く評価された。
     約200年、筆づくりの歴史を持つ熊野町で1974年に創業。伝統工芸に欠かせない和筆づくりを磨き、用途に応えてきた。昨年で50周年を迎えた白鳳堂は「道具として機能する筆づくり」を理念とし、いまや化粧筆が95%を占め、ほか和筆、画筆、工業用筆を作る。国内外の化粧品メーカーとOEM契約。化粧筆メーカーとして世界で初めて自社ブランドも立ち上げ、国内最大手へ発展を遂げた。
     広島本店ほか、京都本社、東京南青山店、米国ロスアンゼルス支店を展開し、国内百貨店に常設9店舗を擁する。従業員数は230人。ピーク時に約27億円を売り上げたが、その後コロナ禍を挟んで一進一退。ようやく回復し好調が続く。
     欧米に限らず、さまざまな国から多くの観光客が押し寄せる京都はインバウンド需要に沸く。白鳳堂の京都本店は日本茶専門の一保堂茶舗本店など京都の伝統や文化を担う老舗が軒を連ねる寺町通沿いに2014年、出店。経営戦略にとって大きく、国内外へ日本産の化粧筆を広める礎になった。高本光常務は、
    「京都本店はインバウンドで訪れる人が多く、目的を持って来店される方が大半。遠く外国からわざわざ来店していただいたことが、何よりうれしい。どんなに店が混みあっても丁寧に接客し、その人にふさわしい化粧筆の提案を心掛けている。1本1本の価値と機能を対面できちんと伝える。見て触れて、納得して買い求めていただくことが将来へ、世界へつながる大切な絆になると確信している」
     輪島塗や九谷焼、薩摩切子などを軸に使った化粧筆は1本10万円を下らない。各工房に軸のデザインを依頼し、道具とはいえ、美術工芸品のたたずまいを醸し出す。日本の伝統工芸ならではの技、美しさが海外から訪れた人の心を動かすのだろう。
     白鳳堂はもともと面相筆を得意とし、業歴をつないできた。漆塗り、陶器や着物の絵付けなど用途は広く、国宝の修繕にも使われる。伝統工芸を支える誇りと、これまで長く工芸職人や作家らの期待に応えてきたものづくり精神が息づく。筆を納める輪島塗の工房には、災害見舞いにと筆を寄贈し、仕事を発注。感謝の心を届けた。
     2004年に、道具の文化を考える雑誌「ふでばこ」を創刊。各地の〝よき道具〟を訪れて丹念に取材し、ライフスタイルを提案。著名人の寄稿もあり、日本の伝統に楽しく触れる誌面は、文化人や知識人からも定評を得たが、41号でいったん休止。
    「京都本店がスムーズに出店できたのも実はふでばこが介在。雑誌を通じて、しかるべき方々との出会いにつながった。京都に店を構えることはさまざまな情報が入る価値も大きい。各分野をけん引するような方々とのつながりも自然とできる。品質を大切にする筆づくりの姿勢を伝えたふでばこが、信頼を生んだ」
     鑑識用の筆を広島県警と共同開発。他県からも依頼が舞い込む。ものの価値を大事にする人が支えてくれるという自負もあるのだろう。