広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
巨人ファンの多い岡山県出身ですが、呉で育った父親をはじめ親戚一同からカープの英才教育を受け、気付いた頃にはファンでした。夏休みに呉に帰省すると、親戚そろって旧市民球場に出掛けて熱心に応援。外野席からヤジと物が飛ぶのをよく見ていました。ヤジは愛情表現の一つ。今の球場になり一気に減りましたが、個人的にはヤジのある球場も気に入っていました。
好きだったのは衣笠さん。あの連続試合出場記録はすごい。まさしく鉄人でした。生前に一度お会いする機会も。カフェインレスコーヒーの販売で独立し、百貨店に出展している時、ちょうど衣笠さんのトークショーがあり、もちろん会場へ。幼少期からあこがれた選手を前に喜びが強過ぎて、あいさつしかできず言葉が出なかったですね。
しばらくカープから離れましたが、ファンとして再び熱を帯びたのは、黒田投手が復帰した頃。堂林選手を応援する妻が、試合に誘ってくれた影響が大きかったです。その頃は菊池、田中などスター選手も多く、カープ漬けの日々でした。
娘は5歳と小さく、今はたまに家族で観戦に行く程度。しかし、ちゃんと応援歌を歌えますし、球場近くを通ると「応援に行く」と主張します(笑)。わが子もカープを見て育っており、これが広島の守るべき大切な文化だと思います。チームにはもちろん勝ってほしいですが、市民と共に広島の街を一緒に盛り上げる役割をこれからも担ってもらいたいです。
府中町茂陰のクライムセンターCERO(セロ)で、毎月第三月曜日に開催するスポーツクライミングイベント「もみじモンキー」を運営しています。2017年10月から始め、新型コロナの期間を除き、昨年12月に78回目を開催。初心者や経験者、障害のある方が一緒にクライミングを楽しんでいます。参加者は毎回10〜20人程度で延べ約1100人、そのうち約230人が障害を持つ方です。
1月19日にコジマホールディングス西区民文化センター・スタジオで映画「ライフ・イズ・クライミング!」の上映会を開きました。ゲストとして、主演でパラクライミング世界選手権(視覚障害B1)を4連覇したNPO法人モンキーマジックの小林幸一郎代表理事が来場。サイトガイドの鈴木直也さんと米国でクライミングに挑む映画で、日本批評家大賞ドキュメンタリー賞を受けています。小林代表から、大学の同級生のNPO法人ひろしまジン大・平尾順平代表理事に連絡があったことをきっかけに、もみじモンキーの活動を開始。パラクライミングは、ロスパラリンピックで初採用され、注目が高まっています。
市立大大学院で博士号を取得し、専門学校で講師を務め、米国史や衛生法規などを教えています。自身でも2010年からクライミングを始め、パラクライミングジャパンシリーズ・日本選手権で大会MCを務めました。練習を積み上げレベルが上がる手応えが魅力ですよ。
2019年にFPとして独立し、昨年11月に法人化しました。中小企業経営者の個人資産と法人財務の両方について総合的にアドバイスする「法人顧問FP」として活動しています。
呉市出身で、16年に札幌、18年は福岡で日本シリーズを観戦するほどのカープ好きです。しかし子どもの頃は巨人ファンでした。理由は、家で中継を見ながら父が発する、カープへの厳しい言葉。今となっては愛情の裏返しだと分かりますが、当時の私は素直に「ダメなチームなんだ」と思ってしまい、メディアなどで露出の多い巨人に興味を持ったのです。
カープに目覚めたのは愛媛県の大学に進んでから。地元を離れたことで、広島の人々がたる募金で球団を支えた歴史が誇らしく感じられました。松山市の坊ちゃんスタジアムで声援を送った経験もあります。
近年では広島からメジャーに巣立った選手を現地応援することも。ドジャース時代の前田健太投手を見にロサンゼルスに行った際は、残念ながら登板せず。22年には鈴木誠也選手を目当てにシカゴを訪れたところ、なんと直前に第1子の出産立ち会いで帰国したとの情報が。今回も空振りか、と思いましたが、ちょうど私が行った日から試合に復帰。2安打と結果も残してくれ、非常に良い思い出になりました。
今年こそ、誠也のように打線の核となる選手の出現と、赤ヘル軍団伝統の見る人をうならせるような攻守に隙のないプレーに期待したいですね。
小学校高学年の頃、旧市民球場の入り口前の広場で友達と遊んでいたら、球団事務所からこわもてのおじさんが出てきて、ジュニアカープの会員カードを渡されたことがカープにのめり込むきっかけに。それから、カープのグッズやイヤーブックが届くようになって、選手の写真を眺めては楽しむ日々。当時は、〝炎のストッパー〟津田恒実投手のファンを公言し、打たれた翌日は友達から責められたり、抑えた時は褒められたりと津田投手と一心同体のように過ごしていました。
現役では、堂林翔太選手をずっと応援。技術力も華もあるのでもっとやれるはず。今年こそは大成してほしいと、彼への特別な思いは募るばかりです。
昨年9月の失速は非常に残念でしたが、新井監督のやり方や信念は間違っていないと思います。取材で注目の選手やキャンプで一番頑張った選手を聞かれても、個人名は決して言わず、決まって「みんなです」と答える。今の時代に合っているし、組織のトップとして大切な考え方だと思います。
25年ぶりの優勝を果たした2016年に、当社の主力商品「ラサーナ 海藻 ヘア エッセンス」のカープコラボパッケージを発売。昨年にはリニューアルしてPRを強化し、〝かっとばせ、髪の傷みと悩み!〟とうたっています。この商品がゲンを担ぎ、優勝できるよう願っています。
昨年の9月頭までは6年ぶりの優勝、そして40年ぶりの日本一へ期待が高まりましたが、CS進出すら逃す結果に。新井監督は当初から勝負は9月と位置付け、そこまでは投手に過度な負担をかけないよう配慮していました。しかし開幕早々、新外国人打者2人の離脱などで得点力が不足。ロースコアの接戦が続き、投手陣に〝見えない疲れ〟がたまったことが、最終盤の失速につながったと見ています。
8月までの戦い方は、投手と守りを軸としたカープらしいものでした。実績のある大瀬良、床田、森下らが先発ローテを引っ張り、アドゥワや玉村も台頭。右腕が多かったリリーフには森浦、黒原、塹江に新加入のハーンなどサウスポーが増え、バリエーションが広がりました。野手では菊池と二遊間コンビを組んだ矢野が初のゴールデン・グラブ賞など成長しましたね。2人の守備力は球界随一。投手は安心してマウンドに上がれます。
長いシーズンを乗り切る体力も重要ですが、やはり鍵は打線です。私が監督に就いた時は鈴木誠也の存在が大きかった。末包や坂倉のさらなる成長のほか、ドラフト1位の佐々木など若手選手の躍進に期待したいですね。
最近は減ったものの、2年前に新井監督にバトンを渡した頃は、選手の状態について連絡を取り合うこともありました。ただし彼はガラケーしか持っていないので少し不便。「今年こそ優勝せい!」と、ショートメールで送っておきます(笑)。
中区銀山町でキックボクシングジムを運営している。関西出身だが、前職で広島に転勤して以来、サンフレを応援。9月に開業してすぐにPRサポートショップに登録し、ポスターなどを飾っている。
広島で初めて居を構えたのが広域公園近くのAシティで、普段から選手の姿を見かけるなどサッカーが身近だった。当時はボランティアなどの地域活動に参加するたびにチケットをもらえたので、妻や子どもを連れて頻繁に観戦。新スタジアムでも声援を送っている。
サンフレ一筋で、今年引退した青山選手が好きだ。日本代表の試合を終え、チームの合宿に合流する青山選手と新幹線で同じ車両になったことがあり、気さくに話していただいたことで一層ファンになった。
近年は出場機会が少なかったが、青山選手がベンチにいるだけで一気に士気が上がり、選手の動きや雰囲気が変わるのを感じた。劣勢でも決して諦めず最後の1分まで声を上げ続ける姿勢には頭が下がる。試合に負けてうつむく選手に「次がある」と声を掛けていた姿も印象的だ。自身はピッチに立てずとも、選手の痛みや苦しみを自分事として捉え、同じ立場で戦っている気持ちを持っているのだろう。私の本業であるトレーナーのあるべき姿を学んだ気がする。
今年は残念ながらシャーレを掲げることはかなわなかったが、来年はコーチとしてチームを優勝へ導いてくれると期待している。
安佐北区安佐町久地で木製建具を製造。父の耕一からバトンを受け、昨年3月から3代目社長として社業発展にまい進しています。
安佐南区生まれで、小学2年に地域の軟式野球チーム「安佐クラブ」で競技を始めました。小柄で非力だったことから、当時参考にしていたのは東出輝裕選手。171センチという体格ながら、俊足・巧打・堅守の内野手として二度のベストナインを獲得。そのプレースタイルを自らのイメージに重ねるように、テレビ画面にかじりついて観戦していたのが懐かしいですね。その後は伝統の広商野球に憧れて進学。地域の「トップ選手」が集う中、特に印象深いのは1学年上にいらした現ソフトバンクホークスの柳田悠岐さん。「ロング」というあだ名が付くほど当時は線が細かったものの、打撃センスはピカイチ。私が2年時にサードでレギュラーを勝ち取り、球界を代表する好打者の柳田さん(3番センター)とスタメンを張れたことは今でも誇りです。また亜細亜大学で活躍中だった岩本貴裕さん(現カープスコアラー)もオフシーズンによく訪れ、我々後輩にも分け隔てなく気さくに声を掛けてくださるなど、温かいOBや先輩、仲間たちに囲まれた充実の高校生活でしたね。
勝敗だけでなく、県民を元気にする、子どもに夢を与える、そして広島の街を一つにするカープはなくてはならない存在です。新井監督の下、来年も広島を熱く盛り上げてほしい。
広島大学病院の近くでベビーカステラ専門店を営んでいます。小麦と牛乳ではなく米粉と豆乳を使うのが特徴。味はプレーンや抹茶、アールグレイなどのほか、期間限定品も含め10種前後をそろえています。シーズン中はよく、マツダスタジアムに向かうファンが立ち寄ってくれますし、私も今年は10試合弱を現地観戦しました。先着で新井監督のボブルヘッド人形が配られる日には、店を早めに閉めて球場へ向かったこともありましたね。
一押しは小園海斗選手です。きっかけは彼が地元テレビ局の企画で、お薦めグルメとして当店の名前を挙げてくれたこと。それ以来、店には51番のユニホームを飾っています。小園選手は今季サードとショート、二つのポジションを守りながら全143試合に出場。活躍が認められて11月のプレミア12で侍ジャパン入りしたのはうれしい反面、少し休ませてあげてほしい気持ちもあります。広島でゆっくりする時間があれば、また店に来てくれるかもしれませんから。
これまで球場で見た試合で最も印象的なのは2017年7月7日、神宮球場の「七夕の奇跡」です。5点ビハインドの9回に猛攻で2点差に迫り、なお走者を2人置いて代打・新井さんが逆転3ラン。当時は少々負けていても何とかしてくれそうな雰囲気がありました。今年は打線が湿りがちだったのが残念。試合が速く進むと売り子さんからビールを買える時間が減ってしまうのも悔しい点です。
理学療法士、鍼灸師として病院などで10年以上勤めた経験を生かして8月、中区東千田町に「よつ葉訪問看護ステーション」を開設。介護保険や医療保険を使った訪問看護に加え、リハビリやトレーニング、鍼灸施術にワンストップで対応しています。
学生時代は県立広島皆実高校などでバスケットに打ち込んでおり、野球への関心はそれほど高くありませんでした。転機は2015年、黒田さんがメジャーからカープに帰ってきたこと。出る時も戻る時も「男気」あふれた彼の一挙手一投足にほれ込み、自然と球場に足を運ぶように。3連覇を果たした18年には、年間50試合以上を生観戦していました。毎年争奪戦になるスローガンに合わせた限定ユニホームを購入するため、前日の深夜から球場で並んでいたことも懐かしい。ユニホームは10着以上所有しており、ツテで頂いた新井監督のサイン入りは額縁に入れ飾っています。
リハビリなどで伺う利用者さんとの共通の話題ももちろんカープ。それだけに9月以降の大失速はこたえました。カープの不調で多くの利用者さんが日に日に落ち込んでいくのが手に取るように分かり、カープが私たち市民の〝元気の源〟になっていることを改めて実感。試合のないシーズンオフもどこか物足りなさが募り、早くも来春の開幕を待ち遠しく思っています。近く「外出支援サービス」も始める予定。いつかはマツダスタジアムに利用者さんをお連れし、一緒に喜び合いたい。
安佐北区大林の工場を主拠点に産業廃棄物の処理や、それを原料とする石炭代替燃料RPFの製造を手掛けています。祖父が創業し、現在は父が社長。3代目となる私は社業のほか、2021年には広島JCにも入会してさまざまな経験を積む日々です。
父は熱烈なカープファンで、幼い頃は旧市民球場に連れて行ってもらいました。まだ野球のルールもよく分からず、楽しみはカープうどんと7回裏のジェット風船。カープが勝つと父は機嫌が良くなり「これで好きなグッズを買ってこい」と1万円札を渡された思い出もあります。
その後は小学4年でソフトボールを始め、打席では当時の主軸で下の名前が同じ、栗原健太選手のフォームをまねていました。名前つながりでは前田健太投手も印象的です。ただ、中学からはバットをテニスラケットに持ち替えました。
東京の大学に在学中の4年間は、25年ぶりの優勝を果たすなど最も盛り上がった時期。父と一緒に東京ドームの左翼席で応援したこともあります。関東の球場は私のように広島から上京した人が集まり、独特の一体感と仲間意識を感じましたね。
会社でも旧市民球場時代から年間指定席を持っており、取引先に進呈するほか、余りは社員に提供しています。好調だった今年の春〜8月は特に喜ばれましたが、9月の急失速が残念でなりません。来年こそは頂点をつかみ、広島の街を盛り上げてほしい。
広島ドラゴンフライズの2013年発足からパートナー(支援企業)を務めており、社員みんなでこのたびの優勝を喜びました。2連覇を期待する人が多いでしょうが、余計なプレッシャーを与えては本末転倒。個人的には肩肘張らずに良い試合をしてもらいたいですね。当社は物流が本業。今後も試合用機材を運ぶ〝ドラフララッピング〟トラックで全国を駆け巡り、多くの人の目にとまる広告塔を意識したい。
スポーツは大切なことを教えてくれます。実は12年の日本陸上競技選手権大会800メートル走で優勝した久保瑠里子は私のめいっ子。そのひたむきに努力する姿から、アスリートの世界の厳しさや壁を乗り越えたときの感動、周囲に与える夢や希望について身近に感じました。日本歴代2位のタイム達成時には打ち震えましたよ。
こうした経緯もあり07年からほぼ毎年、少年ドッジボールの「KUBOXTドリームカップ」を開いています。今年は12月に廿日市市のサンチェリーで実施し、28チームが参加予定。子どもの生き生きとした様子には大人も元気づけられます。
広島出身で北米プロアイスホッケーのNHL選手を目指す、小学6年の堀江虎太郎くんを応援するプロジェクトにも協賛。当社副社長で弟の真也は日本アイスホッケー連盟の理事などを務め、彼を指導したことも。今は練習場が整った北海道で暮らしていますが、「広島から世界へ」と話しているそう。夢の実現を祈っています。
埼玉のPOSシステム開発会社に30年ほど勤め、出身地である広島で昨年12月に独立。地場の同業と連携し、多店舗展開する小売店などの開拓を目指しています。
幼い頃に父がカープの私設応援団に所属し、家庭はカープ一色。勝利に傾倒する父への反動からか、当時はカープをあまり好きになれませんでした。今でこそヤクルト本拠地の神宮球場や巨人の東京ドームでも赤いユニホームがスタンドを埋め尽くす人気ぶりですが、大学進学で上京した時は地方の一マイナー球団。私が応援しなければと、会社のドーム年間指定席を使って巨人とのゲームはほぼ欠かさず観戦するほど、一気に熱が入りました。
思い出深いのは、マツダスタジアムで開いた結婚式の2次会パーティー。球団への猛烈なアピールで2016年8月11日に実現しました。25年ぶりにセ・リーグ制覇した記念すべき年だったこともあり、約150人収容のパーティールームにあふれるくらい多くの友人が集まって大盛り上がり。途中でマスコットキャラクターのスラィリーが来てくれたり、センター後方のスコアボードに式中の様子を映してくれるなど、ご尽力いただいた球団には感謝しかありません。試合も「逆転のカープ」を発揮し、阪神に5-3で勝利という最高の結果でした。
今季は歴史的な大失速で苦汁をなめましたが、来季こそ「家族一丸」で栄光をつかみ取ってほしいです。