日本酒の国内出荷量は1973年の170万キロリットル強をピークに、昨年はその4分の1まで落ち込んでいる。かつて100近くあった県内の銘柄は47に半減。実際に醸造する蔵は30ちょっとという。コロナ禍で宴会や会食などの自粛ムードが広がり、酒類を提供する飲食店の休業、営業時間短縮が相次ぐ。酒屋さんは憤り、悲鳴を上げる。
だが、いまがチャンスという。広島市内で酒販店を経営する酒商山田(南区宇品海岸)の山田淳仁社長はピンチを逆手に取り、新たな海外販路の開拓に乗り出したほか、就業規則を抜本的に見直して働きがいのある職場づくりを進めるなど、思い切った経営改革に乗り出した。中国地域ニュービジネス協議会が7月20日に開いた第1回「各界のリーダーを囲む会」のメインスピーカーに登場。興味深い話をしてくれた。
直営酒販店が4店舗のほか、酒類卸の免許も取得。全国の蔵元を直接訪ねて逸品の銘柄を選りすぐり、開発を促し、これを全国の酒販店に卸す商品シリーズ「コンセプトワーカーズ・セレクション」(CWS)を2016年に立ち上げた。現在は国内のデザイナー19人と提携し、醸造元は24蔵が参画。同CWS商品を全国の酒販店へ供給する。〝日本の酒の伝道師〟というミッションを自らに課し、国内から海外へ翼を広げようとしている。
米国の事業パートナーと共に7月下旬から約2週間をかけ、酒質に定評のある国内の9蔵元を順々に訪ねた。事業パートナーが米国内での日本酒の啓発活動と販路拡大を担当。酒商山田は蔵元の推薦と輸出商品の開発を受け持つ。
世界に広まるワインやウイスキーなどは産地名がブランドになり、それぞれが特有の個性を醸す。蔵元を訪ねて日本酒の造られた背景や産地の風景、歴史、気候、水質、その土地柄なども銘柄に折り込み、海外へブランド価値を売り込む狙いがあるのだろう。大きな希望があるから、へこたれることがない。
年商は10億円規模。三代目の実父が病に倒れ、1989年に実家の酒販店に戻り、経営を継いだ。当時の年商は約1億5000万円。借入金の返済金利に追われる、厳しい状況だった。出店規制に守られていた酒販業界は、大店立地法の施行による大型店の出現や2006年の酒類販売免許完全自由化などによって大打撃を受け、街角にあった酒屋さんが次々と姿を消していった。
売り上げの主力だったビールとたばこの扱いをやめて日本酒に特化。小さな蔵のうまい酒に着目し、身をそぎ落とすような競争と一線を画す経営に軸足を移した。こうした一歩一歩の取り組みから商いの確信を得たのだろう。
「こだわりのある飲食店と飲み手を創り、小さな蔵の需要を創り、日本の酒文化の魅力を国内外へ発信する。立ち止まるわけにはいかない。希望を見いだし、柔軟な発想、社会的な課題の解決、そして新しい価値を創造することで共に前進していきたい」
国内市場は先細るが、清酒の輸出額は10年以上、右肩上がり。昨年は過去最高を記録した。近く、小さな蔵のうまい酒が海を渡る。並行して新感覚の店舗開発と新しい卸売事業展開の構想も練る。