広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
広島県の人口減少に歯止めがかからない。何と5年連続で人口転出超過が全国最多になった。打つ手はないのか。県は本年度予算で若者の減少対策に98億円を投じたが、一朝一夕で成果は出ない。なぜ若者が広島を飛び出し、広島に戻ってこないのか。県外から人が移ってこないのか。
少し都会的な風情があり、田舎の趣もある。瀬戸内の温暖な気候、二つの世界遺産、豊富な山海の幸、盛んなプロスポーツ、世界に展開する企業群など、多くの人を引きつける魅力がそろう。
土木建設の新川(東広島市安芸津町)専務の新川隼人さん(43)は、自治体任せにしない民間主体のまちづくりに取り組み、成果をあげる。2021年から安芸津町への移住者支援を始め、これまでに家族連れやカップルなど5組12人の移住を実現させた。
「関東の人から良い町なのに若い人が何も活動していないと指摘された。ショックを受け、わがふるさと安芸津の魅力は何か、1人でも多く伝えたいと思い、できることから始めた。移住者との交流は何より楽しく、さらにモチベーションを高めてくれる」
建設業の傍ら21年に新事業としてコワーキングスペースを開設。生け花教室など地域活動の場を提供し、自らまちづくりのワークショップも毎月開く。23年には地域で事業を営む人を紹介するポータルサイト「あきつとあしたに、」を開設。併せて移住希望者をネット上でスカウトできるサイトに登録し、直接的な提案活動も始めた。
昨年3月、埼玉県から子ども2人を含む家族4人で移住した福島悟史さんは、
「広島や山口県で移住先を探すうち新川さんからメッセージをもらった。第一候補地を訪ねるついでに立ち寄ったが良い面だけではなく、課題も率直に伝えてくれているのがよく分かった。行政の担当者より地域の当事者として言葉に説得力があり、熱量と行動力に感銘。信頼できると感じ移住を決めた」
自然体で相談に応じ、移住者側の視点に思いを寄せる。移住者の人数を増やすだけが目的ではない。新たな挑戦を生み出してくれる現役世代を増やすことに主眼を置く。
「それぞれ移住者はさまざまな経験や能力を備えている。地域に足りないところを補ってくれる。何よりも町を元気にしてくれる」
その動きが次第に広がってきた。福島さんは東京で会社役員を務めた経験を生かし、地域商社「やぎなだ商店」の立ち上げを計画。新川専務と連携し、近郊の農水産物などを掘り起こし、商品開発から販売までを担う。2月からクラウドファンディングを始め、特産のジャガイモなどを使った「おでん」の土産物開発に乗り出した。
移住を支援した30代の男性と20代女性が率先し、地域の魅力を語るインターネットラジオ番組「アキツカンパイラジオ」の配信をスタートさせた。新川が機材購入を肩代わり。
「当社を含め、地元の会社では働き手の確保が年々難しくなっている。面白いことをしている人の周りには、きっと面白い人が集まる。移住者との新たな取り組みが呼び水となり、地域が元気になり、そうして移住を促す好循環を生み出したい」
行政の補助金や支援制度が移住を後押しするが、決め手は地域に住む人の力と情熱が大きい。都会では近所付き合いが希薄という。
何もなかったが突然、ビッグバンによって宇宙が生まれたという。人知の及ばない領域のことに思えるが、ビジネス界では無から有を生み出す「ゼロイチ」能力が求められているという。
ふりかけ〝ゆかり〟でおなじみの三島食品(中区南吉島)で40年のサラリーマン生活を経験。1月7日付で新会社「ENvision」(中区のひろしまハイビル21内)を立ち上げた社長の佐伯俊彦さん(58)は「無から有」を経営理念に掲げる。
何もなくはない。サラリーマン時代は製造を皮切りに営業、企画開発、マーケティングと多岐にわたる分野で経験を積んだ。たくさんのものを見て、考え、先駆的な発想で「価値創造の追求」を大切にしてきた。広報畑が長く、異業種企業の広報担当者らで勉強会をつくったほか、地元の小学校では未来から逆算して自分の歩むべき道を考える総合学習「探求」の講師を受け持つなど枠を飛び出し、自ら仕事の幅を広げ、深掘りしてきた。
新会社は商品開発と販売促進、企業マッチングによる価値創造と販売促進、市場開発などを主要事業に据える。時代や市場の変化に沿って、さまざまに浮上する問題と向き合い、解決へ促す伴走型で成果へつなげていく。時代を捉えるアンテナ、洞察力、創造力が決め手になる。
サラリーマン時代に辞めようと思ったことが二度あったと振り返る。
「最初は23歳の時。東京勤務となり広島にはないものに触れ、憧れから衝動的に独立したいと母に相談。しかし、焦るな、先は長い、もっと見聞を広めてからでも遅くないと諭されて思いとどまった。その次は、福岡の関連会社で総菜店事業に従事したとき。実質的な経営を任されたものの赤字を出し、あえなく撤退。責任を取るかたちで辞める覚悟だったが、先輩らに引き留められ、踏みとどまることができた。それから広報担当を17年。社内外から信頼してもらえる広報の行動指針を確立し実践すべく心血を注いだ」
心に届く。共感がある。期待を上回る。そうして人は感動し、行動する。それを広報活動から学んだ。
広島生まれの広島育ち。広島を元気にするという強い願いがあり、新会社で実現させたいと動き出した。街歩きをしながら紙屋町シャレオの活性化を考えるようになり、早速、広島市の担当部署に企画提案をぶつけた。
その骨子は、
「日本のアニメ文化が欧米など海外で人気を集め、日本を好きになるきっかけになっている。インバウンドで4000万人を突破し過去最高を記録。巨大マーケットを生むアニメ文化を生かさない手はない。〝コスプレに聖地巡礼〟は地方に足を運んでくれる流れを生み出した。シャレオ西通りをコスプレイヤーが集まるサブカルチャー通りにすることで旧市民球場のゲートパークとのシナジーも期待できる。併せて書道や茶道など日本文化を体験できる教室を並走させる〝二刀流〟カルチャーストリートを描く。国内外から多くのアニメファンを呼び込めば、彼らがインフルエンサーとなって情報発信し、好循環を生み出せるのではないか」
まさに価値の創造。魅力的なキラーコンテンツで「ゼロイチ」を創り出す。街は初めに物語があり、人が集まり、にぎわいを生む循環という。
みんな驚いた。何と自民党が戦後初めて、単独で3分2(310)を超える316議席を獲得。高市旋風が日本列島を吹き抜けた。中道改革連合は公示前の167を大きく割り込む49議席。野田、斉籐の共同代表が辞任し、新体制で立て直しを図る。
高市政権は責任ある積極財政を打ち出した。県内の半導体や造船、防衛産業にどんな波及効果をもたらすか。子育て支援の拡充や住宅ローン減税の延長なども予定。住宅産業も期待を懸ける。
マリモ(西区庚午北)とイオンモール(千葉市)は資本業務提携後の共創プロジェクト第1弾をスタートし、マリモがイオンモール広島祇園の旧敷地内に分譲マンション「コネクトガーデン広島祇園」を建設する。
商業施設に隣接する立地を生かし、イオンモール側にサブエントランスを設ける。共用部1階にはイオンネットスーパーで注文した商品を受け取れる入居者専用のロッカーを設置し、玄関前の宅配ボックスも用意。敷地内の広場は災害時用のかまどベンチやマンホールトイレを備えるなど安全・安心にも配慮した。
敷地2998平方メートルに15階建て延べ1万665平方メートルで、総戸数124戸。2LDK〜4LDKの11プランがあり、住居専有面積は62.40〜100.88平方メートル。駐車場124台分。2028年3月下旬の完成と5月下旬の引き渡しを予定する。取締役執行役員でマンション事業本部長を務める村上哲也さんは、
「通常のマンションだけでなく、今後はこうした〝住・商の一体型開発〟にも力を入れていく。地域コミュニティーの希薄化が社会課題となる中、同マンションでは居住者でなくても地域活動に活用できるコミュニティースペースを提供。さまざまなライフステージの人々が集い、見守り、助け合い、自分らしく安心して暮らせる住まいを目指す。両社が地域とつながるまちづくりという発想を軸に、新たな地域共創に取り組んでいく」
マンションブランドには〝つながり〟をコンセプトとする「コネクトガーデン」を初めて採用した。
同社は1970年に設計会社として設立。90年に自社分譲マンション1棟目を竣工し、開発実績は全国45都道府県で503棟3万2390戸(1月末時点)に上る。
設計会社を由来とする〝ものづくり〟の精神を土台にオフィスビルや商業ビル、ホテルなどにも事業領域を広げ、不動産総合デベロッパーに成長。持ち株会社マリモホールディングス(以下HD)の前7月期連結売上高は約750億円を計上した。HDでは次のステージとして、2030年をめどにビジネスとソーシャルビジネスが50対50で共存する「ソーシャルビジネスカンパニー」を目指している。
グループ会社で非不動産事業を統括するマリモソーシャルソリューションズは昨年4月に広島市と包括的連携協定を結んだ。学生・若者や障害者、高齢者、環境に優しく、ジェンダー平等など多様な人材が人間らしく働けるまちづくりで協力する。協定締結式でHDの深川真社長は、
「当社は『利他と感謝』を経営理念に掲げている。社会課題の解決に、マリモソーシャルソリューションズが手掛ける公共福祉、地方創生、ウェルネス、環境衛生、グローバル、ITの6領域をはじめグループのノウハウを生かす」
新たなステージに立つ意気込みをにじませた。
元日。玩具やホビーの専門店「ホビーゾーン」を全国展開する冒険王(安佐北区可部)は各店とも多忙を極めた。1都1府30県に出店する全65店舗で計1億円を売り上げ、うれしい悲鳴が上がった。
勢いがある。12月〜1月共に前年同月比30%増を上回る売上高11億円強をたたき出した。今5月期売上高を上方修正し97億円を見込む。堀岡宏至社長(43)は、
「円安などから海外旅行を控え、親族ら身近な人と過ごす傾向が強まり、家族連れを中心に幅広い年齢層の来店客を想定。売れ筋を捉えた品ぞろえが支持された。さらに玩具を楽しむ30〜40代を中心にした〝キダルト層〟の旺盛な購買力が、全体の売り上げを押し上げた」
三つの経営戦略を徹底している。一つは集客力の高い地域一番店の郊外型大型商業施設に絞った出店。その客層をにらんだ品ぞろえ。そして最も重視するのが、経営を支えてくれる人材の確保。
業種を問わず、採用難が深刻さを増す。やっと採用してもあっという間に転職。頭を抱える経営者は多い。しかし同社は、アルバイトから正社員に登用する独特の方法を設ける。つまり採用募集広告は不要。このやり方で確実に成果を挙げているという。
正社員に登用する基準がある。店長経験を1年以上。他店勤務1カ月以上。店長塾に参加。エリアマネージャーの推薦条件を満たす。これらをクリアしなければならない。アルバイト募集は店頭の張り紙などで呼びかけ、採用にかける費用はゼロに等しい。年齢・性別不問。岐阜のイオンモール各務原店の女性店長、吉良さんは41歳。入って2年足らずで現職に就く。女性従業員のモデリングになってほしいと期待をかける。
「先輩が自覚し、責任を持って後輩を育てる循環を大事にして教育・研修を内製化していきたい。店長には業績などの発表の場も設けている。何事も自分事として考えてもらう。全員が経営感覚を意識しながら実践する社風を根付かせたい。商品の特性上、好きだから当店に応募するケースが多く、アルバイトで経験済みだから入社後のミスマッチがない。アルバイトからの採用は、これが大きい」
人材が育まれる好循環を生み、業績を押し上げる。
勤務時間に制約のある人にはアンバサダーなどのポストを用意。やりがい、働きがいが失われないよう細やかに気配りする。正社員41人、アルバイト293人。店長65人のうち24人が、正社員の予備軍として控える。
同社の前身は家具店。業界不況にぶつかり当時、2代目社長を継いだ、現会長の洋行さん(76)は、進路選択の決断を迫られた。家具に見切りをつけ1992年、玩具販売で勝負に出た。その頃に、
「経営を学ぶために通っていた大学で言われたことがあった。(大手と違い)冒険王にいい人材は来ないでしょう」
アルバイトの中から人材を見極め、プライドを持てる職場をつくると決意した。
2021年に3代目を継いだ宏至社長は医療情報システム会社に16年勤務。そのとき上司に恵まれた経験が人材を大事にする意識を磨いた。まさに親子伝来だ。
店舗の平均年商1億5000万円。全員で経営理念〝楽しさの創造〟を共有し実践。全国へ多店化を加速する。
「人を集めるのではなく、人が集まる会社にする」と言い切る。こうなると強い。
米国NASAの主導で2027年ごろに月面有人着陸と将来の火星有人探査を描く、アルテミス計画が本格的に動き出す。月面基地の建設による長期滞在や資源利用を通じた宇宙経済圏の創出、火星や他の惑星への有人飛行も検証する壮大な構想だが、重要な技術となる重力シミュレーション分野の標準機を広島の企業が開発し、採用された。
広島大発ベンチャーのスペース・バイオ・ラボラトリーズ(中区橋本町)は、同大名誉教授を務める弓削類(ゆげるい)CEO兼CTOが中心となり重力制御装置「Gravite(グラビテ)」を開発。直行2軸の回転で重力環境を制御し、国際宇宙ステーションと同等の1000分の1G(地球の重力加速度)を地上で再現する。
宇宙実験は回数も予算も限られるからこそ、有人宇宙船や輸送機を打ち上げる前に、地上の施設でどれだけ高精度にシミュレーションできるかが問われるという。例えば人間の筋力や骨が弱くなるなど無重力が細胞に与える影響をはじめ、植物が重力を感じ取り反対方向に伸びていく性質は重力抑制下でどう変化するか、水槽内の魚はどう行動するかといったことを同装置で調べられる。
実は試作を決心した2015年当時、なかなか製造委託先が見つからなかった。技術的な難易度が高く、前例もない。万策尽きたかと思われたとき、人づてに話を聞いた御幸鉄工所(福山市)の佐藤普三社長が名乗り出た。
開発は試行錯誤の連続。直行2軸の回転が生む負荷はすさまじく、装置の耐久性を確保するために設計を何度もやり直す。図面や数値をにらみながら、自ら装置内で植物の発芽実験を行い、性能や無重力の影響を確かめ続けた。佐藤社長は、
「当初から一筋縄でいかない仕事だと直感したが、社内にチャレンジングな空気をつくるには、難題にこそ意味がある。机上の計算だけでなく実際に生き物がどう反応するかを見ないと、本当に使える装置にならない」
ものづくりの現場らしい率直な言葉だ。弓削CEOにとって、夢に共感してくれる相棒の存在が一番の幸運だったのかもしれない。
「研究者として本当にありがたかった。装置が世界で認められたら、必ず佐藤社長たちをNASAへ連れて行くと決心した」
16年にNASAケネディ宇宙センターの微小重力シミュレーション支援施設(MSSF)で初めて採用された。昨年9月には従来機の4〜7倍規模と大型で、さまざまな研究機器を持ち込める特注機を納品。その際、佐藤社長とスタッフを連れて渡米し、ようやく念願がかなった。佐藤社長は、
「まさかNASAに足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。現場で苦労した時間がこうして評価されるのは素直にうれしい」
NASAが行った同装置の性能比較試験で最高水準と証明された。重力シミュレーション分野のデファクトスタンダード(事実上の標準機)になったという。
12月に開かれたNASAの学会で大型装置をブース出展した。弓削CEOは3日前に台湾で講演し、その足で米国入り。ブースに押し寄せる大勢の研究者が目に飛び込んできた。現在、国内外の大学や研究所から累計100台近くを受注。思いがけない広がりを見せている。
50年ほど前、安佐南区の旧祇園町一帯に青々と水田が広がっていた。時代は下り、アストラムライン開通などで交通インフラが発達。宅地開発やマンション建設が急ピッチで進み、都心のベッドタウン化が加速した。工場跡地に大規模商業施設が開業。3次産業を基幹とする町へと大きく変貌した。
田や畑の姿が失われた。だが〝祇園パセリ〟が元気だ。祇園町農事研究会(木下登会長)のパセリ部会に所属する20農家が年間6トンを生産している。現在、県の伝統野菜として広島近郊七大野菜の一つに指定されており、1990年代には100軒の農家が栽培していたという。副会長の庄田俊三さん(66)は、
「パセリ栽培農家の平均年齢は今や70代後半。もともとは西区観音地区で栽培されていたパセリの種をもらい受け、1947年ごろ祇園地域で栽培を始めたところ、武田山から湧く水、気候が良かったのか根付いてくれた。毎年自家採取し、優良な種の選別を重ね、手間や時間を惜しむことなく栽培していたが市場に出しても競り負け、見合った収益を生んでいなかった」
祖父の清人さんらが種をもらい受け育成した。柔らかな食感と、ほのかな甘さと風味に奥行きがある。料理に添える〝飾り〟とは一線を画し、メイン食材に使える実力を備え、定期的に仕入れてくれる人気レストランも少なくない。しかし、パセリ栽培を引き継いだ父親の等さんら農家は「良いものを作れば売れる」という信念と自負を支えとし商売っ気がなかった。
専業農家の長男だった庄田さんはアパレル業界に憧れ、大学を卒業後は繊維卸の十和(現アスティ)に入社。卸から川上の企画製造や川下の小売りへ乗り出す潮目の変わる頃だった。ブランディングの重要性を営業の最前線でたたき込まれた。30年間勤めたころ父親が倒れ、53歳で早期退職。第二の人生は予定より7年ほど早まったが、祇園のパセリから「祇園パセリ」ブランド展開に精魂を傾け、日々栽培に没頭した。
農業経験はなく、1年ほどJAで基礎を学ぶ。父親より5歳若い、パセリ栽培の師匠から種をもらい、指導を受けながら精進。やっと10年前ごろ本格的な栽培に乗り出した。温度管理や間引きなど毎日、手のかかる作業を欠かすことができない。しかし丹精を込めた分だけ味わい深い、おいしいパセリに育ち、応えてくれる。
農業の大変さややりがい、喜びを体験。長野や千葉県などで盛んな大規模産地とは対極にある家族経営で育まれてきたパセリだが、将来へ夢を描くために農業法人化への移行が課題という。
「良いものだと知ってもらうために、その価値を広く発信していくことが大切。ブランドを高めようと2021年に地域団体商標に登録した。一方で地元の大学と協同したレシピづくりや商品化などを通じ、次第に特産品として認識され始めた。栽培を継ぎたいと言ってくれる学生も出てきた。とてもうれしい」
関西や関東の百貨店などへも販売先を拡大。アパレル会社で培った経験と発想が農業分野に新風を吹き込む。食材にこだわる中区広瀬北町のイタリア料理ラ・セッテの北村英紀シェフは産直市で祇園パセリに出会い、すっかりとりこになった。いまは庄田さんの農地の一画でマイ農園を耕す。パセリが引き合わせた縁が広がり始めた。
日本列島最古の人類は廿日市市を選んだという。気持ちが浮き立つような発掘調査結果が発表された。
中国山地の標高約800メートルに広がる廿日市市吉和の冠遺跡から出土した旧石器時代の石器が放射性炭素年代測定で約4万2300年前のものであると、発掘調査を実施した奈良文化財研究所の国武貞克主任研究員らの研究チームが昨年5月、明らかにした。
これまで日本列島への到達時期は後期旧石器時代の3万8000年前ごろという説が有力だった。しかし今回の発見で、さらに古く中期旧石器時代にさかのぼり、通説が覆される可能性が出てきた。
その発掘調査報告会(主催=廿日市市教育委員会)が2月23日、ウッドワンさくらぴあ(同市下平良)である。
「わたしたちの祖先はいつ日本列島にやって来たのか」と題し、奈良文化財研究所(奈良市)の国武氏が講演。広島大学の藤野次史名誉教授は「旧石器時代のくらし」を、市教育委員会の妹尾周三専門員は「冠遺跡群の発見とその後」について話す。石器の展示もある。入場無料。
冠高原の遺跡群は数十年前から地元の研究者や県教育委員会などで調査を継続。出土地層の年代測定や分析のために自然科学分野の研究者も参加。石器が集中する深さを確認し、伴出した炭化物を放射性炭素年代測定法で分析したところ、最下層の炭化物の平均値が国内最古となる4万2300年前のものと判明。
時代ごとに分け、その年代に見合った通りの出土で、中期旧石器時代に相当するこれら石器の作り方や特徴は同時期の中国大陸や朝鮮半島のものと類似しているという。調査は継続中で、論文発表とその検証結果が待たれる。
廿日市市は平成の大合併で 旧町村の佐伯、吉和、大野、宮島と一体になった。山間や内陸〜沿岸〜島しょ部それぞれの自然や歴史文化は多様で奥深い。嚴島神社の祭礼の最終日に合わせ室町中期以降、毎月廿日(20 日)に立つ「市」が市名の由来。これよりはるかに歴史をさかのぼり、列島最古の人類がどこから、どうやってこの地にやってきたのかと想像をめぐらす。
30万年前にアフリカに誕生した新人類ホモ・サピエンス。彼らがユーラシア大陸を経て世界へ拡散していったグレートジャーニーと呼ばれる旅先の一つ、廿日市に列島最古の人類が到達したことが証明されると、世界の注目を浴びることになりそうだ。
国武氏は2017年から中央アジアの4遺跡を調査後、20、21年には長野県香坂山遺跡を発掘調査し、その後も列島での石刃石器群の成立過程解明に挑む。冠遺跡は研究者や専門家の間で注目されていたが、一般的には存在や価値が認識されていなかった。
宮島の嚴島神社とその前面の海や背後の弥山原始林を含む森林区域は世界遺産。神社の建造物群は6棟が国宝、14棟などが重要文化財。2万年前の後期旧石器時代、宮島には人が住んだ証があり、下室浜遺跡でナイフ形石器が出土している。市教育委員会は、
「冠遺跡では発掘体験も行っており、徐々に認知されるようになった。本物を見て歴史に触れて価値を知ってもらうことが大事。中世、嚴島神社の材木は吉和から調達されていた。地元を広く、深く知ることにより、自然に郷土への誇りが生まれてくる」
列島最古の人類はどんな暮らしをしていたのか。その証に耳を傾けたい。
気候変動の影響で瀬戸内海の海水温が上昇し、水産資源の減少や藻場の衰退といったさまざまな問題が懸念されている。広域で養殖カキが大量死した。急きょ横田知事や政府高官が現地を視察し、関係機関も調査に乗り出した。
高水温や降雨不足による塩分濃度の上昇をはじめ、いかだに密集させてつるす養殖法がストレス耐性を減らしていること、産卵後で体力を消耗した時期に強い北風が海底の低酸素水を押し上げたことなどが指摘されている。
自然に近い形で育てるなど多様化を検討すべきといった意見がある。大崎上島町の塩田跡の池でカキを養殖するファームスズキは、県内で大量死が明らかになった昨年9月25日から10月10日にかけて池の水質は酸素量、pH、塩分濃度のいずれにも異常は見られなかったという。
7月以降、水温が30度を超えたが、9月中旬まで歩留まりは95%と過去最高水準を維持。鈴木隆社長は、
「毎日、水質を数字で分析している。カキの生理に合わせて環境を整えられているかどうかが分かれ目になっていると思う。2012年から底の浅いカゴで密集を避け、エサを均等に行き渡らせる本場フランスの方式を徹底している。さらに2023年、広島県の支援を受けてフランスで開発された最先端の養殖システムを導入。高水温でも元気に成長する手応えを得ている。むしろ水温が高い方が育てやすいと感じる場面もある。このまま温暖化が進めば、カキ産地の地図が大きく変わりかねない」
水産大学校を卒業後、海産品卸に就職。欧米を視察しカキ養殖と流通量の壮大さに衝撃を受けた。実は、海外のレストランで提供される生食用カキのほとんどが欧米産。日本産はほぼ流通しておらず、見向きもされていなかった。
よほど悔しかったのか、国内各地を見て回り、大崎上島町でフランス式に適した塩田跡の池と出合った。08年にケーエス商会を設立し、11年にファームスズキを創業。全国一の広島産カキを世界へ届ける決意がにじむ。
塩田跡の池に海水を引き込んでおり、周囲の山からの湧き水がもたらす豊富な植物性プランクトン(エサ)など自然環境を最大限に活用。1~3月には「グリーンオイスター」と呼ばれるほど身が緑色がかり、甘さとまろやかさが際立つ。
生育設備の増強を進めており、最大生産能力は2~3年後に3倍超の3億円規模に拡大になる予定。台湾や香港、シンガポール、タイへの輸出を伸ばしている。
生態系の保護も意識し、昨年3月には県内のカキ養殖業者で初めて、環境や社会に配慮し養殖された水産物だと証明する国際認証「ASC」(水産養殖管理協議会)を取得している。
品質に自信を深める一方で、「漁師とファーマーは違う」という海外の事業者から投げ掛けられた言葉が強く印象に残るという。
「自然に任せるだけではなく、育て、設計し、価値を高めていく。その思いを社名の〝ファーム〟に込めた。広島全体のブランド力をさらに磨きたいと考え、カキの種(幼生)年間900万個のうち半数を2~3㌢に生育して同業者に卸している。水産業を志す若者が減り続ける現状を、何とかしなければならない。生産方式から抜本的に見直すことで〝もうかる仕組み〟をつくり、賃金などの待遇改善を通じて業界に呼び込む必要がある。広島モデルとして普及させたい」
人も自然と離れて生きることはできない。
「戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます」
高市早苗首相の国会答弁で大騒動になった。中国は再開していた日本産水産物の輸入停止といったさまざまなカードを切り、日本に揺さぶりをかける。レーザー照射などはもってのほか。防衛論議しきりだが、依然として高市政権の支持率は高い。過去最大規模の2026年度予算案を決定し、積極財政へ踏み出す。新年を迎え、高市さんはどんな計を立てただろうか。
日本の企業風土のせいか、創業100年以上の企業数は3万7000社を超え、世界で断トツという。日本式経営の良いところを再確認し、ひるむことなく革新に挑んだ老舗の歩みに経営のヒントが隠されていないだろうか。
清酒「千福」醸造元の三宅本店(呉市)は今年、創業170周年を迎えた。1856年の創業当初、みりんや焼酎の製造を手掛けていた。呉市制が施行された1902年に日本酒の製造を始める。翌年に旧帝国海軍工廠ができることを見越した決断だった。16年には赤道直下などに半年以上遠洋航海して酒の劣化耐性を調べる試験に合格。母国を離れても、うまい酒が飲めると全国の鎮守府で採用された。33年に満州で始めた酒造りの伸長もあり、41年には醸造量日本一へ登り詰めた。
しかし45年に蔵を含む全建物を空襲で焼失。ゼロから再スタートを切った。大陸を引き上げた従業員も抱え、一時は国鉄の枕木や漬物などを作って食いつないだという。
その後は戦後復興や高度経済成長期の波に乗り景況を回復。ところが2001年の芸予地震で五つあった蔵のうち三つを被災し、大きなピンチに立たされた。三宅清嗣社長(66)は、
「3度目の創業という覚悟だった。酒も衛生管理が重要になると踏み、知人が神戸で営むケーキ工場を参考に衛生管理を徹底した蔵を再建。設備配置や動線を見直し一般客も見学できる設計とした。過去ではなく、将来に備えた経営判断にためらいはなかった」
その後、リーマンショックや東日本大震災といった外部要因も重なり、酒類市場は一段と厳しくなった。
17年に大手酒類メーカーで経験を積んだ当時28歳の長男、清史さん(現・取締役統括本部長)が入社。現・瀬戸内ブランドコーポレーション社長の田部井智行さんを三宅本店の社外取締役に起用し、内々で清史さんの育成を頼んだ。確かな後ろ盾もあっただろうが、入社間もなく次々と改革を断行。新たに立ち上げた「ワクワク企画室」で若手のアイデアを採用し、真新しいコンセプトを打ち出した。コラボ商品企画、銀座での飲食店経営といった大胆な取り組みをリードした。
事業の棚卸しも行った。不採算商品や取引を整理し、主力商品に経営資源を集約。一方で、既存の焼酎用設備と日本酒造りで培った発酵技術を生かせる蒸留酒事業に狙いを定めた。1年以上を費やし開発したジンやウイスキーはじわじわと売り上げを伸長。25年3月期は6年ぶりに売上高10億円台へ回復した。
「事業は伝統と革新の両輪で成り立つ。片輪ではその場を回るだけだが、両輪をバランス良く回すと前へ進む。ご愛顧を頂いた味を守るため、新たな事業基盤とファンづくりにまい進していく」
200年を視座に置く。
今週号で2025年の最終号。ほぼ時を重ね県政、広島商工会議所のリーダーが新旧交代し、街中では新駅ビル・ミナモアの開業が話題を振りまいたほか、紙屋町・八丁堀エリアの再開発事業は高層複合ビル・カミハチクロスが27年開業へ向け動き出した。カープはさておき、今年は何があったかと思い浮かべる年の瀬を迎える。
やはり城によく似合う。3月末に広島城三の丸整備等事業として、第1期商業施設が共用開始し開放的な和風建築に5店が軒を連ねる。その一つ。抹茶やスイーツを楽しみながら武家文化、茶道の美意識などに触れることができる「SOKOCAFE(ソウコカフェ)」は浅野家の家老を務め、400年以上にわたり武家茶道を伝える上田宗箇流が初めて監修した。城へ戻り、カジュアルなカフェスタイルを採用。変えてはならないものと変えなくてはならない不易流行を体現する。果たして流祖の宗箇さんがどう受け止めただろうか。
17代目を継ぐ若宗匠の宗篁さん(47)は、
「2年程前に提案を受け、思いを巡らした。カフェの気軽さと、崩してはならない茶道の品格をいかにバランス良く折り合いをつけるのか、これからも問い続けていくテーマだと思う。25年前に茶道人口は600万人。いまは180万人に減り、茶の湯の魅力を伝えていく工夫も大切。できるだけ多くの人にオープンな雰囲気で気軽に茶の湯に親しんでもらえる機会にしたいと考えました」
店内は床の間や釣釜、宗箇の時代から伝わる練り香も線香仕立てにするなど工夫。家元好の抹茶を、伝来の黒織部釘抜文茶碗や、上田家茶事預りの12代野村餘休作と10代祖休作の御庭焼茶碗のデザインを再構築した新作茶碗でもてなす。
かつては上田家の屋敷があった城内で家紋のあるカフェが伝統文化を醸し、若い人や外国人観光客に人気という。
「カフェを通して地元の伝統文化を掘り起こし、新たな価値を生み出す。そして、世の中の動き、空気を感じ取る機会になる。外国人の表情にも興味津々。改めて考えさせられます」
被爆を免れた古文書を掘り起こし宗箇の武勲と茶の湯の関係をひもとくなど、広島の武家文化を体系化。どんな企画ができるか構想を巡らす。
カフェを運営するCOCON(中区)の神尾正博社長は、
「27年春に2期エリアの三の丸歴史館が供用開始する予定。文化と歴史が織り成すスペースとして厚みを増す。カフェが歴史をたどる憩いの場になり、思いをはせるひとときを楽しんでいたきたい」
いま世界が日本文化に関心を寄せている。都心のオープンな空間で広島の歴史や文化に触れることができる試みは街に元気を呼び込む大きなヒントになりそう。
江戸期の書院屋敷、茶寮を廊橋でつなぐ構成を再現した西区古江東町の上田家上屋敷は過去に国内外から多くの賓客を迎えた。宗篁さんは新たなチャレンジにも余念がない。ライブ配信によるウェブセミナーや動画も手掛け、今月28日は稽古場のあるNY、独、仏を同時に結び5回目となるライブ配信も計画。
「上田家に関する古文書を調査している。戦国を生き抜いた宗箇が何を語るのかDXで何かできないか考えている」
伝統文化の継承も時代とともに変遷し、新たな光を放つ奇貨としたい。
印刷物・印鑑制作を主体に創業157年の老舗、文華堂(中区国泰寺町)7代目の伊東由美子さんが11月2日に亡くなった。76歳。8日午前10時から中区竹屋町の西正寺で営まれた葬儀には、親交を深めていた多くの経営者らが駆け付け、早過ぎる別れを惜しんだ。
21歳で文華堂の創業家6代目と結婚。8人の大家族は女手に恵まれており、家業の職場に身を置く日々。子息3人の母、嫁、主婦業の合間を縫って仕事をこなしていた。しかし、夫が脳内出血で倒れた。48歳で社長に就く。その日から20年近く介護にいそしみ、懸命に経営を学んだ。
本誌の取材にも度々応じて飾り気なく、実直に胸の内を明かしてくれた。
「私が35歳の頃、採用した従業員との問題で苦しんでいた時と重なり、和菓子の叶匠寿庵を創業した芝田清次さんの講演会に参加した。これまで多くの経営者から、きれい事だけでは経営に収まらないよと聞かされていた。だけどどうしても納得できないでいたのに、芝田さんの話を聴いて、すっと合点することができた。何よりも人を信じる心の経営が大事だという。迷いが消え、自然と涙があふれてきた。それから1カ月もしない頃、お茶請けの菓子が語りかけてくる気がして、それが芝田さんの菓子と分かり、矢も盾もたまらず創業地の滋賀県へ向かった。亡くなられるまで7年間ほど通い、育てていただいた。人は自分を映す鏡。自分をごまかさない。心美しく、生きていると実感のできる経営を全うしたい。次々難題が押し寄せてくる。そうした日々の座右に『過去が咲いている今。未来の蕾でいっぱいの今。未来は自由、全て自分次第』の言葉を置いている。原因があって結果がある。故に日々精進と肝に銘じている」
何役だろうと全力を尽くす原動力はどこから湧いていたのか。三男の剛社長は、
「伊東家に嫁ぎ、父の顕が病に倒れて本意でなかったと思うが、代表取締役を引き受けることになった。決して暖簾を降ろすことはできない。その執念に突き動かされているようでした。不安を払しょくするため日々、学び続けるほかなかったのでしょう」
礼儀や礼節に厳しく、先代から縁を大切にする心を学んだという。
経営を譲った後、自らの経験を原点に〝参謀〟を育成する新会社を2020年12月に設立。とりわけ中小企業にとって社長を補佐する参謀役の存在は重要。女性社長の約3割が配偶者からの承継というデータもある。自分自身がかつては夫、社長にとって誰よりも心を許すことのできた参謀役だったのだろう。
中小企業の社長夫人は社長の予備軍といわれる。だが、自ら社長に就くと相談できる相手のいない心もとなさや漠然とした不安が突き上げてくる。参謀塾は女性の経営者、幹部を対象に4年間で約60人が学んだ。剛社長は、
「特に中小企業は経営者と社員の皆が一枚岩とならなければ成長発展はできない。そこに到達するまでの道がまさに経営そのものと決心していたのでしょう、近年はぶれることがなくなっていた。どんなに苦しくとも人として正しく行動していれば、必ず明るい未来が訪れると決め込んでいたように思う」
感動と感謝。人の心を信じた経営、人生から何事にも代え難い宝物を受け取ったのではなかろうか。
まっさらな市場を創造し、急成長を目指すスタートアップにとって、経営リスクは限りなく大きい。広島大学発の再生医療ベンチャーのツーセル(南区出汐)は、膝の軟骨を治療する製品の実用化を見据え、2017年から臨床試験(治験)に着手した。だが、2023年、ほぼ確信に近かった予想に反し、有効性の証明には至らなかった。それから事態は急転直下、会社は急速な縮小を迫られることになる。当時、取締役として治験を率いた松本昌也社長(39)は、
「治験に協力してもらった医師から良い感触を得ていただけに、まさかだった。それまでの〝いけいけ、どんどん〟から一転。会社をたたむことも頭をよぎった」
共同開発で提携していた中外製薬が早々に契約の解消を発表。長年積み上げてきた関係が崩れ、将来への展望も一瞬にして閉ざされた。
「ただ、いちるの希望は残っていた。主要な評価項目では期待を裏切られたが、副次的な指標で軟骨の再生が確認されている。治験の設計次第でまだ道はある、と信じて疑わなかった」
事業再生へ踏み出す第一歩は、人員整理。断腸の思いで社員への解雇通告を進め、次に求めたのは、人生を懸けて会社を起こした創業者と、プロ人材として迎えた前社長の退任だった。それが経営継続の条件の一つだった。
「私も覚悟を決めた。すぐに二人を訪ねたが、すんなりと事情を受け入れてくれた。その上で彼らから、製品開発の可能性を絶やさないでほしいと強く激励された」
23年11月に再起を懸け、37歳で社長に就任。そこから取締役の長谷川森一氏、塚本稔氏と共に、会社の立て直しへ模索を始める。
90人を超えていた社員数は十数人にまで減少。旧本社から退去し、資産の売却を進めた。スタートアップ事業の源泉である知的財産を高値で売却する案も浮上したが、踏みとどまった。
「明日の資金が足りず、数字と向き合う日々。解雇を告げた社員からは、なぜ私が、ときつく問われたこともあり、苦楽を共にした仲間を失う苦しい時期だった」
それでも耐え抜けたのは、創業から受け継いだ志があったからだという。
「前回の治験で、当社の製品そのものが否定されたわけではない。むしろ今後の可能性を示す結果とも考えられる。われわれの志は、現在の医療では治療法のない、または根治が難しい患者に再生医療という新たな選択肢を提供することにある。誇りを持って突き進もうと、社員にメッセージを送り続けた」
一番大事な士気を失ってはならない。社員と膝を交え、会社の存在意義、製品の価値を共有し、いつも希望を語り合った。
いま光が見えてきた。6月に科研製薬(東京)との間で開発の進ちょくに応じて最大70億円に上るライセンス契約を締結。再び薬事承認を目指すステージに立った。
製薬会社に依存する不安定な経営からの脱却を図り、治験で積み上げたエビデンスを活用して自由診療の領域にも参入した。北海道の医療機関で同社の幹細胞を使った再生医療の提供が始まっている。今期は2年ぶりの黒字化を見込む。松本社長は、
「研究は根気そのもの。失敗は必然であり、乗り越えた先にしか成果はない」
執念こそ源泉という。