広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2019年2月14日号
ロードスター30周年

マツダが1989年2月に発表した小型・軽量のスポーツカー、初代ロードスターから3度のモデルチェンジを経て、30周年を迎えた。世界中に100万台以上を販売し、根強い人気がある。
 90年代に入り、マツダはフォード傘下で波瀾(はらん)万丈の経営をたどる。7年間に4人のフォード出身者が社長に就任。この間、フォードの徹底した「経営革新」と、マツダの誇りをかけた「技術革新」が重なり、その後の、経営復活の原動力となった。ロードスター開発段階で、当時の山本健一社長が「この車は文化の香りがする」と支持し、量産化へ踏み切るきっかけになったという。経営をめぐる大波にもまれながら、車づくりの魂を注ぎ込まれ、走り続けるロードスターは、その都度、マツダ社員を大いに鼓舞したのではなかろうか。
 最良のライトウエイトスポーツカーを目指し開発された初代は8年間で世界約43万台を販売。予想を大きく上回り、社内外を驚かせた。他メーカーがライトウエイトスポーツカー製造から撤退していく中、2016年に累計生産100万台を達成した。初代から商品企画やプログラム推進に携わる山口宗則・商品本部プロジェクトマネージャーは、
「流鏑馬(やぶさめ)のような人馬一体の感覚を追求してきた。シリーズの設計コンセプトを明確にし、オープンツーシターで軽量なボディをはじめ、前後の重量配分50対50、ヨー慣性モーメントの低減などを徹底。この枠組みの中で、歴代のペアシャシーを比べると、エンジンの位置やホイールサイズなどを次第に適正化し、技術の進化を遂げている。初代のカタログで『だれもが、しあわせになる。』というメッセージを発信。この原点に立ち返り、ユーザー期待を超える車づくりに挑戦したい」
 市場規模は他のジャンルに比べてはるかに小さい。車を小さく造り、さらに軽く造ることはもっと難しいという。なぜ、ロードスターを世に出し続けられたのか。
 独特の混流生産が支えてきた。初代から4代目まで宇品第一工場の一貫ラインでコンピューター制御され、車形の異なる複数車種を同時にラインに流す。一つの工場で他の車種も製造できる体制をいち早く敷いた。
「小型車の部品を他の車種と共通化せず、新規設計するのは当社ぐらい。ブランドアイコンとして、ロードスターはもはや〝お客さまのもの〟になっていると実感している。造り続ける使命がある」
 ライトウエイトスポーツカーの魅力を広めようと、ロードスター(MX‐5)を使う世界大会「グローバルMX‐5カップ 」の協賛など、レースやモーターショーをサポート。ファンイベントも世界各地で多く開かれる。2月7〜18日のシカゴオートショーでは30年前の展示内容をオマージュし、赤、白、青の車体と、オレンジ色の周年記念車を披露。ホイールやシート、ダンパーなどに特別仕様を施し、朝焼けのような特別色は「レーシングオレンジ」と名付けた。初代から続く走りの躍動感やワクワク感を込め、脈々とマツダイズムで貫く。

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