木地、狭間、宮殿、須弥壇、錺金具、漆塗・金箔押し、蒔絵。金仏壇づくりになくてはならない七匠の技だ。仏壇・仏具製造販売の三村松(中区堀川町)は昨秋、浄土真宗本願寺派広島別院の親鸞聖人厨子を修復し進納(献納)を無事終えた。総代を務める社主の三村邦雄さん(75)は、
「被爆50回忌の修復以降、厨子はそのまま時を経て、すすで黒ずんでいたが、漆を塗り替え、金箔を貼り替え、新たな輝きを取り戻していただいた。広島は安芸門徒の地。焦土と化した被爆直後でさえ、あり合わせの材料で木箱のような仏壇をこしらえて拝む人の姿があったと伝え聞く」
戦後間もない昭和30年代、「金仏壇を拝みたい」という切実な声が多く寄せられていたという。経済復興とともに仏壇需要が高まり、三村松は家内工業から生産体制の近代化を図った。仏壇づくりを細分化。分業制で安定した品質と納期、仕様変更も迅速な対応を可能とした。遠隔管理で製造できる仕組みをつくり、開発から一気通貫で生産に入ることができる。直営10店舗と全国卸の営業体制を敷く。国内外直営11工場のうち、中区南吉島の広島工場は最高級仏壇や金仏壇の修復を手掛ける。広島別院の厨子もここで生まれ変わった。
今春、金仏壇製造出荷本数で44年連続日本一に輝く。三村さんは全国1万強の寺院を擁する浄土真宗本願寺派の全国門徒総代会会長の3期目を務める。
「お寺は日本人の心のふるさとではないでしょうか。仏教が海を越えて伝わり、戦乱の世にあって心の安寧を願う人々のよすがとなった。仏樣に手を合わせ、生かされていることへの感謝が心にゆとりを生み、指針となり、前を向く力になっていると思う」
毎朝、仏に手を合わせて仕事を始める。折に触れてお経を唱和する。心を一つに業務に臨む習慣が三村松の日本一を支えているのだろう。
少子高齢化が進み、生活スタイルも様変わり。コンパクトでシンプルな仏壇や修復需要が全国的に増え、柔軟に対応している。いかに筋肉質の経営体質をつくり、多様化するニーズに応え続けられるかが、伝統技術を守り抜く鍵になるという。仏壇づくりで培った技は古来伝わる寺や神社修復、納骨堂の新築などにも生かされている。
今年で158周年。いまの生産体制へと発展させた、世の動きを見抜く鋭い感性が生かされている。三村さんは街歩きするときも変化に目を向け、その背後に何があるのか旬な情報収集を怠らない。しかし伝統に立脚した信条がぶれることはない。
「いかに技術革新が進もうと現場、現実、現物に向き合うことが大切だと思う。ものづくりに携わる者にとって現場で初めて気付くことがある。オンラインで遠隔画像を見ることはできるが、現場のちょっとした気付きが大きな改善につながることが多い。三つの現から乖離(かいり)したら机上の空論になる。伝統の力と和を尊ぶ日本人の心を継承していくためにも、現実を見失ってはならない。社会から求められる存在意義のある会社になるよう一層精進します」
今年は浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の生誕850年。三村さんは、800年を超える教えが息づく親鸞の言葉「遠慶宿縁(おんきょうしゅくえん)」(出典・教行信証)を胸に刻む。以前からの全ての縁(宿縁)に感謝し、縁をつないでいこうという心の支え、商いの励みともいう。