戦いに明け暮れた戦国時代が終わり織田信長、豊臣秀吉を経て徳川家康が幕府を開いた江戸時代は、世界にまれな天下太平の世だったという。
広島城下の地誌「地新集」に、江戸初期に始まった神輿行列「通り御祭礼」の様子を伝えている。
「町々両側に拝見の男女家毎に充満し、近国遠在よりも承り伝えてこの御祭礼を拝み奉らでやむべきかはとあらそいあつまるもの幾十万ということを知らず」
次第に町人も行列に加わるようになり、大いににぎわったようだ。
御祭礼は家康の没後50年(1666年)に始まり、その後も50年ごとに4回まで続いたが幕末の動乱、戦争、原爆によって途絶えていた。だが、経済界や市民らが協力し2015年、200年ぶりに復活。奇跡的に被爆による消失を免れた約1トンの大神輿(広島市重要文化財)を100人の肩、両手で担ぎ、総勢550人の時代行列が東区二葉の里辺りを練り歩いた。伝統芸能の花田植えや子供歌舞伎なども彩りを添えた。来場者は約7万人。
被爆で多くの人々が亡くなり、多くの伝統行事も途絶えたが、はるか時代を超えて広島城下町の華やかな光景をよみがえらせた意義は大きい。わが町の歴史に思いをはせた人もいたのではなかろうか。
次回の開催は2065年になるが、前回の御祭礼からまだ10年の今年、伝統継承への願いも込め、御祭礼を模した「広島神輿行列」を11月9日(日)に繰り広げる。
警護御先手足軽、町奉行、御弓、御鉄砲、拍子木打、御長柄、町年寄、壬生の花田植、麒麟獅子、御庭払、朱傘、太鼓・笛の楽人ら時代装束をまとった総勢約300人で、350メートルに及ぶ行列をつくる。
当日は、二葉の里の広島東照宮境内で出発式を済ませた後、午前11時ごろ饒津神社へと向かう。およそ3時間にわたり大神輿を担ぎ、華やかな石引台花車の山車を引いて東照宮から饒津神社までの往復約1・5キロを歩く。
共催事業もある。「広島江戸祭2025」は東照宮境内で伝統文化ステージ、文化体験ブース、飲食ブースなどを設ける。東照宮境内前のシリブカ公園で物販、飲食ブースなどを開く。
主催は、広島神輿行列実行委員会(山根恒弘委員長=ヤマネホールディングス会長)と中国新聞社。特別顧問に浅野家18代当主、徳川宗家19代当主、上田宗箇流家元を招く。副委員長は久保田育造(久保田本店会長)、山本一隆(中国新聞社特別顧問)、久保允誉(エディオン代表取締役会長)、長沼毅(長沼商事代表取締役)、久保雅義(サンフレッチェ広島社長)、平尾圭司(東照宮世話役会会長)、三戸皓一(神輿頭東照宮世話役会副会長)の各氏が名を連ねる。
長沼商事の先代社長で、東照宮責任代表を務めていた長沼博さんらが尽力し、1998年11月に御祭礼に倣って神輿行列を復活。実行委員会の副委員長を務めた長沼さんは2015年7月7日に他界し、楽しみにされていた、その年の御祭礼を見ることは叶わなかった。
広島市文化協会の山本一隆会長は、
「広島の秋を代表する神輿行列に定着すると、多くの人を集める観光資源として価値は大きい。世界情勢が緊迫する中、天下太平の歴史絵巻から平和を願う機会としたい」
わが町の伝統文化を再現するひと幕を見逃す手はない。