来春、JR広島駅に路面電車が乗り入れる新しいビルが完成し、広島の玄関口の姿が大きく変貌する。1階のバスターミナルと併せて乗り換えなどの利便性が高まり、さまざまなものが結びつく。
一大プロジェクトに力を尽くした広島電鉄の椋田昌夫社長(77)は6月下旬の株主総会後の取締役会で代表権のある会長に就任し、代わって仮井康裕専務(64)が昇格するトップ人事を発表。コロナ禍がなければもっと早くに交代を考えたと言うが、やり遂げた実感もあったのだろう。
プロジェクト実現までに紆余曲折があった。今から11年前。広島駅に乗り入れるルートをめぐり、車の流れを妨げない「地下方式」を独断専行しようとした前社長が臨時取締役会で解任され、社内外を驚かせた。理想の街づくりへ不退転の決意がぶつかった結果だが、当時専務だった椋田さんが社長に就き、乗り換える距離や時間の短さに優れた「高架方式」を進めていく。
社長に就くやいなや、次々と利便性向上策を打ち出す。バリアフリー車両導入や乗車扉からも降りられる仕組みの採用に加え、他の事業者と協力してバスのエリア均一運賃などを推進。未来を描くレールを敷き、ひたすら走った。
「高齢化や人口減少が加速する中、これまで通りのやり方を続ければ将来はなく、さまざまな分野の変革が急務だった。昔から変わらぬ路線を同じように走らせるだけではどんどんと乗客が減っていくのは当たり前。われわれ自身が〝公共〟という言葉に甘えていなかったか、厳しく自問した。新しい取り組みと同時に建物が老朽化していたホテル事業からの撤退など整理を進めた。外部からワンマンと見られたことがあるかもしれないが、社内でたくさん議論を重ねた上で、私が全て結果責任を持つと伝えてきた」
12年に呉市交通局のバス事業を継承したときの経験が経営のヒントになった。高齢者からバスは乗降地が分かりづらい、車内転倒や事故が怖いといったイメージを持たれており、徹底的に改善。安心して外出できるようになったと感謝され、利用者数が増加に転じた。
「電車やバスに乗って外出したくなる機会を生み出すべきだと気付いた。移動しやすい仕組みをつくることで施設が誘致され、人が集まる。さらにMaaS(次世代モビリティサービス)を活用しながら施設との連携イベントなどを開き、乗客を増やす好循環を生むよう意識してきた」
街づくりへ関わりを強め、14年から広島大学本部跡地の再開発に参画。マンションやスポーツクラブ、カーライフの情報発信拠点などが完成し、にぎわいを生んだ。15年に造成した大型住宅団地「西風新都グリーンフォートそらの」はバス路線再編などで住民が市内外へアクセスしやすい環境を整備。商業施設ジ・アウトレット広島を誘致して外出の需要を創出した。宮島口では20年に観光商業施設ettoを開業し、22年に路面電車の駅を建て替えた。点と点を線でつなぎ、各所へ訪れたくなる仕掛けとして、宮島線の沿線を紹介するプロジェクトなどにも取り組む。
「前会長の大田哲哉がよく口にした〝広電スピリット〟がいまも脈打つ。被爆後3日目に運行を再開した、市民主役の公共交通を守り抜く広電スピリットを育み、未来へつないでいく使命がある」
電車が走り続ける広島の情景にも新しい風が吹く。