「悲観主義は気分により、楽観主義は意思による」(哲学者アランの幸福論より)。むろんうかうかなどはできないが、朗らかな方が健康にいいし、運も呼び込む。そう信じて逆境を砕き、わが人生を突き進んだ半生がつづられている。どこかユーモラスで、読み終えて爽やかだ。
医療法人社団八千代会(安芸高田市)理事長の姜仁秀(かんいんす)さんが75歳を迎え、回顧録「波爛万笑(はらんばんしょう)」をまとめた。目に鮮やかなイエローの装丁にA5判37ページ。生い立ちから、西日本有数の医療〜介護施設を擁するまでの体験談を軸に本音も交え、幼少期の父の教え、けんか、進学できなかった差別、豪遊、1年4カ月の獄中生活、再起などの4章に、どうしても記しておきたかったのだろう、思わず吹き出す外伝「おもしろかったエピソード」も明かしている。
戦中生まれ。戦後の物のない時代に幼少期を過ごした。
「置かれた環境につらいと感じる暇もなく、生きていくために食べることで必死。だがみんなと何か楽しいこと、面白いことはないかと企てるのが元来、好きな性分。遊ぶための軍資金づくりに役割分担しながら山鳥やウナギを獲り料亭に売っていた。折角、この世に生を受けたからには夢を描き、明るく面白く人生を歩く気構えが大切ではないだろうか。いろんな方の回顧録を手にすることも多いが、私はありのままに恥もさらけ出すつもりで、したためた」
成績は優秀。医師を志していたが、高校の担任から「君の成績なら医学部に合格すると思うが、韓国籍では卒業しても仕事はない」と諭される。卒業後、山口県下関市の信用組合に就職。トップの営業成績を残し、その後金融業で独立。存分に才覚を発揮し、徳山(現周南市)の夜の街を豪遊。周囲からあらぬ誤解を受けたこともあったという。
そんな日々から心の奥底にあった病院経営へ向かうきっかけは、友人の母の通夜に参列したときに「(母が逝ってくれて)ホッとした」という一言だった。初めはわが耳を疑ったが、在宅介護の大変さを知り、「人の役に立つ」仕事と確信した。金融業に嫌気が差してもいた。銀行の支店長から打診されていた、廃業したホテルを買い取り、リフォームした老人病院は順調だったが、職員に仕事を任せ切りにしていたせいで、知らないところで法を犯し、1年4カ月の獄中生活。この逆境が奮起の原動力となった。
1992年に開院した511床の八千代病院をはじめ、グループで介護付き有料老人ホームのメリィハウス西風新都、病院と高齢者住宅が上下階のメリィホスピタル・メリィデイズ、サービス付き高齢者住宅など計11施設、1869床(医療211、介護1658)を経営。行き詰まったとき、突破口となる信念があるか、自分を奮い立たせるよりどころがあるかないか。
「私も生身の人間。追い込まれて極限の状況に苦しんだこともあったが、自分自身を助けるのは自分でしかない。誰でも能力があり、それはどんぐりの背比べ。大差はない。それに気付くかどうか。さらに挫折しても自分を信じて努力を怠らない。若い人に自分を信じる大切さを託したい」
世の中や人の役に立つかどうか。ひるむことなく針路を示す姜さんの羅針盤だ。