経済界になじみ客も多いだろう。ゴルフ用品店「ダイナマイト」を運営する広島ゴルフショップ(中区鉄砲町)が1月で創業50年を迎えた。業界をけん引してきた山田一夫代表は、
「ピーク時に地元資本の専門店は市内に55店あったが、全国チェーンの出店攻勢や市場の縮小もあり、残ったのは当社だけ。1970年に広島で開業以来、私を支えてくれた恩人は数え切れない」
兵庫県出身。高校を卒業し祖母の勧めで、国産アイアンを初めて造った神戸市の森田ゴルフに入社。もともと事務職だったが、ものづくりの世界にあこがれ、職人の道に飛び込んだ。当時、力道山や岸信介首相の製品も手掛けた。これから「ゴルフの時代が来る」と確信したという。
64年に営業職として新市場開拓の命を受け、広島に着任。それから6年後、政治家や経営者などから仕事への熱意や、スイングに合わせてクラブを選ぶフィッティングの腕を買われ、6坪の広島ゴルフショップを創業した。これまでに幾度の出退店を経て現在は吉島、マリーナホップ、東広島、福山で4店を経営。
「物を売るより、喜んでもらえる商売をしてきた。安い物を売るな、その人に合うものを売れと社員に言ってきた。買ってもらったあとも練習場に同行してスイングを教えたことも。そんな姿勢が評価されたのか口コミで広がった。何事も手入れが大事。畑に種をまき、芽が出るまで水をやり、大事に育てる。実家が農業だったせいもあるが、商売も同じだと思う。売り上げは後から着いてくる。安易に値引きしない姿勢がメーカーから評価され、こちらの無理に何度も応えてもらった」
何より顧客を引きつける魅力があったのだろう。激しい浮き沈みを乗り切ってきた。
だから人生は面白い
自称「日本初」を3つ築いたという。1つは町民ゴルフ大会の開催。運営する練習場「高陽ゴルフセンター」のある高陽町からゴルフを普及させようと「ゴルフの町」に位置付けて79年から毎年大会を開く。昨年で第41回を数えた。同年から始めたジュニア教室もその1つ。これまでに10人のプロゴルファーを輩出した。もう1つは左利きゴルファー向けレフティ大会の開催。店舗に専門コーナーを設けたことも。多くの人から愛されるゴルフ。その目的に向かって寝ても覚めても知恵を絞り、力を注いできた。
「今でこそゴルフ人口の減少に歯止めをかけるべく業界を挙げて取り組むが、当時ゴルファーを増やそうと考えていた人は少なかった。一部で競合大手の撤退も出始めるなど状況は厳しいが、悲観などしていない。必ず盛り上がる。今後もゴルフの楽しさを知っていただく活動をこつこつと続けていきます」
10月で81歳を迎える。これまでに大病を患ったことはなく、入院したこともない。「挑戦する」ことが何よりの健康の秘けつとか。今でも毎月2〜3回はコースを回り、引退したら365日ラウンドしたいと語る。
「クラブ造りから始まり、ゴルフの普及こそわが人生の仕事であり、夢そのもの。50年はひと区切りに過ぎない。これからが新しいスタートライン。だから人生は面白い」