グランドプリンスホテル広島22階で洋食を提供している。9月の第31回プリンスホテル料理コンクールで、大城美咲さんが西洋料理部門で優勝。広島の同ホテル開業以来2人目の受賞となった。大城さんは広島酔心調理製菓専門学校を卒業し、2014年に入社。2度の産休を経て職場復帰し、コンクールに挑戦した。
「料理人を志した動機の一つに、世界には飢えに苦しむ国があるにもかかわらず、日本のフードロスが多いことへの疑問がありました」
SDGs、地産地消、健康をテーマに、〝廣島赤鶏のガランティーヌ大長みかんソース 広島山海の幸と共に〜1日分の野菜プレート〜〟を考案。地元食材をまるごと使い、栄養面を考えた構成にした。例えば、キッシュには観音ねぎの青い部分と白い部分をそれぞれの調理法で、パセリの茎やセロリの葉も肉の下味付けにするなど、食材を余すことなく使用した。ほうれん草は、茹でるよりもバターで炒めたものをキッシュに混ぜることで、栄養の吸収率を高めた。同メニューは12月26日まで土休日ランチ限定で販売する。
「今回の優勝で後輩の女性料理人にキャリアをあきらめない大切さを伝えたい」
当館は55周年を迎えました。かつて吉田拓郎さんらが参画した広島フォーク村の活動拠点でもあり、例年ダンスや音楽など600〜700グループが登録し、「ヤングフェスティバル」で成果を披露しています。特にダンスの利用が多く、レッスン用の大鏡を整備し、全日本ガールズダンスコンテストで優勝した利用者もいます。スポーツ関連では、陸上クラブ・オリンピアプラスなどの利用があります。10月に旧市民球場跡地近くの「勝鯉の森」の清掃活動を市民グループと共催。清掃後の紙芝居やカープうどんを楽しみにしている親子連れなどの参加がありました。
長崎県出身で川棚高校時代に県大会陸上800メートルで優勝し、インターハイに出場しました。広島大学教育学部を卒業し、市立似島学園付属小中学校の体育教師を務め、市教育委員会、中区役所などで勤務。市を退職し、昨年4月に館長に就きました。市スポーツ協会時代にサンフレッチェ広島の応援に誘われてファンになり、年間パスポートを購入。北海道、長崎などアウェイの試合にも駆け付けます。J2転落時に「J1に戻ろう」と呼び掛けた佐藤寿人選手の姿には涙が出ましたね。近くでサッカースタジアムの建設が進んでいます。10月にはカープのユニホーム、11月には私が持っているサンフレのユニホームを職員に着てもらい、青少年にスポーツの応援をしてもらう機運醸成を図っています。
スキューバダイビングが30年来の趣味で、沖縄やパラオなど国内外の海に潜って水中写真撮影などを楽しんでいます。
もしかしたら、このまま死ぬかもしれない。まだ若い30代後半に大病を患い、死線をさまよった。武家茶道の上田宗冏(そうけい)家元の長男で、流祖宗箇(そうこ)から17代目を継ぐ若宗匠の宗篁(そうこう)さん(41)は、
「生死のほども分からない闘病生活を経験し、限りある命を楽しく生きようという思いが突き上げてきた。その後は考えること、感じることも変わってきたように思う」
茶道の要点でもある「一座建立」がコロナ禍の影響でかなわず、常の茶会が2年近くも開けていない。しかし、ひるむことなど一切なく、何ができるかと考えた。
特設サイトを通じ、茶碗や茶せんなどを竹茶籠にまとめた「おうちで一服セット」を今夏から販売。日ごろ茶道になじみの薄かった人からも問い合わせが入るなど好評で、10月末から始めた2期販売も約1週間で完売となった。一服したいとき、湯を沸かしさえすれば、たちどころに400年前の息吹に触れることができる。
できそうなことはとにかくやろうと昨年、今年と新たな試みを重ねている。苦しい時を苦しいままで終わらせたくはないという思いが募り、次々に挑んだ。一服セットのほか、茶事形式での少人数の茶会は30回以上開き、ZOOMを使ったライブ配信のウェブセミナーや、これまでになかった企画や動画などフル活用。〝上田宗箇流の拡散〟にも乗り出した。まだまだ実行に移したいアイデアが渦巻いているようだ。
家元の長男に生まれ、400年の歴史を受け継ぐ宿命を腹に据えるまでには紆余(うよ)曲折があった。力量にかかわらず家元になれることに疑問を持っていた。そのまま定まった道を進むことに反発もあり、ヒップホップダンスの世界へ飛び込んだ。そうしてプロとして海外でも活動するまでになったことが自信を生み、家業を継ぐ決意へと導いてくれたという。
茶道から遠く離れ、外から見て、茶道に入るまでのこうした経験もまた、考える力を養ったのだろう。いかにして茶道に興味を持ってもらえるようにするのか、いかにもてなせばよいのか。同じようにダンスも楽しみ、喜んでもらえるかが大切。相通じるところがあるという。
総合芸術ともいわれる茶道は経験を重ねるほどに奥深さが増す。日々未知との出会いがあり、歩めば歩むほど新たな学びや感動があり、これでよしという境地に至る道は果てしない。
一方で、伝統的な価値や魅力は時代の移ろいとともに変遷し、せわしさなどにかまけて日常生活から離れていく難問を抱える。禅の教えに「不易流行」の言葉がある。変えてはならないものと、変えなくてはならないものをどう解き明かすのか。いつの時代にもこの問いを突きつけられてきたのだろう。
宗篁さんは病で脚を手術し茶道に大切な正座が難しくなっている。茶道の精神をそのままに、いまの時代に無理なく楽しめるように、机と椅子で行える立礼様式も工夫。変革期にはより一層個人の生き方が問われる。伝統や歴史から何を学び、新しい時代の動きや技術革新から何を学び、何を成すのか。伝統と新しい知恵を重ね合わせる心が求められているように思える。