9月5日に繁華街の中区流川町から、広島大学病院近くの南区出汐に店舗を移した。独立開業からちょうど10年の節目と重なり、新天地で新たなスタートを切る。梅元英行店主は、
「もともと接待利用が中心だったが、ここは近所のご夫婦や家族連れなど、真剣に料理を向き合って食べてくださる方が増えた。不安もあるが、目の前のことを精一杯やるだけだ」
食材に細かく包丁を入れ、見た目に美しく仕上げる〝手仕事〟にこだわり抜く。山海や旬の食材を色とりどりに調理し、少しずつ盛り付けた「八寸」は品数が20〜30種類に及ぶことも。提供時に驚きの喚声が上がることもしばしば。夜は原則2組に限定し、満足度を高める。メニューは月替わりコースのみで、ランチと「玉手箱」などの弁当=写真=にも対応する。
「昔からの伝統の料理を守り、とにかく時間と手間を惜しまない。コースは一つ一つの料理が独立しながらも、音楽のように全体が気持ちよく流れることを意識している」
広島銀行、アサヒビールを経て2019年に経営コンサルタントとして独立。ビズサポート(中区橋本町)内に事務所を構え、事業再生の専門家として経営改善計画策定支援(405事業)を手掛けています。
出身地の下関から小学校3年生で広島に移り、1975年の初優勝を機にカープのとりこに。学校の先生がテレビでカープの試合を見せてくれたり、大きな声ではいえませんが学生服の袖にラジオを忍ばせて中継を聞いていたことが懐かしい。思い出深いのはやはり前田智徳選手の2000本安打達成の瞬間ですね。何とかチケットを入手し生観戦しており、4打席凡退で今日の達成は難しいかと思った直後、チームメイトがつないで再び打順が。打球がライト前に落ちた瞬間、割れんばかりの大歓声に包まれました。
カープはもはや生活の一部。試合があるときは常にTV中継かスマホの一球速報を手放しません。友人からは、「上野のフェイスブックを見ればカープの試合速報が手に取るように分かる」と冗談交じりに言われるほど。振り返れば大学生まで軟式野球を続けており、これまでのキャリアも野球があったおかげです。もはや、私と野球は切っても切り離せないでしょうね。今季、選手は総じてよくやったと言えますが、若手の打撃陣にさらなる奮起を期待したい。佐々岡監督の打つ手の遅さにいつもファンはやきもきさせられています。9月30日時点でCS進出がかなったかは分かりませんが、いつかは黒田監督と新井コーチというコンビでわくわくする野球を見せてほしい。
考え方がしっかりしていなければ何事も成就することはない。京セラ創業者の稲盛和夫さんの経営十二カ条に、
強烈な願望を心に抱く
経営は強い意志で決まる
勇気を持って事に当たる
思いやりの心で誠実に
などの心構えを示す。しっかりした考え方とは何か。誰しも自問自答を繰り返すが、稲盛さんは「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問う。そして「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という方程式に落とし込んだ。
利己の心は消し難いが、私心なかりしかと問いながら必死の覚悟で利己を捨てようとした、その真空のような空間に、多くの人がすっと引き込まれたのだろう。
そうした考え方に影響を受けた経営者は多い。1983年に京都の若手経営者らが勉強会「盛友塾」を立ち上げ、89年に大阪に広がり「盛和塾」に名称変更。91年に広島支部が発足した。創設の準備段階から閉塾まで携わった竹鶴酒造(竹原)元社長の竹鶴壽夫さん(81)は、
「稲盛さんが人としての生き方や経営者としての心の持ち方を熱心に説いたのは、88年のリクルート事件をはじめとする汚職を目の当たりにし、心のある企業経営者こそが明日の日本を支えるとの思いからではないでしょうか」
広島支部は当初、東西二つの支部が作られる構想だったが、西はすでに多くの学びの機会があったため、福山・尾道・三原・竹原を中心とする東が先行して発足。その後、西からも参加者が増え、福留ハムの中島修治会長、マリモホールディングスの深川真社長らが支部を盛り上げ、2010年代半ばには150人余りが参加した。
支部の発足前、竹鶴さんは経営者6人と京都の第1回全国大会に参加。その時のことが印象深いと言う。
「会場に400人余りの経営者が全国から集まり、稲盛さんは一人一人相談に応じた。まずは一杯うどんを食べて腹ごしらえし、よしっと掛け声を合図に杯をもって各グループを回る。しっかりと座って酒を酌み交わしながら話さないとダメだと、床に10畳ほどの畳を40数セット敷き詰めて会場を設えていた」
このエネルギーはどこから来るのか不思議でたまらなかった。私は創業250年を超える酒屋の出身ですが、売り上げはまだ2億円にもなりませんと話しかけると、
「規模の大小ではなく、長く続けることも大切。その分、従業員さんの生活を支えてきたのでこれからも頑張らないといけないよ」
盛和塾の第1回中国地区大会前日に稲盛さんから連絡が入り、広島カンツリー倶楽部でゴルフを共にする機会があった。前半はスコア41。後半は最終ホールの2打目が伸びず60ヤードほど残ったが3打目を寄せてパー。トータル78だった。
「こんなに気持ちの良いゴルフは久しくない。調子が良いから明日の中国地区大会は欠席して京都のゴルフ例会に出ようかな」
冗談を飛ばす、気さくな人柄だったよう。享年90歳。
知と情。二つがないと組織は崩れる。十二カ条に「常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で」とある。人として正しい心のありようが全ての源なのだろう。