広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    (社)広島県情報産業協会会長に就任 / 上田 康博 社長
    NEWSな人
    社長就任、新店舗を計画 ゴルフの〝総合病院〟に / 広島ゴルフショップ 髙橋 心里 社長
    内定式で230人参加 会社の理念伝える / マツダ 伊藤 敬之 人材開発部長
ニュース一覧
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グルメ&ナイト― GOURMET and NIGHT ―

話題のお店を取材!
シマカラ食堂 / 岡本 真紀 マネージャー

無添加食品や有機栽培の米や野菜などを扱うmakicomショップに併設。マネージャーの岡本真紀さんは、
「大崎上島の果実や野菜、近隣の有機栽培農家の米などの食材と、無添加の発酵調味料で作る体に優しい料理を提供。伝統的な食の良さを食べて実感してもらえれば」
 国産有機大豆の豆腐で作る「お豆腐定食」や、「おさかな定食」が人気。カフェタイムにはブルーベリーやレモン、季節の果物の飲み物や薬草茶のほか、乳製品や砂糖、卵などを使わないロースイーツを作る。夜はアルコールに合う無添加おでんに加え、同島産のカキやクルマエビ、イカのアヒージョなどもある。健康志向の人が増える中、昼食時は行列ができるほどで、食後には調味料や食材が並ぶショップに立ち寄る人も多い。
「地域の有機栽培農家の作物販売や情報交換などで活動を広げながら、ショップを通して昔ながらの食文化を発信したい」

    INFORMATION
  • ◆住所:中区中島町10-1
  • ◆電話:082-236-9303
  • ◆席数:28席とテラス席
  • ◆平均予算:昼1500円、夜3000円
  • ◆営業時間:午前11時〜午後9時
  • ◆定休日:火曜
  • ※発行当時の情報となります。過去の記事につきましては、最新情報を掲載店さまにご確認ください。

スポーツ応援談― SPORTS TALK―

経営者が語るスポーツ「愛」
広島YMCA専門学校 / 三島 和康 事務次長・社会体育科コーディネーター

2023年4月、社会体育科に「キッズ・アウトドアスポーツコース」を新設します。コロナ禍でアウトドア人気が高まっていることもあり、スポーツ施設での子供の指導、企業のアウトドアイベント企画、スポーツ用品販売などの人材育成を行い、在学中に日本キャンプ協会のキャンプインストラクター、同キャンプディレクター2級などの取得を目指します。1920年に大阪YMCAの増田健三氏が兵庫県の南郷山の松林に簡易天幕を設営し、民間キャンプを開設した記録が残るなど、YMCAと野外教育には長い歴史があります。カリキュラムは運動生理、発育発達論、マーケティングなど座学のほか、水泳・体操・キャンプの指導実習、就職対策も行います。キャンプ実習はYMCAが運営する北広島町の雲月キャンプ場などで予定し、希望者はグループ法人が運営する阿南海洋センター(徳島)、ニューヨークフロストバレーキャンプ場などで実習も可能。2年制で既存のトレーナー、インストラクターコースと合わせ、20人を募集中です。
 1971年福山市出身。鹿屋体育大学を卒業し、東京YMCA社会体育・保育専門学校で勤務。福山YMCAを経て昨年から広島で勤務し、カリキュラム策定を手掛けています。高校でバスケットボール、大学ではバドミントン部に所属し、これまで野外活動や野外教育論、ニュースポーツなどの授業を担当してきました。ニュースポーツはペタンク、ユニバーサルホッケーなどを授業で体験。子どもから年配者まで参加しやすく、親しみやすい面白さがありますよ。

コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
新聞人の気骨

ひょっとしたら、の願いも砕け散った。マツダスタジアムの今季最終戦は晴天に恵まれたが、さっぱり打てない。試合後、佐々岡監督はファンにわびた。戦いに敗れた責任を負って辞任する。
 テレビや球場でカープ観戦にわくわくする。負けると不機嫌になる。少しは余裕を持って応援したいが、つい気がはやる。中国新聞のカープ欄も勝負どころでこけてしまう、ふがいない戦いに鬱憤(うっぷん)があるのか、次第に記事もきつくなった。心底カープを愛してやまない記者の熱い思いがあるのだろう。
 5月で創刊130周年の中国新聞社。同社OBの松田治三さんが思い立ち、佐々木博光さんが協力して動画「輪転機が語る〜16日の苦闘」(約17分)を制作した。経済部長などを歴任した佐々木さんは、
「被爆後どのようにして再起したのか、その歴史の一端を動画に残したいと思った。先輩や関係者らの証言によって燃えるような使命感で新聞発行に奮起し、凄(すさ)まじい苦境をしのいだ人たちの気迫が伝わってきた」
 同社百年史で、被爆の直前に「輪転機1台を疎開」させた経緯をつづる。
『最大の難関は輪転機であった。東京から専門技師を招くことができない状況だったため、やむなく本社社員三人の手で進められた。疎開先は五カ所のなかから市郊外温品村(現東区)の牧場地が選ばれ、基礎工事、輪転機解体、馬車運搬、現地据え付けが行われた。輪転機のほか活字、円板鋳造機、活字鋳造機も運ばれた。作業は八月二日に完了。原爆投下四日前だった』
 被爆で流川にあった本社は人員、施設に甚大な被害を受け、新聞発行不能に陥った。急きょ他紙に代行制作を依頼し、休刊したのは2日だけ。8月9日から復刊した。保有していた輪転機3台のうち、生き残った輪転機1台を軸にして、生き残った人たちが中国新聞を生き返らせようと心血を注いだ一カ月余り。
 温品村の工場から再建の一歩を踏み出した。
『工場長のもと、生き残った社員たちは手分けして電線をひき、輪転機を調整し、車を確保し巻き取り紙や活字、インク、原稿を運び、テントや工場に泊まり込みで作業する人の食事や寝具をかり集めた。その間にも「突然死」する人が少なくなかったと記録にある』
『暗室は防空壕(ごう)の横穴が使われた。製版は天日、紙型は水でぬらして竹でたたいた。乾燥は炭火だった。輪転機から決まった数の新聞が出てこないので、みんなで数えた。発送が終わると解版にとりかかった。鋳造機が用をなさなかったのである。解版が終わると文選にとりかかった』
 テント生活でとぐろを巻く毒ヘビ、ムカデにぎょっとしながら不屈の日々が続く。動画はこの記録をなぞるように当時記者だった山田さん、元専務の尾形さん、輪転機疎開先の川手牧場主の孫、牧場で遊んだ当時小学生だった数人にインタビュー。現地で撮影した風景も織り込む。ユーチューブにアップ。広島の歴史を語り継ぐ人や、さまざまな方面から意外な反響があったという。新聞人の気骨がいまも人の心を打つのだろう。
 その動画などの上映会が11月2日午後1時から西区民文化センターである。

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