ワインエキスパートの有資格者で、北海道でマナー講師などの経験がある店主が、道産と広島県産食材が中心の料理と酒を提供する。
「北海道の人脈で旬の農・海産物を仕入れているほか、広島にもカキ、ジビエ肉といった素晴らしい食材が多くあります。それらに合うワインをお薦めするのはもちろん、お客さまが持ち込まれた酒の銘柄に応じて好相性の料理を出すことも。固定メニューがないのが特徴で、毎日新しい味の組み合わせを楽しんでいただけます」
接遇面では講師のスキルを生かし、ゆったりくつろげる隠れ家のような店をコンセプトに掲げる。
「店名と場所(中区銀山町)から夜の店と思われがちですが、例えば予約制でアフタヌーンティー付きのランチコースを提供するなど柔軟な対応を心掛けています。基本の営業時間はあるものの、時間外の要望があればご相談ください。貸し切り対応も可能です。海外で10年近く暮らしていたので、英語でのおもてなしも承ります」
広島ドラゴンフライズの立ち上げから10年間にわたり、取材や実況を担当。優勝の瞬間は横浜アリーナの記者席で迎えた。観客が数百人しかいなかったり、チーム存続が危ぶまれるような危機もあったりした中で想像もできなかった快挙だ。
特にこの数カ月のチームの成長は目を見張るものがあった。開幕当初は10月末時点で3勝6敗と負けが先行し降格を危惧するファンもいるほどだったが、3月に寺嶋選手がけがで離脱した後、ルーキーの中村選手が敵のエースポイントガードと対戦する中でめきめき成長。全員の守備の連携も日に日に良くなっていった。
特に印象深いのは実況を担当した5月5日、朝山選手の3ポイントシュート。会場の鳴りやまない歓声を伝えたいと、しばらく声を出さなかった。同選手とは長い付き合いで、事あるごとにチームやバスケのあるべき姿を話した。その現役最後の得点に立ち会えたことは本当に感慨深い。
ルールが難しく敷居が高いと思われがちだが、選手がコートの中でどんな役割を果たそうとしているか注目しながら観戦すると一層楽しめるのでは。実況では敵チーム含め全選手にキャッチフレーズを付けるなど初心者にも分かりやすい説明を心掛けている。
2年連続のチャンピオンシップ(CS)出場、そして初優勝を果たし、強豪として存在感が増してきた。強みの堅固なディフェンスを維持し、来季もCS出場を実現してほしい。
長寿企業大国といわれる日本。創業100年を超える企業は3万7085社で、世界の業歴100年以上企業の約50%を占める(日経BPコンサルティング)。1000年を超える企業は11社に上る。
なぜ日本に多いのか。代々継承されてきた経営のどこに秘けつがあるのか。長寿企業の知恵を次世代へ語り継ぐ「智慧の燈火プロジェクト」(田中雅也代表理事)は5月30日、広島で地方創生経営者フォーラムを開いた。
広島を代表する長寿企業のサタケ(創業1896年)の木原和由(かずゆき)会長、ツネイシホールディングス(同1903年)の河野健二会長、大之木建設(同1920年)の大之木洋之介社長が登壇した。
大之木社長は就任早々の2016年ごろを振り返り、
「東京五輪に向け首都圏の建設需要は旺盛だった。東京にはいくらでも仕事があるという状況の中、もう一歩先を見据えて地元固めをしようと判断。大手建設会社はもちろん地元のゼネコンも首都圏に目が移るなど地元には競合他社がほとんどいない状態になった。まさに狙い通りだった。着実に成果を上げていた18年、西日本豪雨が発生。すぐに土木のメンバー中心に昼夜問わず24時間体制で復旧活動に当たってくれた。地域に生かされている企業として、地元第一の経営方針がぶれることはない」
木原会長は1999年に三井銀行からサタケに入る。中興の祖である3代目の佐竹覚さんに学んだことが経営の原点になった。米国育ちでロジカルに物事を考え、決裁には理詰めの準備が欠かせなかったと話す。ダイナミックな発想と行動力で町工場からグローバル企業へ押し上げたが、手痛い失敗も経験。世界第2位の製粉機製造会社ロビンソン買収によって大変な負債を抱え込んだ。しかしオーナー経営だからこそ決断でき、事業発展へとつながった。一方で危機感も芽生えた。指示待ち社員が多く、どうやって打破すればよいのか。脱オーナー経営に向け、2021年に初の生え抜きトップとなる松本和久社長を起用した。
「一人一人が主人公になれるような、オーケストラ経営に取り組む。善をなすには勇あれ。私の座右の銘で、良いと思ったことを行動に移せる組織を目指したい」
河野会長は1977年に九州大学工学部を卒業し常石造船に入る。設計畑を歩む中、99年にフィリピンに赴任。不採算事業からの撤退と立て直しを図った。年間でわずか数隻ほどだった造船能力は、2010年には約20隻の船を建造できるほどに拡大。南北2キロに及ぶグループ最大の工場に成長した。現地に貢献せよ。3代目の神原眞人さんの信念だった。07年に病院を開業。翌年に学校を建設した。
「フィリピン工場で働く従業員に困り事を尋ねると異口同音に病院が遠い事を挙げた。半信半疑だったろうが、本当に病院を開業すると驚き、信頼してくれた。ツネイシはこの町になくてはならない存在だと認識してもらえた。町の人口も5万から9万人へと増え、まさに船造りは街づくりだと捉えている」
三者三様である。だが、それぞれが社会貢献を重視し、地元と共に歩む地域ファースト、社員ファーストの考え方が底流にある。儲かるとみたら、なりふり構わない収益重視の経営とは相容れない。いま日本式経営の優れたところを見直し、磨きを掛けていく時ではないだろうか。