7月1日にオープンした和食ダイニング。西区三滝町に構える料亭旅館「三瀧荘」の姉妹店で、内装は朱赤と漆黒カラーを基調とし、シックで落ち着いた雰囲気とした。夜営業だけで、おでんコースは5500円から、懐石コースは7700円からそろえ、本格的な料亭の味を三瀧荘に比べて割安に提供する。平均予算は1万円。
「トリュフやウニなどを乗せた広島牛カツレツ、穴子の白焼きなど県産食材をふんだんに使った一品をそろえるほか、庶民的フードのおでんも用意。複数の具材を一鍋で煮込むイメージがあるかと思いますが、当店ではベースのだしも各食材に合った味付けをしており、一品ずつ提供しています」
同店は歓楽街に位置することから、宴会や2次会利用などを見込み、最大18人収容可能な個室を別料金なしで用意する。
「じっくり手間暇かけた料理をまずは目で楽しんだ後に口に運び、重層的な味わいと余韻に浸るといった、五感全てで楽しんでいただきたい」
家族全員カープファンで、カープ帽で走り回る野球少年でした。小学2年生ぐらいの時、山本浩二さんにサインをもらおうと練習場へ行き、大勢のファンでもみくちゃになる中、山本さんの手の甲をマジックのインクで真っ黒にしてしまったことがあります。その日のナイター中継で、黒い手のままプレーする姿を見て親近感を抱き、いっそう球団のファンになりました。
どの選手も好きですが、最も印象に残っているのは津田恒美さん。当時、150キロを投げる選手は他におらず、「打ってみろ」と言わんばかりのストレート勝負が格好良かった。30年以上たった今でもあの投げっぷりは心に焼き付いています。現在では大道温貴選手がそれを引き継いでいる。一昨年にゴルフ練習場でばったり会い、「持ち味の腕を振って頑張って」とエールを送ったところ、その翌年のシーズンで見事に中継ぎ役を務めてリーグ2位に大きく貢献してくれ、自分のことのようにうれしかったですね。
メイドインひろしまIoT協議会でマッチング部会長をしていることもあり、企業間の交流促進へ、3年前に観戦サークルを発足。約30人のメンバーと球場で声援を送っています。
積極的に盗塁などに挑戦させ、失敗しても決して責めない新井監督の姿勢は、当社の社員育成の方針と通じるものがあり、大いに参考にしています。ポジティブ思考で選手を躍動させる新井監督の下、今年こそ40年ぶりの日本一を勝ち取ってほしい。
理不尽な犯罪や事故に巻き込まれ、生死にかかわるような出来事に遭遇した被害者の心の傷は深い。いつまでもその記憶が生々しく蘇(よみがえ)り、そのときの苦痛を繰り返し体験するという。
県公安委員会指定の(公社)広島被害者支援センター(山本一隆理事長)が今年、設立20周年を迎えた。命を脅かされる、けがをする、物を盗まれるなどの直接的な被害だけでなく、犯罪事件に遭ったことによる精神的なショックは大きく、事件後も過呼吸やめまい、動悸、食欲不振、不眠、悪夢などにさいなまれるという。山本理事長は、
「被害者や家族に寄り添い、手を差し伸べる民間レベルの支援活動が近年、ようやく軌道に乗り始めた。助けてほしいという被害者の声は誰が聞いてくれるのか。心の奥底に耳を傾け、よりどころになれるようにと2004年2月に発足以来、支援活動の輪が年々広がってきた」
センターが7月発刊した機関誌ニューズレター第40号に、昨年度の支援活動のあらましを載せている。県警の犯罪統計書によると刑法犯の認知件数は14年の2万1123件から23年は1万4188件にまで減っている。しかし同センターに寄せられた23年度の電話相談543件、面接相談37件、直接支援830件で計1410件に上り、10年前の791件に比べて急増。
電話相談の内訳は暴行障害50件、性的被害66件、交通被害・事故37件、財産的被害26件などのほか、近年は特殊詐欺も横行しているという。被害者や家族への相談事業に加え、警察や裁判所への付き添いも行う。
1974年の三菱重工ビル爆破事件を契機に「犯罪被害者等給付金支援法」が80年に制定された。犯罪が起きると加害者糾弾の声が大きくなりがちだが、被害者を置き去りにしてはならない。その後に被害者の精神的援助の必要性が指摘されるようになり、東京に犯罪被害者相談室が立ち上がった。広島では〝命の電話〟が機能していたが本格的な組織をつくろうと一般社団法人を設立。初代理事長に当時、中国新聞社副社長の山本さんが就いた。
「いまは被害者の方から直接相談を受ける数十人の支援員をはじめ、事務局スタッフや理事らの力が重なり合っている。相談件数は年々増え、地道で粘り強い活動が次第に周知されてきた証だと思う」
支援センターは県内有力企業・団体・個人の正会員と賛助会員で構成。昨年は121件の寄付を受けた。
社会部の記者時代。被害者の自宅に押し掛ける強引なメディアスクラム(集団的過熱取材)が問題視されていた。そこに罪の意識、被害者への痛みを感じていたという。支援センターの活動に携わるようになり、被害者とその家族に寄せる思いは深い。
「犯罪や事故などで命を脅かされた人、大切な家族を亡くした人は人生とどう向き合えばよいのか。心に傷を負った被害者の方にとって解決というゴールは見えない。ただ、そばに居て聴く。根気よく相談を受けるうちに何に困っているのか少しずつ心を開いてくれるようになり、具体的な支援へつながっていく」
声にすることができるまでに相当長い年月を要する被害者も少なくないという。支援センターと共に20年を歩んできた山本さんに7月8日、警察協力章が授与された。11月26日に開く20周年式典に話題を添えそうだ。