5月10日に新天地から銀山町に移転オープンした。コの字型にカウンター席が囲むオープンキッチンから瀬戸内海の魚介料理を中心に和食、洋食を幅広く提供する。店で仕込む自家製がんす(850円)は肉厚で食べ応えがあり、思わず酒が進むという。
「料理は全て手作りで提供。肉や魚が一番おいしい状態になるよう下処理など手間暇をかけています。サバのフライをバンズで挟むカツバーガー(950円)は、フレンチなどで使う洋風ソースに和食の調味料を加えた個性あふれる味付けの一品。女性でも食べやすいサイズにしています」
アルコールは味の濃淡や辛口、甘口など客の要望に添えるようビールのほか、日本酒20種、焼酎15種、ナチュラルワイン15種程度を常備する。コース料理(6600円〜)も用意。
「三つの個室では接待のほか、24人までの宴会にも対応します。店名はデレデレが由来の造語。酒や料理だけでなく、調理過程や空間も見て楽しみ、デレデレと酔いしれてほしい」
2023年に大手外資系製薬会社を退職して独立し、水回りなどのコーティング施工を手掛けています。3月、抗酸化・還元作用を持つ植物触媒コーティング剤「HP cure(エイチピーキュア)」の取り扱いを開始。有害化学物質の低減や消臭、抗菌作用もあり、主に分譲住宅の販売業者などへ採用を提案しています。
兵庫県の播州地方出身で、広島に移り住んだのは前職時代の2020年。バスケット経験者の妻に誘われ、初めてバスケ観戦したのがドラゴンフライズの試合でした。身体の大きな選手たちによる激しい当たりやスピーディーなゲーム展開、華麗なドリブル、連携プレーを目の当たりにして一瞬でとりこに。年間チャンピオンとなったシーズンは、セミファイナルの応援に名古屋まで出掛けたほどです。
ミスタードラゴンフライズとして活躍し、24―25シーズンから新たなチャレンジとしてヘッドコーチを務める朝山正悟監督と、脱サラして自営する自らを重ね合わせてしまいます。プレーヤーとマネジメントでは全く勝手が違うと思いますが、2季目となる来季の飛躍に期待。地元出身の三谷桂司朗やエースのドウェイン・エバンス、成長著しい中村拓人選手が残留を表明してくれて一安心しました。
広島市内は少し足を伸ばせば、カープ、サンフレなども気軽に観戦できる環境にあり、スポーツ観戦の頻度が全国トップなのもうなずける。新アリーナにも期待で胸を膨らませています。
元気で、生涯現役が一番いい。好奇心いっぱいに好きな仕事をするから、いつまでも元気なのだろうか。むろん経済力にも左右されるが、定年後に悠々自適で家庭菜園もいい。だが、定年後に転職。仕事の経験、能力を生かし、再雇用された職場で大きく花を咲かせる人もいる。
ディー・エヌ・エー連結子会社でヘルスケア事業のデータホライゾン(西区草津新町)の顧問を務める吉原寛さん(80)は、大手製薬メーカーを退職後、関連会社などを経て63歳で同社へ転職。創業者で当時社長だった内海良夫会長から入社早々、大きな使命を託された。
「わが社はITの技術力を活用して医療分野へ本格参入したい。そのために医療関連領域のレベルアップを図ってほしい」
縁あってシステム開発会社に飛び込んだが、まったく畑違いで一体何をすればよいのか、戸惑いがあった。しかし創業者のその言葉が響いた。その日から予防医学領域の情報収集にフォーカス。いつしか会社にとって、いなくてはならない存在となった。
研究者になりたかったが京都大学卒業後、製薬メーカーでは新薬の営業を後方支援する部署などで活躍し学術部長を最後に定年。大手ならではの雇用環境や福利厚生になじんだ会社生活から一変した。退職後に医学出版、治験支援の会社に勤めたが企業文化の違いを痛烈に感じたという。
転職を重ね、ようやく縁に出会った。内海さんの目利きか、一言でやる気にスイッチが入った。まずは広島大学大学院に聴講生として1年間通い予防医学指導士、その後、健康アドバイザー、医療事務管理士、メンタルヘルス推進指導員の資格を次々に取得。
製薬メーカー在籍中は薬剤師、衛生検査技師、英語検定を、転籍後は千葉大学大学院の社会人院生として業務の傍ら研究に励み、薬学博士号を取得している。その向学心は衰えず、昨年10月には3年越しの挑戦で医療情報技師認定を受ける。医療情報システムの開発・運用・保守や情報の利活用などを推進する医療分野専門技師として居場所を見つけることができた。
「私に託された使命は何だろうかと考え続けた。当社は医療情報データを活用し、健康寿命の延伸と医療費適正化に役立てようとまい進。いまは主力のデータヘルス関連事業の中核となる糖尿病性腎症の重症化予防関連事業を重点目標としている。広島大学の予防医学指導士の講座は本来、看護師や保健師、管理栄養士を対象としているが、やる気満々ですと猛アピールし、受講にこぎ着けた。主力事業に役立つために何が必要か。そこから行動に移し、その都度にチャレンジしてきた」
社内で、生活習慣病や糖尿病などに関する基本的な知識を余すことなく伝えている。定期的に学会にも足を運び、最新の医療情報を収集。フィードバックしている。
一定の年齢を超えてからは毎年、今年で契約終了かと備えていたが、傘寿を迎えて再雇用されることになり、一番に私が驚いたと話す。現在は週2〜3日ペースで必要に応じて出社。元気だ。
定年退職後の人生をどう描き、どう生きるのか。全ては自分次第。自分で切り開く心構えと決意さえあれば、好きな道を歩むことができる。吉原さんは「若い人たちと働くと多くの学びがあり、パワーももらう」と屈託がない。さて、どうするがいいか。