マツダ、中国電力、広島銀行の3社はいつしか、広島財界の「御三家」と呼ばれるようになった。広島商工会議所の正副会頭人事でも御三家の出身者が目立つ。
11月1日で広島銀行の池田晃治会長(66)が会頭に就任。副会頭に選任されたマツダの小飼雅道会長は工業振興、広島電鉄の椋田昌夫社長は商議所移転を協議する同所の特別委員会のメンバーほか、交通体系の整備やまちづくり推進、フレスタの宗兼邦生社長は小売業や観光振興、広島魚市場の佐々木猛社長は中小企業振興、再任された中電の重藤隆文取締役常務執行役員は中区の中央公園自由・芝生広場を予定地とするサッカースタジアム建設と、市営基町駐車場・駐輪場を候補地とする商議所ビルの建て替え・移転などを受け持つ。評判は上々、なかなか強力な布陣である。
戦後からの歴代会頭20人のうちマツダから河村鄕四、山崎芳樹の2人。中電グループから鈴川貫一、村田可朗、中野重美、池内浩一の4人。広島銀行からは伊藤豊、山田克彦、橋口収、宇田誠、池田(現)の5人を合わせて11人に上る。(敬称略)
やはり、そのときの企業業績やトップ人事、まちづくりの課題などによって正副会頭選びも少なからず影響を受けてきた。景気の不透明感などから負担の大きい会頭就任に御三家そろって難色を示し、なかなか会頭人事が決まらなかったときもあった。一方でカープの本拠地となる新球場建設の課題を抱え、2004年就任した宇田会頭の以降、正副会頭に御三家の出身者がそろうようになった。
06年、中電のトップ人事で福田督副会頭が副社長から会長に就任し、中国経済連合会の会長に就いた。2つの経済団体の役職を兼務するのは困難として副会頭を辞任。同じく渡辺一秀副会頭もマツダの役員人事で会長を退いたことから副会頭を辞任。新球場建設に伴う寄付活動が念頭にあったのか、宇田会頭は、
「中電とマツダ両社に後任の推薦をお願いしたところ、中電の福田昌則副社長(当時)、マツダ協力メーカーの広島アルミニウム工業の田島文治社長に引き受けていただいた」
と、安堵の表情を見せた。
以降、副会頭はマツダから山木勝治副社長、金井誠太副会長、稲本信秀専務、小飼会長(現)、中電から小畑博文常務、信末一之常務、渡辺伸夫副社長、重藤常務(現)、広島銀行から蔵田和樹常務、廣田亨専務と続く。肩書きは就任時。広島育ちだが、すでに県外や海外へ大きく翼を広げた企業と広島をつなぐパイプ役を商議所が果たしているかのようだ。広島ならではの特色か、流通業が集積する西区商工センター地区から伊藤学−尾山悦造−中野彦三郎−中村成朗−桜井親−細田信行−伊藤学人−佐々木尉文−木村祭氏−佐々木猛(現)と、地区内にある広島総合卸センター理事長や有力企業トップらが多く選ばれている。
今、広島に課題は山積している。池田会頭は「スピード感をもって懸案のまちづくり推進や、商議所本来の使命である中小企業、小規模事業者に役立つよう全力でぶつかる」と決意を示す。広島経済同友会代表幹事を4年務めたほか、銀行業務を通じて地元経済に精通し、人脈も広い。元気を振りまいてほしい。