広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2019年10月31日号
聖火広島をゆく

1964年の東京オリンピック聖火リレーが広島の街を走り抜け、これを地元のアマチュア映像作家グループ「広島エイト倶楽部」が撮影した貴重なカラー映像が残されている。平和公園前を走る聖火のカラー映像は全国にこれしかなく、近年、NHKをはじめ、キー局地上波、BSや地元局から映像提供の依頼が相次いでいるという。
 今年で結成60周年を迎えた同倶楽部は11月10日午後1時から、中区袋町の広島市まちづくり市民交流プラザで「市民のビデオまつり」を開く。上映作品は広島のあのとき、このときを映し、懐かしく感動がよみがえる逸品がそろう。あの東京オリンピックの「聖火広島をゆく」(64年)ほか、カープの「やったぜ日本一」(79年)、「手づくり花火に魅せられた男衆」(2011年)、「北ノ庄一座」(12年)、浅野氏入城400年記念事業として9月15日にあった、江戸時代の広島城下を東西に貫く西国街道を舞台に当時の装束で練り歩く時代行列〜入城行列ドキュメント「にぎわう夢の西国街道」の5本立て。共催は広島市文化財団。定員100人(先着順)。
 聖火リレーの映像(24分)は、井口→市役所→平和公園→十日市→祇園大橋の間を収録。当時の8ミリカメラはぜんまい式で40秒程度しか撮影できなかったため、2人1組で交互に撮影したという。それから56年の歳月を経て来年夏に東京で開催される平和の祭典オリンピックを契機に、平和公園を背景に聖火リレーを映したカラー映像が再び、クローズアップされているが、そのカメラマンらの郷土愛もまた、次々とたすきをつないできた。
 昔は8ミリフィルム、今は全員がハイビジョンビデオだが、「8」の付く倶楽部名をそのまま残したという。初代会長の松原博臣さん(故人)はJR横川駅近くにあった聖ケ丘内科医院の院長で、夫婦で医師。来院患者は奥さんの女医に任せ、松原院長はもっぱら往診を引き受けた。いつも聴診器と8ミリカメラを持ち歩き、合間をみてカメラをまわす日々。郷土愛が強く、焼け野原から復興する広島の街を撮り続け、映像文化の芽を育てた。同好の仲間が自然発生的に集まり、1958年に広島エイト倶楽部を結成。まだラジオの時代で、動く映像は珍しく、医師会館などで開いた上映会はいつも盛況だった。カープの合宿所が病院近くにあったせいか、球団医を務め、スイングなどを撮影して練習に寄与。こよなくカープを愛し、選手の診療は無料だったそうだ。次第に会員も増え、多いときは50人を擁した。現在は21人。
 団体として広島文化賞を受賞したほか、ヒロシマ国際アマチュア映画祭でも大賞を受けるなど、共同制作を含め、会員作品に数々の受賞歴がある。中国新聞社の元経済記者で、3代目会長(現在は4代目の田中隆正会長)を務めた佐々木博光さん(84)は、
「60年続くアマチュア映像の会は全国に例がない。医師が創設したその遺志を大切に楽しく健康にやっている。動く映像の魅力は尽きない」
 11月14日午後1時から西区民文化センターで公開上映会を開く。佐々木さんが主人公の「生きます ボケません 100までは」など14本立て。ますます意気盛んである。

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