広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2019年10月24日号
志を引き継ぐ

その歴史には、志のある多くの人が関わっていた。いまでは西日本最大規模の流通拠点を誇る広島総合卸センターや広島中央卸売市場などが立地し、大勢の人が働く西部流通団地。ご存じの通り、もとは海だった。
 卸センター初代理事長を務めた伊藤学さん(故人)の回顧録「我が人生、我が事業」の中で、広島の復興を引っ張った初代の公選広島市長、浜井信三市長が伊藤さんの家を訪れた時の話を述べている。
 −二人で高須の裏の山頂に登った。そこから井口と草津の沖の方を指して、
「あの向こうの津久根島を含めて埋め立てしたい。いま、榎町や十日市方面にある中小企業は、道路ぎりぎりまで使って社屋を建てている。荷物の荷さばきは全部道路でやるので大変危険な状態にある。そうした中小企業は広い場所に集団移転させたらどうかと思う。いろいろ研究してみたが、飛行場もつくりたいし、大学も統合移転する必要がある。そうしたことで土地がいくらでもいる」
 これが西部開発構想の始まりだった。もう70年前の話だが、当時の広島が抱えていた課題や街の光景、その時代の空気さえ伝わってくる。
 さて、それから埋め立て工事が完成するまでに数々の紆余(うよ)曲折があり、長い歳月を要したが、広大な造成地に次々社屋が建ち並んだ。一方で、伊藤さんはJR新井口駅やアルパーク、広島サンプラザなどの誘致活動に奔走し、時には周囲もたじろぐほどの気迫をみせた。市で戦後最大級のプロジェクトだった西部開発事業は、その完成後も伊藤さんにとって「我が人生」の主題となった。当時、市の幹部は「業界をまとめ、組合を引っ張った伊藤さんの尽力なくして西部開発事業は成し得なかった」と語っている。
 時を経て、不思議な巡り合わせか、伊藤さんの長男で、3代目の卸センター理事長を務める学人さんは、サンプラザなどの老朽化した団地内の主要施設、機能も含めて全面建て替えするメッセコンベンション施設などの誘致活動に奔走。これに呼応するかのように広島商工会議所が先に動き、西区の広島西飛行場跡地や商工センター地区を候補地に、見本市や国際会議を開く「MICE(マイス)」施設整備の構想を県、市へ提言。県と市は調査費を予算化し、本格的な検討を始めた。
 広島中央卸売市場建て替えが進展し、西飛行場跡地と連携したMICE施設の整備が実現すれば、大勢の人でにぎわい、一帯の景観は一変することになる。伊藤理事長は、
「国内外から訪れる人々を受け入れる宿泊、飲食施設は市中心部と補完し合うことになり、両エリアを巡回する交通アクセス、公共交通機関の導入が欠かせない。施設整備だけにとどまることなく、国内外から大規模な見本市、国際会議などを誘致ないしは主催する組織の拡充も関係方面にお願いしています」
 すでに街区サイン設置を市に要望し、団地全体の景観整備事業などを推進。できることから順に、MICEの受け入れ準備を進めている。
 浜井市長の志は時を超えて今に、将来へ波紋を広げ、さらに伊藤さん親子が歩んだ道は時代も、経験の質も異なるが、その志はしっかりと受け継がれているようだ。

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