1619年に浅野長晟(ながあきら)が広島城に入城し、今年で400年。広島藩主浅野家は12代(1619〜1871年)にわたり、産業、文化、まちづくり、教育分野などに多大な影響をもたらしたが、その一つ、長晟に従って広島入りした武将茶人の上田宗箇を源流に、その日から広島の地に根差し、全国的にも珍しい武家茶道の流儀を伝えてきた足跡は、広島にとって大きな幸運だったように思う。
浅野家の家老で、上田流初代家元の宗箇はどんな人物だったろうか。歴史小説「下天は夢か」や「夢のまた夢」などで知られる津本陽が、宗箇の生涯を描いた「風流武辺」のあとがきに、
「宗箇の足跡をたどると、おおいに共感が湧いた。弱肉強食の言語に絶するばかりの生存闘争のなかを、子供のような矮躯をひっさげ生き抜いてきた、宗箇の心の痛みと諦念がうかがえるような出来事が鎖のようにつながっていた」
信長、秀吉の家臣団に加わり、その後浅野藩に招かれて庭造りにも才を発揮した。伝来宗箇様御聞書に「ウツクシキ」という言葉がある。芸州藩儒者による宗箇翁伝に「勁質であり、雅文であるものを好む」とあり、ウツクシキは勁(つよ)さだけでも、雅(みやび)なだけでもない。武将としての視線をうかがわせる。家元制度により代々引き継がれてきた上田流の流儀はその時代を生きる人から人へ伝わり、遙か時代を越えて光芒を放ってきた。家元若宗匠の上田宗篁(そうこう)さんは、
「茶道は敷居が高く、とっつきにくいイメージを持たれています。だからといって時代に迎合し、敷居を低くしてはならないと思うのです。敷居は高くも間口を広げ、伝統の魅力を伝えていく。敷居を跨いで訪れた方々へ、分け隔て無く精いっぱいのおもてなしに務めることが、流派を受け継いでいく者の使命だと考えています。数百年の歳月を費やし、営々とつくり上げられてきた文化も無くなるのは一瞬。上田宗箇流が奇跡的に原爆の被害を免れて、今があることに天命を感じています」
伝統文化とブランド
伝統文化と企業のブランド戦略には一脈通じるものがあるように思える。マツダデザイン部門のリーダー、常務執行役員の前田育男さんの著書「デザインが日本を変える」の第3章「ブランド論」に、
−マーケティングに携わる人たちはブランディングと呼ばれるイメージ戦略によってブランド価値を上げられると考えているようだが、私に言わせればそんな魔法の杖など存在しない。錬金術のようなやり方で誰もが憧れる理想の商標を手に入れることなど逆立ちしてもできはしない。ブランドにとって一番大事なもの−それはまず作品である。最高のブランドを作ろうと思ったら、まず最高の作品を作るしかない。作品自体がトップを張れるようなものであれば、おのずとブランド価値はついてくる−
時代は異なるが、宗箇もまた、最高の流儀を極めようとしたのではなかろうか。浅野氏広島入城400年記念事業として7月21日、熊倉功夫氏の記念文化講演会「浅野幸長と古田織部・上田宗箇」がリーガロイヤルホテル広島である。歴史をのぞき、今を見詰める。将来へつながる渡り廊下になるように思う。