艶やかで華やか。しっとり手になじむ椀(わん)や鉢をはじめ、上から見るとしずくの形が印象的な、酒を注ぐ片口(かたくち)やちょこ。中区堀川町の仏壇通りにある仏壇店「高山清」2階ギャラリーに、4代目高山尚也さん(40)が精魂込めて仕上げた漆器約300点が並ぶ。
もともと仏壇を展示していたが、5月に廣島漆器のギャラリーに刷新した。どこで買えるのかという声に応じ、踏み切った。尚也さんは2年前から百貨店や外部のギャラリーで漆器の個展を開くようになり、伝統工芸の展覧会などで数々の賞も獲得。店の4階に設けた工房で制作に励む。
「伝統を守ることは何より大事。加えて現代生活に合うデザインなどの工夫も大切だと思う。使う人のアイデアで自由に使っていただける漆器を目指した。普通の日を特別にしてくれる、漆器の楽しみや魅力を堪能してもらいたい」
1619年、紀州藩主浅野長晟(ながあきら)が広島城へ入城した際、随従した職人によって漆(うるし)塗り技術が伝わった。その後、僧が持ち込んだ京都や大阪の仏壇仏具の製造技術と重なり、広島仏壇が製造されるようになった。瀬戸内海から大阪や京都へ出荷し、大正末期には全国一の産地に。熊野筆に次ぎ1978年、国の伝統的工芸品に指定された。高山清は大正2年(1913年)に塗師屋で創業。2年後に110周年を迎える。仏壇仏具の製造販売だけでなく塗師として寺院や神社の仕事も受ける。
京都の仏教系大学に在学中に、ある工房を見学。やってみるか。親方の誘いに乗り、漆塗りを始めた。次第にのめり込み、住み込みの徒弟制度で半年間、親方の容赦のない駄目だしを受けながら、ひたすら塗り続けた。
「刷毛(はけ)で塗ったとは思えない漆の肌合いに驚いた。職人の道を目指す原点になり、刷毛を扱う圧や引っ張りなど、その手仕事の見事さに魅了された。半年ほどで〝これか〟とコツが飲み込め、3年目でようやく認めてもらえたのか、一人仕事を任された時の感動は忘れられない。いまや徒弟制度は通用しないだろうが、今の自分の基盤を築いたかけがえのない6年間だった」
寺から依頼されて椀を修繕したことが漆器を手掛けるきっかけになった。手にして使う漆器の心地良さに、われながら感動したという。
県内の伝統的工芸品は経済産業大臣指定が5つ、県指定は9つあったが、後継者不在で2つが取り消される。どの産地も後継者難や販路開拓が共通の課題。伝統の粋や技がいくら素晴らしく目を見張るものでも、それだけでは通用しない。市場を読む高感度のアンテナ、商品として流通させる知恵や工夫が求められており、現実から目をそむけることはできない。漆塗りや箔(はく)押しなど七匠の技が結集する広島仏壇。その技を現代にどう生かすのか、将来を切り開くヒントになりそうだ。
しずくのような、優美な片口は木地ではなく、乾漆(漆下地に布を張り重ね型抜きした素地)によって、そのフォルムを可能にした。
「漆器は修繕が利く。日々使い続け、表面が痛めば職人が直し、また使い続ける。いわば自然循環の文化。丁寧に仕上げられた逸品は、使うことで一層愛着が湧く」
生活に根差し、ものを大切にする心根も育むと言う。