日本の政治には国家百年の計がない。松下幸之助は84歳の時、指導者を育成する松下政経塾を立ち上げた。よほどその頃の日本の姿に危機感があったのだろう。
1979年の設立来、今日まで各界に多くの指導者を輩出している。創成期から運営に携わり、塾頭などを務めた上甲晃さん(83)は、
「その頃はまだ貧しく、物質的な豊かさはもちろん、精神的に豊かな日本を目指していた。わが損得を超え、人間にとって本当の幸せは何かと考える政治家を育てたい。幸之助にとって一番の願いだったように思う。いまはどうだろうか。国を背負う政治家は自分の言葉で国家の理想、目標を語り、行動を起こす。その気構えを鍛え、いざというときに敢然と立ち向かう精神、識見を備えておく。幸之助は世界に誇れる日本のリーダーや政治家、経済人、文化人らが活躍する時代を描いていたのではなかろうか」
まずは志だろう。どんな国にしたいかという志がなければ、やがて国が立ちゆかなくなると危惧する。
1965年に松下電器産業へ入社し、広報や販売を担当した後、81年に(財)松下政経塾に入職。幸之助と十数年にわたり仕事を共にして政治家や経営者を育ててきた。これまで培った経験を生かし、95年に退職後、(有)志ネットワークを設立し代表に就任。政治家だけでなく、「志の高い日本人」の育成を目的に掲げ「青年塾」を設立した。
知識を頭に詰め込む座学ではなく、実践が中心。戦争を学ぶのなら知覧(鹿児島)に出向き、公害を学ぶのであれば水俣(熊本)で患者の体験を聞く。本物を見る。本物に触れる。そうこうするうちに物事の向こう側を洞察できるようになるという。これまでに青年塾の門戸をたたいた塾生は2000人に上る。
「決して知識を否定するわけではない。だが、それは全て道具に過ぎない。道具を使う人の考え方が正しく、正しく道具を使わないと到底、実社会で通用しない。だから人間の勉強をしなさいと幸之助から厳しく教わった。青年塾は〝人間力〟を鍛えることを一番の目的としている。これは磁石の磁力のようなもの。周りの人のために一生懸命に取り組む熱心さ、志が人間の魅力をより高めてくれる」
一方で、全国にいる塾生が自らの地域で青年塾を立ち上げるという運動を始めた。今年5月、1番目の地域版青年塾が茨城で発足。続いて「広島青年塾」準備委員会を設立した。8期生で、CIA(中区)社長の長岡秀樹さん(50)を中心に委員会を組織。6月7日、上甲さんを招いて講演会を開き、約100人を集めた会場で来春の開塾を宣言した。長岡さんは、
「日本人の道徳心や美しい国土、歴史、伝統を挙げ、日本はよい国であると幸之助は語っている。日本の姿を守り伝えるために何をなすべきか。広島青年塾では私の出身地である三次で自然を生かしたカリキュラムを予定。西南戦争では最後まで西郷隆盛に付き従った増田宋太郎が手記に残している。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず…、いまは善も悪も死生を共にせんのみとある。いかに西郷が人から慕われたか。これほどまで慕われる魅力を持った人間の姿こそ、幸之助もまた人づくりの手本としたのではないだろうか」
世界が混迷する中、誰が日本丸のかじを取るのか。