広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2020年11月19日号
天守閣を木造復元へ

広島城のある中区基町の中央公園は、旧市民球場跡地やサッカースタジアム建設予定地のほか、県立総合体育館、市立中央図書館、ひろしま美術館などの施設が建ち並ぶ。その中央公園と平和記念公園〜紙屋町・八丁堀地区を結ぶトライアングルの都市空間は観光拠点、人が集まる街として一層の回遊性向上が求められている。その一部は9月に特定都市再生緊急整備地域指定を受け、都市再開発を誘発するゾーンとしてもクローズアップされている。
 近く「広島城天守閣の木造復元を実現する会」が発足する運びになった。有志が集まり、署名活動などを展開。関係方面や地元経済団体などに働き掛け、市へ天守閣の木造復元を要望することにしている。このままでは震度6強の地震で天守閣が倒壊する危険があるという。
 原爆により広島城は天守・太鼓櫓・表御門・中御門などが壊滅。その後、1958年の広島復興博覧会開催に合わせて、いまの鉄筋コンクリートで外観復元された。規模は地上5階建て延床1332平方メートル。それから62年。市が昨年実施した耐震診断で、「天守閣(RC造)と天守閣入り口(木造)は大規模の地震や衝撃で倒壊、崩壊する危険性が高く、耐震補強が必要」という調査結果が出た。これを受け、市は耐震改修か、木造再建か、耐震対策の検討を進めている。
 木造復元を実現する会は、ひろしま美術研究所校長の大橋啓一氏が会長を務める。
「広島城天守閣は歴史的、学術的にも文化的にも優れた価値を有しています。木造復元できれば、数百年、メンテナンス次第では千年以上もちます。歴史の伝承という観点においても、原爆ドーム、平和記念公園と共に、後世に残すべき遺産、千年後の未来に残すべき宝」
 とし、忠実に木造復元することを会の目的に掲げる。
 鯉城(りじょう)とも呼ばれる。われらがカープ命名の由来でもある。城近くに鯉城通りが走り、市民生活に深く根差す。その歴史をひもとくと、いまから431年前にさかのぼる。1589年に毛利輝元が広島城築城の鍬(くわ)始めを行い、この地を広島と命名。その後に藩主は福島正則、1619年には紀伊より浅野長晟が入城。昨年、街中で浅野氏入城400年記念事業が繰り広げられた。広島の歴史をたどる道しるべになり、広く広島を情報発信できる貴重な資源として価値は大きい。
 築城当時の面影を残す現存天守は松本城、彦根城、姫路城、松江城、松山城など、全国に12ある。
「戦前まで20あったが、そのうち8つが戦災などで失われており、広島城天守閣もそのひとつ。現存12天守、それに今後復元可能な4天守を加えた16天守の中でも最も古い時代に築かれたもので、当時の豊臣時代の大阪城を模して造られたものです」(会の資料)
 被爆による倒壊前の、1931年に広島城天守閣は国宝に指定されている。戦前に作成された実測図や多数の写真が残されており、忠実に復元が可能。復元されれば、国内で最も古い様式を伝える天守閣になるという。
 近年は急速に劣化が進み、壁部のひび割れや剥落が複数確認される状況。木造復元の可能性などを次号で。

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