どこかの国にならい、見事に日本らしくこなす。米国由来の野球は日本最大のスポーツビジネスに発展した。ベースボールと野球の違いを指摘する声もあるが、何ら問題はない。マツダスタジアムでのカープ観戦は楽しい。いち早く事態が収束し、真っ赤に染まった満員のスタンドから、どこか弱々しげなカープに活を入れなければならない。
日本初の本格的なボールパーク、マツダスタジアムはカープも変貌させた。2009年春、旧国鉄の貨物ヤード跡地に完成し、旧市民球場から現在地へ移転。観客動員数が急増した。15年から5年連続で200万人を突破し、旧球場時代に100万人内外だったことに比べて圧倒的に応援風景が一変。長らくBクラスに低迷していたカープは見違えるほど強くなり、16年からセ・リーグ3連覇の偉業を成し遂げた。夢のようである。
臨場感にあふれる別世界のようなマツダスタジアムが完成するまでに幾度か波乱もあった。市役所時代にスタジアム建設に長期間携わり、代々続く実家の農業を継続するため、3月末で退職した前経済観光局長で、(社)地域価値共創センターの理事を務める日高洋さん(59)は、
「03年の民間事業とん挫後、プロ野球界再編論議に端を発して地域が立ち上がった。04年に県、市や商工会議所、カープなどで新球場建設促進会議を設け、本格的な議論が始まった。既に球団は本場の米国を視察し、いまのボールパークにつながる意見を持っていた。06年に設計・施工コンペを行った結果、条件付き最優秀案を選んだがその条件が満たされていないと判断し、当選案にしなかった。都合3度のコンペを行ったエネルギーは一体どこから出たのかといまも不思議に思う」
04年にオリックスと近鉄が合併し、1リーグ制10球団とする球界再編が取り沙汰されていた。当時の市民球場は築後約50年と古く、観客席は横・前後の幅が狭く劣悪な観戦環境だった。選手のロッカールームも狭いなどと不評。市民やファンはむろん、行政や周辺の商業施設、商店街、経済界も「真っ先にカープがなくなるのではないか」と危機感を募らせていた。
球団は米国へ社員を何度も派遣し、あるべき姿として三つの方向を打ち出す。地域の活性化につながる球場、天然芝のオープン球場、野球に興味のある人もない人も世代を超えて気軽に交流できる広場のような球場。まさにボールパークそのもの、米国で主流になりつつあった。
日高さんは実際に見てみなければ、よい球場を造ることができないと考え、自費で大リーグの球場を視察した。驚きがいっぱいだった。観客は多世代。観戦だけでなく食事や遊具などで楽しんでいる。ゆるやかな勾配のスタンドからもグラウンドがよく見えることを確認し、座席の前後幅や横幅も念入りに測った。
スタジアムを周回できるコンコースは球団の意見を反映し、本通商店街とほぼ同じ幅にした。観客席は砂かぶり席やパーティーフロア、パフォーマンスシートなど約30種類もある。スタジアムの向きは東北東にし、観客席の多い内野席で直射日光を受けないよう配慮。そのほかファン、選手ファーストの考えがふんだんにある。−次号で。