マツダスタジアムの正式名は広島市民球場。公設民営だが、まさに市民のもの。これほど市民から愛されているスタジアムはほかにない。
観戦しながら周回できる幅広のコンコースは街中を歩くような開放感がある。天然芝がまぶしく、選手も近い。いまはコロナ禍で少々観客席は静かだが、あのリーグ3連覇の快挙は大方、ファンの大声援が成し遂げたのではないかと思う。混然一体のスタジアムはまさに「夢の器」である。
新球場を現在地で建て替えるのか、旧国鉄の貨物ヤード跡地に造るのか。ドーム球場なのか、オープン球場で天然芝にするのか。市民を巻き込み議論がふっとう。構想から建設までに困難なハードルを幾度も乗り越え、ようやく2007年11月26日に起工式を迎えた。市の担当者としておよそ7年、新球場建設に携わった日高洋さんは、
「新球場竣工の時よりも、着工することのうれしさが大きかったように思う。式典で初めて新球場の完成イメージCGを公表した。会場に流れるその動画を見ながら、私は鳥肌が立った。仕事で鳥肌が立ったのは初めて。着工までに3回もコンペを実施し、これでもか、これでもかと何度も挫折を味わっただけに、言い尽くせない喜びがあった」
カープ存続が危うい。危機感に端を発し、すぐさま市民も経済界も新球場建設を後押しした。経済界は目標を上回る17億円近くを集めた。大勢の人が建設に関わり、その一員に加わることができた日高さんにとって、とてつもない感動があったのだろう。
「広島駅周辺のまちづくりにも大きな波及効果があった。南口周辺は長らく進んでいなかったBブロックや新たにCブロックの再開発が促進されて商業施設などが建設され、北口周辺は事務所やホテルなどが立地し、周辺の都市機能は格段に充実、強化された」
そもそも都市計画の分野を志していた。九州大学工学部建築学科を卒業後、大手の建設会社を経て1987年に広島市役所入り。新球場建設部専門員、オリンピック招致検討第二担当課長、経済企画課菓子博覧会支援担当課長、都市機能調整部長などを歴任。2018年に建築の技術職では初めて経済観光局長に就いたが、父親が倒れたのを機に2地域居住しながら実家の農業を継続するため、定年まで一年を残し退職。
「これまで夢と五感を大事にしてきた。五感で感じると、多少反対されても絶対これでいけると、自分の中に信念を持てる。人生も、仕事も同じだと思う」
学生時代に米国と日本で自家用操縦士の資格を取得し日米の空を飛ぶ。一級建築士や狩猟免許も持つ。(社)地域価値共創センター理事、星槎道都大学建築学科客員教授、カープ地域貢献アドバイザー、広島ドラゴンフライズ新アリーナ準備室顧問、故郷の島根県邑南町顧問などを務める。
5月に広島総合卸センター顧問に就任した。MICE施設整備構想のある商工センター地区のまちづくりを担当する。伊藤学人理事長は、
「実家の農業を継続する責任は重いが、彼の才能を眠らせるのは惜しい。存分に力を発揮してもらいたい」
日高さんの夢と重なり、まちづくり構想が実現する日を待ちたい。