広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2022年3月10日号
古い酒蔵を生かす

酒蔵で新酒の仕込みが最盛期を迎えている。安芸郡熊野町で唯一の酒蔵、馬上酒造は今季から新体制で再スタートを切った。昨季は明治時代から続く酒造りを休止。存続さえ危ぶまれたが、竹鶴酒造(竹原市)などで経験を積んだ村上和哉さん(36)を杜氏(とうじ)に迎え、息吹を取り戻した。
 主力銘柄の「大号令」は、製造量の約9割を熊野町内で消費する、根強い人気に支えられて代を重ねてきた。来年で創業130周年。杜氏と社長業をこなしてきた4代目の馬上日出男さん(72)は、廃業すると酒類製造免許の再取得がほぼ不可能になるため、いったんは休止し、再開の可能性に懸けた。昔ながらの酒造りへの思いは深い。
「大手のように機械化することなく、ほとんど手作業。思った以上に水と米は重く、加えて冬場の蔵は心底冷える。近年は若者の酒離れで販売が伸びず、人を雇うほどの余裕はなく、蔵や設備もあちこち痛んでいた。それでもくじけるわけにはいかない。とにかくこの蔵を守りたいという一心だった。ちょっとした気の緩みで、もろみの発酵が進むなど、気が抜けない仕込み作業が続く。むろん体調不良など言い訳にならない。高熱のときも薬でごまかして乗り切った。よく蔵の中で死ななかったと思う。古希を過ぎ、私だけの手で続けることは難しいと思い始めた矢先、杜氏を志していた若い村上さんが門をたたいてくれた」
 村上さんは南区出身で、広島経済大学時代に訪れた竹鶴酒造の神聖な雰囲気に引かれたことが、蔵人の道へ進むきっかけになった。4年生だった2007年11月から竹鶴で酒造りの季節雇用で働き始める。卒業後も冬場は酒蔵、仕込みのシーズンが過ぎると市内酒販店などで働く二重生活を送る。7年後に竹鶴の正社員となり、季節雇用時代を含めて10年の経験を積み、その後に滋賀県の北島酒造へ。異なる酒造りを学び、5年をめどに広島に戻るつもりだったが、コロナ禍の影響を受け、1年前倒しして広島で転職先の蔵元を探していた。
「馬上酒造の存在は知っていた。だが、蔵の銘柄を飲んだことはなく、とりあえず酒蔵見学を申し込んだところ、県内では無くなりつつある伝統的な道具が現役で稼働しており驚いた。ここで酒を造りたいと社長に思いを伝えると、その気持ちはうれしいが、もう辞めようと思っていると断られた。次の春に改めて電話すると、酒造りについていま一度話を聞かせてもらいたいという返事ですぐさま駆けつけた」
 今後の酒造りの方針を話し合い、そして昨年11月に蔵入り。12月に初めての酒を送り出した。
「この蔵には代々受け継がれてきた伝統が生きている。これまでの馬上酒造の個性がなくなるのではと心配する声もあったが、この蔵と熊野の気候で真っ直ぐな酒造りを行えば、自然と馬上の酒に仕上がる。昔ながらの製造手法は手間がかかり、さまざまな制限がある一方、ここならではのブランドに育てられる可能性がある」
 コロナ禍が酒造業界に深刻な影響を及ぼす。だが、怯(ひる)むことはない。これまでのつながりを生かして販路を広げ、SNSでも発信。生涯を懸ける覚悟だ。

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