広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2022年6月2日号
危機から全国一へ

ピンチはチャンス。泥にまみれて火に焼かれる塗炭の苦しみから活路を開く。そうしたビジネス界の事例は枚挙にいとまがない。あわや倒産の危機から脱し、全国一へと飛躍を遂げた広島の企業を紹介したい。
 スプラウト(発芽野菜)生産の村上農園(佐伯区)は大きな危機が2度あった。創立者の村上秋人さん(故)が旧制農学校を卒業後、県経済農業協同組合連合会の勤務や針工場経営などを経て1966年に会社設立。刺し身のつまになる「紅タデ」を栽培し、土にまみれて日々精を出すが、最初の危機が訪れる。
 77年ごろに漁業専管水域が定められ、漁獲量の減少と紅タデ消費量への影響を懸念。将来立ちゆかなくなるのではないかと不安が募る。そこで、当時は一般家庭の食卓に並ぶことのなかった高級食材のカイワレ大根に目を付け、生産品目の転換を決意。農家を訪ね歩いた。主流の砂耕栽培は散水の際に葉の裏に砂が付く。水耕栽培は日持ちしない。負けん気に火がついて研究に没頭。78年に特殊なマットを使う水耕栽培に成功した。流通価格の引き下げにつながり、「かいわれ巻き」を考案するなど需要を喚起する提案と相まって、瞬く間に普及。他社の参入が相次ぐが、〝農業の工業化〟による合理化や品質向上で全国一のシェアを獲得する。2代目の村上清貴社長(61)は、
「先代は、私の祖母の姉の三男に当たる。私は山口出身で広島大学進学が決まると、うちから通学しろと居候させてくれた。夏休みなどにはアルバイト扱いで一緒に農作業。毎朝5時に農園へ出掛ける先代の姿を見て、勤勉の何たるかを教えてもらった」
 大学卒業後もうちにこいと引き留められたが、東京への憧れからリクルートに入社。約10年後の93年に再び誘われて村上農園に入り、新商品開発などに励む。しかし3年後予想さえしなかった最大の危機にさらされる。病原性大腸菌O−157の感染源がカイワレ大根だとする風評被害に遭遇。後に事実無根と判明するが、売上高は半分以下の10億円を割り込み、大幅赤字を計上。7カ所の生産拠点のうち4カ所を休止した。
「同業者も次々と倒産し、追い込まれた。手を打たねばならない。ちょうど開発を終えていた豆苗(とうみょう)(エンドウの若菜)を本格投入。カイワレ用だった栽培スペースを充て、どんどん生産。社員総出でスーパーなどの店頭に立った。安価で栄養価の高い新野菜がターゲット層に届き、奇跡的に1年で黒字転換できた」
 過去2度の危機が会社の底力を押し上げ、その後も多彩な新商品を次々投入する。
「経営に大きな影響を及ぼす外部環境の変化はもちろん、消費者意識の移ろいなど、良い物を作るだけでは売れないと骨身にしみている」
 料理レシピで需要を掘り起こし、本やネットで消費者へ伝え、業績は右肩上がり。そんな折、2007年に先代が脳腫瘍で倒れ、手術前日に「養子になって経営を継いでほしい」と相談を受ける。
「田村から名字が変わることにためらいはあったが、会社への愛着や、健康に貢献する野菜を届け続ける喜び、使命が真っ先に思い浮かんだ」
 100億円企業へと成長した勘どころなど、次号で。

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