日本のコーヒー文化は世界的にもユニークという。1960年代から薄めのアメリカンが普及した。96年以降はスターバックスコーヒー(米国)が上陸し、深いり方式が広がる。第三の波として、2015年に上陸したブルーボトルコーヒー(同)は種子の段階から生産管理を明確にした単一種の豆(スペシャルティーコーヒー)の風味を引き出す方式で、いま若者を中心に人気という。
コーヒー豆販売で1947年に創業した寿屋珈琲飲料社(中区東白島町)の割方(わりかた)光也社長(68)は、
「ブルーボトル社は、サイフォンやネルドリップ式などで職人のような技術が必要な日本の純喫茶文化から影響を受けており、いわば逆輸入。日本のコーヒーは焙煎(ばいせん)方法やいれ方が多様で、香りと味が全く異なる。約50年前に他界した父、海草(かいそう)は創業からしばらくして、コーヒーは未完成飲料と断じたそうだが、まさにその通りだと実感する」
さっそく香りをかぎつけたのか、8月2日にリニューアルした幟町店には、店頭販売用に地元最多級にそろえた30種類超のスペシャルティーコーヒーを求めて、次々に若者が訪れる。木目基調の内装にダウンライトや中庭などを配し、しゃれた雰囲気を演出。新たにカフェを併設し、ハンドドリップで丁寧にコーヒーをいれる。とはいえ一番人気はブレンド。常連客がくつろげるように店頭販売とレジを分けた。食事は女性向けにパニーニなどを用意。本場イタリアのモッツァレラチーズなどを挟んで専用調理器で香ばしく焼き上げる。
創業の地は的場町。現在は東白島町に移り、本社兼工場を構える。52年から72年まで本社を置いた幟町店は豆のひき売りを50年間続け、特に思い入れが深いという。
「全国チェーンがどんどん進出する中、個人経営の喫茶店は30年間で半減するほど厳しい。当社も約60年前に出店した旧宮島タワー内や百貨店内の直営喫茶を順々に閉めてきた。天満屋八丁堀店には全館開業時から入居していたため、施設の閉鎖時は寂しさがこみ上げた。一方、コンビニやファストフードチェーンが力を入れたこともあり、コーヒーの消費量は上がっている。店づくりの工夫次第でファンを取り込めると思う。幟町店のカフェに先立ち、約50年ぶり、2015年に開業した廿日市市の宮内店はくつろげる空間として近隣の常連が多い。近年、コメダ珈琲のように家族で食事しやすい店が繁盛している。子どもが大人になり、なつかしく足を運んでくれる。そして子どもを連れてきてくれる。この流れを手放してはいけない」
小学生の頃、父から「いつか朝食がコーヒーとパンに変わる」と聞いた。世の浮き沈みに惑わず、くじけることなく、ひたすら焙煎技術を磨いてきた。創業以来、焙煎職人に任命されたのは7人だけ。決して妥協を許さない、頑固なほど一徹である。
14年には国内の専門企業で初めて、プレミアムブレンドが国際カフェテイスティング競技会で金賞を受けた。その後に他部門でも受賞。有名バリスタからの缶コーヒー開発の依頼などにつながった。コクもあり、香りもある。コーヒー一筋に歩んだ人生に後悔はない。