広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

コラム― COLUMN ―

2024年5月23日号
創業100年の教訓

安全靴製造のノサックス(東広島市)が5月に創業100周年を迎える。記念式典を4月20日、南区のホテルグランヴィア広島で開いた。
 年内には昔の社名「野口ゴム工業」を復活し、3代目の野口恒裕社長(76)から長男の隆志専務(47)へ事業承継を進めると発表。大きな節目の年に原点を振り返り、代々続く思いをつないでいく。
 創業は大正13年(1924年)にさかのぼる。広島市南区段原日出町に「野口ゴム製造所」を設立。小さな靴工場を開いた。当時、広島は第一次世界大戦の兵たん拠点として栄えており、創業者の野口進さんは作業靴や軍靴を製造することで「軍都広島の発展」を支えてきた。
 工場、建設現場などで働く人の足に合わせた靴を作る。その信念はぶれることなく、やがて経営を支える根幹となった。戦時下、供給物資が不足する中で「体を服に合わせろ、足を靴に合わせろ」と容赦なく、戦場の兵士は過酷な状況に置かれた。とても足に合わない靴を履く苦痛を経験させられた戦地から復員した長男の昌明さん(後に2代目)と共に働く人の足を守る靴の開発に心血を注いた。
「籠に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を紡ぐ人。われわれは良い草鞋を紡いでいく」
 そう覚悟を決め、やがて大ヒット商品が生まれる。
 戦後の混乱した経済から高度経済成長への足がかりとなった昭和30年代中頃、同社が考案した革付きビニール靴「キングクラウン」が飛ぶように売れた。日本国有鉄道をはじめ、全国のあらゆる現場で働く人の足元を守ってきた。
 自社の技術開発だけにとどまることなく、業界の発展にも奔走。同業他社と共に安全靴工業会の発足に参画し規格の制定、安全基準の向上に尽力してきた。1969年には全国で初めて日本ゴム工業会から表彰。西日本最大手の安全靴メーカーへと成長を遂げた。何ごとにも替えがたい創業からの足跡を胸に秘める恒裕社長は、
「一見して非常識なアイデアにも果敢に取り組み、常識をひっくり返す製品を生み出してきた」
 けれん味がない。県内初の作業靴キングクラウンは現在も主力製品として活躍し続けている。道路舗装工事用安全靴のHSKシリーズや高所作業用の鳶シリーズは軽量化、履き心地の良さを追い求め、ニッチトップ製品となった。
 だが、決して順風満帆ではなかった。多角化を進め、順調に事業拡大を進めてきた昭和の後半。高度経済成長期の終焉(しゅうえん)を迎え、バブル経済がはじける。販売不振を乗り切るため組織改革を迫られた。2社に分けていた製造部門の野口ゴム工業と、営業部門の野口安全を統合。市の段原再開発事業を機に98年に本社工場を東広島市に移転させて再スタートを切った。
 景気の浮き沈みに備える。多くの教訓をもたらした。最近は枠内にとどまらない新製品開発へ挑む。カープとコラボレーションした安全靴や、ガーデニングという新たなマーケットにも進出した。
 2018年には欧州の安全基準認証を受けた安全靴を日本人の足に合わせて開発し、国内メーカーでいち早く販売を始めた。その後も米国基準を取得。21年に本部機能を中区紙屋町に移し、23年ぶりに創業の地へ戻ってきた。
 過去を踏まえて未来を描く「彰往察来(しょうおうさつらい)」の言葉を胸に、広島から世界への事業展開を目指す。

一覧に戻る | HOME