広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
人はどうすれば笑顔になれるだろうか。中区竹屋町の診療所「ほーむけあクリニック」院長の横林賢一さん(46)は医療と街づくりという一見、かけ離れた命題を通して笑顔の根っこに何があるのか、考え続けてきた。
誰でも病になって病院を訪れるが、同クリニックは診療のない9月7日の午後、小学1、2年生を対象に〝おしごと体験〟イベントを開いた。コロナ前までは年1回、近隣の小学生に問診やエコー、レントゲンなどの体験、クリニック見学を行っていた。今回は近隣のかとう歯科医院、すずらん薬局と組み、医療に携わるそれぞれの仕事を体験してもらった。横林さんは、
「子どもたちが楽しみながら社会の仕組みを学び、大切な在りかを発見できる。それが将来の仕事の選択肢の一つになり、事業所にとっては存在を知ってもらう機会になる。
おしごと体験は医療分野にとどまることなく、街のさまざまな事業所に声をかけ、仕事の体験を通じて子どもと大人がつながり、笑顔のあふれる温かい街を願っている」
広島大医学部の学生の頃、映画やTVドラマになった赤ひげ先生、ドクターコトーのような町医者に憧れていた。卒業後、研修先の福岡の病院で米家庭医の講演を聴く。理想に描いていた医師の姿があった。地域住民の健康に寄り添う総合診療医への道を進む決心がついた。
沖縄・西表島の診療所や米オレゴン健康科学大の研修を経て、日本で最初の家庭医療専門医になるが現場を経験する中、学びを深めたいと在宅医療のフェローとして訓練も受ける。2010年に広島に戻り、広大病院家庭医療専門医養成プログラムを立ち上げた後、米ハーバード公衆衛生大学院(HSPH)へ留学。そこでソーシャルキャピタルや行動経済学を学び、どうすれば人は笑顔になれるかと自分自身に問うようになった。
「病と向き合って生活している人を診る。人は人とのつながりがあって初めて笑顔が生まれる。診療しているとSDH(健康の社会的決定要因)の大切さを実感させられる。病は、患者だけのせいではない。健康づくりを妨げているのは何か。例えば、貧困や低学歴など社会格差による不健康、病を解消することはできないか、そうした目的を定めHSPHへ向かった」
1年間学んで持論を確証。ためらいなくアクセルを踏む自信ができたという。
17年、夢だったカフェ併設の有床診療所として現在のクリニック開設にこぎ着けた。病気の有無に関わらず無料で相談できるまちの保健室、こども食堂、認知症カフェ、離乳食教室など、誰もが気軽に集える場を目指す。
笑顔を生む街づくりへ、カフェのイベントを企画運営し地域とのつながりを〝処方〟するリンクワーカー、塚本真理子さんの存在を欠かすことはできない。家庭医は、生まれて死ぬまでのライフサイクルに照らしながら想定される〝つまずき〟ポイントも念頭に置く。団塊世代全てが後期高齢者になる25年問題が目前。住み慣れた地域で最期まで生活できるよう、リンクワーカーの出番はますます増えてきそうだ。
「医師に相談できないと思っていることが、実は不調の原因だったりすることもあるのです。一人一人の困り事に誠実に対応し、心がほっこりと笑う、そうして笑顔が連鎖する街にしたい」
新しい光が差してきた。
幼い頃、近所のお好み焼き店でふうふう、ヘラで鉄板にある焼きたてを頬張った。大人になって食欲のないときも不思議とうまい。
戦前にあった「一銭洋食」が元になり、戦後間もない頃はみんなの空腹を満たした。県外で広島風と呼ばれているが、ずっと身近にあっただけに心外。昨年のG7広島サミットで振る舞われたお好み焼きが国内外へ発信され、英国のスナク首相(当時)は自ら鉄板の前に立ってお好み焼きを作った。寿司、天ぷら、ラーメンに続いて世界の街へ広がると、食事に困る日本人はいなくなりそうだ。
ケーツーエス(安佐南区)は米国ロサンゼルスに開いたお好み焼きの直営店が好調という。ロス中心部の日本人街リトルトーキョーにある日系ホテルの壁面に3月、でかでかとドジャースの大谷翔平選手の壁画が登場。その2軒隣りにある直営店も恩恵を受け客足が伸びたと話す。テキサス州ダラスでエリア出店に関するライセンス契約を結んでおり、数年内に5店程度の出店を目指している。
近年は広島を訪れた外国人観光客が鉄板を囲み、少し不器用にヘラを扱うシーンをよく見かける。お好み焼きを食べに広島に行くという人もいる。地域の自然環境、暮らしに育まれた「食の魅力」は観光客誘致にも大いに威力を発揮している。
西区商工センター7丁目のウッドエッグお好み焼館に事務局を置く(財)お好み焼アカデミーの資料に、
『戦後、焼け野原にあった鉄板とアメリカからの食料支援としての小麦粉(メリケン粉)が出会い、再び一銭洋食が作られ始めます』
新天地エリアは屋台でにぎわっていた。郊外では戦争で夫を亡くした女性が家の軒下を改造して鉄板を設け、お好み焼き店を営む。屋号に○○ちゃんといった名前が多いのは、戦地から帰った人が見つけやすい理由もあったと当時のエピソードを伝える。
全国に1万6000以上のお好み焼き店があり大阪、兵庫、広島の3府県で4割を占める。広島県内は1600店以上(アカデミー調査)。海外へ人気を広げ、世界の共通言語になるかもしれない。
老舗の「お好み焼みっちゃん総本店」を創業した井畝満夫(いせ・みつお)さんが7月25日亡くなった。91歳。1950年に父がお好み焼きの屋台を始めた。まだ10代後半だったが、病弱な父に代わり店を仕切るようになる。自身の愛称から店名を「みっちゃん」にした。いまは市内中心に東京(2店)へ出店し、計9店舗を展開するISE広島育ち(佐伯区)と、お好み焼アカデミーは9月4日午前11時からリーガロイヤルホテル広島でお別れの会を開いた。多くの人が集い、穏やかだった人柄をしのんだ。
その歩みに、こんな話がある。焼きそばの上にお好み焼きを乗せて焼くとうまい。たちまち評判になり、それがそば入りの丸い、いまの原形になった。初めは割り箸を使っていたが費用が嵩むため、鉄板の上でヘラを使って食べれば皿も割り箸も使わなくて済む。お好みソースも考えついた。人一倍に熱心だったからアイデアも次々に湧いたのだろう。広島特有のスタイルがあちこちに広まっていった。
鉄板と小麦粉、戦禍と女性の頑張り、お好みソースとヘラ、やがて世界へ出店するまでの歩みは戦後の広島の歴史とも重なり、先人の知恵とたくましさが支えてきた。
先の読めない事業環境や余剰雇用、人手不足にさらされて苦心惨憺。人材確保へ適切な給与体系をどうすればよいのか、正解のないもどかしさを味わった経営者も多いのではなかろうか。
軽自動車専門店のサコダ車輌(佐伯区五日市町)は、今9月期決算で販売台数6000台乗せと車検2万台、一般修理5万台以上を見込む。トライ&エラーを重ねながら独自の評価と給与制度を構築。働く人のモチベーションを高め、成果を挙げている。
2015年に評価制度の検討を始め、20年に修正を加えて翌年に現行制度をスタート。10月から抜本的な変更(賃金テーブル、職能手当、資格手当、年間休日)を予定している。月約10項目の個人評価基準の達成度合いに応じて半期毎に等級を改定。執行役員本部長で整備部門統括責任者の森岡真也さん(40)は、
「営業や整備部門などの職務を問わず、全社員が評価項目を理解して納得感のある給与体系、評価制度に進化させています。近年は販売だけ、整備だけと部門限定で成果を出し、採算を取ることは難しくなっている。シナジーが発揮できる事業を展開することで専門性とスピードを高め、よりユーザーのメリットに貢献する社内態勢を築く。事業の枠を超えて相互理解できる人材の育成が大切だと思う」
むろん専門医も必要だが総合診療医によって、適切な対応が可能になる。〝自動車販売知識のある整備士〟が企業力を底上げし、技術と営業の総合力を備えた人材こそ顧客の信頼につながるという。
森岡さんは整備学校を卒業してメーカー系ディーラーに勤務。自動車整備士に誇りを持っていたが、業務量は営業担当の腕次第。業界の人手不足でプライベートな時間がなかなか確保できない、将来へ希望が見いだせないと、いったんは業界を離れた。
縁あってサコダ車輌に入社以降は、整備士が主体的に活躍できる環境をつくりたい一心で課題を洗い出し、新たな職場づくりを目指した。
人材育成を成長戦略の真ん中に置く迫田宏治社長は働く人への投資を惜しまない。
「生活必需品として軽自動車を扱っている。そうそう頻繁に車は買い換えられるものではない。どうすれば価格を抑えることができるのか。販売台数を増やし、経営効率を高める努力が欠かせない。しかし売りっぱなしは厳禁。安心していただけるアフターメンテナンスを整えてきた。業界は整備士や板金塗装などの人材不足が年々深刻さを増している。社員一人一人と向き合い、人材が育つ雇用関係をつくり、みんなが生き生きと働く職場を実現させたい」
採用は中途を含め毎年15〜20人を計画。国家資格の整備士は3級、2級を取得し、自動車検査員として活躍できるまで最短でも約8年かかるが、教育プログラムを充実させて無資格でも採用。独自のカリキュラムとスキルマップを基にした社員等級制度の運用で、将来をイメージできる成長プロセスを〝見える化〟した。どんな力を身に付けると一人前なのか基準が明確。その人の〝頑張り方〟がひと目で分かる。26年からはジョブ型採用に踏み切る。
部門を超えて異動できる人事制度を整える。外国人材もベトナム人の特定技能1号3人、技能実習生4人が活躍する。舟入・五日市・東広島・祇園・海田の5指定6工場体制。評価は自分で創る。その評価は業績に直結する。
廿日市市に入り、西広島バイパス下りの佐方サービスエリア付近に差し掛かると右手に、山肌があらわになった大規模な造成工事現場が視界に飛び込んでくる。
同バイパスと山陽自動車の宮島サービスエリアの間に広がる一帯約70ヘクタール。市を含む地権者で構成される平良丘陵開発土地区画整理組合が事業主体となり、総事業費169億円で工業および観光交流の施設用地(各約15ヘクタール)整備へ、造成工事に昨年5月着工、2026年度完了する運びだ。
既に工業団地は市内外から約20社の進出が予定されているという。観光交流施設は200室規模のホテルや温浴施設、レストラン、スイーツや調味料体験エリアなどを設け、29年度の開業を目指す。〝食と癒やし〟をテーマに地域資源を生かした複合リゾート施設を全国展開するアクアイグニス(東京)などで構成される合同企業体で運営を検討している。年間約400万人の誘客を見込み、約200億円の観光消費増加を試算する。
アクアイグニスの立花哲也社長は昨年7月にあった記者会見で海のカキやレモン、酒、木工など豊富な特産品の魅力を挙げ、廿日市に寄せる思いを述べた。地元に根差す個店を大切に地域一体となった、にぎわいのある整備構想を描く。昔食べた町の中華そばの味が忘れられないという。関連業務を一括代行する西松建設はテナントリーシングへ地元の味を探索中。
そこから車を十数分走らせると瀬戸内に浮かぶ宮島が左手に見えてくる。今年の来島者は最多を記録した19年の465万人を上回る勢いだ。昨年5月のひろしまG7サミットを機に欧米中心にインバウンドも増え、島の宿の稼働率も高水準で推移している。
宮島の東部にある包ヶ浦自然公園の開発計画をめぐり、賛否両論が渦巻く。自然公園は旧宮島町が1978年に開園。15.5ヘクタールにケビン31棟やキャンプ場などを備え、海水浴場としてピーク時には年間16万人が訪れた。近年は利用が落ち込み、3月末で有料施設の利用を停止。2022年2月、観光庁事業に採択されて市は富裕層狙いの宿泊施設誘致へ、26年度開業を目途に公募型提案制度で事業者を選ぶ方針を固めていた。
包ヶ浦は1870年代後半から開墾が始まり、1900年代に広島湾要塞の一部として鷹ノ巣浦に砲台を建設するための軍用地となった。26年以降から45年まで広島兵器廠だった歴史がある。
市有地10.8ヘクタール、残りが国有地。誘致計画は1部屋10万円以上を想定し、新たな来島者を掘り起こす狙いだが、反対の声が上がり、島民の70%以上を集めた総数1万3815筆の署名を町議会へ提出。計画はいったん凍結し、協議を重ねて関係者の意見や要望を受け止めながら新たな展望を探る状況だ。
もう一つ。宮島を望む県内唯一の宮浜温泉街は新たな源泉の配湯工事を来年度に控える。市と6温泉宿泊施設でつくる組合は2037年までを想定した「活性化基本構想」を実現すべく、温泉街のブランド化に乗り出した。散策が楽しめ、地元食材を使った宿泊プランなどを検討中だ。
観光振興と移住定住促進を目指す市の宮島まちづくり基本構想を具現化するプロジェクト「千年先も、いつくしむ。」も動き出す。守るべきもの、伝えるべきもの、できることがあるとうたう。将来の発展を引っ張るプロジェクトがスタートラインに立つ。
日々の暮らし、自然界の営み、産業、地球を守る革新的な技術になるだろうか。
太陽光発電や蓄電システムを開発するQDパワー(中区本通)は7月、次世代技術と目される全固体電池を用いた「系統用大容量高性能蓄電池システム」の組み立て工場を廿日市市大野で稼働した。一般的なリチウムイオン電池の液体状電解質は温度変化に弱く、発火や液漏れの可能性がある。全固体電池は文字通り電解質を全て固体にすることでそのデメリットを解消。高密度なためエネルギー出力は数倍に高まる。
現在、最もシェアの高い製品と比較して1メガワット時当たりの年間CO2排出量を30%以上削減できるという。同社会長の川本忠さん(64)は、
「現代社会の営みは、あらゆることにエネルギーが必要とされている。農業などの自然を利用する分野もスマート化によって、エネルギー消費が加速していく。電力そのものの仕組みから抜本的に対処する必要がある」
例えば、太陽光や風力による発電量は天候と季節の影響を受けやすく、需給調整が難しい。高性能蓄電池を用いることで、その時の需要より多く発電された場合はいったん蓄電池にためておく。電力が不足した時には蓄電池にためていた電力を供給するマイクログリッド(小規模電力網)が解決策になるという。
需要ピーク時の供給にインセンティブがある国のFIP制度やJEPX(日本卸電力取引所)に加え、将来の電力供給力を取引する容量市場が本年度からスタート。電力をためて使う技術に追い風が吹いてきた。
川本さんは早稲田大学政治経済学部卒。35年前に、大学の先輩で現在は東京工業大学名誉教授を務める玉浦裕さん(77)の地球温暖化に関する講演を聞き、共感した。
「私は当時、全日本学生庭球同好会連盟の初代理事長を務め、スポーツ選手支援業務の会社を経営していた。スポーツと健康は切っても切り離せない。地球環境はどうなっていくのか。温暖化が人々の生活や健康に及ぼす影響は計り知れない。何とかしなければいけないと考えた」
これが人生の指針を決めたのだろう。1999年に大和ハウス工業グループのグリーンファーム開発の設立に参画したほか、「スポーツ選手の農業就業を通じた地方創生と新時代の農業システム開発」などに携わり、農業コンサルタントとして独立。2017年に卵殻でアパタイトと呼ばれる化合物を作るバイオアパタイト社、同年に電力自給自足型スマート農業のシステムを提案するトレスバイオ研究所、22年にパイライト太陽電池開発のQDジャパンを東京などで相次ぎ設立。東京工大の「超スマート社会推進コンソーシアム」では農業スマート化を担当した。
「系統用蓄電池システムは東京工大の技術指導を受けて、東京のソリッドバッテリーと共同開発。広島は玉浦名誉教授の出身地で各方面から情報が入り、工場を構えるイメージが湧いた。何より、国際的な知名度の高い広島から、世界へ出荷したいと決心。地元企業とオープンイノベーションを重ねながら、モビリティーや航空宇宙、データセンター、防災、医療など用途別に開発していく。全ての家に蓄電池が置かれる時代は近いうちにやってくる」
国内数カ所に同様の工場を計画する。川本さんが描く構想は遙かに大きい。
理不尽な犯罪や事故に巻き込まれ、生死にかかわるような出来事に遭遇した被害者の心の傷は深い。いつまでもその記憶が生々しく蘇(よみがえ)り、そのときの苦痛を繰り返し体験するという。
県公安委員会指定の(公社)広島被害者支援センター(山本一隆理事長)が今年、設立20周年を迎えた。命を脅かされる、けがをする、物を盗まれるなどの直接的な被害だけでなく、犯罪事件に遭ったことによる精神的なショックは大きく、事件後も過呼吸やめまい、動悸、食欲不振、不眠、悪夢などにさいなまれるという。山本理事長は、
「被害者や家族に寄り添い、手を差し伸べる民間レベルの支援活動が近年、ようやく軌道に乗り始めた。助けてほしいという被害者の声は誰が聞いてくれるのか。心の奥底に耳を傾け、よりどころになれるようにと2004年2月に発足以来、支援活動の輪が年々広がってきた」
センターが7月発刊した機関誌ニューズレター第40号に、昨年度の支援活動のあらましを載せている。県警の犯罪統計書によると刑法犯の認知件数は14年の2万1123件から23年は1万4188件にまで減っている。しかし同センターに寄せられた23年度の電話相談543件、面接相談37件、直接支援830件で計1410件に上り、10年前の791件に比べて急増。
電話相談の内訳は暴行障害50件、性的被害66件、交通被害・事故37件、財産的被害26件などのほか、近年は特殊詐欺も横行しているという。被害者や家族への相談事業に加え、警察や裁判所への付き添いも行う。
1974年の三菱重工ビル爆破事件を契機に「犯罪被害者等給付金支援法」が80年に制定された。犯罪が起きると加害者糾弾の声が大きくなりがちだが、被害者を置き去りにしてはならない。その後に被害者の精神的援助の必要性が指摘されるようになり、東京に犯罪被害者相談室が立ち上がった。広島では〝命の電話〟が機能していたが本格的な組織をつくろうと一般社団法人を設立。初代理事長に当時、中国新聞社副社長の山本さんが就いた。
「いまは被害者の方から直接相談を受ける数十人の支援員をはじめ、事務局スタッフや理事らの力が重なり合っている。相談件数は年々増え、地道で粘り強い活動が次第に周知されてきた証だと思う」
支援センターは県内有力企業・団体・個人の正会員と賛助会員で構成。昨年は121件の寄付を受けた。
社会部の記者時代。被害者の自宅に押し掛ける強引なメディアスクラム(集団的過熱取材)が問題視されていた。そこに罪の意識、被害者への痛みを感じていたという。支援センターの活動に携わるようになり、被害者とその家族に寄せる思いは深い。
「犯罪や事故などで命を脅かされた人、大切な家族を亡くした人は人生とどう向き合えばよいのか。心に傷を負った被害者の方にとって解決というゴールは見えない。ただ、そばに居て聴く。根気よく相談を受けるうちに何に困っているのか少しずつ心を開いてくれるようになり、具体的な支援へつながっていく」
声にすることができるまでに相当長い年月を要する被害者も少なくないという。支援センターと共に20年を歩んできた山本さんに7月8日、警察協力章が授与された。11月26日に開く20周年式典に話題を添えそうだ。
風土に育まれた、独自の文化や伝統は言葉の壁を越え、世界の人を引き付けてやまない。いま日本が人気という。円安を追い風に、やはり昨年5月に開かれたG7広島サミットも大きな呼び水になったのだろう。
中区の仏壇通りで広島仏壇と漆器を製造販売する「高山清」4代目で、広島漆芸作家の高山尚也さん(43)は、日本の漆芸に触れてみたいと海外から人が訪れると言う。
4月から体験ツアーを本格化。月2〜3組ほどだが、欧米中心に旅行会社向けメニューを用意する。漆を塗る製作現場を見て、伝統の奥深さを感じてもらう。高山さんは、
「広島漆芸は、京都山科の砥の粉と広島の牡蠣(カキ)殻を砕いた胡粉をブレンドして漆塗りの下地に使う。独自の技法により京都の技術と広島仏壇の歴史をつなぎ合わせたいという願いを込めた」
作り手の思いや技法など、伝統の真髄を伝えることがいかに大切か。海外から訪れた人は文化や伝統に関心が高く鋭い感性を持つ人が多い。
そうした本物志向に応えるための体験メニューの工夫とともに美術専門の知識を持つガイドの存在が欠かせない。人材養成の仕組みも整えていきたいと話す。
7カ国首脳らが手にした広島の伝統的工芸品が話題になった。瀬戸内海の多島美などをイメージした高山さんの酒器セットや漆器椀のほか、金城一国斎さんの蒔絵グラス、宮島御砂焼窯元の対巌堂三代山根興哉さんが折り鶴の灰を練り込んだランプ、宮島ロクロ細工菓子器などが多くの人を引き付けた。来年1月、広島港に寄る大型客船の乗客を対象にした体験ツアーも予定している。
2023年の外国人延べ宿泊客は3年ぶりに増え、1億1434万人。うち広島県は129万人だった。電通は7月、世界15国・地域の7460人(20〜59歳)に実施した調査結果を発表。「観光で再訪したい国・地域」は日本が34.6%で突出し、2位以下を大きく引き離す。訪日旅行での期待は「多彩なグルメ」が28.6%で最も多く、次いで「他国と異なる独自の文化」が27.9%。地方観光では「言語への不安」が目立った。
高山清は大正2年(1913年)に塗師屋で創業。塗師として寺院や仏壇から仕事を受ける。漆塗り技術は1619年、紀州藩主浅野長晟(ながあきら)の広島城入城に随従した職人から伝わった。その後、僧が持ち込んだ京都や大阪の仏壇仏具の製造技術と重なり広島仏壇が生まれる。大正末期には全国一の産地を形成するまでになった。
しかし生活様式の変化などで仏壇需要はコンパクトな家具調にシフト。本社2階を仏壇展示場から広島漆器のギャラリーに刷新した。
「必要とされる形や用途に変えて伝統を守る。日本ならではの伝統を尊びながら新しい発想で磨き、仏壇づくりの技を次代へつなげたい」
県内の伝統的工芸品は経済産業大臣指定5、県指定9つを数えるが、担い手不足の悩みを抱える。江戸期の書院屋敷、茶寮を構成再現した上田流和風堂の16代家元の上田宗冏(そうけい)さんは、
「浅野藩家老として上田家は茶の湯でもてなす数寄屋御成という習わしを長い歴史の中で育み伝えてきた。昨年の広島サミットを振り返えると、広島の底力を実感しました」
不易流行。進取の気風が新しい文化を育み、伝統を守っていく源泉なのだろう。
凡事徹底。その精緻なものづくり技術が日本の道路やトンネルなどの社会インフラを足元から支え、揺るぎない地歩を築いた中小企業がある。
道路舗装の下に敷く鉄筋をはじめ、トンネル用ロックボルト、ダムの埋設型枠などを製造する藤崎商会(中区江波南)は前2月期で売り上げ29億円を計上。2期連続で過去最高を更新した。2008年に創業者で父の喬(たかし)さんから2代目社長を継いだ藤崎和彦さん(58)は、その日から16年間で年商を2倍に増やした。
まさに凡事徹底の日々。社員の改善案を吸い上げ、安芸高田市に構える工場でムリ・ムダ・ムラを徹底的に省いてきた。近年は特に自動化を推進。コスト削減分を次の投資に回し、さらに不良品率を下げる。安定した品質が受注拡大につながり、好循環を生んだという。経常利益は前年比30%増え、過去最高の1億7000万円。
「社長になっても会社の改革など念頭になかった。しかしものづくりに関しては一切妥協しなかった。全員が当たり前のことを100%できるよう精魂を込めた。良い物を安定的に供給していると口コミで伝わり、あちこちから声を掛けていただける」
数年前から全社員43人との間でワンオンワン面談を重ねており、立場の異なるそれぞれの考えに耳を傾ける。いま困っていることはないか、現場に問題点はないか、どうすればよいと思うか、聞くことはいつもシンプル。できることは即実行。提案結果を実感した社員は次の面談でも積極的に意見を出してくれる。
広島新庄高校の野球部時代に日々鍛え上げられた体験を踏まえ、
「企業も野球チームも同じ。皆が主体的に知恵を絞り、役割を全うする。繰り返し練習し、当たり前のことがちゃんとできるようになる。凡事徹底こそチームに最も大切だと確信している」
14年に売り上げ15億円を超え、18年に初めて20億円を突破。以降は20億円台が続く。そもそもはダム・トンネル用資材を主力としていたが、次第に空港の滑走路やリニア新幹線の舗装資材などに生産品種を増やしてきた。納入先も次々と開拓するが、意外にも参入時の目標受注額を定めない方針という。
「最初は小額の納品でよい。中小企業が最初から大風呂敷を広げると、営業や生産、財務のバランスのどこかにひずみが生じる。むしろ枝葉の広がりに価値がある」
ネジ1本、ボルト1本に手を抜かない姿勢が評価されたのだろう。16年に開発した、鉄筋コンクリ舗装で斜交鉄筋網を敷く新工法「FKメッシュパネル工法」はゼネコンから信頼されて高速道などの舗装工事に採用されている。
今期は、クレアライン4車線化工事が本格的に始まるほか、東海環状道全通に合わせた舗装工事の受注も見込む。30年度以降に完成予定の北海道新幹線延伸トンネル工事へ引き続き納品するなど好決算を見込むが、社内で売上目標は22億円と掲げる。
「当社の売り上げのベースラインは20億円と見積もっている。目前の30億円突破といった数値を追うあまり、品質管理がおざなりになれば全て台無しになる。品質改善を重ねて折れない根幹をつくり、何があっても立ち続ける経営を目指す」
1967年創業。応接室に「商(飽きない、諦めない、商い)」の書を飾る。
市場が縮小するつくだ煮業界だが、悲観している暇などない。〝こもち昆布〟で知られるヒロツク(西区商工センター)社長の竹本新(あらた)さんは10年前に30歳の若さで4代目に就任。当時17億円だった売上高は2024年3月期で23億円に伸長。1942年創業来、最高になった。一時はコロナ禍の影響を受けたが毎年、数千万円を地道に積み上げた。
改善、挑戦の10年を振り返り、将来を語った。
「食文化の大きな変化にはあらがえず、コメの消費減に連れて、つくだ煮を食べる機会が減っている。ここ数年で北海道や京都を代表する老舗が民事再生や廃業に追い込まれるなど環境は一段と厳しく、主力原料の昆布の不作や価格高騰にさらされている。従来のやり方では中小がつくだ煮製造だけに依存して生き残ることが難しくなっているが、その周辺に目を凝らすと成長の余地が見えてくる。長年の間にこつこつと培った食品製造のノウハウを生かし、チャレンジし続ければ売り上げは伸びる。わずかでも毎年成長を続ける年輪経営を目指す。いまもつくだ煮の可能性にワクワク、ドキドキしている」
何とかなる。果敢なチャレンジ精神が旺盛なのだろう。
社長に就任早々、社内向けに「食べ方提案コンテスト」を始めた。料理を際立たせる食材や調味料に代わって、つくだ煮を生かすことができないだろうか。社員自ら食べ方を考える機会にしている。これまで年2回計20回を重ねた。ラー油昆布の汁なし坦々麺、あさり生姜煮スンドゥブ、黒豆かぼちゃプリンなど600〜700種類のメニューが生まれた。優秀作品をレシピ本にまとめ、商談時や顧客に配布。食べる場面を広げて消費拡大のチャンスをうかがう。
10年間で最も変わったのは「社員の改善意識」と胸を張った。毎月、製造改善の取り組みを共有する場を設け、数字での管理・分析を徹底させる。もともと製造ラインごとに競争原理を取り入れることで効率化を図っていたが、工場長には全体を俯瞰して効率的な仕事の配分に徹してもらう。残業はほぼゼロ。混ぜたり袋詰めにする作業は機械化するなど、合理化投資も惜しみなく実行した。
新たな挑戦も始まった。7月から全国展開するディスカウント店「ドン・キホーテ」の全店舗で同社の5商品の販売がスタート。粘り強い営業が実った。8月からテレビショッピングにも初挑戦。あじかん(商工センター)がゴボウ茶をヒット商品に育てた手法にあやかろうと、足利直純社長にお願いして直接テレビ局を紹介してもらった。ノウハウを生かしやすい介護食の製造にも参画し、既に確かな手応えを得ているという。
「大手との価格競争に勝ち目はなく、安売りはしないと決めた。価格は価値と同じと考え、少しでも高く買ってもらえる商品開発に力を注ぐ。社員が主体的に動いてくれて、理想としている、〝考えるヒロツク〟に近づきつつある。社長に就いた時は何をどう判断すればいいか分からず、それなりに失敗も経験。自分が最終責任を取ると覚悟している。もちろん悩みは山ほどあるが、どうせ悩むなら社員と楽しみながら、希望に向かって進めていきたい」
尊敬する祖父の盛男さんは80歳を過ぎた晩年も会長として仕事に精を出し、背中で経営者の生きざまを示した。机上に答えはないとの教えに倣い、率先して取引先を巡り、現場に足を運ぶ。
昨年の新聞発行部数は2660万部。2008年の4650万部に比べて2000万部も減った(日本新聞協会)。15年間で実に43%を失う、大きな潮流の変化にぶつかっている。
カープが勝った翌朝は早々と郵便受けに向かう。テレビ観戦でも、野球場で声援しても、中国新聞のスポーツ面を開きたくなる。負けても担当記者がうっぷんを晴らしてくれるだろうと目を通す。紙媒体の魅力は捨てがたい。ぱっと紙面を広げれば大方のニュースが飛び込んでくる。
若者をはじめ、新聞離れがいわれて久しい。なぜ読まれなくなったのか。いまはネットを通じてただで情報が手に入り、SNSなどに大量の情報や動画があふれている。そうした影響なのか、地元マスコミを引っ張ってきた中国新聞が昨年10月、大台の50万部を割り込んだ。
ドラゴンフライズが初優勝し、今春には念願だったサッカー専用スタジアムが開業。優勝をかけてカープの熱い戦いも続く。紙面は身近な動きや話題を伝える記事、ニュースも多い。なぜか。岡畠鉄也社長は、
「信頼される報道を通じ、読者に支持されることが新聞の原点。ここが揺らぐことはない。果たしてどんな情報が求められているのか、読者の関心がどこにあるのか洞察し、読む人の疑問や不安に寄り添い、共感される取材活動から離れてはならない。いまやネット上にフェイクニュースが氾濫。信頼できる情報の価値はますます高まり、取材現場で鍛えた記者の力が見直される時がやってくる。次代に備え、何をなすべきか。情報を伝える新たな仕組みをつくり、グループの総力を挙げて立ち向かっていきたい」
今春、数年前から仕込んできた二つのデジタルサービスを公開した。その一つ。スマホ向けのニュースアプリ「みみみ」は、新聞になじみの薄い20〜40代の若者を主力ターゲットに絞る。スクロール操作で気軽に主要ニュースを確認できるようにした。
「イドバタ」と名付けたユーザーによる投稿機能を設け、新聞社だからこそできる新たな価値づくりを狙う。ユーザーが投稿した日々の素朴な疑問やニュースへの感想の輪の中へ記者が飛び込み、地域の話題をより深掘りする。そうして課題解決に共に知恵を絞り、地域へ向けた視線をそらさない。
6年前から紙面で展開する企画「こちら編集局です」は地域の疑問や困りごとを読者から募り、それを糸口に取材活動を展開する。その報道がきっかけで行政サービスが改められるなど、地域と一体の姿勢を大切にする。昨夏の紙面改革ではより身近に紙面を感じてもらえるよう、広島都市圏に住む記者のつぶやきを柔らかくつづる「朝凪」をはじめ、記者の人柄も伝えるコラムを設けた。イベントで記事に登場した人と実際に交流できる「であえるニュース」も始めた。地域になくてはならない新聞はどうあるべきか、記者クラブの外へ一歩踏み出した。
もう一つ。3月に稼働した新サービス「たるポ」は従来の「中国新聞ID」に代わり、一つのIDでグループが提供するさまざまなサービスを使える。地場企業・団体やスタートアップとデータ連携を進め、地域での経済活動のプラットフォームに育てる狙いだ。7月、登録者が17万人を超え上々の出足という。模索し続けるほかない。
元自民党幹事長の二階さん(85)は次回総選挙へ出馬しないと記者会見で表明。高齢のためかと問われて「年齢に制限があるのか、お前もその年が来る」とすごみ、ばかやろうとつぶやいた。その報道に少し驚いた。年齢にはどのような価値があり、どんな制約があるのだろうか。
思うように動けない。すぐに忘れる。若い時にはできていたのにと憂えるより、いまあるものに感謝する。しかし感情は素直に受け入れてくれない。人生100年時代の終盤に向けてどう暮らすのか。7月8日、市内ホテルであった広島経営同友会(三村邦雄会長)の例会で、医療法人翠清会会長の梶川博さん(梶川病院名誉院長)が「高齢期を楽しく上手に暮らそう」と題し、講演した。
1月に85歳を迎えた梶川さんは修道高校、京都大学医学部を卒業し聖路加国際病院でインターンを修了。脳神経外科専門に歩む。1980年に前身の梶川脳神経外科病院を開く。何と七夕の日、市内ゴルフ場で82のスコアをたたき出す快挙を成し遂げた。誠にお元気である。講演では「少年老いやすく学なり難し。老人忘れやすく学なり難し。なれど高齢者ほど安全志向で健康第一かつ無手勝流でいきましょう」と切り出す。頓着なく素直そのもの。
日本で講演した学者は「2007年生まれの日本人の50%は100歳まで生きる」と予測。平均寿命のうち男性は約9年、女性は約12年の不健康な期間(厚労省調べ)がある。健康寿命延伸は国を挙げて取り組む喫緊の課題。その3大健康疎外要因としてフレイル(虚弱)、サルコペニア(加齢性筋肉減少症)、ロコモ(運動器症候群)を挙げる。
「誰にも老いはやってくる。だが、まだできることがたくさんあると前向きに過ごすことで余生はがらりと変わる。年を取るほど知識と経験が積み重なり、自分自身の時間をより有意義に過ごせる。人に的確なアドバイスができる。人生を前向きに生きることができる薬はなく、医療はサポート役に過ぎない。高齢者本人の考え方そのものが高齢期を楽しく、豊かなものにするかどうかを決めるのです」
物忘れ(認知症)を何とかして改善したいと思うのが人情だが、そのネガティブな面を強調するのではなく、長生きの同伴者、長生きのご褒美と考えてみてはと助言。よほどの境地に達しないとかなわない極意に思える。
「昨日は82のスコアで回ることができた。一緒にコースを回ってくれる教え魔の知人がアドバイスしてくれる。打つ瞬間までボールをしっかりと見なさい。ちょっとそこはおかしい。かかとをしっかり地につける。などとアドバイスにかかり切り。早く打たんかとイライラされる方も多いと思うのだが人は人、自分は自分です」
人のアドバイスを素直に聞く。反発などしない。自分のペースで上手に暮らしを楽しむ。そこに感謝の心もあるのだろう。ひたすら精進してきた人生に与えられた贈り物かもしれない。病院で診療していると「どうしてこの人はこんなに前向きに楽しく生き続けられるのだろう」と不思議に思う高齢者にしばしば出会うという。医師の立場を離れて自分もこの人のように暮らしたいと願う。不幸な出来事も全てありのまま受け止め、プラス思考で自分の人生を楽しむ姿勢を貫いていると感じさせる。いまを楽しむかどうか、全て自分次第。
国会の党首討論で政治資金規正法改正をめぐり、立憲民主党の泉代表は「抵抗勢力は自民党で本当にけしからん」と批判。岸田総理は「禁止、禁止、禁止と言うのは気持ちがいいかもしれないが、政治資金は民主主義を支える重要な要素だ。現実的に考える、責任ある姿勢が大事だ」と反論した。
収支報告書に氏名、住所などを記載しなければならない、1回当たり政治資金パーティーでの支払額は20万円か、10万円か、5万円かと大もめにもめた。はた目にはなかなか見えてこないが数字の裏側に隠されている何か重要な問題があるのだろう。しかし胸の内にある政治信条や姿勢までを数字で規制することはできない。マスコミ報道から伝わってこないだけか、国をどうするのか、真剣に深く論議されただろうか。
時事通信社(東京)が毎週2回発行する「税務経理」6月14日号に、公認会計士中国会相談役の石橋三千男さん(76)が「私の苦心」租税制度の棚卸しと題し、寄稿している。石橋さんは1967年に国税職員から社会へ飛び出し、カープ初優勝の日から公認会計士になった。寄稿文は複雑さ極まる税制度の簡素化を訴えている。中小企業にとって胸のつかえが少し下りるような、その一部を了承を得て抜粋すると、
▽6月から定額減税が急きょ1年限りで導入された。しかし仕組みも簡素ではなく、事務処理も複雑過ぎ、税理士にも企業の担当者にもブーイング。
▽消費税には昨年10月からインボイス(適格請求書)制度が導入された。原則10%の税率としながら食料品や新聞は8%としている。また原則課税と簡易課税の選択の基準年度は前々期の課税売上高になる。それでも消費税は国に対してのみ地方消費税も含めて申告・納税が行われるように若干簡素化されている。
▽法人税は、公正な会計慣行に基づいて課税所得を計算する。法人県民税や法人市民税は法人税額を課税標準とし各自治体に税率が定められている。例えば支店が100ある場合は、納税者は申告納税をそれぞれの県・市等に行う必要がある。また「企業版ふるさと納税制度」の計算は法人市民税が関係し、支店がたくさんある企業は大変複雑になっている。
税法を単独で見れば整合性もあり、決して悪くはない。世の中が安定し、目配りが届けば届くほど多くの税制ができてしまい、これを積み上げると驚くほど重畳的に複雑になっている-と指摘する。
石橋さんは、中国税理士会連絡協議会の場で、当時の民主党政権の財務大臣に「あまりにわが国の税制は複雑になっている。税法の棚卸しをされたことがありますか」と質問したところ、大臣は「一度もやったことがない。私個人とすれば、行うべきだと考えている」と答えた。
最近のIT技術や情報システムを活用したDXへの取り組みが急速に進展。戦後積み上がった税制度の棚卸しを行い、根本的な見直しを国家として取り組んでいく絶好の時にあると期待を寄せる。
若い頃に接したシャウプ税制は公平、中立、簡素の大原則のもと「新しい民主主義」の香り高く、非常に新鮮な記憶だった。もう一度あの時の晴れ晴れとした気持ちになりたいものですーと結ぶ。国をどうするのか、政界も大原則に立ち返り、すがすがしい香りを漂わせてもらいたい。