広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    常石造船社長に就任 / 奥村 幸生 氏
    NEWSな人
    AIオンデマンド型交通 スマートムーバーが出発 / 広島電鉄 椋田 昌夫 社長
    外国人材あっせん参入 創立70周年、事業を多角化 / 行森商店 行森 敦史 社長
ニュース一覧
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グルメ&ナイト― GOURMET and NIGHT ―

話題のお店を取材!
book&cafe sofa / 松岡 桂太 店長

パリの街角をイメージした外観で、種類豊富な紅茶が特徴のカフェ。運営会社社長でプロの紅茶ブレンダーの廣瀬優子氏がブレンドした紅茶などに加え、軽食・デザートなどを提供する。松岡桂太店長は、
「自宅の次に安心できる場所がコンセプト。今、お客さまが求めている安心感や心身の健康を第一に考え、2月から営業スタイルを変更。コロナ対策専門カフェと銘打ち、提供する食事は根菜チキンカレーに限定。紅茶の種類を増やすほか、自宅用に茶葉の販売も強化します」
 カレーはスパイスと刻んだ野菜で作ったルーに、レンコン、ゴボウ、鶏肉、キノコ類など免疫力アップ効果が期待できる食材を使用。今後も栄養面などに着目したメニューを、管理栄養士の指導の下に開発する。肌改善やスタイルアップ、滋養強壮など悩み別に調合したハーブティーなど10種類以上をそろえる。
「コロナ禍で新しく提供を始めたハーブティー〝メディカルティーRelax〟がお薦め。ミントなどをベースに抗菌・殺菌作用が期待されるレモングラスをブレンド。広島の農園で作られた無農薬の茶葉を使っています」

    INFORMATION
  • ◆住所:中区基町6-78 パセーラ3階
  • ◆電話:082-225-8230
  • ◆席数:店内18席、テラス5席
  • ◆不定休
  • ※発行当時の情報となります。過去の記事につきましては、最新情報を掲載店さまにご確認ください。

スポーツ応援談― SPORTS TALK―

経営者が語るスポーツ「愛」
リーフラス / 野村 裕芳 中四国支社長

子ども向けスポーツ教室を運営しており、広島では野球、サッカー、バスケットボール、テニスなど6種類、計3000人をお預かりしています。当社はいわゆる勝利至上主義や技術に特化した指導ではなく、認めて、褒めて、励まし、勇気づける方針で、自立心、協調性などの非認知能力や人間力向上を目指します。
 私は江田島市出身で学生時代からサッカー一筋。中学時代は部員数8人でしたが、皆実高校に進学して部員数100人以上に。指導者も約5人おり、中学時代と打って変わった充実の環境に驚いたものです。比治山大学時代もサッカー部に入りましたが、目的意識の低いチームでした。1年生の終盤にはキャプテンとなり、部の立て直しに奮闘。一時は3人まで減った部員数も必死の呼びかけで20人に増やし、学長に掛け合ってサンフレッチェ広島のコーチに指導を嘆願。なんとか再建でき、この部は、大学リーグ2部で優勝するチームにもなりました。スポーツの指導者となり、多くの子どもたちに充実した環境で思う存分スポーツを楽しんでもらいたいと、当社に入社。今後は当スクールを通じて興味を持った子どもたちに、広島のプロ球団の試合を、もっと気軽に楽しめるような仕掛けをしたい。
 当社は近年、福岡ソフトバンクホークスなどプロ野球4球団と野球スクール事業で提携。指導者の接し方で、その競技の好き嫌いが決まります。サッカーやバスケと比べて、「野球は厳しそう」と敬遠している子は多い。野球競技人口の拡大へ、カープ球団と一緒に何か取り組めたらうれしいですね。

コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
足利政春さん逝く

一代で大きな仕事を成し遂げた男のすごさを秘め、どこか人懐っこい、おおらかさがあった。総合食品製造・販売のあじかん(西区)創業者の足利政春さんが1月16日亡くなった。86歳。
 京都市下京区出身。京都の玉子焼の老舗吉田喜の吉田喜作社長からのれん分けされて広島で1962年に前身の三栄製玉を個人創業。瞑想法「阿字観」(われを見詰めて広く意見を聞く)という、商いの原点ともいえる言葉に由来し、78年から現社名に。2000年に東証2部上場を果たす。20年3月期連結決算は売り上げ447億円、純利益は5億5000万円。来年で創業60周年を迎える。
 一燈を下げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。
 同社が創業50周年の年に「あじかんの原点と経営思想」(244ページ)を上梓。江戸時代の儒学者佐藤一斎が「言志四録」で述べた言葉から書き出す。あえて足利さんが語らなければ、途上で「死のうとまで思い詰めた」ことがあったとは知るよしもない。一度だけ本業を離れて、ガラス製造の事業を継承したことがあった。しかし苦心惨憺(さんたん)のあげく、わずか2年でただ同然に手放した。手持ち資金は泡のごとく消え、さらに個人負債まで抱える。資金繰りはひっ迫し、困窮を極めた。
「ショックのあまり、一時は死のうとまで思い詰めた」
 ずいぶんと高い授業料になったが、性根を入れ替えて、玉子焼を一生の仕事にしようと決める。神様が、ふわふわしていた私にガツンと試練を与え、途中で投げ出さずにちゃんと玉子焼の道を歩めと諭してくださったに違いない。その意味でも、私は幸せ者ですと述べている。
 何とも素直で、なおプラス思考である。経営存亡のピンチにどう立ち向かっていくのか。逃げることなく、真正面からぶつかったことが、危機脱出につながったのではなかろうか。玉子焼を一燈として提げて、ただひと筋に人生を歩む転機となった。
 こんな話もある。地元同業者から申し入れがあり、対等合併で1970年に「広島製玉」をスタート。これが大失敗だった。何のかんのと理屈をつけて作業をボイコット。労働争議である。48時間にわたって交渉を続け、ボイコット派の社員に退職金を支払って辞めてもらうことでようやく決着した。
 しかし、その後も難儀が続く。退職金を手にした彼らが会社の裏手で同じ商売を始めて数人引き抜いたほか、営業の先々で、あることないことを言いふらして歩く。こういうときこそ会社(経営者)が何を考えるかが勝負。ぐっとこらえて聞き流した。案の定その会社は1年半で倒産。つぶさに経過を見ていた社員は企業経営とはこういうものだと正当に評価し、一丸になってくれた。企業思想の継承とは、そうやって受け継がれていくものだと体験から学んだという。長年のうちに鍛え上げられた職人技のごとく骨身に染み込んでいる、特有の経営観なのだろう。
 経営のコツここなりと気付いた価値は百万両。松下幸之助の有名な言葉である。誰かに教わったものでもなく、まねたものでもなく、実践の中で気付いたという「商いのコツ」について次号で。

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