広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    デジタル新時代の経営 / 村上農園 村上 清貴 社長、広島県DX推進本部 山田 仁 本部長、ひろしま生産技術の会 鵜野 政人会長
    NEWSな人
    8月8日に創業60周年 社名変更でさらなる成長へ / ひろしま管財 川妻 利絵 社長
    東京から江田島に移住 システム開発で地域活性化 / ジーンリーフ 安西 翔平 社長
ニュース一覧
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グルメ&ナイト― GOURMET and NIGHT ―

話題のお店を取材!
徳川 / 田中 成雄 専務

お好み焼きの徳川チェーンで、広島・愛媛・島根・山口でFC店含め20店を運営。アルバイトを経て入社し、6店で店長を務めた田中成雄専務は、
「広島風、関西風に加えて鉄板焼きも提供し、好みに合わせて選んでもらえる。家族や友人とわいわいと鉄板を囲み、団らんの時間を楽しんでほしい。各店によるメニュー開発を推進し、ホワイトソースを使ったグラタン風、台湾ラーメン風などユニークなお好み焼きが誕生。大麦入りなど体に良いメニューづくりも強化している」
 徳川をはじめ、グループで出た食品残さから堆肥を製造。農業のベジタ(庄原市)に供給し、店で使うキャベツは全て同社のもので賄っている。季節によって水分量や硬さが変わるため、複数品種から最適なものを厳選する。
「昨年12月には冷凍お好み焼きを商品化し、店頭やインターネットで販売。一枚一枚手焼きして食材の鮮度や食感、風味を維持する『プロトン冷凍』技術を採用し、店と遜色ない仕上がりに。リピーターも多い。今夏中にカキ、穴子入りの『宮島物語』を発売予定。PRを強化するとともに生産性を上げ、事業の柱にしたい。人の動きが戻るまでにはまだ時間がかかるが、現在手薄な東区、南区を中心に引き続き出店していく。5年後をめどにFC含め30店体制を目指したい」

スポーツ応援談― SPORTS TALK―

経営者が語るスポーツ「愛」
チェリーゴードサービス / 源 良友 社長

府中石田学院グループで医療・福祉・介護コンサルティングサービスを手掛けています。
 南区出身で修道中・高校時代は野球部に所属し、ショートを守りました。高校2年時には1年間で1回も試合に勝てず、28連敗を経験。運動神経は良い方だと思っていましたが、そのうち4〜5試合は私のファーストへの悪送球が原因だった思います。カープ入団当初に守備が課題だった堂林選手が私自身と重なり、特に応援しています。息子と同じ年齢ということもあり、子どもを見守るような気持ちでいます。昨年は守備でファインプレーをしたり、ライトスタンドにホームランを打ったり、活躍してくれてうれしかった。今年はまだあまり活躍できていないのが残念。彼は真面目過ぎる性格で、いろんな人のアドバイスを全て受け入れてしまい、調子を崩しいやすいのではと心配している。
 昔から野球が好きで、当時応援していた江夏豊さんの〝江夏の21球〟は人生で興奮した瞬間のトップ10に入ります。直球でぐいぐい行くよりも、緩急をつけるタイプが好きで、仕事においても戦略を練るのが好きです。大学卒業後は野球部の監督をしながら教壇に立ちたいと思い、公立中学校の教師になりました。その後、企画会社やスポーツショップを経営し、現場で商売のノウハウを学びながら、1999年に(社福)FIG福祉会チェリーゴードに入り、当社設立の2005年から現職です。会社で年間指定席を6席購入しており、年に何回か球場に足を運びます。以前のように皆で声を出して応援できる日が待ち遠しい。

コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
愛着の湧く逸品

艶やかで華やか。しっとり手になじむ椀(わん)や鉢をはじめ、上から見るとしずくの形が印象的な、酒を注ぐ片口(かたくち)やちょこ。中区堀川町の仏壇通りにある仏壇店「高山清」2階ギャラリーに、4代目高山尚也さん(40)が精魂込めて仕上げた漆器約300点が並ぶ。
 もともと仏壇を展示していたが、5月に廣島漆器のギャラリーに刷新した。どこで買えるのかという声に応じ、踏み切った。尚也さんは2年前から百貨店や外部のギャラリーで漆器の個展を開くようになり、伝統工芸の展覧会などで数々の賞も獲得。店の4階に設けた工房で制作に励む。
「伝統を守ることは何より大事。加えて現代生活に合うデザインなどの工夫も大切だと思う。使う人のアイデアで自由に使っていただける漆器を目指した。普通の日を特別にしてくれる、漆器の楽しみや魅力を堪能してもらいたい」
 1619年、紀州藩主浅野長晟(ながあきら)が広島城へ入城した際、随従した職人によって漆(うるし)塗り技術が伝わった。その後、僧が持ち込んだ京都や大阪の仏壇仏具の製造技術と重なり、広島仏壇が製造されるようになった。瀬戸内海から大阪や京都へ出荷し、大正末期には全国一の産地に。熊野筆に次ぎ1978年、国の伝統的工芸品に指定された。高山清は大正2年(1913年)に塗師屋で創業。2年後に110周年を迎える。仏壇仏具の製造販売だけでなく塗師として寺院や神社の仕事も受ける。
 京都の仏教系大学に在学中に、ある工房を見学。やってみるか。親方の誘いに乗り、漆塗りを始めた。次第にのめり込み、住み込みの徒弟制度で半年間、親方の容赦のない駄目だしを受けながら、ひたすら塗り続けた。
「刷毛(はけ)で塗ったとは思えない漆の肌合いに驚いた。職人の道を目指す原点になり、刷毛を扱う圧や引っ張りなど、その手仕事の見事さに魅了された。半年ほどで〝これか〟とコツが飲み込め、3年目でようやく認めてもらえたのか、一人仕事を任された時の感動は忘れられない。いまや徒弟制度は通用しないだろうが、今の自分の基盤を築いたかけがえのない6年間だった」
 寺から依頼されて椀を修繕したことが漆器を手掛けるきっかけになった。手にして使う漆器の心地良さに、われながら感動したという。
 県内の伝統的工芸品は経済産業大臣指定が5つ、県指定は9つあったが、後継者不在で2つが取り消される。どの産地も後継者難や販路開拓が共通の課題。伝統の粋や技がいくら素晴らしく目を見張るものでも、それだけでは通用しない。市場を読む高感度のアンテナ、商品として流通させる知恵や工夫が求められており、現実から目をそむけることはできない。漆塗りや箔(はく)押しなど七匠の技が結集する広島仏壇。その技を現代にどう生かすのか、将来を切り開くヒントになりそうだ。
 しずくのような、優美な片口は木地ではなく、乾漆(漆下地に布を張り重ね型抜きした素地)によって、そのフォルムを可能にした。
「漆器は修繕が利く。日々使い続け、表面が痛めば職人が直し、また使い続ける。いわば自然循環の文化。丁寧に仕上げられた逸品は、使うことで一層愛着が湧く」
 生活に根差し、ものを大切にする心根も育むと言う。

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