広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    マツダ17代社長に就任 / 毛籠 勝弘 氏
    NEWSな人
    G7首脳メッセージの碑 市と在広14RCで比治山展望台に / 国際ロータリー2710地区 井内 康輝 ガバナー
    4月に社長就任 関東営業所を軸に顧客開拓 / 三建アクセス 宮本 洋一郎 社長
ニュース一覧
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グルメ&ナイト― GOURMET and NIGHT ―

話題のお店を取材!
ひろしまテッパン / 井辻 龍介 社長

ギョーザ皮製造の井辻食産(安佐南区)のグループで、飲食店「餃子家 龍」運営の井辻フードアンド(同)が6月30日に開いた新業態。県産の豚肉とキャベツ、ネギをふんだんに使う龍の人気メニュー「ひろしま餃子(7個、550円)」ほか、お好み焼き、ウニホーレンなどの一品料理を鉄板で焼いて提供する。お好み焼き(豚・卵・そば、980円)は県産キャベツ・豚のほか、石本農場(北広島町)の卵、井辻食産が過去に運営したラーメン店「ひろしまランメン」の麺を採用。持ち株会社の井辻龍介社長は、
「鉄板に適したギョーザの焼き方を研究し、数回に分けた差し水でもっちりした皮にする。専用のふたも開発中。鉄板で食べるギョーザのおいしさを広め、他のお好み焼き店でも当たり前にギョーザが食べられるようにしたい」
 宮島ビール、桜尾ジンソーダなど地元ゆかりのアルコールを充実。飲み会・宴会のほか、観光客の来店も見込む。生産者のこだわりを伝えたいと、畑などを訪ねるスタッフ研修を計画する。

    INFORMATION
  • ◆住所:中区袋町7-12 タナカビル2階
  • ◆電話:082-207-3915
  • ◆席数:40席
  • ◆平均予算:4000円
  • ◆営業時間:午後5〜12時
  • ※発行当時の情報となります。過去の記事につきましては、最新情報を掲載店さまにご確認ください。

スポーツ応援談― SPORTS TALK―

経営者が語るスポーツ「愛」
美和桜酒造 / 坂田 賀昭 社長

三次市三和町で日本酒「美和桜」を造っており、6月で創業100年を迎えました。当社のお酒は優勝記念や大野豊投手の引退パーティーなどで鏡開きに使われたこともあります。父がカープファンで、私が幼少の頃には広島市内にある選手行きつけの理髪店に通っていたと聞いています。水谷実雄選手と仲良くなり、会社に遊びに来てくれたこともありました。
 一番記憶に残っている試合は、赤松真人選手がスーパーキャッチを見せた横浜戦。義父や子どもたちと親子3代で外野席から観戦しており、目の前であのシーンを目撃しました。翌日の朝刊の写真に、立ち上がって叫んでいる私の姿が載っており、知人からうらやましがられました。
 2017年のリーグ優勝を決めた試合も思い出深い。流川の居酒屋で見ており、いよいよ優勝しそうだという時に店の大将が黒田博樹投手の引退記念ユニホームを貸してくれて、大勢のファンと感動を共有できました。そのままあげると言われて最初はさすがに断ったのですが、実は巨人ファンだということでありがたく頂きました。今でもその時のユニホームを着て球場に足を運んでいます。
 好きな選手は3連覇の前から田中広輔選手。好調時にはリードオフマンとしてチームを引っ張り、一時の不調を乗り越えた今季は、ここぞというところで結果を出してくれる姿が頼もしい。新井貴浩監督と共にチームを優勝に導いてほしいです。

コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
誇りが芽生える

どこに立って街の景色を眺めるのか。高い所か、低い所か、同じ街なのに、がらりと景色を変える。価値基準によって歴史の受け止め方も異なり、いままで見えなかったものが姿を現すことがある。歴史を通して広島の街をのぞくと、いままで知らなかった事実が浮かび上がってくる。
 流通大手イズミの創業者、故・山西義政さんの個人コレクションを所蔵する泉美術館(西区商工センター)で特別展「広島の記憶」が開かれている。軍都として多くの人や物資を呼び込んだ戦前期から原爆投下と敗戦を経て、1952年の平和条約発効による主権回復までをフォーカス。どのように広島の街が変貌したのか、当時を捉えた写真、資料、新聞記事、ジャーナリストのルポなどからたどる。
 当たり前にあった人々の平穏な暮らし。軍都へと突き進んだ経緯。原子爆弾で一瞬に廃墟と化した街。世界を震撼させた事実の多くは、プレスコード(GHQによる言論統制)で覆われた。特別展を企画したNPO広島写真保存活用の会代表でクリックファーム社長の松浦康高さんは、語る人が少なくなってきた広島の記憶をどのように伝えていけばよいのか、模索する。
「多くの人があまりにも知らなさすぎるように思う。軍需産業の盛んな街だから標的にされたのか、原爆の威力を試すために格好の地形を選んだのか。被爆した街、市民にとって理不尽な歴史を風化させてはならない。被爆後12年がたった広島の実態を目の当たりにした写真家の土門拳は知らされなさすぎたと吐露。その言葉が広島の記憶を集め、伝える動機になった。歴史をひもとき脳裏に刻み、感謝の念と共に後世へ引き継いでいく。広島の記憶展が少しでも役に立つことができればと願っている」
 松浦さんはイズミに23年間勤務。中区新天地に61年に開店したスーパーいずみ1号店を業態変更し、85年開業した若者向けファッションビル「ウィズワンダーランド」立ち上げに携わった。98年には西日本最大規模のゆめタウン高松の立ち上げに関わり、長崎の夢彩都オープンを見届けた後、好きな写真で独立した。もともとはカメラマン志望。現在はゆめタウン3店舗のデジタルサイネージや広報の写真を請け負う。
 46年、山西さんが広島駅前で始めた露店を起点に連結売上高7000億円(旧会計)規模に発展したイズミの50年史制作に関わったことも遠因になった。
「歴史に向き合って初めて自分の立ち位置に気付き、物事を見極めることができるようになると思う。いまはネットで素早く情報を手に入れることができる。果たして何が必要な情報なのか、自分の頭で考え、判断できる立ち位置を構える。そうしないと情報に振り回されるだけの時を過ごすことになる。歴史を知ってわが街、わが人生をより愛することができるようになるのではないでしょうか」
 イズミ50年史は戦後の広島の歴史とも重なる。年史につづられた行間から誇りも芽生えてきたという。
「革新、挑戦、スピードの三つの旗印を高々と掲げ、西日本一の流通業へ発展を遂げた軌跡は先輩から後輩へと受け継がれてきた知恵と努力の連続だったように思う」
 情報技術の便利さに依存することなく、丁寧に歴史のページをめくる探求心、根気が求められているように思う。特別展は8月27日まで。

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