広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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スポーツ応援談― SPORTS TALK―

広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。

  • 2025年9月11日号
    HAPROT / 満元 貴治 社長

    2021年に独立し、作業療法士の視点で工務店に安全な家づくりを助言する事業を展開。このほど、住宅内のケガ予防に焦点を当てて認定する住宅が全国150棟を突破し、来年までに認定棟数300棟を目指しています。
     リフレッシュ方法は広島人らしくカープ・サンフレッチェの応援で、断然「現地観戦」派です。ファン数万人が勝利という目標に向かって後押しする一体感は格別で、特にサンフレはファンクラブのプレミアム会員になり、新スタジアムにもよく足を運んでいます。現在は「見る専」ですが、元々は野球少年で、大野東中学校の軟式野球部で汗を流しました。進学先の五日市高校には軟式チームがなく、同級生と3人で「部活づくり」を決心。体育教師に頼み込んで部活動に必須の顧問を確保したほか、「道具・場所・金」不足の解決を目指して母校や近隣のバッティングセンターから不要となったボールやバットを頂いたり、高校近くの小学校の校長にアタックして運動場を借りるなど、16歳の夏休みはとにかく行動の日々でした。多くの方の協力を得た半面、若さ故の無鉄砲な行動力が裏目に出て解散するはめに。当時は納得できずに反発しましたが、経営者となった今振り返ると、目標達成へのプロセスの甘さなどを痛感しますね。しかし、情熱を持って取り組んだ経験はかけがえのない財産ですし、あの頃に自分に「今度はやり遂げたよ」と胸が張れるよう、事業の発展に全力投球する覚悟です。

  • 2025年9月4日号
    広島県 スポーツコミッション 担当課長 / 藤井 剛

    スポーツの力は多彩で大きく、幼児から働く人、子育て世代、高齢者、障害者まで、誰もがスポーツを楽しめる社会の実現が地域を活性化させる。
     2020年にはトッププロや実業団、パラスポーツなど25チームが参加する振興組織「スポーツアクティベーションひろしま」を結成し、競技の枠を超えた応援プロジェクト「チームウィッシュ」を展開。人材育成・確保、ナレッジ、資金、地元認知の4点が共通課題となっており、研修会でノウハウを共有しながら課題解決を図っている。スポーツ関係学科のある県内4大学と連携して若者の視点を取り込みつつ、学生の学びやキャリア形成にもつなげたい。試合来場者へのアンケート結果から競技未経験者の来場も多く、観戦の楽しさを周知すること、〝推し〟選手をつくってもらうことが大切だと分かった。今後、広報展開していく。広島テレビの女性アスリート支援「ウィサポ」への協力など、外部連携も積極化。「わがまちスポーツ」という補助事業では11市町のにぎわい創出の取り組みをサポートし、国際・全国大会の誘致やスポーツを通じたまちおこしにつながった。
     昨年4月に現職に就いてから、25チームのうち大半を観戦。こんなに多くの魅力的なチームがあるのかと驚いた。広島は赤や紫色のレプリカユニホームを着て家を出る光景が当たり前。皆で応援する文化は貴重だと実感すると同時に、オレンジ、緑…と一層カラフルになっていくよう願う。

  • 2025年8月28日号
    塩田睦大コンサルティング事務所 / 塩田 睦大 代表

    不動産鑑定士と中小企業診断士の二つの資格を持ち、カープのペルドモさんのように二刀流で頑張っている。私の人生はカープそのもの。東京出身で親の影響は受けていないので、生まれる前からカープファンだと自称している。幼少期から周りが引くほどカープの素晴らしさを熱弁。東京でも電波を遮る高い建物が少なく広島のラジオ局を聴けたので、勝つと大喜び、負けるとラジオを壊して叱られたものだ。
     資格取得でもカープの考えを生かした。勝つ方法は打つだけでなく四球や盗塁でもよく、勝利に徹した古葉監督の効率的な野球が好きだ。勉強に置き換え、苦手な暗記ではなく、効率性や重点の理解に集中して応用力を高め、合格を勝ち取った。
     転機は2007年。前田智徳さんの2000本安打を観るために広島を訪ねると、街がカープにあふれ、ここに住みたいと思った。11年に念願の「カープ移住」を果たした。
     中小企業診断協会では「カープを科学する研究会」に所属。資源の限られる中で知恵を使った独自の球団経営を科学的に解き明かし、その成果を中小企業経営の支援に役立てている。
     今でもカープの監督になりたいと公言している。頭がおかしいと思われるが、東京で生まれてずっとカープファンで、移住してしまう時点でおかしい。部外者だからこそできる分析がある。もちろん二軍監督や戦術支援でもありがたい。オファーが来たら、カープの勝利に全てを捧げる覚悟でいる。

  • 2025年8月21日号
    観音新町運動広場 / 加藤 聡一郎 責任者

    今年3月、西飛行場跡にオープンした「内外工業いくえい会観音新町運動広場」を運営する指定管理の共同企業体「西区スポーツパートナーズ」で責任者をしています。代表企業のシンコースポーツ中国社員で、これまで東広島運動公園、県立びんご運動公園などで施設・トレーニングルーム運営などを担当。広島市温品福祉センターでは、シニア向けトレーニングマシンを導入。海田町福祉センターでは、企画した子ども向け水泳教室が好評でした。
     観音新町運動広場のグラウンドは180×185メートルあり、少年野球やソフトボールは4面、サッカーは2面利用でき、負荷に強いロングパイル人工芝、簡易照明、駐車場167台、大型バス10台分などを備えています。県内でグラウンドが少なく、練習場の確保が難しいとの声もあり、土、日曜と平日の午後5時以降は90%以上の稼働率です。少年ソフトボール、サッカー大会のほか、7月20日にはエフドゥと誘致したフットサルのエグザイルカップを開催しました。個人参加できるシニア向けサッカーや、高校サッカー部OBによる「(仮称)卒業生カップ」開催の構想もあります。
     祇園北高時代は野球部に所属していました。広島工業大学時代には3年間、マツダスタジアムで入場受付などのアルバイトをし、4年時の2016年にカープが優勝しました。子どもの頃はロペスなど外国人選手のファンで、家族で旧市民球場に行き観戦したのが懐かしいですね。

  • 2025年8月7日号
    (合同)ほこり / 西渕 絵美 代表

    小学校から高校までバレーボールに打ち込み、大学でも続けるつもりで2014年に大阪体育大学に入学しました。しかし、入ったのは女子軟式野球部。私の人生はカープに、いや、大瀬良大地投手に変えられたのです。
     きっかけは13年秋のプロ野球ドラフト会議。3球団競合の末、カープは大瀬良投手を1位指名しました。それまで特に野球に興味はありませんでしたが、報道で大瀬良投手を見て格好良い顔に一目ぼれ。家族とのエピソードなどを調べるうちに人柄も好きになり、のめり込みました。しかし、プレーの話になると知識がなくさっぱり。野球の苦楽を理解して、ミーハーなカープ女子を脱却したいと、大学で野球への挑戦を決意しました。
     バレーの経験から俊敏性と落下地点の予測に長けていたようで、外野手として精進。全国大会にも出場しました。卒業後は広島市内で就職し、社会人野球サークルに参加。21年にはチームの代表の紹介で、現在執行役員を務める清掃業のSanDENへ入社し、24年に同社の出資を受けて寝具清掃の「ほこり」の起業に至りました。また同年、チームメイトと結婚。大瀬良投手が私と野球をつないでくれたおかげで、今の人生があります。現在は年に約15試合をマツダスタジアムで観戦。もちろん背番号14のユニホームを着て行きます。
     夢は大瀬良投手とのキャッチボール。頑張っていれば実現すると信じ、野球にも仕事にも打ち込み続けます。

  • 2025年7月31日号
    グランドランドAZ / 大坪 智範 社長

    前職のマツダではエンジニアとしてコックピット回りの開発に従事。その延長線で人と機械、さらに生活の関係をより良くしたいと、家具・家電のリースサブスク事業を2021年に立ち上げました。商品は全て新品で、新生活などライフステージに変化が起きている人たちに受け入れられています。
     旧市民球場のバックスクリーンのスコアボードが手書きだったのを覚えている人たちもいるのではないでしょうか。そのCマークや選手名、点数を書いていたのは、私の父です。1辺1.5メートル以上の大きなボードに、感覚だけで正確に書いており、私はしょっちゅう作業場で文字の色塗りを手伝っていました。ある日、父親から試合中にボードの入れ替えをやってみないかと声をかけられた。バックスクリーンの中は真っ暗で狭く、風が通らずかなり暑かったですね。ですがボードのすき間から見える世界は別格。カクテル光線の中で球場全体が見渡せ、選手一人一人が輝いて見える特等席でした。昔の写真を見ると分かりますが、少しボードが傾いているのは、私のような人がいたからです。私が大学生の時にとうとう電光掲示板へと切り替わりましたが、近代的になったという反面、父の字を名残惜しく感じました。
     現在はすっかりテレビ観戦がメイン。連敗が多くなり手探り状態だと思います。だからこそ新井監督がイメージする理想の野球を追求してもらいたい。そこにはきっと新たなカープ野球があるのではと期待しています。

  • 2025年7月24日号
    ビー・スマイル / 秋田 成人 社長

    当社は広島ガスグループの介護部門として、認知症対応の介護施設「ケアセンター宇品」(南区宇品神田)を運営。6月に社長に就きました。
     江田島市出身で、小学校2年生の時カープが初優勝。その瞬間を一緒にテレビ観戦した父は、私の前で初めて涙を流し、野球はこんなにも人の心を動かすものなのだと実感しましたね。国泰寺高校で野球を始め、広島修道大学では準硬式野球部の投手。当時はアルバイトで市民球場のボールボーイも務め、スター選手のプレーを特等席で見ている気分でした。記念にと受けたカープのプロテストでは、最終の3人に残ったこともちょっとした自慢です(笑)。
     広島ガスに入社後は軟式野球部でプレーし、天皇賜杯の全国大会なども経験しました。そのほか、出身校別に同窓会チームを結成し全国を目指す「マスターズ甲子園」にも注力。実は我が母校は1949年春の選抜大会出場が内定していたものの、学制改革で幻に終わりました。ぜひ先輩たちにマスターズで夢の続きをと意気込み、決勝に進んだ2007年も広島工OBに惜敗。そこで、当時のエースで広島信用金庫元理事長の故・田村鋭治さんをぜひ甲子園のマウンドに立たせてほしいと事務局に嘆願したところ、終球式が実現。憧れ続けた場所に、手が届いた瞬間です。
     当施設の利用者さまもカープが勝つとはつらつとしており、元気の源であると痛感。1試合でも多く勝ち星を積み、市民に笑顔を届けてほしい。

  • 2025年7月17日号
    ヒロコン / 大杉 拓 専務

    安佐南区に本社を置き、製造業などに向けたハード・ソフトウエア開発を行っている。広島出身なので、物心ついた頃から当然のようにカープを応援。小学生の頃はソフトボールをしていて、山本浩二さんや衣笠祥雄さんに憧れていた。1シーズンに5〜6回は市民球場に連れて行ってもらい、ヤジを飛ばすおじさんたちの姿が原風景として残っている。自分も解説者気取りで家族や友達とやんやと言い合うのが楽しかった。
     20代の頃、自身の誕生日の日付と同じ24が背番号の大野豊投手に縁を感じ、好きになった。ギューッと沈み込む特徴的な投法はもとより、軟式出身でドラフト外、元銀行マンから成り上がっていった人生も含めてかっこいい。40代まで現役を貫き、引退試合の1イニングで140キロ以上を投げて会場をどよめかせたシーンは今でも印象に残っている。自分もいつまでもひたむきな精神を持ち続けたいと思わせられる。
     しばらく優勝から遠ざかっていたが、今年は良いところまで来ている。困った時にホームランを打ってくれる、鈴木誠也のような生え抜きのスターが出てきてくれるとうれしい。特に末包選手に注目。しっかりと体のメンテナンスをして、プレッシャーを感じすぎず、のびのびとやってもらえれば。自動車関税などトランプ政権の影響が地場産業に影を落としている今こそ、カープに頑張って優勝してもらい、スカッとさせてもらいたい。

  • 2025年7月10日号
    Tim(ティム) / 石丸 大樹 代表

    県内のIT機器商社での法人営業などを経て3年前に独立。個人、法人向けに意識変革や目標の設定・達成を支援するコーチング業を営んでいます。
     呉市出身で、小学から高校まで野球部に所属し、以前の会社でも軟式野球部でプレーしていました。小学生の頃には旧市民球場にも行きましたが、一番の思い出は呉の二河球場で年に一度だけ開催される公式戦。野村、正田、江藤、金本選手らが並ぶ破壊力抜群の打線が魅力で、応援歌を歌うのも楽しかった記憶があります。また私はピッチャーだったので、同じ右投げの紀藤、山内投手、左では大野投手のマウンド姿も印象的。野球雑誌の連続写真をフォームの参考にしていました。
     最近は現地よりもテレビ観戦派。投手と打者の細かな表情の変化や駆け引き、バッテリーの配球の意図などを読み取りながら試合を見るのが楽しいです。
     商社の野球部では兼任監督を務めたこともあります。甲子園を経験したメンバーがいたり、会社から部費の補助が出たりと恵まれた環境だった半面、それをプレッシャーに感じてしまい選手との相互理解が不足していたのが反省点。現在のコーチング業では目標を押しつけるのではなく、対話を通じて相手の理想を言語化し、行動計画を立ててもらえるよう心掛けています。
     そういった点では、新井監督は自身の若い頃の苦労を基に、選手の気持ちにしっかり寄り添っていると感じます。見習いたいですね。

  • 2025年7月3日号
    シンクロニシティ / 岡本 奈美 社長

    1993年、Jリーグ開幕。私の価値観に大きく影響する出来事でした。走りに走って果敢に攻める。そんなサンフレの闘志や場内が熱に包まれる光景に感動し、同チームに関わる仕事がしたいと願うようになりました。
     ただ、そうした仕事はなかなか無く、一般就職。しかし最近になって、夢の実現がぐっと近づいてきたのです。私は2021年12月にキャリアコンサルで起業し、再就職を希望する女性向けの無料相談窓口「女性のキャリア応援コーナー」の運営を広島県から受託。そんな縁から23年の「わたしごとフェスタ広島」ではサンフレの女子チーム・レジーナの選手3人と対談する機会に恵まれ、皆さんの真っすぐな生き方に感銘を受けました。昨年は新スタジアム・エディオンピースウイング広島で女性再就職のための合同企業説明会を開催。
     今年6月からはサンフレなどが主催するスポーツビジネス実践プログラム「広島スポーツブリッジ」に個人的に参加しています。学びの場としてはもちろんのこと、チームの経営陣に直接提案できる可能性もあり、例えばサンフレが掲げる売上高100億円(前期80億円)の達成に向けたアイデアなどを構想中。やはり、全国に誇れる新スタジアムを地域のにぎわい創出拠点にすることが重要ではないでしょうか。
     単に好きだったあの頃と違い、今の私には経営者としての経験がある。サンフレがビッグクラブへと飛躍する一助になれば、この上ない幸せです。

  • 2025年6月26日号
    (社)ライフステージ / 大瀬戸 亮平 代表理事

    出身地の安佐北区安佐町で高齢者向け体操教室や、野球経験を生かして中学生の硬式野球チーム、社会人女子硬式野球チームを運営しています。
     小学3年で競技を始め、中学は軟式チーム「広島グリーンファイターズ」で腕を磨きました。ポジションは投手で3年時には120キロ台後半の直球を武器にエースとして奮闘。進学時に複数校から声を掛けていただき、縁あって広陵高校に入学。さまざまな事情で軟式野球部に所属しましたが、良き仲間と充実の日々を過ごしました。
     高校の同級生には2003年春の甲子園優勝バッテリーの西村健太朗(元巨人投手)と白濱裕太(元カープ捕手、現スコアラー)がいて2、3年時は同じクラスに。二人とも真面目な性格で、部活だけでなく学業も手を抜かない。日々の厳しい練習でヘトヘトのはずなのに、定期試験はクラス上位の成績でしたね。遊びも真剣。冬に雪合戦をした時に、私の投げた雪球がフランケン(西村)の太ももに直撃し、腹を立てて投げ返してきた彼の剛速球がめちゃくちゃ痛かったのを覚えています(笑)。彼らがドラフト上位指名された時にクラス全体で大いに祝福したのはいい思い出ですし、私の結婚式で白濱からもらったカープ選手のサインの寄せ書きは家宝です。
     幼い頃は球場によく足を運びましたが、今はスマホアプリでの速報確認がメイン。指導者の立場になると試合の見方も変わりますね。ひたむきに1勝を重ね、頂点を目指してほしい。

  • 2025年6月19日号
    おけいこドットコム  / 湊 容子 社長

    カープを語るとき、愛してやまない尊敬する父の存在が欠かせません。試合中継のある日のテレビは、父の占有物に。ひざに座らせてもらい一緒に観戦していました。敗戦が色濃くなり機嫌も悪くなり出すと、怖くなってさっと2階に上がっていましたね。
     父の勤める会社が旧市民球場のバックネット裏に指定席を持っており、球場にも頻繁に連れて行ってもらいました。観戦に行くと、近くにお店のあったケンタッキーと、カープうどんを買ってもらえるので、すごく良い思い出。もちろん試合も楽しんでいました。忘れられないのは、西田さんの乱闘。貧乏・弱小のカープ選手が相手チームに果敢に挑む姿に球場が沸き立ち、私も子どもながらに「やれやれ」とあおっていたのを覚えています。ちなみに、いつも隣で激しくやじる父の姿を見ていたため、私は今でもついついやじっています(笑)。
     特定の選手ではなくチームが好きで応援しています。しかし子どもの頃、唯一好きだったのが巨人の王貞治さん。長嶋さんのようなスター性があったわけではなく、努力の姿勢に魅力を感じていました。この事実はカープ狂の父に、もちろん言えず。禁じられた関係でした(笑)。それから月日がたち、数年前に闘病中だった父に伝えると、笑って許してくれました。
     父は昨年末に他界。母は今も父の写真と一緒に中継を見ているようです。父とカープは、私たちにとって切っても切れない関係にあります。