広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
7月21日開催の「八幡川リバーマラソン」の事務局を担当。1984年に始まり41回目(大雨やコロナでの中止含む)ですが、経費の高騰やスタッフの高齢化のため今年で最後になります。6月21日まで募集し、24日時点で個人523人、リレー(6人1組)21チームの計649人が参加予定。2020〜23年はコロナと大雨で中止となり5年ぶりの開催ですが、前回19年の計487人を大幅に上回りました。「今まで出てみたかったが、最後の大会なので参加する」など思い入れのある人も多いですね。
大会に向け2月に事前会議、4〜7月に大会委員会、実行委員会、競技部会、救護班会議などを開き、当日は受付、コース管理など市職員とボランティア約150人がサポートします。
地元出身で五日市東小学校の時に、リバーマラソンに出場。普段経験しない「川の中を走った記憶」は今も鮮明です。世界選手権メダリストの為末大さんも小学生の時に連覇するなど、人気の大会でした。大会が終了するのは寂しいですが、「最後を飾るいい大会にしよう」と準備しています。明治大学を卒業し、18年に市役所入り。市教委、南区役所を経て現職。まちづくり百人委員会の部会長会議や五日市港の客船寄港時のおもてなしなども担当。19年の最後のひろしま国際平和マラソンでは5㌔の部で上位に。八幡川沿いで5㌔のジョギングを続け、岡山のそうじゃ吉備路マラソン(5㌔)の出場を考えています。
小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、野球に興味を抱いた。35歳で独立し、雑誌やフリーペーパーなどでカープ関連記事を執筆している。
最近で特に印象深いのは、本誌のカープサンフレッチェ特集(2023年3月30日号)の新井貴浩監督への取材。就任してすぐの沖縄・春季キャンプ中に、組織づくりや選手育成など新井流の「リーダーシップ論」をテーマに話を聞いた。当初は「自身の監督像」を模索しており、その答えが出ないままキャンプ入り。しかし、その中で「自分が感じたまま、選手にうそをつかず、取り繕わず、真っ正面から自分の言葉を伝える」ことを決心したそう。その背景には「選手は将棋の駒ではない、感情がある生身の人間だ」という思いがある。都度モチベーションを高める声掛けをし、選手の特長を引き出す。この姿勢に、現役時代に人一倍努力し、さまざまな苦境を乗り越えて一流に上り詰めた彼の信念を感じた。選手も若手・ベテランやスタメン・途中出場に関係なく、与えられた場で自身の役割を自覚し、起用に応える活躍を見せている。これが下馬評を覆し、昨季(リーグ2位)〜今季の躍進要因だと確信している。
交流戦を貯金2で乗り切り、夏場のペナントレース後半戦に入る。終盤の疲労がたまる時期に、リーグ優勝へのいくつかのターニングポイントを迎えるだろう。その際、彼の言葉や采配がいかにチームを底上げするのか。一試合、一場面たりとも目が離せない。
広島ドラゴンフライズの立ち上げから10年間にわたり、取材や実況を担当。優勝の瞬間は横浜アリーナの記者席で迎えた。観客が数百人しかいなかったり、チーム存続が危ぶまれるような危機もあったりした中で想像もできなかった快挙だ。
特にこの数カ月のチームの成長は目を見張るものがあった。開幕当初は10月末時点で3勝6敗と負けが先行し降格を危惧するファンもいるほどだったが、3月に寺嶋選手がけがで離脱した後、ルーキーの中村選手が敵のエースポイントガードと対戦する中でめきめき成長。全員の守備の連携も日に日に良くなっていった。
特に印象深いのは実況を担当した5月5日、朝山選手の3ポイントシュート。会場の鳴りやまない歓声を伝えたいと、しばらく声を出さなかった。同選手とは長い付き合いで、事あるごとにチームやバスケのあるべき姿を話した。その現役最後の得点に立ち会えたことは本当に感慨深い。
ルールが難しく敷居が高いと思われがちだが、選手がコートの中でどんな役割を果たそうとしているか注目しながら観戦すると一層楽しめるのでは。実況では敵チーム含め全選手にキャッチフレーズを付けるなど初心者にも分かりやすい説明を心掛けている。
2年連続のチャンピオンシップ(CS)出場、そして初優勝を果たし、強豪として存在感が増してきた。強みの堅固なディフェンスを維持し、来季もCS出場を実現してほしい。
吉島屋内プールは昨年9月に中区南吉島1丁目に移転新築オープン。総事業費約12億円で、敷地2051平方メートルに2階建て延べ1579平方メートルを建設。1階に25メートル×4コース、16×7メートル、6×4メートルのプール、2階に観覧場、多目的室2室などを備えています。従来の初級、経験者向けなどの水泳教室のほか、プールに浮かべたボード上で行う「水中ヨガ」、新設の多目的室で行う「青竹&ボール」などの新講座も開設。3月は前年比6%増の4163人、4月は3%増の3726人の利用があり、2024年度は5万5500人を目標にしています。
中・高・大学で陸上部に所属。観音高校時代に走り幅跳びのインターハイ県予選で2位に。日体大に進学し、同級生には後に五輪メダリストになった有森裕子さんがいます。1989年に当時の広島市体育振興事業団入り。94年の広島アジア大会では広域公園で公式テニスの施設運営を手伝い、96年の広島国体では、東区スポーツセンターでバスケットボールの施設運営を担当。前勤務先の中区スポーツセンターは、女子ハンドボールのイズミメイプルレッズが練習や試合を行っており、選手と話す機会もあって応援しています。
カープ観戦もマツダスタジアムに年に数回行きます。選手では津田恒実投手のファンでした。弱気を見せず、気持ちを前面に出す投球が好きでした。14番を継承した大瀬良大地投手も応援しています。
1952年創業で、中区河原町の実家兼事務所で掛け軸・額・びょうぶの製造と修復を行っています。国重要文化財の壁面やふすまなどの修復も手掛けており、過去には出雲大社の修復に携わったことも。現在は父親と二人体制で、私は3代目となります。
小学校時代に地元のソフトボールクラブ、中学では野球部に所属し、当時の守備位置だったショートにとてつもない愛着を持っていました。守備が達者で内野の要であり、広角に打てて足が速いという印象から9ポジションの中で最も輝いて見えた。そのため、高橋慶彦選手は私にとってヒーローでした。当時はお金がなかったので8回表から入場し、週1回ペースで観戦。そんな中、チケットを握りしめながら月2回ほど家族と球場へ足を運び、大好きなカープうどんを食べることが何よりの楽しみでした。市民球場で忘れもしない試合は、衣笠選手が世界最多記録の2131試合連続出場を果たした87年6月13日。この日を狙って入場券を購入し、友人と観戦したその試合は満員で、これまでに経験したことのない熱気と歓声に包まれていたのを覚えています。
最近では、〝忍者守備〟といわれるショート・矢野雅哉選手に注目。即座に一塁へ送球する離れ技を連発するなど菊池選手と互角の実力になり、打撃も徐々に上向いていると感じます。本業で慌ただしい日々ですが、見逃し配信で試合結果は欠かさずチェック。鬼門・交流戦の様子も目が離せない。
袋町公園のそばでアロマキャンドル専門店を運営。ワークショップは年間で計約1万人にご利用いただいています。予約なしで参加できるため、観光客にも人気です。25歳で上京し、長らく地元を離れていましたが、好きなことにチャレンジしたいと2020年に帰広。カープが大好きなことも戻る理由の一つになりました。
東京時代は神宮や名古屋など、多い時で週1回は球場で観戦。逆に広島ではチケットが人気で取りにくいので頻度が減ってしまっています。その分試合がいつでも見られるよう、店舗にはテレビモニターを設置。ガラス越しに外からも見えるため、経過が気になる方が入店するきっかけになることも。昨年は元カープのターリー投手が外からのぞいていたため、中に入ってもらい一緒に試合観戦。堂林選手が今永投手からホームランを打ったのを見届けると満足げな表情で去って行きました。今年は開幕後にDeNAの度会選手、5月中旬にはカープのシャイナー選手が来店。シャイナー選手がキャンドル作りをしている間に急いでユニホームを買いに行き、無事にサインしてもらいました。福屋とそごうで売り切れだったため、球場まで走ったことを伝えると、なんと開幕戦で使ったバットをプレゼントしてくれ、とても感動しました。早く1軍復帰して活躍してもらいたいですね。
西風新都の本社工場で、発電所や化学プラントなどの建設・保全に必要な「熱処理」を専門に手掛けており、6月に設立50周年を迎えます。
野球少年だったので、カープのジュニア会員になり、友人と旧市民球場に通っていました。当時は1979、80年に連続日本一に輝くなど、赤ヘル旋風の絶頂期。中心だった山本浩二・衣笠両選手の姿が今も強く印象に残っています。私は広島商業高〜広島経済大まで野球を続けたこともあって忙しく、その頃からは球場に足を運ぶ機会が少なくなりました。今はビール片手のテレビ観戦がもっぱらですが、4月21日の広島市信用組合スポンサードゲームは現地観戦。山本明弘理事長の豪快な始球式に感服しました。
会社でも統括部長として私を支えてくれている妻は、菊池選手の大ファン。守備や走塁はもちろんのこと、あれだけ小柄な体にも関わらず本塁打が打てるのは、私から見てもすごいと感じます。ちなみに妻はプレーだけでなく、先輩でも容赦なくいじるなど、ちゃめっ気のある性格も含めてお気に入りのようです。
当社は全国の電力会社などと取引があるので出張も多いのですが、社員はカープの遠征に合わせて出張の日程を組んだり、社内のカープ女子が集まってマツダスタジアムに行ったりと、野球観戦をモチベーション向上やコミュニケーション促進につなげているようです。もしパーティー席のチケットが取れれば、全員で楽しみたいですね。
西区商工センターに本社を構え、飲食店運営や経営コンサル、補助金申請支援サービスを手掛けています。
呉市出身で、幼い頃からカープが生活の一部。中・高校生になると年間指定席を利用し、いとこと月に数回は旧市民球場に足を運んでいました。当時は万年Bクラスの暗黒期。前田智徳さんや緒方孝市さんらベテランの奮闘で先制しても、中継ぎ陣が踏ん張れずに逆転されるなんてことが日常茶飯事の歯がゆいチーム状況でした。そんな中で勝利した時の喜びはひとしお。この興奮を味わいたくて、のめり込んでいたのかもしれませんね。
その頃の推しは〝左の代打の神様〟浅井樹さん。得点機で登場し、一打で仕留める姿はどんなスター選手よりもかっこよかった。同級生の間で携帯電話に浅井さんのステッカーを貼っていたのは僕くらいでした。
社会に出た今も、カープは元気の源です。特に印象深いのは2017年7月7日ヤクルト戦の〝七夕の奇跡〟。5点を追う9回表にベテラン・若手選手がひとつになって最後まで諦めずにつなぎ、新井貴浩さんの3ランホームランで逆転勝利したシーンに胸を打たれました。仕事で行き詰まった時などにユーチューブで映像を見返すことで、自らを奮い立たせています。
そんな新井監督がチームを率いて2季目。打撃陣が苦しむ中、投手陣の踏ん張りでなんとか上位争いに食い込んでいます。ファンの力で後押しし、新井さんの胴上げを見たいですね。
美容師として10年以上勤めた経験や知見を生かし、佐伯区皆賀の複合型コミュニティー施設「ミナガルテン」内と中区本川町にサロンを設け、ヘッドスパや小顔矯正を行っています。
廿日市市出身で、カープには地元の子ども会で観戦に行くなど幼い頃からなじみがあったものの、好印象はありませんでした。実は、我が家でのテレビのチャンネル権は常に父親が握っており、シーズン中はカープ中継が映ってばかりで正直うんざりしていたから。成人した後にとある大ファンの影響を受け、ラジオ中継まで聞くようになるなどいつの間にか私も好きになっていました。
チケットがなかなか取れない状況だった約5年前のカープ黄金期、なんとか入場券を入手し、当時小学校高学年だった息子と念願のマツダスタジアムデビュー。球場に行くと絶対に選手からサインをもらえると思っていた息子は、野球ボールをしっかり握りしめながら試合終了後もフィールドを見つめ、「まだサインをもらってない」となかなか帰ろうとせず、なだめるのに一苦労したのも良い思い出です。
今年入会したレディース会員のチケット特典(年間20試合内野自由席入場無料)を利用し、今季も息子や妹などと球場へ足を運ぶ予定です。本業は1人体制なので大忙しですが、今後は一緒に働く仲間を増やしたい。時間ができたら、大好きな新井監督を目当てに、いつか息子と日南キャンプに行くことが目標です。
2022年5月に設立し、ウェブメディア「まるっと転職」や「メルズジョブ」などを運営しています。転職サイトの比較情報などを掲載するだけでなく、多様な働き方やキャリアのモデル事例を知ってもらおうと、3月に(社)キャリアビジョン協会を設立。インタビュー記事の公開を始めました。
それもあって、カープ応援の際は球団の人材マネジメント手法が気になります。選手獲得と育成の手法には見習うべきことが多い。9人のスカウトが全国各地で選手の人柄や野球に打ち込む姿勢をじっくりと見て、監督からもよく話を聞く。その結果、アマチュアで活躍した選手ではなく将来性に懸けた指名も多く見られます。例えば12年のドラフト2位で入団し、現在は米国カブスで活躍する鈴木誠也選手は、甲子園出場経験がありません。高校では投手でしたが、カープは打者としての潜在能力を評価したそうです。走り方と立ち姿から素質を見抜いたという逸話もあるとか。驚かされます。また入団後も指導者がやらせる練習だけでなく、各選手の自主性を重んじている点も特徴的ですね。
新井監督もプロ入り前は無名選手だったものの、持ち前のがむしゃらさで才能を伸ばして活躍した実績があり、周囲が自然と協力したくなる人柄なのでしょう。チーム全体から良い雰囲気を感じます。堂林翔太選手が成績低迷にもめげずに努力を重ねて選手会長を務め、好調な打撃でスタートを切ったのも新井さん効果かもしれません。
サッカースタジアムの開業を祝して2月、「春の特別ラン展」を開催しました。新スタジアムの模型の周りにサンフレッチェカラーの紫色のモカラの切花を配したほか、サンフレッチェ優勝時の横断幕コーナーや、南米・欧州などサッカー大国のランを集めたコーナーも設置。「復興の歴史とサッカー」と題したパネル展示も行いました。サンフレッチェの森﨑浩司アンバサダーを招き、トークショーやサッカー体験イベントも開催。遺伝子組み換え技術を使った青色のコチョウランなど珍しい品種も含め、約500種類、4000鉢、20万輪のランで一足早い春を演出しました。
愛媛県今治市の大三島出身で、鳥取大学農学部を卒業し、広島市役所入り。市農林振興センターや安佐北区役所農林課などで勤務し、退職後の22年4月から現職。20〜40歳代は瑞穂ハイランドなどでスキーを楽しみ、45歳からゴルフをしており、カープ観戦にも行っています。サンフレッチェでは日本代表だった駒野友一選手が印象深いですね。
植物公園では毎年タイムリーな特別展を開催。カープ関連では、赤いキンギョソウやサルビアなどで鯉を描いた花絵を展示したこともあります。そのほか、球団とコラボレーションした南米原産の世界最大の水草「オオオニバス」に乗ったカープ坊や、花言葉が「勝利」のナスタチウムをバット代わりに持ったカープ坊やのTシャツなどを売店で販売しています。
今年1月、主に個人や中小事業者のクラウドシステム導入を支援する会社を起こしました。大手IT企業で豊富な経験を持つ夫と協力し、コスト削減やセキュリティー向上につながるサービスを提供します。
Jリーグ発足の頃からサンフレッチェを応援しています。夫の職場が広域公園に近かったことがきっかけで観戦し、気付けばホーム戦だけでなく、神戸や大阪などアウェーにも家族で足を運ぶほどに。息子2人が小さい頃は夏休みに吉田町の練習場へ行き、当時の森保一監督のサインを頂いたのが良い思い出です。現在のチームでは広島出身の野津田・川村両選手を応援。地方クラブが盛り上がるためには彼らの活躍が不可欠だと思います。またベテラン青山選手も、シーズンのここぞという場面で力を発揮してもらいたい。
最も印象的なシーズンは、初めてJ2で過ごした2003年。終盤に昇格2枠をサンフレ含む3チームが激しく争い、ライバル新潟との直接対決では退場者を出しながらも、なんとか先制点を守り切ってJ1復帰をたぐり寄せました。あの試合で感じたハラハラ感は忘れられません。
もちろん新スタジアムでも観戦済み。母親の目線でありがたいと感じるのはコンコースの施設の充実です。天候や試合展開によってはぐずってしまう子どもでも、新スタはショップなど多くのコンテンツがあり飽きずに楽しめます。サッカー観戦未経験の人も、きっとはまると思いますよ。