広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
1993年、Jリーグ開幕。私の価値観に大きく影響する出来事でした。走りに走って果敢に攻める。そんなサンフレの闘志や場内が熱に包まれる光景に感動し、同チームに関わる仕事がしたいと願うようになりました。
ただ、そうした仕事はなかなか無く、一般就職。しかし最近になって、夢の実現がぐっと近づいてきたのです。私は2021年12月にキャリアコンサルで起業し、再就職を希望する女性向けの無料相談窓口「女性のキャリア応援コーナー」の運営を広島県から受託。そんな縁から23年の「わたしごとフェスタ広島」ではサンフレの女子チーム・レジーナの選手3人と対談する機会に恵まれ、皆さんの真っすぐな生き方に感銘を受けました。昨年は新スタジアム・エディオンピースウイング広島で女性再就職のための合同企業説明会を開催。
今年6月からはサンフレなどが主催するスポーツビジネス実践プログラム「広島スポーツブリッジ」に個人的に参加しています。学びの場としてはもちろんのこと、チームの経営陣に直接提案できる可能性もあり、例えばサンフレが掲げる売上高100億円(前期80億円)の達成に向けたアイデアなどを構想中。やはり、全国に誇れる新スタジアムを地域のにぎわい創出拠点にすることが重要ではないでしょうか。
単に好きだったあの頃と違い、今の私には経営者としての経験がある。サンフレがビッグクラブへと飛躍する一助になれば、この上ない幸せです。
出身地の安佐北区安佐町で高齢者向け体操教室や、野球経験を生かして中学生の硬式野球チーム、社会人女子硬式野球チームを運営しています。
小学3年で競技を始め、中学は軟式チーム「広島グリーンファイターズ」で腕を磨きました。ポジションは投手で3年時には120キロ台後半の直球を武器にエースとして奮闘。進学時に複数校から声を掛けていただき、縁あって広陵高校に入学。さまざまな事情で軟式野球部に所属しましたが、良き仲間と充実の日々を過ごしました。
高校の同級生には2003年春の甲子園優勝バッテリーの西村健太朗(元巨人投手)と白濱裕太(元カープ捕手、現スコアラー)がいて2、3年時は同じクラスに。二人とも真面目な性格で、部活だけでなく学業も手を抜かない。日々の厳しい練習でヘトヘトのはずなのに、定期試験はクラス上位の成績でしたね。遊びも真剣。冬に雪合戦をした時に、私の投げた雪球がフランケン(西村)の太ももに直撃し、腹を立てて投げ返してきた彼の剛速球がめちゃくちゃ痛かったのを覚えています(笑)。彼らがドラフト上位指名された時にクラス全体で大いに祝福したのはいい思い出ですし、私の結婚式で白濱からもらったカープ選手のサインの寄せ書きは家宝です。
幼い頃は球場によく足を運びましたが、今はスマホアプリでの速報確認がメイン。指導者の立場になると試合の見方も変わりますね。ひたむきに1勝を重ね、頂点を目指してほしい。
カープを語るとき、愛してやまない尊敬する父の存在が欠かせません。試合中継のある日のテレビは、父の占有物に。ひざに座らせてもらい一緒に観戦していました。敗戦が色濃くなり機嫌も悪くなり出すと、怖くなってさっと2階に上がっていましたね。
父の勤める会社が旧市民球場のバックネット裏に指定席を持っており、球場にも頻繁に連れて行ってもらいました。観戦に行くと、近くにお店のあったケンタッキーと、カープうどんを買ってもらえるので、すごく良い思い出。もちろん試合も楽しんでいました。忘れられないのは、西田さんの乱闘。貧乏・弱小のカープ選手が相手チームに果敢に挑む姿に球場が沸き立ち、私も子どもながらに「やれやれ」とあおっていたのを覚えています。ちなみに、いつも隣で激しくやじる父の姿を見ていたため、私は今でもついついやじっています(笑)。
特定の選手ではなくチームが好きで応援しています。しかし子どもの頃、唯一好きだったのが巨人の王貞治さん。長嶋さんのようなスター性があったわけではなく、努力の姿勢に魅力を感じていました。この事実はカープ狂の父に、もちろん言えず。禁じられた関係でした(笑)。それから月日がたち、数年前に闘病中だった父に伝えると、笑って許してくれました。
父は昨年末に他界。母は今も父の写真と一緒に中継を見ているようです。父とカープは、私たちにとって切っても切れない関係にあります。
2023年に大手外資系製薬会社を退職して独立し、水回りなどのコーティング施工を手掛けています。3月、抗酸化・還元作用を持つ植物触媒コーティング剤「HP cure(エイチピーキュア)」の取り扱いを開始。有害化学物質の低減や消臭、抗菌作用もあり、主に分譲住宅の販売業者などへ採用を提案しています。
兵庫県の播州地方出身で、広島に移り住んだのは前職時代の2020年。バスケット経験者の妻に誘われ、初めてバスケ観戦したのがドラゴンフライズの試合でした。身体の大きな選手たちによる激しい当たりやスピーディーなゲーム展開、華麗なドリブル、連携プレーを目の当たりにして一瞬でとりこに。年間チャンピオンとなったシーズンは、セミファイナルの応援に名古屋まで出掛けたほどです。
ミスタードラゴンフライズとして活躍し、24―25シーズンから新たなチャレンジとしてヘッドコーチを務める朝山正悟監督と、脱サラして自営する自らを重ね合わせてしまいます。プレーヤーとマネジメントでは全く勝手が違うと思いますが、2季目となる来季の飛躍に期待。地元出身の三谷桂司朗やエースのドウェイン・エバンス、成長著しい中村拓人選手が残留を表明してくれて一安心しました。
広島市内は少し足を伸ばせば、カープ、サンフレなども気軽に観戦できる環境にあり、スポーツ観戦の頻度が全国トップなのもうなずける。新アリーナにも期待で胸を膨らませています。
英語教師として15年間勤めた後、県内で通訳や訪日客向けツアー企画の業務に携わり、今春に地域の人と資源を掛け合わせた体験を提供する地域送客メディア「ZeMott(ジーモット)」の本格展開を始めました。
私は広島市出身で親戚がみなカープファンだったため、帰省時に集まればテレビ画面には試合中継が映り、常にカープの話題が上がっていた。2歳まで日中、母親に代わり面倒を見てくれた祖母も熱狂的な鯉党で、昔は毎日のように市民球場へ足を運んでいたようです。その後、祖母は足腰が弱りテレビ観戦へシフトしていましたが、私がマツダスタジアムへどうしても連れていきたく、昨年9月1日ヤクルト戦でようやく一緒に観戦できました。その試合は矢野選手のランニングHRが奏功してカープの勝利。大失速する前に現地観戦を楽しめ、祖母の表情からも少しはおばあちゃん孝行ができたのかなと思います。
この取材を受ける1週間前、そんな大好きな祖母が97歳で他界しました。命日となったその日は、祖父が亡くなったばかりの小園選手が逆転満塁HRを放った日。不謹慎かもしれませんが、永眠した祖母の隣に親戚一同でスマートフォンを片手に試合を見ながら「今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち!バンザーイ!」と歓喜。みなが悲しむよりはこうして勝利を喜ぶ方がきっと祖母はうれしいはず。そんな祖母と私の人生に寄り添ってくれたカープを、これからも変わらず応援していきます。
市内を中心に業務用酒類・食品卸を手掛けています。2021年に創業100周年を迎えました。これからも酒や食文化の発展に少しでも寄与できるよう歩みを続けていきたい。
初めてのカープ観戦は1950年代初頭、観音新町の広島県総合グランド。太田川に架かる橋はまだ木造で、チケットを買えなかった人が球場バックスクリーンの裏にある松の木の上で見ている時代でした。旧市民球場に移転後も幾度となく通い、応援団とも顔なじみ。荒れ狂う観客席も今となっては懐かしいです。一番の思い出は何といっても75年の初優勝。当時は酒の配達員で、当日も明け方まで中区の繁華街周辺で働いていました。流川は歩行者天国のように人であふれかえり、あちこちで「おめでとう!」「万歳!」と、酒や人が宙を舞っていました。球団に許可を取って事前に企画していた自社オリジナルのV1ラベルウイスキーを発売。24本入りが2時間程度で100ケース売れました。でも、配送車で流川通りに入ると酔った歩行者が荷台に乗り込んできて、勝手に酒を配るのです。車もひっくり返されそうになり、泣く泣く販売を中止しました。次は節目のV10。また何か企画したいですね。
優勝する時は必ず良い外国人がいる。ファビアン選手が現れて期待が高まります。また末包昇大選手にランナーを返せる4番の風格が出てきて喜ばしい。昨年の雪辱を果たし、今季は新井監督の胴上げを見たいですね。
貸衣装や婚礼写真など総合ブライダル事業を展開し、広島東洋カープ公認の2種類のドレスとタキシードを開発してマツダスタジアムで披露。4月にイオンモール府中で開催の「ブライダルビジョン」でもお披露目しました。
白のウエディングドレスは「Carp」や「C」のロゴをあしらい、赤いパーティードレスはチアガールをモチーフにしたデザインです。2022年に南区西蟹屋に広島ブライダル館を新築移転。マツダスタジアムと近いこともあって、コラボ企画を準備してきました。私自身広島で生まれ育ち「広島はスポーツが密着した街」と実感しており、若者の流出が問題になる中、スポーツと結婚式を融合したいという思いで企画。これまでも球場での写真撮影やドレスの上にユニホームを着る人もいて、カープのコラボドレスが結婚式やパーティーの盛り上がりに一役買えればと思っています。サンフレッチェとのコラボも検討し、学生とドレス作りで協業したい思いもあります。
私のスポーツ歴は高校、大学で剣道を続け三段を持っています。カープは小学生の頃から毎日のようにテレビ観戦し、今は年数回スタジアムで観戦。子どもの頃は高橋慶彦選手のファンでした。スイッチヒッターの俊足巧打で、格好良かったですね。当時の山根和夫、川端順、白武佳久投手らも懐かしいです。今年は二俣翔一、田村俊介選手の活躍に期待しており、優勝してほしいですね。
小学校の教員や校長を経て2022年に独立。不登校の高校生と引きこもりの若者にプログラミングやデータサイエンスを教える塾のほか、(社)パルクで小中学生向けフリースクールを南区段原で運営しています。
当社の取締役を務める夫が大のカープファンで、結婚を機に頻繁に観戦するようになりました。私は野球に詳しくありませんが、皆が一緒に喜び、球場全体が一体化する雰囲気が好きです。特に印象に残っているのは、前田智徳選手が2000本安打を達成した2007年の中日戦。4打数無安打で8回を迎え、「もう前田選手の出番は来ないだろう」と半ば諦めていたのですが、チームメートの奮闘で打線がつながり、奇跡的に打順が回ってきたのです。ライトにタイムリーを放った瞬間は会場のボルテージが一気に上がり、空気が燃え立つような感じがしました。アキレス腱(けん)の断裂など度重なるけがを乗り越えて成し遂げた偉業で、その場に立ち会えたことは本当に幸運でした。
一人一人の役割を明確にした上で信じて任せる新井監督の指導方針を、教室運営の参考にしています。生徒やスタッフの特徴を見抜き、長所や得意な分野を伸ばせるよう働き掛けることで、皆が自信を付けてキラキラと輝けるようにしたい。
優勝すればもちろんうれしいですが、勝ち負けは二の次。チーム一丸で全力投球する姿を通して、子どもたちに夢と勇気を与えてもらいたいですね。
前会長で一昨年に亡くなった父は広陵高で甲子園に出場した経験があり、私も小学生の頃から野球に打ち込みました。当時、カープで憧れていたのは俊足が武器の高橋慶彦選手です。ひたむきにグラウンドを駆ける姿が本当にかっこよかった。あやかって同じ背番号2を付けたほか、スイッチヒッターに挑戦した思い出があります。高橋選手が晩年、ロッテにトレード移籍した際は、中国新聞の企画で惜別メッセージを送ったことも。その紙面は現在も母が保管しています。
一押しの選手が不在の数年間を経て、次に心を奪われたのは1歳下の前田智徳選手です。一切の妥協を許さないスタイルは、とにかくすごい。特に印象的なのは1992年の巨人戦で、試合中盤に守備でミスを犯して同点に追い付かれた後。終盤に決勝ホームランを放ったのですが笑顔は全くなく、悔し涙を流していたのです。20歳過ぎで、こんなに自分を厳しく律しているのかと驚かされました。社長に就いた今も見習って、そうした姿勢を社員に見せられるよう意識していますし、休日に興じる草野球では同じ1番を背負っています。
福岡県で大学生活を送った影響で、実はパ・リーグではホークスを応援。2018年の日本シリーズでカープと対戦したのがうれしく、両軍のユニホームを持って現地観戦していました。またこの組み合わせが実現してほしい。もちろん、次こそはカープが日本一に輝くことを期待しています。
地元の廿日市市丸石に本社を構え、「空き家浪漫製作所」の屋号で不動産売買・仲介などを手掛けています。
父親が野球をしていたことから、テレビのチャンネルを常にカープ中継に合わせ、球場にもよく足を運ぶなど、幼い頃から家庭にカープは当たり前の存在でした。特に好きな選手は、日本人投手初の日米通算先発勝利数のみで公式戦200勝(最終は203勝)を達成した黒田博樹さん。当初は、友人から「顔が似ている」と言われてどことなく親近感があった程度だったのですが、鯉党を大いに沸かせた2006年オフシーズンのあの「広島残留」宣言を機に、ほれ込みました。米ドジャースやヤンキース在籍時の登板結果を必ずチェックしましたし、メジャーリーグの名だたる打者に立ち向かう姿や、高額年俸オファーを蹴って広島に復帰した心意気には、本当に感動と勇気をもらいましたね。
黒田さんが大切にする「耐雪梅花麗」も大好きな言葉。「梅の花は寒い冬を耐え忍ぶことで春になれば一番麗しく咲く」という意味で、暗黒期のカープを支え、広島復帰後にリーグ優勝、そしてファンの前で盛大な引退セレモニーをされた黒田さんの野球人生を体現していると思います。
変革を掲げる新井監督の下、今季は若手の奮闘に期待がかかりますね。とはいえ、長いシーズンを戦う上では松山選手や田中選手などリーグ3連覇を知るベテラン勢の力も不可欠。新旧の融合で新たな黄金期を築いてほしい。
3月に福屋と共同で「箔のペーパークラフト 達磨のカープ坊や」を発売しました。縁起物のだるまにカープ坊やをあしらい、本物の金属箔を使った箔押し紙で立体的に仕上げました。カープグッズを手掛けるのは初めて。ファンの久永家一同で喜んでいます。
当社のある西区三篠町には2011年まで三省寮があり、カープとの思い出は尽きません。印象深いのは、先発で負けたある投手が翌日に高級車を寮で洗っていると、通りがかった酔っぱらいのおじさんにひどく叱られていたこと。よっぽど気に食わなかったんでしょうね(笑)。子どもの頃、当社工場裏の室内バッティング場で巨人のクロマティにだっこをしてもらったり、素振り中の金本、江藤の両選手の方から声をかけてもらったり。選手との距離が近く良い時代でしたね。
高橋慶彦の移籍後に野村が、津田が故障して佐々岡が出てくるなど、有力選手の陰で虎視眈々とポジションを狙う若手の存在がカープ黄金期を支えたと思います。これはわれわれ企業も同じで、目標実現への野心を持った組織の方が強い。私自身も先代を越えられるようにしっかりと事業に向き合い、伸びしろの大きい海外市場の開拓で成果を上げたい。
カープの日本一達成時には当社の箔押し技術を生かし、黄金に輝くヘルメットを作りたいですね。
2026年に設立30周年を迎えます。警備業や学習塾運営などを手掛けていましたがコロナ禍に撤退し、21年に再開した鳥取県のブランド「白バラ牛乳」の配達を本業に据えています。私自身も早朝から自転車で街を駆け回っています。
妻があらゆる競技に興味があるスポーツ好きで野球、サッカー、駅伝など、家庭内では何かの試合結果が毎日話題に上がります。4人の子どものうち長男が崇徳高校、次女が山陽女子高校でサッカー部に所属していたこともあり、私も次第にサンフレッチェ広島を応援するようになりました。24年3月9日に初めてエディオンピースウイング広島で試合観戦。サガン鳥栖に4対0で快勝しました。設備の美しさにも感心しましたが、何より衝撃を受けたのはピッチと観客席の近さです。手が届きそうな距離で選手がプレーしている迫力に圧倒されました。また一つ一つのプレーに満員のサポーターが歓声を上げる様子や、音がよく響くスタジアムの構造もあり、とても興奮しました。
次女はプロも輩出する大阪国際大学でサッカーを続け、卒業後は大阪で働いていましたが、今年6月に転職で広島に帰ってくるとのこと。私以外の家族は新スタジアムで観戦したことがないので、娘が戻ったら妻、長男と4人で行きたいです。私は細かい戦術などには詳しくないので、子どもたちに解説してもらいながら見られたら楽しいでしょうね。