広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
子どもの頃から野球好き。体が弱かく部活に参加はできませんでしたが、高校時代に極真空手で体力づくりに取り組んだ。そのかいあってか最初に勤めた西濃運輸では軟式野球部に所属し、2年間ピッチャーとしてマウンドに立ちました。そのころアマチュア時代の佐々岡前監督の投球を見る機会があり、球のキレに〝プロになる人の球は違う〟と驚かされたものです。
父の要請で実家の電気通信工事会社へ入り、1993年には今の会社を設立。旧市民球場の年間指定席を取り、社員みんなで観戦に繰り出していました。2000年から4、5年間は本当に苦しい時期で、社員数は3人まで縮小。その後、経営計画を立て直して再起を図りました。私も現場で共に働きながら、当時若かった社員が育ってきたのを感じています。22年9月にはカラー舗装事業を始め、社員を12人から18人に増やして今では10〜70代まで各年代がそろった。新しい顔ぶれでさらなる成長を目指したい。年間指定席はありませんが、昨シーズンは約20回観戦。取引先に誘われ、ベンチの様子が見える三塁側前の方に座れたことも。上司も部下もなく一体で応援していると交流が深まり、仕事への活力にもなります。
今年は新井カープ誕生1年目。監督の幼少期、夏休みに私の祖母が営むパン屋に来ていたのがちょっとした自慢です。Bクラスから這い上がるスタートラインとしてがむしゃらでフレッシュな野球を期待しています。
〝新井カープ〟1年目のシーズン開幕が待ち遠しい。久しぶりに広島市出身の監督で、特に親しみが湧く人が多いはず。ウィズコロナの時代に入り、今季の入場者数制限はないでしょう。連日の大入りが期待できるマツダスタジアムで毎試合、悔いのない采配をしていただきたい。
妻が熱狂的なファンで、彼女は観戦に誘われると私の夕食づくりを放棄して球場へと飛んでいきます。私ですか。ええ、もちろん笑顔で送り出しますよ。孫を連れて家族総出で観戦に行く際にもカープ応援は妻の役目。私はいわゆる〝イクじい〟と化します。カープが負けた時に「アー!」と声を上げてしまう妻と一緒に、再び「結局、新井は凄かった」という新聞広告を見られる日まで温かく見守りたい。
ところで、私は国泰寺高校の同窓会長として学校運営協議会委員を務めるほか、広島県の人事委員に選ばれています。公立中学校などで段階的な実施が検討される部活動の地域移行(外部委託)は、教員の長時間労働の解消だけでなく、プロスポーツ選手のセカンドキャリアの受け皿になるのではないでしょうか。引退後の選択肢が広ければプロ入りをためらっていた人材も決断しやすく、全体のレベルが上がる。新しいビジネスが生まれ、経済的な波及も出てくる。もちろんスポーツだけではダメで、親や周囲が「勉強もする」よう言い聞かせるべき。いずれにせよ〝学校依存〟から脱却しなければいけません。
広島大学発ベンチャーとして、2020年4月に事業をスタート。幼児や児童、青年向けに放課後スクールや海外研修など、体験と実践による学びの場を提供しています。
小学生の頃に野球を始め、ポジションはキャッチャー。大学卒業まで続けましたが、特に印象に残っているのは福岡県立小倉高校3年生の時に監督のつてで実現した九州共立大学との合同練習です。そこには当時大学4年生ですでにプロ注目の選手だったカープの大瀬良投手がおり、監督の計らいで良い球を受けた時の感覚を体験させてもらえることに。6割程度の力で投げてもらいましたが、今までこんなに痛くて力強い球を取ったことがなかったので大変驚きました。球のキレや回転もすごかったですが、加えて印象的だったのはすごく優しかったことです。高校生の自分にとって野球部の大学生はとても怖い存在でしたが、笑顔で話しかけてくれ一気に緊張がほぐれました。その日以来、ずっと大瀬良投手の事が気になっています。欲を言えば、またいつかお会いして球を受けてみたい。
野球自体が好きなので特定の球団を応援することはあまりありませんが、カープが勝つと広島の街が元気になるのでうれしい。他に注目している選手は同じキャッチャーの中村奨成選手。甲子園の活躍を見て化け物だと思いました。細身なのにあれだけ飛ばすのはすごい。来シーズンこそは1軍に定着できるよう頑張ってもらいたい。
西風新都に本社・工場を置き、きな粉、米粉などの製造を行っている。2021年、サンフレッチェのユース寮の食事に当社の青きな粉や米粉で作ったパン粉「WA-PANKO」を採用していただいたことをきっかけに久しぶりに観戦し、大ファンに。家族全員で応援し、ホーム戦はできる限り生で見ている。今年はエディオンスタジアムのラストイヤーなので、可能なら毎試合見たい。スキッベ監督の指揮下、前線からボールを取りに行く攻撃的なプレーが魅力。試合終盤まで負けていても、最後の5分で逆転してくれるので見応えがある。
中でも昨年のルヴァンカップの決勝は忘れられない。その前週の天皇杯決勝ではJ2のチーム相手にPK負けを喫していたが、この日は途中まで0対1で負けていたのにアディショナルタイムに2点を返して悲願の初優勝を決めた。涙を流す佐々木キャプテンらの姿を見て胸にこみ上げるものがあった。本当はこの日、会場の国立競技場に行く予定だったが、体調不良により泣く泣くテレビ観戦。今年はJリーグ、天皇・ルヴァン杯の全てで優勝してもらい、その瞬間に立ち会いたい。
青きな粉の採用が縁で、当時ユースだった棚田遼選手の寮生活に密着する動画のスポンサーに。118万回再生され、広告賞を受けるなど話題になりうれしく思う。棚田選手をはじめ、若手の活躍に期待。これからも製品を通じて選手の体づくりに貢献したい。
1960年創業。当校では、カープのシーズン中は各指導員がまるで評論家のように前日の戦いぶりを話しています。40年以上当校に勤める中で、その光景を見ることが毎シーズンのひそかな楽しみです。
84年9月16日の巨人戦は忘れもしません。旧広島市民球場で現地観戦。同点で延長戦に入り、泣いても笑っても最後の攻撃となる12回裏、カープの「ミラクル男」と呼ばれた長嶋清幸選手が、あの怪物・江川卓投手からの球を見事にライトスタンドへ。打った瞬間にホームランと分かる、完璧な当たりでした。打球はすさまじく、白球を追いながら一塁へ堂々と歩いて行くその姿は自信にあふれており、記憶に鮮明に残っています。前日も長嶋選手は最終回にホームランを打ち、2試合連続のサヨナラ弾。その年のカープはリーグ優勝し、日本一になりました。
今は俊足・強肩・巧打の三拍子がそろう野間峻祥(たかよし)選手から目が離せない。
特に足の速さは抜群で、新井カープの機動力の中心となってほしい。2022年はリーグ5位。いろいろな課題があると思いますが、一番は盗塁数の少なさだと。12球団中最低の26回。リーグトップの阪神の近本選手は一人で30回です。今季からは、かつて二度の盗塁王に輝いた福地元選手がコーチ就任。すぐに結果は出ないと思うが、まずは意識改革から始め、泥臭く、がむしゃらに頑張ってほしい。奮闘を期待しています。
消防や防災設備の構築、点検業として2009年に設立。父がマツダのサッカー部にいた縁で、日本代表の森保監督とはサンフレッチェ時代から交流があります。昨年のW杯での姿が示すように、とにかく人柄が優れている印象。選手はJリーグや海外のクラブで活躍する精鋭たちですから、一つのチームとしてまとめ上げるのは本当に難しいはず。フラットな態度で選手と接し、自分の思いを聞き入れさせる求心力を持った方です。
サンフレッチェは年間指定席を持っており、予定が空いていれば子どもと一緒に観戦。22年の好成績の要因はスキッベ監督の手腕、特に選手を的確に褒めてモチベーションを上げたことだと思っています。私も社会人までプレー経験があり、現在は少年サッカーの指導に携わるので、指導者がつくる雰囲気は非常に重要と分かります。大きな補強なしであれだけチームが強くなったのは、指揮官が選手の力を引き出したからでしょうね。
20年からジュニアユースチームのユニホームに当社ロゴを掲出しています。定評のある育成に一層注力し、トップチーム強化につなげてほしいという思いを込めました。彼らは昨年12月の全国大会で準優勝の結果を残してくれ、誇らしいです。
24年の新スタジアム開業も楽しみ。カープが新球場で一気に盛り上がったように、サンフレも県民一体となって支える風土が醸成できれば。パートナー企業として、微力でも役に立ちたい。
原田鋼業(現瀬戸内スチール)の卓球部を経て、2004年に卓球教室を開業。22年に法人化し、今夏にはマリーナホップ内から西区観音町に移転予定です。小学校5年生で卓球を始め、回転を掛けたサーブの習得や、ラリーの回数が増える喜びからどんどんのめり込むように。小学校の県大会での優勝をはじめ、高校では1年生時に団体戦で全国制覇を達成。5番手でゲームオールジュースの接戦となりましたが、常に先手を取るという攻めの姿勢で勝利をつかみました。男子ホープスナショナルチームのコーチも務めており、プロを目指す小中学生から生涯スポーツとして親しみたい一般の方まで、老若男女幅広く指導。ジュニア選手の強化へ、21年12月からスポンサー募集活動を始めました。卓球で試合に勝つためには心・技・体に加え、相手の癖などをいち早く見抜くなどの「知」が必要です。対外試合などで全国を巡るほか、合宿やバーベキュー、送別会などの行事も盛りだくさん。競技を通じて明るく、協調性を持った子どもを育てられたらうれしい。
昨年は3人の日本ランカーが誕生したほか、9月には当スクール卒業生が19歳以下アジアユース選手権のダブルスで優勝。夢は30年までの県内初卓球プロチーム創設です。広島はスポーツ王国でさまざまなスポーツに親しめる反面、卓球は全国的な強豪高校がなく、好選手は県外に出ていってしまう。プロチームを通じて裾野を広げ、広島県の卓球をもっと盛り上げたい。
原田鋼業(現瀬戸内スチール)の卓球部を経て、2004年に卓球教室を開業。22年に法人化し、今夏にはマリーナホップ内から西区観音町に移転予定です。小学校5年生で卓球を始め、回転を掛けたサーブの習得や、ラリーの回数が増える喜びからどんどんのめり込むように。小学校の県大会での優勝をはじめ、高校では1年生時に団体戦で全国制覇を達成。5番手でゲームオールジュースの接戦となりましたが、常に先手を取るという攻めの姿勢で勝利をつかみました。男子ホープスナショナルチームのコーチも務めており、プロを目指す小中学生から生涯スポーツとして親しみたい一般の方まで、老若男女幅広く指導。ジュニア選手の強化へ、21年12月からスポンサー募集活動を始めました。卓球で試合に勝つためには心・技・体に加え、相手の癖などをいち早く見抜くなどの「知」が必要です。対外試合などで全国を巡るほか、合宿やバーベキュー、送別会などの行事も盛りだくさん。競技を通じて明るく、協調性を持った子どもを育てられたらうれしい。
昨年は3人の日本ランカーが誕生したほか、9月には当スクール卒業生が19歳以下アジアユース選手権のダブルスで優勝。夢は30年までの県内初卓球プロチーム創設です。広島はスポーツ王国でさまざまなスポーツに親しめる反面、卓球は全国的な強豪高校がなく、好選手は県外に出ていってしまう。プロチームを通じて裾野を広げ、広島県の卓球をもっと盛り上げたい。
廿日市市深江に工場を構え、宮島しゃもじや木製料理ベラなどの製造を手掛けています。
50年以上前の小学5年生時に転校生から誘われたのを機に、サッカーに出会いました。同級生のほとんどが野球に熱中する中、足の速かった私はボールを追っかけ回すのが楽しく、大野中学、廿日市高校で部活に打ち込みました。もちろん当時は国内のプロリーグがなかったので、イングランド・プレミアリーグやドイツ・ブンデスリーガなどを再放送の深夜テレビ番組で見て、世界の名プレーヤーに魅了されていました。
「広島にサンフレッチェがある」ことは子どもたちにとって大きな影響力があると思います。縁あって20年ほど前から地元小学生チームの指導をしています。華麗なプレーや考え抜かれた戦術など、一流の技術を間近で見られることは何よりもの学び。また、選手としてのステップアップを目指せるジュニア〜ユースの育成環境が県内に整っているのも本当に素晴らしい。これまで3人の教え子がジュニアユースに入りましたが、上の階級に進んだ子はおらず、厳しい世界という現実を身に染みて感じています。
今季はミヒャエル・スキッベ新体制下でリーグ戦は3位でしたが、トーナメント方式の「天皇杯」で準優勝、「ルヴァンカップ」では優勝し、見事に〝シルバーコレクター〟の汚名を返上。強いサンフレは広島の誇りであり、子どもたちの希望の存在です。諦めず、自分たちの力を信じ、挑み続けることの大切さを教えてくれるサッカー、サンフレッチェが私は大好きです。
広島電鉄グループのヒロデンプラザが中区東千田町のマックスバリュ千田店1階に5月にオープンしました。低酸素トレーニングジムの個室6室を備え、そのうち4室にランニングマシン、2室にサイクリングマシンを設置しています。各室にエアコンを設け、好みの室温でトレーニングしていただけます。
地上の酸素濃度は21%程度ですが、各室は16.4%と標高2000メートルの擬似高地環境でトレーニングできます。マラソン、卓球などの大会に出場するアスリートが心肺持久力アップのトレーニングをするほか、血圧コントロールなどの生活習慣病予防での利用があり、新陳代謝向上によるアンチエイジングも期待できます。1回30分を上限にしていますが今後、目的別のメニュー作りをしたいと考えています。個室の低酸素ジムは中国地方で初めての開設です。「息苦しくなるのでは」という声も聞きますが、30分程度の運動では苦しさは感じません。まずは無料の体験・見学をしてほしいですね。料金は1カ月4回利用8800円からです。
私は小学3年生から20歳までバトントワリング(バトンさばきを披露する競技)をしていました。高校1年生の1996年にイタリアで開催された世界選手権に出場し、女子ジュニアで4位入賞。日本選手権では2位の実績もあります。現在は、知人が運営するバンヴスバトンクラブでコーチを務め、来年の日本選手権に向けて選手を指導しています。バトントワリングは見てもらえる喜びに加え、難しい技ができた時の達成感が魅力ですよ。
独立前に勤めた兒玉(こだま)会計の頃から、カープ選手やコーチの経理を見せてもらっている。きっかけは野村謙二郎さん。彼のお父さんが「広島で税金に悩んだら同じ大分出身の兒玉さんに頼るといい」と伝えており、プロ2年のオフに事務所を訪ねて来られた。そこから佐々岡さん、高橋建さんなどに縁がつながった。兒玉先生の好意で独立後も案件を継がせてもらい、今は現役15選手に加え、引退後も続いて世話するコーチも多くいる。巨人に移った丸くんとは今も関係が続いている。
選手は年齢的に皆、子どものような存在。いろいろな相談に乗り、生活面も支援。コロナ感染で外出禁止になった県外出身選手に大量の食事を持ち込んだことも。陰ながら選手たちを応援できれば。
多くの選手を見てきて感じることがある。皆から領収書を預かるが、処理をしやすいようにきちんと並べてくる選手よりも、ある意味雑な方がプロとして大成しやすいのだ。社会人としての評価は逆だが、これがプロの世界の厳しさを物語っているのかも。しかし例外もいる。栗林くんだ。礼儀正しく気遣いができ、活躍も著しい。
経理の観点からもカープは面倒見が良いと思う。例えば若手選手は球団が住民税などを天引きするが、他球団では珍しい。移籍して改めて球団の気遣いを感じる選手もいるようだ。
佐々岡さんはコロナの影響を受け続け、大歓声を受けられないままだった。本当はもう1年チームを率いてほしかった。顔見知りの新井監督には就任時にメッセージを送った。最初から優勝を追わず、じっくりと育ててほしい。
福山市出身で根っからのカープファンです。初優勝した1975年の日本シリーズは、大学の授業をさぼって西宮球場とテレビで観戦。阪急に屈した全試合を見ており、悔しい思いをしましたね。当社に入社後しばらくは大阪支社に勤め、79年日本シリーズの第7戦、日本一を決めた「江夏の21球」は大阪球場で手に汗にぎり応援しました。今から40年以上前ですが、今でもシーンをはっきりと覚えています。
近年は公私でカープ選手とのご縁を頂いています。コロナ前、当社が広島修道院の子どもたちを招いて年末に開いていたトークショーは、広瀬純さんを皮切りに堂林、赤松、天谷選手らに参加していただきました。子どもたちの喜ぶ顔に私たちも元気をもらっており、ぜひ復活させたいと考えています。広瀬さんとは引退時、有志での食事会で出会って以来、良い付き合いをさせてもらっています。2軍打撃コーチに決まった昨年は「若手の育成を頼む」という気持ちを込め、当社から広瀬さんにステーキ肉を差し入れ。大野寮の宮本料理長の協力を得て、コーチや寮の若手選手に振る舞ってもらいました。これらの選手との縁は、八丁堀の焼肉店ひまわりの近藤オーナー、のぞみ会計の岩原社長、広島銀行の藤広取締役などがつないでくださったもの。おかげでカープ熱はますます高まっています。
次シーズンを率いる新井監督。選手時代は彼の25番と2番(田中広輔)のユニホームを交互に着て観戦していたほど好きな選手。本人も就任会見で言っていましたが、焦らずにじっくりとチームを育ててもらいたい。