任意団体「プロダクション ウジナマニア」(内海祐一郎代表)は広島港のにぎわい創出を目指し、10月9日に県などでつくる広島港客船誘致・おもてなし委員会などと協働で実証実験イベント「広島港海のビア」を初めて開催した。宇品外貿埠頭に出入国管理や税関作業ができるクルーズターミナルが今春完成してインバウンド需要が高まる中、定期化することで地元利用を含めた誘客促進につなげる。
クルーズ客船「バイキングオリオン」が1泊2日で寄港したのに伴い、地域住民との交流を楽しんでもらおうと企画。防潮堤よりも海側で眺望の良い旅客ターミナルウッドデッキを会場に、ガーデンテーブルセットを約10組備え、アルコールや軽食を提供した。200人弱が来場し、通常はイベントが難しいエリアでの開催だったことからおおむね好評だったという。
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湯来温泉街でイタリアンバルだった店を引き継ぎ6月、地元のジビエと県産カキがメインのカフェ&バーとしてリニューアルした。
「地元の野菜やこんにゃくを使ったサラダ、みそ汁、ミントをたっぷり使ったモヒートなど当店に足を運べば湯来を存分に楽しめます。間近で川のせせらぎが感じられるバルコニーでは、イノシシ肉の炭火焼きも提供。脂身がありながらもさっぱりとした味わいで、油っこいのが苦手なお客さまからもおいしいと好評です」
結婚を機に移り住んだギリシャでは、地の物にこだわる料理の考え方に感銘を受けたという。
「知人の紹介がきっかけでこの地を知り、ギリシャと時間がゆったり流れるところが似ていて居住を決意。右も左も分からず不安だらけでしたが、来店時に住民の方から花を頂くなど、人が温かく、この町と出合えて本当に良かったです。今後は湯来に恩返しをするために仕入れ食材を一層増やし、地域に根付いた店を目指したい」
埼玉のPOSシステム開発会社に30年ほど勤め、出身地である広島で昨年12月に独立。地場の同業と連携し、多店舗展開する小売店などの開拓を目指しています。
幼い頃に父がカープの私設応援団に所属し、家庭はカープ一色。勝利に傾倒する父への反動からか、当時はカープをあまり好きになれませんでした。今でこそヤクルト本拠地の神宮球場や巨人の東京ドームでも赤いユニホームがスタンドを埋め尽くす人気ぶりですが、大学進学で上京した時は地方の一マイナー球団。私が応援しなければと、会社のドーム年間指定席を使って巨人とのゲームはほぼ欠かさず観戦するほど、一気に熱が入りました。
思い出深いのは、マツダスタジアムで開いた結婚式の2次会パーティー。球団への猛烈なアピールで2016年8月11日に実現しました。25年ぶりにセ・リーグ制覇した記念すべき年だったこともあり、約150人収容のパーティールームにあふれるくらい多くの友人が集まって大盛り上がり。途中でマスコットキャラクターのスラィリーが来てくれたり、センター後方のスコアボードに式中の様子を映してくれるなど、ご尽力いただいた球団には感謝しかありません。試合も「逆転のカープ」を発揮し、阪神に5-3で勝利という最高の結果でした。
今季は歴史的な大失速で苦汁をなめましたが、来季こそ「家族一丸」で栄光をつかみ取ってほしいです。
少子化もなんのその。高校向けに国語の副教材を制作する尚文出版(西区横川町)が好調だ。7月期決算で前期比10%増の売上高15億9000万円を上げ、過去最高を更新した。コロナの影響を受けた期を除き、数十年にわたって右肩上がりを続ける。
何より手堅い。どこに経営のコツがあるのか。水野理朋社長(54)は、
「特別なことは何もない。時代に連れて変化するニーズを敏感につかむ。決してうわべだけではない、本物の教材を作る。その一点をコツコツと積み重ねてきた」
2月に常務から昇格し、社長に就く。心づもりはあったが、社長交代のタイミングは予定より早まった。3月に創業者で父親の左千夫さんが75歳で逝去。3年前から抗がん剤治療を続けていたものの意欲は衰えず。今期も社長続投の意思を示していた。
生前、気さくに取材に応じてもらった。売り上げと利益の捉え方について、
「前期よりも1円でもいいから売り上げを増やそうと、社員に言い続けてきた。急成長は必要ない。しかし上に向かうか、下がるのか、その差はとても大きい。業績が伸びないと、社員の給料を上げられない。良い本を作るという経営方針がぶれることはない。適正に評価してもらい、そうして適正な利益を頂く。その利益はさらに良い本を作るための手段になる」
わが利益を優先することなく、一貫して誠実なものづくり精神が脈打つ。1982年の創業。すんなりと事業が軌道に乗ったわけではなく、食べ物が買えないほど貧しかったことは、当時、中学生だった理朋社長にとって忘れがたい記憶。何事もおろそかにしない心が養われたのだろう。
創業時以降、思わぬ別れや意図せぬアクシデントなど幾多の苦い経験を経て、ひたすら良い本を作るという信念にたどり着いた。編集部だけではなく、営業を含めた社員全員を「国語の専門家」とし、地方の出版社が大手に立ち向かう気迫をにじませる。生徒の役に立つ。国語を好きになってもらう。これを基本方針に据えた。業界の常識を幾つも覆した。創業当時、A5判(小判)の問題集が主流の中で、生徒が余白などに書き込みをしやすいB5判(大判)の利便性に着目してシリーズ化し、主力商品に育て上げる。また、古典の文法書と問題集の2冊を業界で初めて1冊にまとめるなど、生徒と先生の要望をくみ取り、創意工夫に労を惜しまない社風が今も息づく。
「やってみると他愛もないことも、まずそれに気付き、最初にやることに意義がある。他社にまねされることはあるが、当社がまねすることは許さない」
創業者の口癖だった言葉を胸に刻む。営業手法にもこだわる。全国の高校を各地の営業社員が訪ね歩き教材の良さを先生に直接伝える。そこでつかんだ先生の感想やアドバイスを制作に反映させる。
少子化に加え、来春の大学入試改革、学校現場のデジタル化など教育を取り巻く環境は急速に変化している。
「この10年ほどで子どもの人数は3分の2に減った。正直背筋が寒くなるが、現実から目を背けてはならない。伸びる余地は十分にある。良い本と誠意は必ず通用する」
来春に授業用デジタルコンテンツを発売し、市場開拓に挑む。今期の売上高目標は16億5000万円。1円でも売り上げを伸ばす志がある。