広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
今年の本屋大賞に、阿部暁子さんの著書「カフネ」(講談社)が決まった。全国の書店員が投票し、いま、一番売りたい票を集めた。先細る出版業界を現場から盛り上げようと2004年に同賞を創設。ベストセラーが約束される芥川賞や直木賞に匹敵するほど話題を呼ぶようになった。
広島新駅ビルの商業施設ミナモア3階西館に廣文館(中区中町)が新スタイルの書店「ブック ギャラリー コウブンカン」を出店した。店頭を行き交う人を誘うように売り場の中心にギャラリー空間を配し、周りを本が囲む。駅最寄りの書店などではコンパクトなスペースに話題の新刊やビジネス書、学習図書などがバランスよく並ぶが、あえてギャラリー空間を設け、勝負に出た。〝毎日イベント〟を掲げ、多くの人が立ち寄り、集い、出会いが生まれる書店を目指す。丸岡弘二取締役COOは、
「本離れが進み、このままでは厳しいという危機感があった。どうすれば本屋に立ち寄ってくれるのか、本屋の書棚を巡りながら目当ての本、読みたい本を探す人が戻ってきてくれるのか。ここ数年、ずっと考え続け、これからの時代が求める本屋のあるべき姿を追い求めてきた」
中区の金座街本店を閉め、駅ビルのミナモアへ出店を決断。その時からギャラリーを併設する本屋の夢が具体化へ歩み出したという。
「本を離れた人、本になじみの薄い人に本を好きになってもらうために、本屋に何ができるのか。本来、みんなが持ち合わせている知的好奇心を刺激しながら専門的な知見を豊かにしてくれる書籍の品ぞろえに努め、広島の底力を引き出し、元気にする役割を果たすことができれば、とてもうれしい。廣文館のブックギャラリーが、地元で活躍する作家やクリエイターを応援する晴れ舞台の役割を果たし、起業家を応援するスタートアップの踏み台となれるよう、さまざまな企画をぶつけていきたい」
前身の広文館は1915年11月に創業し、48年に法人改組。2018年11月に分割設立された廣文館に事業を譲渡し21年11月、京都を拠点に全国展開する大垣書店グループとして再スタートを切った。現在、広島の商業施設内中心に11店舗を擁し、学校や企業・団体向けなどに卸売りも手掛ける。
「書店員はみんな本が好きです。しかし日々の作業に追われると初志を忘れがち。経営が厳しい中、辞めずに頑張ってくれた書店員はリスタートの意味をしっかり受け止めている。〝私たちは本が好き〟という廣文館の信条を再確認するとともに業務の効率化、合理化を図って原点に立ち戻る環境が整ってきた」
大垣書店は全国に50店以上を展開。ギャラリーなどを設けた複合型は麻布台ヒルズ店、京都本店、堀川新文化ビルヂングなど4店。グループ代表の大垣守弘さんは、
「本は文化芸術、スポーツ、ビジネス、学術などあらゆる分野に広く、深くつながる。さまざまな企画があるギャラリー空間に触発され、新たな発想を広げてもらいたい」
ネット販売や電子書籍が普及する一方で、書店の減少に歯止めがかからない。2月時点で全国の書店数は1万471店(日本出版インフラセンター集計)。10年前に比べ489店減った。県内は昨年12月で219店。10年前に比べて118店減った。巻き返しを期待したい。
野球談義が楽しい季節。カープの勝敗に一喜一憂し、大リーグ大谷選手の活躍にも心が躍る。ドジャースの本拠地は連日満員。チケットが高騰し、スタジアムには大創産業など日本企業の広告が並ぶ。そんな米国に比べて日本のスポーツ産業は民間投資やマーケットが成熟しておらず、伸び代は大きいという。
広島県庁に事務局を置くスポーツアクティベーションひろしま(SAH)の代表に2月1日付で着任した秦アンディ英之さん(52)は、
「有望な子どもが一流の選手になるまでに、たくさんのお金がかかる。練習環境の整備を含め、スポーツ振興には企業からの投資が欠かせない。メジャーなスポーツだけでなく、さまざまな競技に目を向けてもらいたい。特に中小企業ではスポーツ投資のリターンを明確化できていないためか、欧米の市場規模と大きな差が生まれている」
秦さんはJリーグ特任理事やプロバスケチームGMなどを務めた後、スポーツデータ調査分析会社を経営。ソニー勤務時代にブランドマネジメント部でグローバル戦略構築を担当した経験も踏まえ、ズバリと指摘する。
「スポーツ投資のリターンはブランド、売り上げ、社会貢献、ホスピタリティー、インナーマーケティング(社員の愛着強化や理念浸透)の五つに分類できる。売り上げ目的なら商品の購入者に選手グッズの抽選権を与えて拡販したり、ホスピタリティーやインナーマーケティングならチケットを贈ったり交流の場にするなど、狙いに沿った戦術を考えるべき」
SAHは2020年4月に県スポーツ推進課が結成。国際・全国大会の誘致促進などを通じ、交流人口や観光消費額の増加を目指している。
わがまちスポーツと銘打ち12市町のにぎわい創出の取り組みに3カ年で毎年2分の1・最大500万円を補助。21年に三次市で初開催された女子硬式野球西日本大会は毎年約30チーム・選手600人が集まる。女子野球チームとスポーツコミッションの結成などと併せて評価され、WBSC女子野球ワールドカップ(グループステージB)を10万人以下の自治体で初めて誘致した。
このほか三原市の佐木島で離島初となるジャパンサイクルリーグ公認のロードレースを、空港近くの中央森林公園と同島ではファンライドみはらを開催。「尾道海属」のコンセプトを掲げ、マリンスポーツをサイクリングに次ぐ観光資源に育てる試みなども後押し。25年度はラグビー中国電力レッドレグリオンズの本拠地がある坂町の小学校で、機運醸成のためのタグラグビー体験などを支援する。
県内25チームの競技の枠を超えた応援プロジェクト「チームウィッシュ」にも力を注ぐ。複数チームに関わる活躍予想ゲームなどを通じ、さまざまな競技への興味を喚起する。専用サイトで選手インタビュー記事などを掲載。
「競技の枠を超え大きな力を生み、スポーツ資源を最大限に活用していく。広島をもっと笑顔あふれる街にしたい」
今年は広島県などの誘致活動によって、アーバンスポーツの複合型イベント「アーバンフューチャーズ」(日本アーバンスポーツ支援協議会主催)が4月18〜20日にひろしまゲートパークで開かれる。来場見込みは5万人。
さまざまなスポーツ競技の魅力が広まり、街に元気があふれる効果は大きい。
リフォーム事業で地場大手に成長したマエダハウジング(中区八丁堀)の前田政登己社長(59)は、
「いつの間にか下りのエスカレーターに乗り、ついに経営の終点に着く。現状維持の意識では後退。常に前へ向かうチャレンジ精神でぶつかっていく。まして危機の時こそ変革のチャンス。不屈の闘争心で立ち向かえば、やがて答えは出る」
自らの経験と重ね、次代が何を求めているのか、いま何をすべきかと考え尽くす。27歳の時に勤めていたリフォーム会社の社長が夜逃げし、残された案件を放り出すことはできないと独立を決意。ここが原点になった。2008年秋のリーマンショック、14年の広島土砂災害、18年の西日本豪雨による顧客の被災、コロナ禍など、何度も苦境に立たされた。
「そのたびに本を開いたが、直接的な答えは書かれていない。しかし、たくさんの言葉を読み解き、気付いたことがある。住宅事業を真ん中に据えて顧客満足、社員の幸福、地域貢献を実現する理念や、わが社の存在意義に立ち返るしかない」
不況に耐えられる弾力性を備える。新会社設立やM&Aによって不動産、新築、1級建築士事務所、不用品買取店などに領域を拡大。何かが落ち込んだときにカバーできる体制を敷くとともに、相互送客や設計施工ノウハウの向上などでグループのシナジーを発揮する。感染予防の緊急事態宣言下には柔軟な働き方を推し進め、DXによる業務効率化につなげた。
昨年11月に廿日市市に開いた水回り専門店を含め県内7店を展開。注文住宅や法人向け改修の中島建設(福山市)の全株式を取得しており、福山店を開く予定。府中町のショールーム移転も検討する。
前12月期グループ6社の連結売上高は前年比6%増の45億3000万円で過去最高を更新し、今期は50億円を目指す。前期決算には計上していないがM&Aで新たに3社を加え、30年のグループ10社、社員300人、売上高100億円へまい進する。
「いつも思うことは〝で、どうする〟の精神。何をするかはむろん、誰とやるかが最も大切。会社の財産は人。自分の意見や気持ちを率直に表現できることが生産性を高め、新しい発想を生む。部門、グループ間の連携をもたらす。男性育休取得100%など働き方改革を整え、働きがい改革に挑戦中。誰もが参加できるよう忘年会は昼に開いた。社員が先日、息子をこの会社で働かせたいと言ってくれ、うれしかった」
業界では建築確認申請の特例縮小によるコスト増や省エネ性能審査の厳格化が4月に始まり、2025年ショックとして取り沙汰される。同社はグループの総務や書式の統一、現場監督の相互派遣などで業務を効率化。主力事業では引き続き、断熱・耐震・防音の性能向上リノベーションを積極的に提案する。
「自宅内でのヒートショックによる脳梗塞や心筋梗塞を無くし、安心安全な暮らしを提供したい。また、東広島市西高屋を人が集う町にリノベーションするプロジェクトでは第1弾のコミュニティーハウスを3月に開設。全国で増え続ける空き家を活用した室内農業の定額サービスなども構想し、シマウマの白黒柄のように社会課題の解決と経済成長という二つの要素を両立させるゼブラ企業を目指す」
やりたいことは尽きない。
いよいよ庄原市特産「比婆牛」の出番である。広島はおいしさの宝庫というブランドイメージの醸成を命題に掲げる県プロジェクト「おいしい!広島」の一環で、3月12日に中区小網町のイタリア料理スペランツァで比婆牛を食材に磨き上げた一品を試食するイベントがあった。
肥育に従事する藤岡幸博さんが比婆牛の生い立ちや特質などを紹介した後、スペランツァの石本友記オーナーシェフによる一品料理のデモンストレーションを行った。JAひろしま西城肥育センター長も務める藤岡さんは、
「子どもの頃から食べ慣れているが料理次第で比婆牛の可能性が広がると実感。ただ素牛(肥育前か繁殖牛として育成する前の子牛)が少ない」
繁殖も肥育の農家も少ないのが実情。JAひろしま畜産課の担当者は、消費を増やす生産体制を県内全域に拡大したいと話す。
中国地方は、古代から伝わるたたら製鉄に必要な砂鉄や炭、木材を運搬する力強い牛の品種改良が行われてきたが、農作業の機械化に伴い食用としての品種改良に移行。
約180年前から受け継がれる伝統的な和牛の比婆牛は1843年に誕生し、日本最古の四大蔓牛のうちの岩倉蔓をルーツに持つ。畜産家の岩倉六右衛門が地元(旧比和村)の優良な雌牛を基につくり上げた。脂の融点が低く、くちどけの良さが特徴で、前菜にもメイン料理にもいける。
G7広島サミットでも各国首脳の舌をうならせるなど、次第に名をはせるが、生産量は年200頭未満。そのおいしさに出会えるのは、地元と一部の小売店や飲食店にとどまり、生産と流通に課題を抱えている。
こうした流通の価値向上とコストの最適化をテーマに、県は2024年度に三つのプロジェクトをスタート。その一つ「比婆牛ブランド共創プロジェクト」はバラ肉など通常、高級飲食店では扱わない部位の加工品を開発し、利活用を促す狙いだ。
庄原で地元食材を使ったレストランを運営する水橋聴オーナーシェフがスジなどいろんな部位を使う土産商品の開発に挑戦し、レトルトカレー「伝説の比婆牛カレー」を商品化。地域プロデュース事業を展開するドッツ(中区)が商業施設ミナモアに開業した店で3月19日に披露した。一袋180グラムのうち50グラムが比婆牛という。
「冷凍タイプは以前から扱っていたがレトルトの方が土産には適している。肉の食感を残しながら、店で出すカレーの味わいになるよう努めた」
ヒレなど高級部位を使う贈答品は、東白島町でフレンチ店を営む今井良オーナーシェフが開発したローストビーフが採択された。
県は21年度から付加価値要素の多い比婆牛に着目し、ブランディング事業に取り組んできた。農林水産局畜産課の宇田久康参事は、
「担い手の高齢化、生産コストの高騰が進む。いろんな部位が適正価格で流通することが一つの突破口になる」
比婆牛だけでなく県産和牛の広島牛や元就、神石牛も同様。全てを味わい尽くしてこそ、ブランド牛も生産者も報われる。
生産者が精魂込めて育てた食材を、一流の料理人の手でさらに磨き上げ、おいしい!を広めるプロジェクト。このプロジェクトに呼応して生産者、流通、飲食、消費者が「広島の良さ」を誇り、丸ごと地域の元気へつなげたい。
旧駅ビルアッセの閉館から5年ぶり。ようやく晴れやかな春を迎えた。3月24日、国内外から広島を訪れる人を迎える玄関口として広島新駅ビルがオープン。地下1階から地上21階建て延べ11万平方メートルにホテルやシネコンが入り、地下1階から9階を占める商業施設「ミナモア」は中四国初も含めショッピングや食を楽しめる約220店が並ぶ。
駅北口に向けて開く駅橋上・高架下施設エキエと自由通路でつながり、ビル2階へ直接乗り入れる路面電車は全国でも珍しく、市街地と郊外を結ぶ。広島らしさを打ち出す全館コンセプトは誰もが自分の居場所でくつろげる〝カフェ〟仕様。観光やビジネスで訪れる人は無論、地域の人もそれぞれの目的に応じ、憩い、楽しめる空間づくりに知恵を絞った。
運営する中国SC開発(南区)は、一般と県内の大学・高専校合わせ13校対象に計20回に及ぶワークショップを開くなど、多くの人の意見や思いに耳を傾け、全精力を尽くした。4・6階の中央部にある共用空間の活用アイデアはコンペを実施。コンセプトやデザイン、公益性、実現可能性の審査を経て広島工業大学と呉工業高等専門学校の学生が、それぞれグランプリに輝いた。
今後、受賞アイデアを具現化するまで応募作品の中から10提案をポスターにして張り出す。川と瀬戸内海のミナモ(水面)とミナ(みんな)の意味を込めるミナモアならではの居心地のよさを体感してもらう象徴的なエリアとして若い人の発想がどんな姿かたちとなり、みんなを迎えてくれるだろうか。
広工大環境学部建築デザイン学科3年の立花一貴さんと小田成菜さんは意見を戦わせながら納得のいくまでアイデアを練った。立花さんは、
「電車が乗り入れるターミナル空間との調和も考えながら休憩場所やポップアップショップの出店に活用してもらいたいと考えた。水面の揺らぎを感じられるカーテンでスペースを仕切り、可変性を持たせることでバリエーションのある使い方や、興味を引く動線にも工夫。人が自然と足を運んでくれる場にしたい」
呉高専は4・5年生4人チームで、各店舗メニューを一覧できる交流スペースをプラン。窓からの陽光を水面からの反射光のように採り込み、和紙で作ったコイのモビールが泳ぎ回るような空間で広島らしさを演出。建築学分野の大和義昭教授は、
「和紙は大竹のものを使う予定。新駅ビルでのプランの実施は大きなチャレンジ。一丸になって取り組みたい」
建築業界を志望する学生は引く手あまた。特に関東・関西からの引き合いが強いという。県の転出超過に歯止めがかからないが、広島のまちづくりへ参加する若者の意気込みが心強い。街がみずみずしい魅力を発揮し、いつか転入超過に転じる日を願いたい。
市は広島駅周辺と紙屋町・八丁堀地区の楕円形の都心づくりを目指す。中国SC開発の竹中靖社長は、
「駅拠点の集客を紙屋町・八丁堀へ促し、広島全域に好循環させる仕掛けが大切。オープンはゴールではなく、いかにコンセプトを具現化できるかが勝負。誰もが集い、新たな出会いが生まれるミナモアを未来へつなげたい」
3000人規模の採用枠に1万人超が殺到したミナモアに新しい職場が誕生。再生した玄関口から街の元気を振りまいてもらいたい。
聖路加国際病院の循環器内科医師だった日野原重明さんの提唱により、2000年9月に「新老人の会」が発足。17年7月に105歳の天寿を全うされた後も、全国21カ所で活動が継承されている。
脳神経疾患が専門の医療法人翠清会(中区)会長で梶川病院名誉院長の梶川博さん(86)は、かつて同会中国支部の運営に携わり、いまは本部東京の会員として今年1月発行された会報誌に日野原先生との出会いや、心に残る思い出などを寄稿している。
梶川さんは修道中・高等学校を経て、1963年に京都大学医学部を卒業。当時、卒後インターン制度があり、聖路加国際病院で1年間研修を受けた折、循環器内科で日野原先生の薫陶を受けたことに始まり、01年12月には広島で先生と会食の機会に恵まれたことや、新老人の会の話題などに触れており興味深い。
なぜ、新老人と呼ぶのか。世界のどこよりも早く超高齢化社会に突入した日本人の75歳以上は国民の寿命が延びたことで生まれた新しい階層とし新老人と名付けた。会の理念は「愛し愛されること、何か新しいことを創(はじ)めること、苦難に耐えること」の三つ。いままでやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。これが若さを保つ一番の秘訣という。どれもこれもシンプルだが、いざ、やるとなるとそう簡単ではなさそうだ。
日野原さんは90歳になったとき、何か新しいことを創めたいと思い立ち、新老人の会を創設した。シニア会員になれるのは75歳以上。60〜74歳はジュニア会員、60歳以下をサポート会員とし、女性のジュニア会員がそう呼ばれて大いに喜んだという。
老人という文言には、人生経験を重ねた思慮深いという畏敬の念が入っている。ところが政府は75歳以上の人を後期高齢者と呼ぶ。あれはダメです。高齢者を前期と後期に分けて線引きする役人の発想です。そう呼ばれた人がどう感じるのか、人の気持ちを考えていない。
これは日野原さんの指摘だが、共感し、後期とは何事かと憤慨されている方も多いのではなかろうか。
昨年12月に翠清会と梶川病院「開院45周年記念誌」が刊行された。A4判・505ページの大作である。梶川さんの歩みや著書、論文、翠清会の沿革と関連施設なども収録。日本医師会最高優功賞を受けた時の晴れやかな祝宴会を収めた写真もある。
座右の銘はこれまでに多数あったが、好きな言葉として「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ(山本五十六)」「私は教師ではなく、道を尋ねられた同伴者にすぎない(バーナード・ショー)」「勉強、勉強、勉強のみが奇跡を生む(武者小路実篤)」などを上げる。最近では「人はその日の朝よりも夜のほうがより偉くなっている」「私は昨日よりコツや欠点がわかって上手になった」の言葉を人に奨めているという。ゴルフは昨年7月に市内ゴルフ場で82のスコアをたたき出す快挙を成し遂げた。コツコツと有言実行されているのだろう。
少し気が楽になるメッセージもある。物忘れ(認知症)を何とかして改善したいと思うのが人情だが、そのネガティブの面を強調するのではなく、長生きの同伴者、長生きのご褒美と考えてみてはと助言する。いまを楽しく、上手に暮らす。そうそうは、かなわない境地に思える。
人生、何が起こるか、誰も分かっちゃいない。中区の八丁座で公開中のドキュメンタリー映画「104歳 哲代さんのひとり暮らし」を観て、そう感じた方も多いのではなかろうか。
姪っ子らに見守られながら尾道の山間にひとり暮らす石井哲代さん。中国新聞の連載記事を契機に反響が広がり、書籍も発行された。映画は1月31日から県内5館で先行し、4月18日から全国公開を控える。100歳を超えて、まさか映画デビューとは哲代さんも想定外だったろう。101歳から104歳の現在まで機嫌良く、気負いのない日常を映す。「元気をもらった」「人生の目標にしたい」といった声が多く、満員御礼の日も少なくないという。八丁座を運営する序破急(中区)社長の蔵本順子さんは、
「この映画は午前と午後の1日2回上演で始めたが、収容し切れていないと思っているところ。世界情勢を反映してかシリアスな映画が多い中、笑えて、朗らか、映画館を出ても前向きな気分に満たされるといった作品は少なく、何度観ても元気をくれる」
郊外のシネコンが台頭し、市内中心部では映画館の閉鎖が続く中、2010年11月に福屋八丁堀本店8階にオープン。庶民が楽しんだ江戸時代の芝居小屋をイメージし、くつろいで鑑賞できるよう席周りをゆったりとさせた。ファンの心をつかみ、リピーターも多い。ロビーでコーヒーを飲みながらのんびりと過ごす姿もちらほら。
「まちなかならではの良さがあります。買い物のついでに時間が空いたから、ふらっと立ち寄れる気楽な映画館にしたいと考えました。むろん観たいと思う映画が何よりですが、格別の目的意識がなくとも、映画を観るという選択が日常生活に刺激をもたらし、新鮮な気分にしてくれます。そうした映画の魅力は時代と共にある。コロナ禍前にキャッシュレスやネット予約できるシステムを導入しましたが、自動発券機は置かないで、対面でチケットを販売。来館者と会話を交わすことも大事な仕事の一つと考えています。たわいもない会話や、非効率の中に人と人がつながる大切な時間が生まれてくることを忘れてはならないと思っています」
良い映画と、興行収入は必ずしも比例しない。しかし観てほしい作品は動員数が望めなくても上映する。これからも変わることのない信条だ。八丁座と広島東映プラザビル(中区)8階にあるサロンシネマの2館合わせて年間約350本を上映。目的がなくても立ち寄る行きつけの映画館でありたいという。
一方で、ネット配信の普及により手軽にどこでも、いつでも観たい映画を観ることができるようになった。少なからず影響を受ける。八丁座開館15周年を迎える今年、3月開業の広島新駅ビル「ミナモア」にもシネコンが入る。
八丁座、サロンシネマを取り巻く環境はさらに厳しさを増す。家業を受け継ぎ、生業として広島で60数年にわたり映画を届けてきた。人件費や設備の維持管理費も含め、運営は決して甘くないが、それでも映画の力を信じる。心も体もさびない哲代さんの生き方に重なる。
「入館料は値上げせず、シニアは1000円。やせ我慢していますが都会のオアシスであり続けたい」
くよくよせんの、パッと笑い飛ばす。尾道を飛び出し、そう声をかけてくれる。
いよいよ球春到来。初優勝から半世紀の節目に立つ今年のカープは、青山学院大学出身でドラフト1位の佐々木泰、常廣羽也斗が共に開幕1軍を狙う。箱根駅伝では中国電力OBの原晋監督率いる青学が見事、2年連続の総合優勝を成し遂げた。
春近し。青山と広島は何かと相性が良い。マツダは2月6日、青学メインキャンパスからすぐ近くの東京都港区南青山にブランド体感施設「マツダトランス青山」をオープンした。
ソウルレッドが鮮やかなコンセプトカー「アイコニックSP」が1階で来場者を出迎える。コーヒーや甘味が楽しめるカフェを併設。階段を上り2階にはイベントなどを開くスペースがある。さっそくトークセッションやフラワーアレンジメント、写真講座といった企画が来場者の人目を引いていた。
開場レセプションで毛籠勝弘社長は、
「トランスという言葉には向こう側にとか、超えるといった意味がある。既存の販社店舗のような売る場所を超えるという意味を込め、ネーミングした。マツダの存在意義でもある〝前向きに今日を生きる人の輪を広げる〟ための情報発信拠点として位置付けている。当施設には過去のマツダ車のエンブレムを配したインテリアなど、随所に遊び心を持たせた。幅広い層の人に立ち寄ってもらえる場所にしたい」
向こう側に居る人を振り向かせ、多くの人の心へワクワクが届く開発コンセプトを体感させるトランス青山から、国内外へメッセージを発信していく。
試乗用には昨年導入した新型車CX―80と、2人乗りスポーツ車のロードスターを配備。発電用ロータリーエンジンを積むMX―30や、ひときわ美しく流麗なデザインを誇るマツダ3といった選択肢もあった中で、あえて2015年の発売から10年が過ぎる車種を置く。ブランドマネージャーの石田陽子さんは、
「ロードスターはマツダが目指す〝走る歓び〟を体現する車。運転の楽しさを味わってもらうのに最適と考えた。マツダ唯一のオープンカー。この一帯の美しい街並みをより深く堪能できる」
車以外にも広島らしさを感じられる工夫を凝らす。1階カフェの監修を手掛けるのは06年に宮島で創業し、島内や宮島口などに店舗を展開する伊都岐(いつき)珈琲。農園や地域などが特定でき、国際審査で高い評価を得た「スペシャルティコーヒー」やコーヒー味のソフトクリーム、生口島産レモンを使うスカッシュやケーキなどをそろえる。佐々木恵亮社長は、
「昨年5月頃にマツダから打診を受けた。むろん味にもこだわるが、ここで販売するドリップバッグのデザインに腐心。パッケージに車のシルエットを盛り込むなど楽しんでもらえるようにした。世界が認めるマツダデザインの思いに触れて大変勉強になった。地元を代表する企業と共に、この青山で広島の魅力を発信できることがうれしい」
トランプ大統領が強烈な関税政策を振りかざす。隣国メキシコにも工場を構えるだけに苦難も予想される。国内需要をいかに取り込むか、今後の主要課題になりそうだ。ロードスター誕生から35周年を迎え、昨年末に特別仕様車を発売。受注は好調という。今3月期で初の売り上げ5兆円へまい進。トランス改革で突っ切ってもらいたい。
司馬遼太郎「街道をゆく」第21巻にある。広島駅を起点に国道54号を北上し、三次へ至る「安芸の道」は県民になじみ深く、興味をそそられるエピソードも多い。
旅の時期は1979年6月4〜7日。安芸高田市八千代町の上根峠辺りで日本海に流れ込む江の川水系と瀬戸内海へ向かう太田川の分水嶺に気がつく。古代の広島は瀬戸内海より日本海文化圏に入っていたのではないかと考える。
吉田では戦国大名の毛利元就ゆかりの郡山城趾や猿掛城趾を訪れる。元就の「領民撫育」と「一致団結」の方針が後に幕末、長州藩が身分を超えて団結する気風につながったと指摘。岩脇古墳の丘の上から三次盆地を見下ろしながら思いははるか古代へ。三次に点在する古墳群は古代朝鮮から渡来し、出雲に定着したタタラ衆の墓ではないかと想像を巡らす。その探究心はさすがというほかない。
古道120選
(公社)日本山岳会が今年で創立120周年を迎える。全国の山岳古道の中から選び、いよいよ「日本の山岳古道120選」をサイト、書籍で公表する運びという。全国33支部を総動員し5年がかり。古い文献や古地図を頼りに調査を重ねた。日本の原風景を回復させ、列島の魅力再発見につながる効果は大きい。
中国地区は智頭街道(志戸坂峠・鎌坂峠)、伯耆大山、石見銀山の道、石見街道(石浦峠・三坂峠・中山峠)、中郡古道、津和野街道、萩往還の七つをエントリー。広島支部の近藤道明副支部長は、
「多くの古道は自動車道となり、今はやぶの中へ埋没してしまったところもある。かつて物流の起点となった峠も数多く、海産物と農産物を持ち寄って峠の市で物々交換するなど、にぎわったようです。悲恋の物語も伝わっている」
山岳古道は、はるか歴史をたどる道になったと話す。
歴史の散歩道
JR広島駅北の二葉の里地区(東区)には戦前、花見でにぎわう桜の並木があった。2007年設立のNPO法人「二葉の里に桜並木を復活させる会」は22年夏、15年にわたる活動に幕を閉じた。市の玄関口である新幹線口から二葉山の麓にかけて桜並木を見事に完成させた。今年1月1日発行「二葉の里歴史の散歩道〜桜並木ものがたり」を編集した田辺良平さん(90)はあとがき(抜粋)で、
「今やらなければ、いつできる。おれがやらねば、だれがやる。彫刻家の平櫛田中さん百歳の時の言葉です。会を立ち上げる際にも、この言葉を肝に銘じて実行に移してきたのです。おれがやるにしても誰がやるにしても、何事も一人でできるものではなく、事業に共鳴してくださる方がいて物事は成就します。江戸時代初期のように藩主の一声で野っ原の中に自由自在に並木をつくるのとは違って、昨今はビルの谷間に地権者の協力を仰ぎ、縦横に走る道路の邪魔にならないようにとの並木づくりですから、江戸時代の並木には及ばないかもしれませんが、かつての歴史を蘇らせるほどの並木はできたのではないかと思われます」
広島銀行時代に「創業百年史」編さん作業に携わった。それが経済界で話題になり、あちこちから声がかかって何と20社・団体を合計して3千年に及ぶ年史を手掛けたという。いまなお郷土史家の情熱は健在である。今春はどんな花を咲かせるだろうか。
繰り返す腹痛や下痢、長期化すると大腸がんのリスクも高まるといわれる。安倍首相も悩まされた潰瘍性大腸炎は根治の難しい難治性疾患の一つだが、光が差してきた。
広島大学名誉教授で、同大未病・予防医科学共創研究所長の杉山政則教授(74)は、
「植物乳酸菌の働きによって治る可能性が出てきた。今春を目途に、広島大学病院で医師主導の治験に入る。まずは機能性表示食品として申請し特定保健用食品を目指す」
2016年に広島大学薬学部長と薬学部教授を定年退任後も植物乳酸菌の研究を続けてきた。指定難病への挑戦はイチジクの葉から分離した植物乳酸菌の働きが鍵に。パイナップル果汁で培養し、カプセル剤に加工。これを摂取したマウスが劇的に改善した。
「炎症性腸疾患の患者数は推定で国内に29万人、米国ではその5倍といわれる。治療が難しく、患者を苦しめてきたが、治る可能性のあることが確認できた」
02年春、中国醸造(現サクラオB&D)に勤める教え子からの相談が端緒になった。酒かすのヘルスケア機能性の証明を契機に、植物乳酸菌の研究開発と社会実装は20年以上に及ぶ。野村乳業や広島駅弁当、フジスコなどの県内企業含め20社内外が新商品開発に挑み、市場開拓につなげている。この間に健康志向が年々高まり、追い風になった。カインズ(岐阜)は、サクラオB&Dがパウダー化した植物乳酸菌を使って飲料や酒、ガム、マウスウォッシュ、ペットフードなどとPB展開を広げている。
「小学生の頃に読んだ科学者パスツールの伝記に感銘した。発酵現象や微生物が感染症の原因であると明らかにしただけでなく、その予防と治療法開発に生涯をささげた生き方が道しるべとなった」
高度経済成長の代償で公害問題が顕在化した日本の現状に衝撃を受け、化学より生物学的色彩の濃い学問を追究しようと発酵工学を選択した。
教授に就く41歳を前に日仏科学協力事業の交換研究者としてパリへ。パスツール研究所で抗がん剤ブレオマイシンをつくる微生物(放線菌)の自己耐性機構解明に挑んだ。
長寿大国、日本は健康寿命の延伸が大きな命題。腸内環境が〝元気で長生き〟の源泉といわれる。病原菌やウイルスがすみにくい環境をつくる上で、腸まで生きて届く野菜や果物などの植物由来の乳酸菌は大きな可能性を秘める。
野村乳業の植物乳酸菌飲料との出会いが契機になり、半導体製造装置製作などの実績も多数ある旭興産グループ(東京)は自社農園で薬草栽培などを手掛けるほか、微生物のゲノム解析を容易にする装置や薬草の養液栽培装置を開発し、杉山研究室に納入した。杉山教授は創薬も視野に広島発の植物乳酸菌で世界の人々を健康にする志を抱く。
長崎大熱帯医学研究所の医師、柴田紘一郎がケニアで献身的な医療活動に従事したエピソードに触発され、さだまさしは「風に立つライオン」を作詞、作曲。信念に従い、困難にもひるむことなく走り続ける姿に思いをはせる。
昨年12月刊行した杉山教授の著作「科学者があれこれ好奇心で和歌をよむ」の隅々にその探究心があふれている。微生物の専門知識を駆使したミステリー小説にも挑もうとしている。著作「植物乳酸菌の挑戦」や、伝統と革新の微生物利用技術を表した「発酵」からも研究者の道を究める情熱が伝わってくる。
確かにチョコレートのような風味があるのに、カカオは一切使っていない。食品製造のあじかん(西区商工センター)はチョコレートに含まれる10種類の香り成分のうち、焙煎ゴボウに8種類もの共通成分があることを発見。その研究を生かし、昨年夏にゴボウを原料とするチョコレート風のスイーツ「ゴボーチェ」を発売した。
カフェインを含まず食物繊維が豊富で、ジャパン・フード・セレクション(2024年7月)グランプリを獲得。昨年12月には全国放送のニュース番組でも取り上げられた。いま品薄状態という。足利直純社長(56)は、
「この商品は業務上の失敗作から生まれた。ここ数年、みんなに〝前向きな失敗〟を促し、失敗を恐れて挑戦をためらう雰囲気を払拭することから始めた」
植物由来の原材料だけを使うバター代用脂を開発中に思いがけずゴボウとチョコレートの香りの共通点を発見。まさかの新商品につながった。
「3年前の社員アンケートで(当社には)失敗できない雰囲気があると指摘された。これはいけないと思った。準備不足や怠慢による失敗は許されないが、何か新しいものを生み出そうと意欲的に挑戦した結果、それが失敗しようと容認されなければならない。すぐに社長朝礼で、前向きな失敗を歓迎すると全社員にメッセージを送った」
米ハーバード大学の研究者ショーン・エイカー氏の著書「幸福優位7つの法則」(徳間書店)から示唆を受けた。成功したら幸福になるのではなく、幸福であることが成功につながることを多くの研究から解き明かす。職場の幸福感や楽観主義が業績を高め、失敗へのプレッシャーを抱えた組織と比べて、成果に差が出るという。わが社はどうだろうか。さまざまな試行錯誤を重ねてきた。
「もともと部門間のセクショナリズムが強く、4〜5年前から配置転換によって部門の垣根を超えた組織再編を進めてきた。少しずつ開発や営業などが互いの気持ちを分かるようになり、風通しが良くなった。社風こそ、企業の活力を促す大きな原動力ではなかろうか。優れた商品はさらに優れた競合品の出現で消え去る。しかし社風はいつまでも独自性を発揮し続ける。一人一人が自ら考え、行動する組織を目指している」
楽観主義だから小さなチャンスも見逃さない、ワクワク感があるのだろう。約400種類ある卵製品の一つ「まどか」は、スクランブルエッグを作る過程で、たまたまクルクルと回って筒状になったものを商品化。拡販商品に育った。昨年11月発売のペットボトルタイプの焙煎ゴボウ茶は開発に14年の歳月をかけた。一般的にペットボトルのお茶には酸化防止のビタミンCを微量加えるが、どうしても風味に影響が出る。粘り強く開発を続け、ようやく満足できる商品に仕上がった。滑り出しは好調という。
「主体性があれば職場から指示が無くなる。指示された仕事には気持ちがこもらない。しっかりと背景や狙いを伝え、後は任せる。たとえ、うまくいかなくても、みんなで解決策を考えることが発展につながり共感を生む。楽しい仕事こそ一番の目的です」
前3月期連結売上高は初めて大台の500億円を突破。今期は520億円を見込む。巻きずしの魅力を発信する「巻MAKI課」の設置など新たな挑戦も始めている。
トランプ大統領は「連邦政府による全ての検閲停止」とする大統領令を出した。バイデン前政権が誤情報などで社会を混乱させるソーシャルメディア批判を強めたことに反発し、トランプ大統領は「言論の自由」を侵害するとし、大統領令でひっくり返した。
大統領就任式にイーロン・マスク氏らプラットフォームのトップがずらり居並んだ。近年、米政権が交代の都度に大きく政策転換。日本ではソーシャルメディアを利用した犯罪事件が多発し、選挙で真意不明の情報拡散により投票行動に影響を与えた。これから新聞やテレビと、ソーシャルメディアとの関係、在り方がどう変遷していくだろうか。
フジテレビが大揺れに揺れている。報道機関としての姿勢が鋭く批判を浴びた。一方で新聞界は依然と発行部数減に歯止めがかからない。地域のマスコミを引っ張ってきた中国新聞社(中区)の岡畠鉄也社長は、
「こんな時代だからこそ、事実をしっかりと伝える、地域で最も信頼される情報源であり続けようと、改めて社員に宣言し、奮起を促した」
ニュースアプリなどの利用者は増え続けているが、全国の新聞発行部数は10年前に比べて4割も減った。中国新聞の朝刊発行部数は46万3000部(2024年12月)。部数減をこのまま放置しておく訳にはいかない。新たな挑戦を開始している。昨年夏立ち上げた読者モニター制度「たるトモ」は編集局が主体となり、登録モニターにアンケート調査やインタビューを継続的に実施。非購読者を含む約2000人の率直な意見に耳を傾ける。2月1日付の役員人事で専務から昇格した井上浩一副社長は、
「新聞をはじめとする各種メディアは、読者や視聴者にこんなニーズがあるだろうという仮説の下で、さまざまな情報を発信してきた。当社でも数年ごとにマーケティング調査を行い、コンテンツづくりに生かしてきた経過がある。しかしソーシャルメディアの台頭で変化が加速し、数年に一度では間に合わない。また正しく検証ができているか、読者の求めるコンテンツは何か。より深く探り、より素早く取材に着手し、調査報道なども展開する。物事の核心に迫るジャーナリズム精神を堅持しつつ、デジタル社会に適応したメディア分野も新たに開発し商品力の向上や有料会員の獲得にもつなげたい」
1月スタートした3カ年経営計画の重点項目に▽メディア事業の再構築、▽新事業・投資による収入創出、▽グループ経営・連携の推進、▽働きやすい組織と人づくり、の四つを打ち出した。昨年リリースしたニュースアプリ「みみみ」、新会員基盤「たるポ」、地域企業と新興企業を結び付ける「TSUNAGU広島」のほか、PFI事業といった従来の新聞経営になかった分野への新規参入に意欲を見せる。
「これまでの計画が助走とすると、今回は再成長に踏み込むフェーズに入る。地域の健全な報道機関であり続けるためにも事業構造の抜本的改革が必要だ。現在のグループ売り上げ686億円を2032年に1000億円に引き上げる数値目標を定めた」
不動産事業へ本格参入するほか、M&Aの推進などを盛り込む。老朽化した現本社ビルは、駐車場などのある本社西側の社有地を候補に移転新築する計画だ。本社ビル跡は立地を生かし、ホテル誘致などで収益化の検討に入る。どう変貌を遂げるだろうか。