広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

2025年5月29日号
軍艦島の写真展

かつて人の営みがあった建造物が時の経過とともに朽ち果て、当時の面影を残しつつもまったく異質な景色が全国各地に点在する。変わる前と後が重なり合う「あわい」の時をどう捉えるか。その時を写真に残した特別展「軍艦島と雜賀雄二」―副題「死を生きる島」を撮り続けた写真家―が呉市立美術館で開催されている。6月15日まで。
 長崎市野母崎沖に浮かぶ通称〝軍艦島〟の端島はその異質な風景の一つ。1810年偶然に発見された石炭から端島の歴史が始まり、海底炭鉱として日本の近代化と戦後の経済成長を支えてきたが1974年1月閉鎖が決まる。
 周囲1・2キロメートル、面積6・3ヘクタールに炭鉱施設と住居がひしめき最盛期に東京都心部より人口密度が高い5300人が暮らしていたが閉鎖とともに無人島になった。その年の1月にテレビ報道で知り、カメラを手に軍艦島に降り立つ。
 雜賀氏(74)は12、3歳の頃、百科事典で軍艦島の存在を知り、その特異さに強く引かれた。閉鎖前の姿を一目見ておきたい。大学在学中に独学で写真を学び、閉鎖前年にキリシタンが住む長崎の島に渡り撮影するようになっていた。軍艦島へ毎日のように通い、住民らと交流しながら無人となる4月20日までの日々をカメラに収めた。 以降もたびたび訪れ風化で変貌する姿を撮り続ける。
 同美術館が1996年度に雜賀氏の作品「月の道」3点を購入した。その作品は月の光の下、長時間露光で写し取られた海と岸壁が不思議な異世界に誘う。その後、2022年の開館40周年を前にコレクションの拡充に踏み切ろうとした矢先、雜賀氏からプリントをまとめて譲りたいという意向が届く。まさに絶妙のタイミングになった。横山勝彦館長は、
「呉市は旧海軍の軍港都市として発展し、戦後は平和産業港湾都市に転換されて復興した歴史を持つことから、当館は海と港をテーマとする写真作品を収集。20年には海と共に生きる―をテーマに戦後を代表する写真作家18人のコレクション展を開いた。月の道3点も展示。チケットにも採用し、好印象を持っていただいていたようです」
 1987年には写真集「軍艦島―棄てられた島の風景」で芸術選奨新人賞を受賞。高く評価されている。     
 5月18日、雜賀氏に出展作品に関するエピソードや写真家としての活動について語ってもらうトークイベントがあった。美大の教授も務め、大勢の学生の前で磨いたトークは時には笑いを取り、会場いっぱいに埋まった参加者を引き込んだ。終了後、大分から駆け付けたという男性が軍艦島で生まれ11歳まで暮らしたと明かし、「住んでいた31号棟(RC造5階建て)が鮮明によみがえった」と振り返った。写真の風景がよほど感慨深かったのだろう。
「こうした予期しない出会いが美術館にあることを思えば作品鑑賞だけでなく、いろんな企画にチャレンジしていく価値があり、公立美術館として新たな可能性を広げていきたい。美術館を通じて、呉の良さ、歴史、風景の魅力も広く発信していきたい」
 と意欲をにじます。昨今の廃墟ブームのはるか前から軍艦島を見続け、作品にしてきた雜賀氏は、
「軍艦島のファンは全国に散らばっている。微力ながら私の作品が全国から呉に足を運んでもらえるきっかけになればうれしい」

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