広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
本当かと思うが、会社に在籍しながら「静かな退職」と呼ばれる人が、相当数いるという。米国データ分析会社クアルトリクスが8月に発表した調査によると、日本企業の正社員のうち「静かな退職」は13%に上る。その特有な呼び方もやや気になるが、昇進や仕事への情熱はなく、さりとて退職することなく給料分くらいは働く。
近年は、入社したものの早期転職者が増え、人手不足が深刻化している企業も多い。転職する前の静かな働き方をそう呼ぶのだろうか。中小企業経営者にとって死活問題。何か打つ手はないのか。
広告制作のライフマーケット(南区皆実町)は来年10月で創業20周年を契機とし、四つの部門を分社化して持ち株会社制へ移行する計画だ。新会社は全て「ライフマーケット」の名を冠し、写真撮影の「フィルム」、映像制作の「カラーバー」、イベント企画・運営の「C3(シーキューブ)」、グラフィック制作の「デザイン」と分けた。
各社の代表取締役社長には20〜30代の社員を起用することにしている。写真家でもある藤本遥己専務(29)をはじめ、各分野で腕を磨いてきた人材を社長候補に人事案を詰めている。創業者の元圭一社長(49)は自らの経験も踏まえ、幾つか思い当たることがあった。本業の拡大発展に伴って、技術者集団ならではの自己主張のせいか、クリエイター同士の意見が衝突し、それぞれの創造性が十分に発揮されない場面も見え始めていた。決断するほかない。
元社長は、
「やる気を失ってからでは遅い。自ら経営することで見えてくるものがある。若いクリエイターの意欲、能力を引き出すためにどうすればよいのか、5年前ごろから分社化の構想を練っていた。社長に就くと意匠性や自由度が高まり責任も有為に働く。決算書の読み方や投資判断を身に付けるほか、社員一人一人が自分の仕事の損益計算を行った上で、粗利の一定割合を給与に還元する仕組みも取り入れている。原価管理への意識を磨きながら、銀行取引や投資計画といった経営の最前線に触れる機会も重ねた」
やりがいのある経営の楽しさを実感してほしいと言う。
起業の原点は広告写真。日本広告写真家協会が主催する国内最高峰の広告写真賞「APA AWARD」で最高賞を受け、高い意匠性が評価された。その後は映像、デザイン、イベント部門へ事業を広げ、今年9月期の売上高は前期比25%増の2億円を見込む。2030年は10億円の連結売上高を目指す。各社は独自の収益を追求し、グループ外の取引にも積極参入する方針だ。東京や福岡に続き、地方都市への展開も視野に捉える。
7月に出版事業「The Reason Publishing」を立ち上げた。「その理由」をキーワードに人や事業の背景を掘り下げる。第1弾は元社長と藤本専務がメキシコを旅した写真集「HOLA,MEXICO」。写真展で額装作品なども販売した。藤本専務は「商業写真は顧客主導になりがちだが、写真家自身が発信する場をつくり、新しいクリエイターを発掘したい」とし、京都国際写真祭のように街全体を巻き込むイベントの構想も描く。
今後こうした分社化が増えてきそうだ。むろんリスクもある。しかし静かな退職がまん延する危険は大きい。経営者も、働く人も発想転換してみる価値はありそうだ。
夏から秋に旬を迎える夏イチゴ。寒暖差が大きい高原の気候、水が適していたのだろう。廿日市市吉和の農園「吉和ラフレーズ」が手塩にかけた「冠苺(かんむりいちご)」が見事、日本一に輝いた。
7月30日にあった日本野菜ソムリエ協会の第1回「全国夏いちご選手権」に各地の産地が自慢の28点をエントリー、おいしさを競った。西日本から唯一出品した冠苺は濃厚な甘さと酸味のバランスの良さ、弾力のある果肉などが高く評価された。
吉和ラフレーズを営む栗田直樹さん(43)は安佐北区で農機具を買い取り販売するアグリードを経営する傍ら、父親のふるさと吉和への思いもあり、4年前に夏イチゴ栽培に乗り出したばかり。経験はなく、専門家の助言を得て試行錯誤。ようやく得心できる収穫にたどりついた矢先、全国選手権での快挙。まだ県外出荷できるほどの収穫量に及ばないが日本一の機を捉え、広く冠苺を知ってもらうPR活動を展開している。
夏イチゴも含め、年間を通じてイチゴを楽しんでもらえるよう栗田さんのほか、田原農園の今田徳之さん、ワイ・ワイファームの水田耕太さんの3人が手を組み、3年前にプロジェクト「苺キングダム」を立ち上げた。今年はマツダスタジアムであった8月22日の中日戦と28日の巨人戦のイベントコーナーに出展。冷凍イチゴやアイス、スカッシュなどが飛ぶような売れ行きだったという。
栗田さんは、かねて吉和で農業をやりたいと構想を描いていた。何を栽培しようかと探るうち、冠山の水源とその麓にある標高750メートルの冠高原の気候が夏イチゴ栽培に適していることに気付く。もう迷いはなかった。夏イチゴに夢中になり、懸命に育てた。いまはキッチンカーでイベント出店を重ねながらスイーツ開発にも乗り出している。今秋には念願のカフェ計画も動き出す。
廿日市産のイチゴは、戦後まもない1949年から盛んに栽培された。県内でも産地として古く、ジャムを作るためにメーカーから依頼を受けたのがきっかけと伝わる。平良地区で始まった栽培はピークに農家100軒を数えた時期もあったが、その後に衰退。吉和・佐伯地区を中心に12の生産者が観光農園を開きながら、ほかの作物も手掛けるなどそれぞれのやり方で、廿日市産イチゴをつくる。
農業従事者の高齢化が進み担い手も不足。耕作放棄地は増える一方。イチゴ農家は特に温度管理などに気が抜けないハウス栽培の初期投資が嵩み、経営的にも厳しい。こうした事情から新規参入を阻むが、夏イチゴは産地が限定的で国内の収穫量が少なく、付加価値に見合う値が付く。生産者にとって魅力は大きい。
地産地消を推進する廿日市市は、新規就農6を含め35の認定農業者の経営をサポート。イチゴ農家は4事業者にとどまる。2年前には生産者と食材を紹介するカタログを飲食店や旅館などに配布。顔の見える生産者の食材を扱う宣言店は現在20軒に増えた。
平良のイチゴを復活させようと商工会議所やJA佐伯中央(現JAひろしま)がブランディングチャレンジ研究会を中心に、「はつかいちご」の振興に取り組み、地元の洋菓子、和菓子の店と生産者とのつながりが醸成された。地域の風土と人、行政、農業生産者と消費者がつながり、新たな産業おこしの可能性を広げている。
人から押しつけられると逃げ出す。自ら奮い立つと、何が何でも目的を遂げようと突っ走る。本能だろう。
システム開発の広島情報シンフォニー(東区)は作戦を変更して、社員のやる気を引き出した。若手が主導したDX推進プロジェクトをきっかけに、複数の自社プロダクトの商品化にこぎ着け、想定以上の、確かな手応えを得ているという。
当初は、社内DX化を目的にプロジェクトをスタートさせた。前年までは上長の指名制でチーム編成したせいか、取り組みの主体性などに課題を抱えていたが昨年から立候補制に変えた。あるいは一人も集まらないのではという懸念もあったが、社内告知したその日の内に20代の5人が名乗りを上げた。
チーム運営の仕方も彼らが決めた。本来業務の負荷を軽減するなど無理なく取り組める環境を整え、上司は極力遠く離れて自主的な行動を見守ることに徹した。何か問題点を見付けると、つい口をはさみたくなるが「任せておけ」と我慢したのだろう。
彼らと昨春発足した研究開発チームが一緒になり、データ分析やAI技術活用、新ビジネスアイデアの3チームでDXツールを開発・実証。これまでに工程・外注管理などのさまざまなデータを統合・分析する情報基盤のほか、育児休暇の取得手続きや出張時の手当の確認などの社内規定に関する質問に答えるAIチャットボット、社員の居場所や内線番号、その日の気分や一言コメントを共有する新たなサービスが生まれた。
今秋にかけ、社外へもDXツールの提供に乗り出す構えだ。岡崎昌史常務は、
「チームの一人一人が他部門にも積極的に出掛け、意見を聞いて回るなど、その頑張る姿にみんなが触発された効果が大きい。自分事として捉え自ら動く意識が広がったのだろう。志願し、データサイエンティストの勉強に取り組む社員も増えている」
データに隠されている情報を読み解き、経営の意志決定に必要な示唆、助言を行うデータサイエンスが注目されている。高度な分析能力、数学と統計、人工知能などを総動員する。これをこなした先が競争相手なら手強い。
言うまでもなく、DXは企業の成長戦略を支え、企業間競争に打ち勝つ重要な切り札になってきた。その一方で、大きな成果につなげているところと、限定的にとどまっているところを比較すると大きな差があるという。その差は何か。専門家は「人間力」という。そもそもDXの本質は業務効率化にとどまらず、企業文化や業務の流れも根本から変革することになる。
むろん技術的なスキルがないとどうしようもないが、本来の企業目的を達成するには経営トップの理解、リーダーシップに加え、変革を引っ張ることができる人材の養成、多様な立場の人の意思疎通を図り、問題解決へ向けたみんなのやる気が、何より不可欠という。何のために何をしようとしているのか。そこから踏み出すほか手はない。
とても人間くさい。その課題はいつの時代にもあっただろうが、いまは人間力とDXが手を組み、将来を切り開くチャンスなのだろう。
広島情報シンフォニーは 製造業向けDX支援などが貢献し、2025年3月期売上高は過去最高の20億円を突破。人間力とDXをつなげるコツを発見したプロジェクトの効果は小さくない。
今年で創業160年の歴史を重ねる仏壇製造販売の三村松(中区堀川町)は、今日まで折り返しの節目になった80年前のその日、一瞬にして店も自宅も全てを失った。
当時、4代目の三村繁己さんは未曽有の逆境にあって自ら奮い立たせた。抱えていた職人らの願いも決意を促し、廃虚の街から再興へ向け踏み出す。広島は安芸門徒の地。被爆直後でさえ、あり合わせの材料でこしらえた木箱のような仏壇に向かい、手を合わせる人の姿があったと、いまに伝わる。
金仏壇を拝みたい。昭和30年代に入り、店に切実な声が多く届くようになった。経済復興とともに「つくれば売れる」といった時代を迎え、5代目で社主の邦雄さん(77)にとっても大きな転機になった。慶応大学経済学部で西洋経済史を学び、就職先は商社を希望していたが、当時64歳だった父繁己さんを支えようと広島に戻る。
仕入先に早く仕事をしてもらうため、腹巻に札束を忍ばせた。ある時は小切手を切り仕入先を開拓。絶えることなく注文は入るが、増産しようにも人がいない。そんな時、大学時代に訪ねた仕入れ先の鹿児島県川辺町(南九州市)からひょっこり彫刻師が訪ねてきた。「土地はあるか、人手はあるか」と問うと、「トウモロコシ畑がある、人手は何とでもなる」と言う。
夜行列車に飛び乗り、現地を確かめて新工場の適地と即断。28歳で社長に就くまでの間に、中区南吉島の広島工場建設のほか、鹿児島工場も操業し、急ピッチで生産体制を整えた。大学の卒論テーマは〝英国産業革命時の毛織物工業の工場生産移行〟だったが学問は時代変化を読み取る力となった。
「つくれば売れる。だが、大きな課題は職人の確保。独り立ちまで10年かかり、組合協定で職人の引き抜きはご法度。これまでの問屋制手工業では生産が間に合わない。それで作業工程を細分化・専業化し、一気通貫で生産する供給体制を整備した」
素人ばかり集めてスタートしたが、当初は納得できる品質にほど遠く、徹底して技術修練に時間をかけた。好機と直感すれば即実行。一方で苦汁をなめたことも一度や二度ではなかったと振り返る。
国内外に直営11工場を擁し、直営10店舗と全国卸を展開する。金仏壇製造出荷本数は46年連続日本一。職人の技に近代的な生産手法を融合させた。伝統の技術と文化を次代へとつなぐ架け橋になり経営の基盤とした。
近年は生活様式の変化などを受け、モダン仏壇の品ぞろえも充実させる。160周年を機に新シリーズ〝平和モダン〟を投入。漆塗りなど仏壇づくりならではの技が光る。
「戦後80年。人々の心にゆとりが育まれる環境にあるだろうか。時代が移るとも日々の生活で手を合わせたくなる仏壇をつくりたい。ものづくりの使命を肝に銘じている」
8月6日、邦雄さんの母ハナヨさんは当時、小学校の先生で、学童疎開の引率に選ばれた先生と二人生き残った。もし疎開していなかったら、いまはない。三村家には疎開で被爆を免れたお内仏(浄土真宗の仏壇)が家族の絆を深めてくれるという。
お内仏は金仏壇の一大産地をけん引した3代目松次郎さんがつくった。幼稚園に通う孫が「まんまんちゃん(南無阿弥陀仏)」と唱え、手を合わせてくれると目を細める。家も会社も街も歴史がある。
40、50代になっても何にも分かっとらん。筆者が40代半ばの頃、ある経営者の言葉を聞いて驚いた。そんなことはないだろうと思ったが、いまになって何にも分かっていなかったことさえ、分かっていなかったことに気付く。それだけに40、50代は瞬発力、行動力が生まれるのだろう。そうして経験を重ね、少しずつ思い当たることが増える。
融資の仕事なんて簡単だと勘違いしていた。広島市信用組合(中区)の山本明弘理事長が入組して間もない頃、資金を求めて来店される人がみな、深々と頭を下げる。それを見て、人の役に立つことができる融資の仕事に魅力を感じ、願って配置転換してもらった。ところが毎日、何軒訪ねても門前払い。
「当社のメイン銀行はどこどこだから、早よう帰りんさいと追い返される。これが骨身に応えた。お金は貸すのではなく、借りていただく」
と気付く。ある中小企業経営者の考えに共感し、融資担当の上司に向かってけんかせんばかりにねじ込み、融資にこぎ着けた。その後、その会社がどんどん成長し、心底うれしかった。借りていただいて喜んでもらう。むろん失敗もあっただろうが、会社も社員もみんな元気になり、そうして多くの会社が発展していく姿を目の当たりにした。何よりのやりがいだった。
「融資はロマン」という言葉に感謝の思いも込める。そうした一つ一つの融資、営業体験に知と情が通う。わが信用組合には誰一人、融資の仕事を疎かにする者はいないと言い切る。
職員の待遇改善にも意を尽くす。来店客にはむろんのこと、職員も気持ち良く働けるようにと古くなった支店は次々建て替えた。全35店舗のうち、2014年6月に移転開店した東雲支店に次いで可部、宮内、広、駅前、己斐、海田、五日市、府中、薬研堀と順々に竣工。さらに今年9月には南支店、12月に鷹の橋支店、来年10月に戸坂支店、再来年6月に古江支店と移転開店を計画するほか、向洋、大河、江波、出島、安支店も移転や建て替えを予定。職員のうれしげな顔に勇気をもらうという。
多くの金融機関が効率化で店舗や施設を縮小する中、働く環境整備に積極投資する。給与の引き上げはむろん、諸手当を基本給へ振替えるなど継続的に待遇改善を図る。
24年間に貸出金残高は約2213億円から約8048億円と3.6倍強に。預金残高は約2794億円から約8839億円と3.1倍強に。従って預貸率は79%から90%へ。いずれも飛躍的に数値を伸ばす。働く意欲と業績の好循環をもたらし、預金と貸金の本業一筋、現場主義といった特有の経営が信組界からも注目されており、各地から講演依頼が舞い込む。
山口県宇部市出身。宇部高校では野球部で汗を流し、専修大学経済学部へ。1968年に同信用組合に入り、2005年6月に理事長に就く。宇部高校は逸材を多く輩出している。総理大臣の菅直人、ノーベル賞受賞者の本庶佑、ユニクロを経営するファーストリテイリング創業者の柳井正、映画監督の山田洋二ら、そうそうたる顔ぶれだ。広島で同級生との再会があった。6月12日号本欄で紹介したデータホライゾン(西区草津新町)顧問の吉原寛さんは京都大学から大手製薬メーカーを経て同社に転職。時間を縫って旧交を温めるときが何より。かみしもをほどく。
トップの出処進退は自ら決するほかない。オーナー経営ならなおさらだが、周囲の人がトップに向かって退任を勧めることは難しい。辞めたいという気持ちが5分のときはまだ早い。6、7分ぐらいのときが丁度いい。8、9分になるともう遅いという。まるでトップの心境をのぞいたような、退任のタイミングを計った数字もある。フジテレビの日枝久取締役相談役は87歳で退任。取締役在任期間は41年に及んだ。未曾有の経営混迷のさなか、遅きに失したという声が多い。
退くときはいつか。年齢だけで割り切れるほど簡単ではない。心身共にかくしゃくとして人望が厚く、先頭で全軍を指揮する鋭気にあふれているか。政財界問わず、卓越したリーダーは得難い。
広島市信用組合(中区)理事長の山本明弘さんが6月で理事長在任20年。12月で80歳。誰よりも早く朝5時前に出社する。仕事が大好きだから毎朝3時半に目が覚めるという。まるで背筋に棒が入っているかと思うほど姿勢がピシャリ。さっさと歩く早足になかなか追いつけない。あのでかい声はどこにいても分かるほど響き渡る。
全国の金融界に精通する記者は山本理事長を「異端児」と評した。トップとして日々の食事や運動などの健康管理を徹底し、健康診断はほとんどAランク。同世代の人なら誰もが目をむく。
さらに業績が凄い。2025年3月期決算で22期連続増収を達成。全国の金融界で類がない。分かりやすいデータを上げると、
① 全国の254信用金庫と143信用組合のうち「格付けランキング」はA+(安定的)でトップクラス。
② 25年3月期「コア業務純益」は118億8500万円。全国の地銀・第二地銀98行と比べても堂々の52位。
③ 県内上場企業と比較した25年「当期純利益ランキング」はマツダ、中国電力、ひろぎんホールディングス、ローツェ、中電工、エディオン、中国塗料、エフピコ、イズミ、青山商事、ハローズ、福山通運、リョービ、ウエストホールディングス、ダイキョーニシカワに続いて16位に食い込む。
④ 26年4月に入る新入職員の初任給は大卒26万5000円。県内金融機関では最高額になり、中国地方では、27万円に引き上げた山陰合同銀行に次いで、2番目になる見通し。
人手不足のせいか、多くの企業が初任給引き上げに踏み切り、人材の獲得競争を繰り広げる。しかし同信用組合はいち早く12年前から段階的に初任給を引き上げてきた。今年度の新卒者募集には250人の応募があり、早々と目標の41人採用を決めた。
山本理事長は「女性を大切にする気風が職場にある」と胸を張る。女性職員194人のうち役付者は95人で49%を占める。男性職員195人のうち役付者112人で約57%の割合と比べて遜色がない。25年2月に初の女性副部長3人が誕生した。
女性は妊娠、出産があり、14年から今日までに88人が育児休業を取得しているが、休業からの復職率は96.1%と高い。およそ2年休む人が多いが、預金・貸金を中心にした仕事に変わりがないせいか、復職しやすい環境があるという。女性に優しい。
支店建て替えや待遇改善など働く環境づくりへ気配りを怠らない。好循環を創り出す発想など、次号で。
相場に「人の行く裏に道あり花の山」という有名な格言がある。人の生き方、経営者の孤独を語り、思い当たる人も多いのではないか。
友なき方へ行くべし。相場師は孤独を愛す。それぞれ相場格言だが、さぁ、どうするか。次から次へと経営課題を突きつけられる。広島企業の社長取材を通じて表と裏、知と情、期待と不安が交錯する中、瞬時に決断を迫られる苦悩はいかほどか、つい思いをはせることがある。先のことは誰にも分からない。みんなから支持される決断などないが後にあの時、潮目が変わり拡大発展へチャンスをつかんだと言われる決断こそ、経営者冥利だろう。
全国金融界で異例の22期連続増収を達成した。広島市信用組合(中区)は、前3月期決算で売上高に当たる経常収益202億円を計上。過去最高を更新した。何か特別の秘訣があるのか。いまも午前3時半に起床し、朝5時には一番でオフィスの机につく山本明弘理事長(79)は、
「秘訣などない。あくまでも本業の預金、貸金に徹し、一切ぶれることがない」
と言い切る。2005年6月に理事長に就任するやいなや、過去15年に及ぶ所有株式の損益状況を総ざらいしたところ、バブル崩壊のあおりもあって、さんたんたる結果だった。即座に今後は投資などに目もくれないと決断。大半の株を売り払ったという。
この時から本業一筋。渉外担当の頃に鍛え抜いたフットワークがすごい。理事長自ら年間で1000軒以上の取引先を訪問。日々の決裁など激務にさらされる金融機関トップにして並大抵でない。あのでかい声で取引先を訪れる。
顔を合わさなければ分からない貴重な情報も瞬時にキャッチ。オフィスや工場に活気があるか、どうか。経営者と本音で語り合う。いつしか山本理事長の訪問を心待ちにする経営者も多いという。
大手行などがなかなか真似のできない〝足で稼ぐ〟営業に徹する。金融機関がこぞって合理化を進める中、
「自転車、バイク、足を使った営業は非効率に映るが、これが足腰の強さになり、結果的に高い効率をはじき出す」
と胸を張る。渉外担当者もぶれることがない。
どの業界にも通底する信念がある。競合他社が何をしようとわが道を行く。実績が自信になり、勇気を生むのだろう。むろん暗闇に鉄砲を撃つことはない。取材中にもあれこれと経営指標が飛び出す。「全て綿密に分析し、その上でぶつかってみる。そうすれば余計な心配など吹き飛ぶ」
経験に裏打ちされた勘とデジタルがかみ合うのだろう。
銀行員による貸金庫からの窃盗事件が発覚し、金融機関の中には貸金庫サービスを縮小する動きが出てきた。同信用組合はここぞと攻勢をかける。店舗建て替えなどに合わせて今後3年間で全自動貸金庫を500個以上増やす計画だ。台風や地震、窃盗などの被害から財産を守ってくれるセキュリティー対策を備えた貸金庫利用のニーズは高いと判断。9月16日に新築移転する南支店、その後に計画している鷹の橋支店以降の新築店舗にも全自動貸金庫をそれぞれ設置していく。既存の貸金庫1157個(16年の可部支店移転開店以降)全てが契約済みという。
相手の立場に立つ。案外とビジネスのヒントは身近にあるが、計画を遂行するトップの胆力も試される。職員へ寄せる思いなど、次号へ。
広島にはいいものがある。
人口120万人規模の地方都市で珍しい。カープ、サンフレッチェ、ドラゴンフライズなど市民に愛されるプロスポーツチームや、広島交響楽団が活躍し、美術館は公私立4館を数える。瀬戸内の魚、日本酒もうまい。先人の先見が花を咲かせたものもある。
被爆80年。ひろしま美術館は平和へ祈りを込めたコンサートのほか、7月19日から8月末まで西側回廊で各国の子どもたちがピカソの作品と同じ大きさで描いた「キッズゲルニカ」を展示する。7月27日に本館ホールで広響コンサート、8月4日は、ひろしま平和文化大使を務める原田真二さんのトーク&ライブ、続いて6日は安塚かのんさんが被爆ヴァイオリンで演奏する。入館料は必要だが、いずれも無料だ。
広島銀行が創業100周年を記念し、1978年に同美術館を開館した経過に被爆の惨状を目の当たりにした一人の行員の夢があった。頭取を務め、初代館長となった井藤勲雄さんは8月6日の惨禍から辛うじて生き残り、2日後には本店営業部課長として同じく生き残った副頭取らと旧日銀で営業を再開し、窓口業務に当たったという。被爆で亡くなった行員は144人に上った。
政令指定都市へと発展を遂げ、街の風景は国内外から訪れる人に称賛されるまでに美しく豊かに生まれ変わった。絵画鑑賞が好きだった井藤さんはある日、日本画の掛け軸に心が安らぐ。そして多くの人の心が憩い、安らぐ場を提供したいと思った。その日の経験が広島に美術館を開きたいという夢へとつながり、駆り立てられたのだろう。
あるいは金融マンのアンテナも働いたのか、収集・展示する作品は日本人に好まれ、比較的分かりやすい印象派の絵画と定めた。東京・銀座の日動画廊で紹介されたルノワールの絵「麦わら帽の女」も印象派へ傾くきっかけとなった。そうした井藤さんの生き様は日動画廊(東京)の長谷川智恵子副社長著作「瓦礫の果てに紅の花」に詳しい。
構想十数年、〝愛とやすらぎのために〟をテーマに収集された作品群には世界的名画も多数ある。いまでは入手困難な作品も少なくない。5代目の池田晃治館長は、
「これら有数のコレクションを守り、後世に伝えるべく歴代館長からつなぐ使命をしっかりと果たしたい。海外出張で欧米の一流経済人らと接すると、ごく自然と音楽や芸術が話題に上る。理系の学生も芸術を学ぶ風土がある。金融や経済の知識だけでなく、リベラルアーツを学ぶ必要を実感する。生成AIが台頭し、AIアートがオークションで高額落札され話題になる時代だが、AIは膨大なデータからの推論でしかない。美術館は画家が命を削る思いで描いた作品、人間の持つ本質的な生きる力に直接向き合える。市内にある身近な美術館で本物に触れていただきたい」
日ごろの仕事で左脳の思考に偏りがちだが、本物に接して無から有を生む右脳の感性を活性化し、心のバランスを保つことが、ますます大切になってくるという。
同美術館は市内小学校1〜6年生を毎年バスで招待。年4000人前後の子どもたちが本物に触れる。今夏は市内42校の高校生を7月19日〜8月末の夏休み期間中、学生証を提示すると入館料を無料にする。高校生は初めて。ふるさとを愛する若い人が一人でも増えるよう願う。
日本の政治には国家百年の計がない。松下幸之助は84歳の時、指導者を育成する松下政経塾を立ち上げた。よほどその頃の日本の姿に危機感があったのだろう。
1979年の設立来、今日まで各界に多くの指導者を輩出している。創成期から運営に携わり、塾頭などを務めた上甲晃さん(83)は、
「その頃はまだ貧しく、物質的な豊かさはもちろん、精神的に豊かな日本を目指していた。わが損得を超え、人間にとって本当の幸せは何かと考える政治家を育てたい。幸之助にとって一番の願いだったように思う。いまはどうだろうか。国を背負う政治家は自分の言葉で国家の理想、目標を語り、行動を起こす。その気構えを鍛え、いざというときに敢然と立ち向かう精神、識見を備えておく。幸之助は世界に誇れる日本のリーダーや政治家、経済人、文化人らが活躍する時代を描いていたのではなかろうか」
まずは志だろう。どんな国にしたいかという志がなければ、やがて国が立ちゆかなくなると危惧する。
1965年に松下電器産業へ入社し、広報や販売を担当した後、81年に(財)松下政経塾に入職。幸之助と十数年にわたり仕事を共にして政治家や経営者を育ててきた。これまで培った経験を生かし、95年に退職後、(有)志ネットワークを設立し代表に就任。政治家だけでなく、「志の高い日本人」の育成を目的に掲げ「青年塾」を設立した。
知識を頭に詰め込む座学ではなく、実践が中心。戦争を学ぶのなら知覧(鹿児島)に出向き、公害を学ぶのであれば水俣(熊本)で患者の体験を聞く。本物を見る。本物に触れる。そうこうするうちに物事の向こう側を洞察できるようになるという。これまでに青年塾の門戸をたたいた塾生は2000人に上る。
「決して知識を否定するわけではない。だが、それは全て道具に過ぎない。道具を使う人の考え方が正しく、正しく道具を使わないと到底、実社会で通用しない。だから人間の勉強をしなさいと幸之助から厳しく教わった。青年塾は〝人間力〟を鍛えることを一番の目的としている。これは磁石の磁力のようなもの。周りの人のために一生懸命に取り組む熱心さ、志が人間の魅力をより高めてくれる」
一方で、全国にいる塾生が自らの地域で青年塾を立ち上げるという運動を始めた。今年5月、1番目の地域版青年塾が茨城で発足。続いて「広島青年塾」準備委員会を設立した。8期生で、CIA(中区)社長の長岡秀樹さん(50)を中心に委員会を組織。6月7日、上甲さんを招いて講演会を開き、約100人を集めた会場で来春の開塾を宣言した。長岡さんは、
「日本人の道徳心や美しい国土、歴史、伝統を挙げ、日本はよい国であると幸之助は語っている。日本の姿を守り伝えるために何をなすべきか。広島青年塾では私の出身地である三次で自然を生かしたカリキュラムを予定。西南戦争では最後まで西郷隆盛に付き従った増田宋太郎が手記に残している。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず…、いまは善も悪も死生を共にせんのみとある。いかに西郷が人から慕われたか。これほどまで慕われる魅力を持った人間の姿こそ、幸之助もまた人づくりの手本としたのではないだろうか」
世界が混迷する中、誰が日本丸のかじを取るのか。
もう猛暑の頃か、7月20日には参議院選挙の投開票で各党の勢力図が定まり、果たして政局が動き出すだろうか。
一段と世界情勢がこんとんとしてきた。トランプ関税の衝撃に右往左往し、世界各地で武力紛争が頻発する。平穏な日常とかけ離れて「なぜか」といぶかるほかないが、国をリードする政治家の見立て、心境はいかほどだろうか。
もっぱら総理再登板がささやかれている。支持率低迷で不本意にも再選断念に追い込まれた岸田さんが再登板に向け気力、体力を充実。すこぶる元気という。日本公認会計士協会(東京)の新・旧正副会長ら幹部が広島に集まり、6月15日に「岸田先生を囲む会」があった。
この会は当時、同協会の中国会会長を務めていた公認会計士の石橋三千男さん(77)が中国会会員に呼び掛け、2013年春に結成。定期的に開いていたが、岸田さんが21年10月に第100代総理大臣に就任し、併せてコロナ禍でしばらく開催を控えていた。
当日は、協会の手塚正彦前会長、茂木哲也会長、7月に新会長に就く南成人氏ら8人が出席。トランプ関税ほか、ロシアとウクライナ、イスラエルとイランなど武力紛争をめぐる世界情勢が話題に上った。これから先、世界はどうなるのか、誰一人として的確に予測することはできないように思えるが、岸田さんは、
「日本にとって大変重要な問題で手を尽くしている。日本としてやれることをしっかり取り組んでいくしかないでしょう」
差し障りのない答えのようだが、誠実な岸田さんの人柄が伝わってきたという。
総理在任中の3年間に経済成長を軌道に乗せ、賃金アップや資産運用立国を打ち出すなど「新しい資本主義」の姿を描いた。安全保障分野などで多くの実績を残したと評価する声は多い。
高姿勢や低姿勢ではなく、「正姿勢」を信条とし、向こう受けを狙ったような言動は少ない。一寸先は闇という。思惑や駆け引きが入り乱れる政界にあって、常に正しく物事と向き合い、正しく事態を見通すことは並大抵でないだろう。石橋さんは、
「まさしく公認会計士にとっても正姿勢こそ大切と思う。数字にはどういう意味があるのか、読み解く力を日々鍛錬していく正しい姿勢が求められている」
と共感を寄せる。岸田さんへこんな提案もぶつけた。
「法人に全国100支店があれば、支店ごとに国に対して法人税、県には県民税、市町村に法人市民税などの申告と納付を必要とする。これらの課税基準は法人税の課税所得なので消費税と同様に国だけに法人税等として申告、納税することにすれば、納税者の事務負担のみならず、大幅な行政コストの削減が可能になる。まずは税法の〝棚卸〟が必要ではないか。租税法律主義は国民が理解できるものでないといけない。これを手始めに法律と制度の棚卸をして人的資源の有効活用、社会の効率化、行政コストの削減が必要ではないか」
岸田さんは「そういう諸々の検討すべき課題がある」と受けた。よくぞ臆することなく専門分野のテーマをぶつけたあたりが、いかにも石橋さんらしい。一方で、じっと国民の声に耳を傾け、どんな時もとことん話を聞く根気があるという岸田さんらしいエピソードに思える。お二人の正姿勢に相通じるところがあるのだろう。
筆生産量全国一の熊野町で筆の日の3月20日、画期的なイベントが話題を呼んだ。
熊野町商工会の有志でつくる「熊野町の観光を考える会」(34社)は、タイの三輪タクシーで有名なトゥクトゥク2台を繰り出し、筆の博物館「筆の里工房」と仿古堂本店横の観光案内所「筆の駅」を循環。朝9時から午後3時まで15分刻みで走り、家族連れやカップルら130人余りが、春の風を受けながら熊野のまち巡りを楽しんだ。土屋武美会長(晃祐堂社長)は、
「試運転を重ね、当日は保安員も同乗し運行。何より安全面を確保し無事終えることができた。熊野町は交通の便に課題があるためか、素通りされることが多い。何かできることはないかと考えた。町には榊山神社や光教坊の大イチョウなど魅力的なスポットが点在。当会は以前、彼岸花を植える活動や一般から募った花木の穴場を観光マップに仕立てた。ここらを自由に回遊できる交通手段の検討を重ねていた。筆の日を盛り上げたいと、参加した仲間の絆が深まったのも大きな成果。できることから始め、今後は町を周遊する仕組みを構築し、軌道に乗せていきたい」
トゥクトゥクのハンドルは有志が握った。商工会の補助金や車体広告などで協賛も募って運営資金を賄った。マイクロモビリティ実証実験事業として手応えを得たことから来年の実施を見据える。
6月4日にあった「クマノ・クリエイティブ・パレット(KCP)」の今年度の第1回会議で成果を発表。KCPは、文化芸術のまちづくりを目指す町が筆の里工房向かいに建設中の観光交流施設を拠点に、さまざまなジャンルで創作に励む人の輪を広げ活性化につなぐ活動。「手仕事の町」としてハンドメイドのワークショップも開き、人が集まり、交流を生む起爆剤の役目を担う。▽自然▽街歩き▽中心エリアの活性化▽町を巡るアクセス―の四つの分科会も設け、来年度開館に向け準備が進む。筆の里工房が事業を受託。
町は熊野道路の無料化や新しいバイパス整備などを受け宅地化が進み、人口は社会増の傾向を示す。観光振興の整備が進めば、人が人を呼ぶ好循環も生まれる。国が指定した伝統的工芸品の熊野筆は海外からの来訪者も十分に満足させる奥深さと魅力がある。こうした資源を生かし、熊野筆生産者をトゥクトゥクで巡るツアーがあってもいい。
土屋会長を補佐する丸山長宏副会長(瑞穂社長)は、
「事業の実働に当たっては町の交通や安全に知見のある外部関係者に都度、壁打ちしアドバイスを求めた。〝共創〟の意識が大事だ。会のメンバーとは共通の目標と価値観の〝Same Page〟を共有しながら話し合い、企画を進めていった」
何よりゼロから一歩踏み出す実績をつくり、次に向かう原動力となったよう。くしくも二人とも熊野筆づくりが家業の家の〝入り婿〟さん。共に県外出身で異業種から伝統産業を継承する宿命と出会ったのだろう。
革新は「よそ者・若者・バカ者」が起こすといわれる。既成概念に縛られず、自由な発想で新風を吹き込む。「経営の神様」と言われた稲盛和夫も彼らの存在を活用していたと伝わる。失敗を恐れずチャレンジし、向かい風に向かって突き進む。その担い手が人を動かし、組織を動かす。革新は周囲を巻き込む情熱、夢から大きく動き出す。
たとえ黒字経営であっても求人難などの人手不足による倒産が急増。帝国データバンクによると2024年度の人手不足倒産は342件で前年度の260件に比べて1.3倍に増え、2年続けて過去最多を大幅に更新した。
総務省が発表した日本の総人口は24年12月1日現在の確定値で1億2374万人。前年同月比で55万5000人減少し、うち15〜64歳の生産年齢人口は21万6000人減った。象徴的なデータがある。日本人は89万人減ったが、外国人は33万人超と10%以上増えた。
24年4月から運送業も時間外労働の上限規制が適用された。海に囲まれた日本は単一民族で歴史を刻み、発展してきたが風向きが変わり、このままでは現場がまわらなくなる先も増えそうだ。
02年に設立以来、累計8000人を超える技能実習生・特定技能外国人を受け入れてきた西海協(協)(安佐南区伴南)は全国の先陣を切り、外国人トラック運転手の受け入れに踏み切った。7〜9月で計15人のベトナム人男性が免許取得に挑み、特定技能運転手として公道デビューを目指す。池田純爾理事長は、
「これまで主力に受け入れてきた製造業向けの外国人材市場は飽和状態で、安定した成長に臨み職種や業種を広げる必要がある。先行する介護分野や、物流24年問題を機に運転手不足に拍車がかかる運送業に加え、今年12月に倉庫業を特定技能分野に追加する道筋も見えてきた。こうした業種の外国人材需要に応えていきたい。初めて受け入れる運送業分野では運転適性の見極め方・安全性を担保した上で免許証取得はむろん、どのように営業運行につなげていくかなど課題は多い。レベルの高い安定した教育を行って、受け入れ先から歓迎される体制を構築していきたい」
国際的な人材獲得競争も激化する中、人手不足分野の人材育成・確保を目的に技能実習制度を発展的に解消し、いよいよ「育成就労制度」が27年度から始まる。海外から選ばれる日本になれるよう組合運営そのものを変革し、時代が求める体制確立が急務になってきたという。
省人化や省力化、DX、AI活用などが進展。しかし物流業や建設業、介護現場などでは人の手でなければ困難な業務も多い。県外国人介護人材協会の坂本尚己会長は、
「いま介護施設の70%が人材不足に直面。EPA(経済連携協定)や技能実習など四つの在留資格で介護職に就く県内の外国人は約3700人。さらに外国人を起用する動きが加速してきそうだ。今年4月には訪問介護も解禁された。高齢者人口がピークを迎え、一方で現役世代が急減する40年代には日本人だけによる介護は一層困難になると予測される」
在留資格を持った外国人は昨年末で376万人超と過去最多を更新した。うち技能実習と特定技能で74万人超。長く働きたいと望む外国人材を受け入れるインフラ整備や支援体制をどう整えていくのか。池田理事長は、
「言葉や生活習慣、文化に違いはあるが、人として成長を実感できる働き方をしたいと思う心に違いはない。安心して働き続けられる。やりがいのある人生設計を自由に描くことができる。そうした共生社会実現へ少しでも役立つことができるよう尽力したい」
制度が変わろうが、相互に信頼できる人間関係こそ共生社会の土台と力を込める。