広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
「わくわく大作戦」とネーミングされた部署横断プロジェクト。何かと堅い企業イメージが先行する中国電力グループの一員で、塗装や建築工事を手掛ける中電工業(南区出汐)が一転、イメージを突き破る大胆な作戦を打ち出し、周囲を驚かせている。
2021年から始めた。建築・塗装をイメージした「ビルダイン」と「ペイントン」の公式キャラクターを登場させたほか、塗装工事の協力会社組織「電栄会」各社の武将キャラクターが先陣を競う。就活生向けに、工事監督者をオーケストラの「指揮者」になぞらえたリクルートページや、全ページに現役社員が登場する若者向け雑誌のような採用パンフレットを作成し、一気に勝負に出た。
むろん働き方も改革。コアタイムのないスーパーフレックスタイム勤務制度ほか、現場写真データの管理などにITを駆使し、業務効率化を推し進める。21年6月に就任した石井浩一社長は、
「3カ月後全員へ作戦開始を宣言した。当初の18人から次第に輪を広げ、いまでは11チーム延べ130人弱がプロジェクトに関わる。成果もさることながら作戦を実行に移していく過程での社員の成長、そしてわくわく感から生まれる一体感こそ一番の目的だ。コミュニケーションが円滑になり、安全やコンプライアンスを守る意識も自然と高くなってくる。過去3年、新卒者で離職した人はいない」
90日で目標達成
全国で初めて、ドローンを使った鉄塔塗装資材の運搬に成功。昨年12月にはワクワクやクリエーティブをキーワードにオフィスのリノベーションを行うなど、矢継ぎ早にプロジェクトを実行した。勢いよくスタートしたが、次第に失速する事例は枚挙にいとまがないが、同社の作戦が次々成果を挙げるのはなぜか。
経営コンサルのニューチャーネットワークス(東京)の高橋透社長をアドバイザーに加え、プロジェクトのゴールを90日に設定する、BTP(ブレークスループロジェクト)という考え方を採用。3年の中期計画や年間計画などを90日という短期のゴールに置き換える。週、日単位の具体的なアクションが見えると全力投球しやすくなり目標を細かく区切ることで、その都度に成功体験を味わえる。さらに行動量と質が高まり、成功が加速する案配だ。
各チームの活動開始時は高橋社長を交え、キックオフミーティングを開く。リーダーはビジョンと目標を面白そうなストーリーに仕立てメンバーに伝え、全員が最終結果に責任を持てるようにする。必ず達成する状況をつくるためメンバーはみんなの前で宣言・約束し経営層への中間報告や90日後の最終報告日時を設定。毎日の達成状況を公表し、社内のさまざまな人からコメントをもらうことで、実行を習慣化している。
石井社長は、
「オフィスリノベーションではメンバーたちがこんなところで働きたいと思う空間を自ら設計。20以上のブースを設け、より創造的な働き方ができるオフィスが実現した。お客さまからも社員の笑顔や会話から、生き生きした空気が感じられると、うれしい言葉を頂く。みんなが新しい事に挑戦する楽しさ、一緒に困難を乗り越えるわくわく感を体感してくれていると思う」
社外とワクワク共有へ「DESHIO(デシオ)いいでしょプロジェクト」を始める計画だ。
全国的に伝統工芸士の後継者が先細る中、呉市川尻町に根付く経済産業大臣指定伝統的工芸品の川尻筆に2月、若手の二人の伝統工芸士が誕生するというニュースが舞い込んだ。これで川尻筆の技を継承する伝統工芸士は4人になり、将来へ新たな明かりをともした。
江戸後期から職人の技を伝える文進堂畑製筆所で修業してきた4代目の畑幸壯(こうそう)さん(36)は、全国でも最年少の伝統工芸士という。父親で3代目の義幸さんが長年の研究と工夫を重ね、現代の最高級羊毛筆を確立した筆作りのそばで育った。幼少期から良い原毛に見て触れ、そして良い仕事は特有の〝音〟で分かるという、その記憶は何事にも代え難いものだったろう。22歳で弟子入りし、若くして全ての技を習得するという異例の才を発揮した。
もう一人。湊毛筆製作所の湊宗道さん(41)は筆職人の祖父に憧れ、父親の達哉さんの背中を見て育ち、伝統工芸士の仲間入りを果たした。二人には父親が伝統工芸士という共通項があり、仕事場が遊び場という生活と筆作りを一つにして伝統工芸の技法を代々つないできた。
県内にある筆の産地は全国ブランドの熊野筆と、川尻筆の二つを合わせて全国生産量の8割を占める。分業体制を敷く熊野筆に対し、川尻筆は一人の職人が仕上げまで70を超える全工程に携わる。毛先が割れず墨含みの良い〝練り混ぜ〟という技法が特徴で、高級書筆を得意とする。
AIと筆
地域の特産を生かして町を盛り上げようと、川尻毛筆事業協同組合(坪川竜大理事長=坪川毛筆刷毛製作所社長)は昨年10月、川尻筆を地域団体商標に登録。これを起爆剤とし、書筆以外でも商標を活用する商品開発を検討している。組合の前理事長で、川尻に筆作りをもたらしたと伝わる上野八重吉の5代目で、やまき筆菊壽(きくじゅ)堂を経営する上野龍正さんは、
「昨春は弘法大師生誕1250年を記念し、野呂山の山頂にある筆塚で初めて筆供養を開いた。今年も山開きに合わせ4月21日に開く。筆はいま日常生活の中で過去のものになりつつあるが、AIが世界を席巻するいまこそ、日本語の機微、素晴らしさを繊細に表してくれる筆の実力を見直し、筆で文字を書く体験を広めていきたい。読み書き、そろばんを基本としてきた日本人の知恵は、産業の発展や文化の多様性を根底で支えてきたと思う。創造性を養う上でも五感を動員する読み書きが有効ではないか。筆産地の熊野や川尻の小学校などで筆作り体験学習を地道に続けている。子どもたちも地域の文化と伝統を知ることで誇りや自信が育まれ、成長へつながると確信している」
筆作りを取り巻く環境は次第に厳しさを増す。中国製の攻勢に加え、良質な天然毛の確保は年々難しく、職人の高齢化と後継者難が深刻化している。しかし、ここでへこたれる訳にはいかない。成果を挙げるまでに長い時間はかかるが、いまが読み書き教育の出番ではなかろうか。
湊毛筆製作所代表者の湊達哉さんは、
「技は見て、盗んで、覚えて初めて自分のものになる。やり方は教わることができるが自分で工夫し、考え、繰り返し鍛錬するほか道はない」
芸術、学問、スポーツなどの全てに共通する基本なのだろう。近道はない。
27歳の時、リフォーム会社の社長が夜逃げを図り、残された社員は自分一人。血相を変えた代金未払い先の職人に囲まれ、逃げ道はない。とっさに、私が独立して仕事を回すと繕ったものの、誰も相手にしてくれない。だが、必死な姿を信じてくれたのか、たった一人の塗装職人が応じてくれる。切羽詰まって、どう振る舞うのか、その後の人生を大きく分けるターニングポイントになった。
その日から約30年。住宅リフォーム業界で地場トップに成長を遂げたマエダハウジング(中区八丁堀)の前田政登己社長(58)は、
「誠意を除くと何の取り柄もない。退路を断って懸命に働くほかなかった。会社を絶対に潰してはならないと心に誓った」
1993年に個人創業。自分に厳しい営業ノルマを課した。手製のチラシを何百軒、数千軒にわたり配り歩く。徐々に軌道に乗り95年に法人化。初めて人を採用し経験者2人が加わったが、次々と会社の売上金を横領された。さすがに心が折れ、人間不信になりかけたと明かす。しかし子どもの頃、ぜんそくで苦しむ背中をさすって励ましてくれた母の言葉が浮かんだ。どんなにつらくても、昨日より今日はきっとよくなる。
「しっかりと管理できなかった私に落ち度がある。経営理念を伝えられていなかった。窮地に立つと真っ先に顧客の顔が脳裏をよぎる。信用して仕事をくれた人を裏切ることはできない。何のために経営しているのか。リフォームを終えて、いかにも晴れやかな発注者の表情を見るために力を尽くす。人の喜びを自分の喜びとする価値観を共有できる仲間を増やしていきたいと痛切に願った」
新卒や未経験者中心に採用を進め、一人一人に考え方を伝えた。信頼し任せると業務改善の工夫や新しい発想が生まれる。生産性向上につながり、働き方・働きがい改革やリスキリングなどに取り組む素地ができた。
協力企業の会でも積極的に勉強会を行う。2023年12月期売上高は約10年前から2倍の21億円に増え、関連領域の不動産、施工の2社合わせ29億円を計上した。
いつもスッと背筋を伸ばし相手の話をおだやかな表情で聞く。181センチの長身だが、威圧感は受けない。
「1件のリフォームから始まり不動産や相続相談、子どもが結婚したときには新築などと、人生の折々に声を掛けていただく。その信頼を糧に仕事の幅が広がってきたように思う。経営環境は時代の潮流に大きく影響されるが、決して変えてはならないものがある。地域密着に徹し、予想さえできなかった変化にも柔軟に対応することができるコングロマリット(複合企業体)経営を目指している」
工場内装やオフィスの営繕に強い会社の買収でノウハウを磨いたほか、リフォーム時に発生する不用品処分などの需要を見込んで貴金属・ブランド品買い取り店の経営を引き継いだ。昨年は新築戸建てブランドを譲受。住まいと暮らしのワンストップサービスを掲げ、M&Aを展開。人口減に伴う人手不足の加速を見越し、人材派遣業にも乗り出した。
グループ6社の前期売上高は42億6800万円。従業員165人。2030年に向けて高々と旗印を掲げ「グループ10社で300人、売上高100億円」「地域で輝く100年企業」の夢を描く。
父親の体調不良を知り、病院向けテレビレンタルの先駆けだった家業を継ぐと決心。商社勤務から転じて1994年に帰広し、事業経営の世界へ踏み込んだ。
保育サービス事業を全国展開するアイグランホールディングス(西区庚午中)の重道泰造会長兼社長(59)は当時29歳で、家業は従業員5人、年商5000万円だった。その後は奔流のごとく一瀉(いっしゃ)千里に事業を拡大し、2023年12月期決算で売上高213億円を計上。幾度かの危機を乗り切り、ちょうど30年で大台突破を果たした。
01年に新規参入した保育サービスは北海道から沖縄まで病院内を主力に全国約500園を受託運営する。今期は児童発達支援事業、フィットネスジム運営などのグループ経営を加速し、売上高222億円を見込む。
商社時代に海外を飛び回った経験をヒントに始めたスーツケースレンタル事業が順調に伸長していた矢先、米国同時多発テロが起き、注文はゼロ。雇用を守らなければと新規事業を模索する中、激務にさらされる医師や看護師を支える「院内保育」の雑誌記事に目が留まる。子どもの頃、夜遅くまで働く親が家にいなく、寂しい思いをした記憶も保育という分野へ意識を向かわせた。やがて「子どもを預ける保育園がなく働けない」という待機児童の問題が表面化。事業所内保育園の全国展開に乗り出した。
0〜5歳の未就学児約1万2000人を預かり、20〜70代の保育士約5000人が働く。子どもの命と向き合う保育士が安心して働き続けられるよう細やかな配慮を怠らない。病気やケガで長期に離脱しても所得の喪失分を最長、定年まで補償するGLTD保険に加入。保険適用を受け、安心して療養しながら早期復帰を目指す人もいるという。
サラリーマンより事業経営に向いていると確信があったのではなかろうか。相手の立場に立って考えることができる。人の役に立つ。そうした経営者の資質に加え、ケインズのいうアニマル・スピリッツをもって挫折さえも飛躍の原動力とした。
いま待機児童は減少傾向に転じ、従来ペースで保育施設を新設する必要がなくなりつつある。一方で、財政の制約や保育ニーズの多様化などを受け、自治体が推進する公設民営化の受け皿として、これまでの実績を糧に全国へ働きかけていく構えだ。
人と人が真剣に向き合う職場だけに、人間関係のずれから保育士が辞めていくケースを幾度となく経験。数年前からは全ての園で昼礼タイムに「ありがとう」の言葉を掛け合う習慣を根付かせた。
「働く者同士それぞれが良いとこ探しをして、お互いに褒め、感謝し合う。そういう関係が日頃から当たり前にある職場となるよう、みんなの心を通わせることから始めたいと思った。安心感と自信、誇りが生まれてこそ気持ちよく働けるのではないだろうか。子どもが家に帰り、ありがとうとまねる。親から驚かれ、感謝されることが増えた」
21年春から全国展開する児童発達支援事業も本格化してきた。FC運営する24時間フィットネスジムは福利厚生の一環で受託園の集積地を対象に15年から出店開始以来、30店に増え、平均会員数1000人以上と加盟店中トップを走る。グループ年商1000億円を目標に描く。
選んだ道は成功するまでやり抜く。肝も据わっている。
常識をひっくり返すと、時にとんでもないチャンスが訪れる。三島食品(中区)は風味のいい赤シソを使う主力商品「ゆかり」がヒット。10年ほど前から醸成してきた〝脇役戦略〟を一段と加速し、3期続けて過去最高売り上げを更新。今期も増収を目指す。
ふりかけでは後発メーカーながら創業者の三島哲男さんの口癖でもあった「良い商品を良い売り方」に徹し、全国ブランドへと成長した。温かいご飯にふりかける役割だけでなく、調味料としての出番に着目。肉や魚をはじめ取引先のさまざまな食材や商品に寄り添う〝脇役〟と名付けた販売戦略を展開している。
米の消費量は下降線をたどるが、ゆかりの売り上げは上昇。量販店や大手食品メーカーで扱う、いわば〝主役〟の販売を押し上げ、結果的に脇役も潤う好循環が生まれているという。末貞操社長は、
「十数年前に店頭で関連商品を一緒に陳列するクロスMDを展開したところ肝心のゆかりは目標を下回ったが、タコは8倍、長芋は10倍売れたという。ゆかりを売ろうとしたから落胆したかもしれないが考え方を変えれば大成功。例えば、タンパク質の摂取が望ましい高齢者に、ゆかりの風味を添えると食事が進むようになる。赤シソの力が役に立つ。ここに着眼すると可能性は大きく広がってくる」
ゆかり味のパン粉をまぶした半生チキンカツをイズミで1年以上販売し「これはいける」と手応えを得た。脇役戦略を実現する「メイン食材販売支援プログラム」を1年前に始動し、社長直属の専任として営業本部広域マネージャーの吉本英治さんを抜てき。ゆかりのパッケージに見立てたコスチュームをまとい、提案の相乗効果を導き出す空気を演出する。〝赤しそ生活〟が目を引くのぼりのほか、ゆかりの紫に染めた販促一式を無料で貸し出す。ユニークで何だかおもしろそう、俺も私もやってみたいと思わせる企業風土が戦略を引っ張った。
二代目の三島豊会長は「会社に関係することなら勤務中でも自由にやっていい」という〝B面活動〟を提案。その精神を末貞社長が引き継ぐ。
「当社では変化を起こす人を〝変人〟、奇跡を起こす人を〝奇人〟と呼ぶ。アイデアを湧き立たせ、語り合い、周りも巻き込んで智の連鎖が起こる職場が理想だと思う。何事も本人のやる気次第。脇役戦略は、まず取引先の意欲を引き出し、息の合ったタッグを組んでこそ成果が出る」
2月に幕張メッセであったスーパーマーケット・トレードショーで支援プログラムを初披露し、反響があったという。原料素材の赤シソは20年以上、独自に品質改良などの研究を重ね、一方で「商品は売るな、食生活習慣を売れ」と大号令を掛ける。綿密に計算した縦糸に、楽しんで働く横糸をうまく織り成し、好業績の原動力とした。
「人は往々にして言うこととやることが違うことがある。有機がいいからと価格が高くゆがんだ野菜を常に買い求めるだろうか。消費行動は正論ではなく実論に則している。見間違えてはならない。B面活動で楽しみ、面白がって仕事に取り組む。思いがけないユニークな発想は、生き生きとした心から生まれてくるのではないでしょうか」
ゆかり3姉妹にひろし、かつお、鮭ひろしと続き、1月にしげきが加わった。SNSで認知度を高め、ひろしは原料となる広島菜の生産を引き上げているという。
人口減と少子高齢化に歯止めがかからない。厚生労働省が発表した人口動態統計の速報値によると、2023年生まれは75万8631人で過去最少を更新。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口では70年に8700万人となり、20年の1億2615人に比較して3割減。50年の生産年齢人口は21年に比べて2175万人減る。
高度成長期を支えた人口ピラミッドが逆転。あらゆる分野で人手が足らなくなり、従来の雇用形態が根底から崩れる。企業は今後、持続的な発展をどう確保していけばよいのか、かつて経験したことのない難問にぶつかる。
西日本海外業務支援(協)(通称=西海協、安佐南区伴南)は02年に設立以来、累計で7000人以上の技能実習生・特定技能外国人を受け入れてきた。全国の38都府県で90職種のうち35職種(47作業)に実績があり、組合員数は1月現在で155社。在籍者は2000人を超え、西日本で最多規模へ成長を遂げている。首都圏や全国展開への足掛かりをつかむため、22年に東京事務所を開設。今年1月にはベトナム・ホーチミン市に「アセアン事務所」を開いた。池田純爾理事長は、
「現在、最も多く受け入れているベトナムの送り出し機関と組み、一定水準の人材を掘り起こしていく。現地の大学や高専との提携も視野に入れており質の高い、安定した教育を行った上で送り出す体制を構築していきたい」
在留資格を持ち国内で就労する外国人数は昨年10月時点で初の200万人を突破した(うち技能実習生41万人超)。40年には3倍強の674万人と予測されている。
日本で習得した技能を母国で生かすことを目的に、1993年に創設された外国人技能実習制度が実態とそぐわなくなってきたことから発展的に解消し、外国人の人権保護やキャリアアップ、安全安心に暮らせる共生社会に重点を置く制度整備の方針が昨年11月に打ち出された。日本人だけで企業活動を続けることが難しくなってきたという認識が背景にある。
西海協は、母国と異なる日本の生活様式や日本語の習得を重視しており、N1〜4合格者数は昨年12月現在で2912人を数える。安佐南区の研修施設でゴミ分別や自転車講習、防災教育など体験型指導を徹底。習慣や文化の違いから起こるささいな行き違いを未然に防ぐだけでなく、制度の見直しを見据えながらキャリアアップやキャリアパスを通じて〝自立できる外国人材〟を輩出するための体制整備を急ぐ。
「小さなほころびが大きな分断につながる。誰しも言葉が通じないことで起こる悲劇には遭いたくない。国籍の異なる人々が仲良く暮らす共生社会をつくることが最も大事。国内で就労する外国人はますます増えていく。これまで重ねてきた実績と培ったノウハウを生かし、いま新しい日本をつくる気概が必要と思う。新しい制度を契機とし、多くの国、人から選ばれる日本の受け入れ態勢を整えていくために力を尽くしたい」
外国人材の確保をめぐって国内外で競争が激しくなると予想される。安心して働き続けられる包括的サービスの提供とともに、やりがいのある人生設計を自由に描くことができる生き方を後押しする。自立こそ誰もが願う本来の姿ではないだろうか。国籍を超えて助け合う、心が通う社会を失ってはならない。
沸騰しそうな地球を放置できない。カーボンニュートラルの取り組みをビジネスチャンスとし、世界中の会社が虎視眈々(たんたん)と新規参入をうかがう。
広島県(湯崎英彦知事)は環境課題を解決する新しい産業・事業を生み出す支援事業を展開している。本年度は石崎ホールディングス(安芸区矢野新町)、カキの取扱量で国内トップクラスのクニヒロ(尾道市)など4社を対象に環境・エネルギー分野に特化した事業創出への取り組みをサポート。県が事務局を務める「ひろしま環境ビジネス推進協議会」は2月27日、4社の成果報告会を開く。
環境に関わる自社の課題を広く発表し、一緒に事業開発を担ってくれる相手を募るオープンイノベーションの手法を採用。思いがけない分野からプロが驚くアイデア、ヒントが飛び出してきた。
自動車や住宅のガラス加工を手掛ける石崎ホールディングスは、年1000トンに及ぶ廃ガラスの再利用に挑んだ。これまでは産業廃棄物として業者に引き取ってもらっていたが、ヘアケア用品などの企画・開発を手掛ける東京の会社と組み、香水ボトルに再利用するプロジェクトをスタートさせた。
ガラスは大きく分け、住宅用などの「板ガラス」と「瓶ガラス」がある。同じガラスでも原材料や製造工程が異なり、そこには想定したよりも大きな壁があった。石崎泰次郎社長は、
「ガラスを扱うプロを自負していたが、瓶ガラスは分からないことだらけ。国内でも珍しいチャレンジになった。まず廃ガラスを溶かして瓶に再加工してくれる業者を見つけるだけでも相当苦労した。やっと萩市のガラス工房に賛同してもらい、何とか形にすることができた」
再生したガラス瓶の中に県産レモンなどから蒸留した香水を詰め、県内外の百貨店で販売する計画を立てる。
「香水用だけで全ての廃棄分を再利用できるわけではないが、視野が広がった。これを契機に環境分野の新事業に継続して取り組んでいく」
全国的な鳥インフルエンザの影響でカキ殻を飼料とする需要が大幅に減り、県内にある殻の集積場がほぼ満杯となる中、クニヒロはカキ殻の高付加価値化に着手した。米国の大学発バイオベンチャーと組み、これまで再利用する前段階に必要だった1年ほどの天日干しの期間を大幅に短縮した上で、殻から抽出した炭酸カルシウムをナノ化する技術を開発。これから食品や医薬品、化粧品などの原材料として提供する構想を描く。新谷真寿美社長は、
「カキ殻の処理は業界の大きな課題となっている。何とか解消できないかという思いを持っていたが、カキを扱う仕事柄、繁閑の差が大きく、なかなか踏み出すことができなかった。他社と短期間に集中して取り組むことで、スピーディーに行動する大切さを痛感。自社だけでは到底思いつかなかった新しいアイデアを得ることができた」
まさにオープンイノベーション効果だろう。
そのほか、三共ポリエチレン(廿日市市)は、フィルムの生産工程で発生していた不具合をAIカメラで自動検知する技術開発に挑戦。自動車部品製造の八城工業(東広島市)は自社のプレス工場で発生する騒音を逆手に取り、その振動・騒音を低減する商品開発に取り組んだ。案外と身近にあったビジネスチャンスを発見した価値は大きい。
松下幸之助さんの〝ダム式経営〟は常に余力を保ち、困難な時にはダムの水を少しずつ放水するように資金を回せば、経営を健全に継続できると説く。
講演の後に「どうしたらダム式経営ができるようになるのか」と問われ、一瞬黙り込んだ松下さんは、
「それは、ワテにも分かりまへん。ただ思い続けることでんな」
会場に笑いが漏れたが、京セラ創業者の稲盛和夫さんはその答えに衝撃を受けたと後に語っている。この逸話を引き合いに、東証グロース上場のデータホライゾン(西区)社長の内海良夫さんは、
「思い続けることがいかに大事なことか、実践した人には心の奧深く刻まれている。寝ても覚めても考え続ける。経営とは祈り、思うことから始まると受け止めた稲盛さんのすごさなのだろう。追い求めているものが射程距離に入った瞬間、間髪入れずキャッチできるか。ちょっとした雑談の中のヒントに気付くことができるか。常に考え続けているからこそ物事はかなう。誰しも一瞬は志を持つ。だが持ち続けることができるかどうか、大きく道を分ける」
いま日本人に志はあるだろうか。2022年の労働生産性の国際ランキング(日本生産性本部調査)で、日本はOECD加盟38カ国のうち30位。G7で最下位。1位のアイルランドはIT産業を呼び込み、生産性を飛躍的に伸ばした。1980年代にジャパン・アズ・ナンバーワンと評価された日本に油断、奢りはなかったか。
「戦後たったの30年で、GDP順位で世界2位に躍り出たが、その後失われた30年で経済は急速に衰退した。江戸時代の日本は庶民まで読み書きそろばん、論語の精神教育が広く行き渡っていたという。当時、欧州でさえ教育は特権階級のもの。江戸末期に日本の将来を憂えた下級武士の志が明治維新を為した。昭和へと移り敗戦に沈んだ日本が、世界を驚かせる成長を遂げたのも志を持った人を育てる教育が連綿と息づいていたからだと思う。一燈照隅、万燈照国(最澄)。いまこそ志のある人間を育て、一人一人が一隅を照らす力を発揮する気風を起こす。そうしないと日本はさらに沈んでいく」
世界的にも珍しい、等しく医療を受けることができる国民皆保険制度を守るため、健康寿命の延伸と医療費適正化を避けて通る道はない。この二つの課題を正面に捉え、データホライゾンは真っ先にレセプト分析に切り込み、PDCAで効果的な保健事業を促すデータヘルス関連サービスを全国展開。420自治体ほか健保組合や協会けんぽへ導入する。DeNA(東京)グループとして医療関連ビッグデータの利活用にも挑む。
どんなささいな事も「因」によって生じ、「縁」によって結果となる。その原理・原則を経営指針に掲げる。
「因は自分の心のなかにある考え方や見方。縁は人との出会いや関わり。成功者は出会いや縁を大切にしている。自分以外の人がみな潜在能力になることを経験している。志を持って思い続けると縁に気付き、縁に味方される」
少子高齢化の難題を抱える日本だが、悲観している暇などない。例えばバッテリー技術の全固体電池やLSI(大規模集積回路)の分野に切り込んでいく。むろんテーマはほかに幾つもあるが、誰が真っ先に切り込むか、ここが勝負の分かれ目という。
幼い頃、為せば成ると刷り込まれた。チャンスと見たら素早く動く。倒産さえ再起のチャンスとした。そうして起業したアスカネットの上場(東証グロース)まで成し遂げた福田幸雄さん(75)は特有のひらめきから商機をつかみ、自分流ビジネスを貫く。いま「私の終活」と、はばかることなく、新年早々、新ビジネスを立ち上げた。
1月18日、東京都港区の南青山にスイーツ店「BEYOND SWEETS 表参道店」を開業。おいしいとカラダにやさしいという二つを両立し、スイーツの常識を越えた発想を店名に込めた。デジタル写真加工のアスカネット創業者で、5年前に同社会長を退任後、ファブ(中区幟町)の社長に就く。5年後には誰もが知るスイーツブランドに育てたいと意気軒昂だ。
すぐにはできないが、できない理由を解決すればチャンスになる。商売人だった祖母から為せば成ると教わった。「中学生の頃、白黒テレビで複数のチャンネルを視聴するには高額のチューナーが必須だったが、チューナーが無くても視聴できる方法を編み出した。自分が見たかったからみんなも同じと仮説を立て、近所の家に営業して回ったら大当たり。誰も手を付けていないことからチャンスが生まれると実感した」
20代の頃。海外のファッション雑誌に載っている、洗練された服が全国どこを探しても無く、作れば売れると考えた。生地屋と縫製工場の出資を得てアパレルメーカーの経営に打って出ると、服は飛ぶように売れた。
噂になり、一時は工場から東京の会社へ納品される商品を有名店舗のバイヤーらが朝から待ち構えているほどだった。だが、過度な拡大路線があだとなり、倒産に追い込まれる。事業に失敗した経営者がもう一度立ち直るための勉強会「七転び八起き会」に入り、学び直した。
広島に戻り、趣味のカメラで再起をかけた矢先の機転がまさに真骨頂といえる。当時の葬儀社は遺影写真を作成するため写真屋に持ち込み、出来上がるまで数時間ほど待たされた。そうした手間暇をはぶくことができないか。
「ユーザーは新しいことが大好きだが、面倒なことは大嫌いだ。電話一本で遺族宅に出向いて一緒に写真を選び、遺影写真にして祭壇に飾るまで全部を引き受けたところ、広島の葬儀社の大半から仕事が取れた。本当は相手がやらないといけない領域へも飛び込み、ユーザーが大変だと思っていることを代行するサービスにまで引き込む。商いの根っこに気付いた」
新事業を立ち上げたファブの着眼もユニークだ。健康な食べ物を切り口にした食品があふれる中、甘いものを食べるときは多少の罪悪感があるせいか、スイーツの分野は比較的競合が少ない。動物性食品を使わないビーガンスイーツのジャンルはあるが味や見た目がいま一つ。世界のブランドがひしめく「表参道」においしさと健康を追求したスイーツ店を出そうと計画して有名ブランドのパティシエにビジョンを語り、ようやっと口説き落とす。
「メディアや有名インフルエンサーに、本当においしい健康系スイーツができたからぜひ試食会に参加してほしいと大見えを切ったところ、一気に取り上げられ、複数の大手百貨店から誘いを受けるなど、大変な反響だった。カラダに良い食べ物は、みんながみんなに薦めてくれる」
うちの得意は力仕事です。総合印刷業で、今年12月に創業105周年を迎える中本本店(中区東白島)の中本俊之社長(62)の答えに、少し驚いたことがある。
1998年12月に4代目を継いだ間もない頃、同社の得意分野を尋ねたところ、いかに大量の、納期の厳しい注文だろうと必ず仕上げる「力仕事」だとけれん味がなく、品質、納期厳守などの答えを予想していただけに、その言葉が新鮮に響いた。引き受けたからにはきっちりと約束をこなしてきた高い技術力に自負があったのだろう。
印刷業界の技術革新はすさまじい。活版、オフセット、デジタル印刷へと目覚ましくその都度に相当額の設備投資を求められる。職人から技術者へと世代交代していく人材の確保も並大抵ではない。
同社は2015年に機密印刷サービスがものづくり革新事業に採択されたほか、「ひろしま食べる通信」創刊、クリエイティブ部門ライツ・ラボを立ち上げるなど持ち前の技術、提案力を動員し、新しい市場開拓に挑んできた。そうした経験を重ね、さまざまな養分を吸収しながら独自の力を蓄えてきた。
昨年10月中旬、50年ぶりに開いた「全日本印刷文化典広島大会」は、全ての都道府県から580人が集まった。どうやって印刷業界を元気づけるのか、広島大会の主題だった。メイン企画の全工連フォーラム「未来はバックキャストで切り拓け〜事業家魂に火をつけるSFプロトタイピング経営戦略〜」は、
「30年後といってもおそらく我々、人が知りたい、感動したい、伝えたい、これはそう変わらないと思うが、情報コミュニケーション、そしてテクノロジーは大きく様変わりしている」
と切り出す言葉から始まった。先に未来を描いて「今何をなすべきか」の問いに次々意見が飛び出す。県印刷工業組合の理事長として大会委員長を務めた中本社長は、
「何をなすべきか。時代が移り、技術革新のある限り永遠の課題だが、その発想の実現は事業家魂に懸かっている。紙でも、デジタルでも情報が円滑に伝わることが一番。やみくもにデジタル化を進め、本当は紙媒体の良さを生かせる場面であっても、紙媒体がなくなってしまうのはもったいない。もっと広く紙媒体の良さを再認識してもらう行動を起こし、新たな光を当てたい。刺激し合い、一人一人がとことん考えることが大切。広島大会は将来、大きな成果へつながると確信している」
利用する側も媒体を使い分ける判断力が試される。研究機関の調査によると、紙媒体は①一覧性が高い、②保存性が高く、繰り返し見ることができる、③記憶に定着しやすい、④伝えたい相手に物として情報を届けることができるほか、視覚的な魅力、手触りといった利点を挙げる。しかしデジタルメディアの即効性にはかなわない。
「印刷することは目的ではなく手段。印刷を注文する顧客の後ろには必ずニーズが隠されている。そのニーズを捉えて紙媒体以外の解決策も提案できるソリューション提供事業を目指す。どのような業界にも通底する商いの原点ではないでしょうか」
イベント広告を扱う経験を生かしてイベント運営に乗り出した会社、コンビニ向け販促ツールを集約して配送業務まで請け負う会社も現れている。いかに得意を生かすか、反攻の決め手になりそう。
同じ写真なのに、それを印刷する紙質によって、見る人に与える印象が変わる。これまでベテランの感覚に頼ってきた「紙を選ぶ基準」を数値化できないか。今年12月で創業105周年を迎える総合印刷、企画、デザインの中本本店(中区東白島町)が新たな挑戦を始めた。
昨年4月から中国地域創造研究センターの「質感色感研究会」に参加。広島国際大学と同センターの協力を得て写真印刷の評価実験を行った。複数の紙に印刷した同一の写真を見て、つやつや、あざやか、シャープ、目立つなど、16種類の表現に最も当てはまると思うものを選ぶアンケート調査を実施。社員26人の有効回答を基に紙の質感、色感などによって異なる印象を分析し、5段階で評価したチャートを作成した。
例えば「優しい」イメージにしたい場合はあたたかみ、しっとりとした印象の数値が高い紙が適切-といった提案の根拠をチャートから割り出す。これまで印刷業界はベテラン社員の直感的、経験的な判断で紙質による差異を言語化していたが、若手の営業担当も説得力のある紙選びの提案を、可視化して示すことが可能になった。
その研究成果を昨年12月9日、日本人間工学会中国・四国支部大会で発表した。同業他社へも共有することで業界全体の提案力を高め、近年インターネットや動画などの新しい媒体の台頭に押されてやや苦戦している印刷業界、紙媒体の需要掘り起こしを促したいという。
4代目の中本俊之社長の長男で、昨年12月取締役に就任した達久さん(33)は、
「当社は日常的に約400種に及ぶ紙を扱っている。紙質の違いは非常に繊細で、取引先にその微妙な違いを明確に伝えることは難しい。数値化することでベストな提案を引き出すのが狙い。受注・発注者の双方に、より満足度の高い印刷の品質を高めていく。紙媒体ならではの特長、その魅力を広く、分かりやすくアピールしていく不断の努力が大切だと思う。裏方ではあるが、産業や文化を先導してきた印刷業界、紙媒体の復活に少しでも役立ちたい」
2014年に東京大学経済学部を卒業後、三菱UFJ銀行に入行。早くから親子で得心していたという家業を継ぐため帰郷し、22年1月に中本本店に入る。銀行から印刷業界に移り、日々特訓中。
極めて貴重な職人の技を次の世代へどうやって伝え、発展させていくのか。時代が求める経営にどう適応していくのか。技術、ノウハウを先輩から後輩へ伝承してきた老舗ならではのテーマも抱えているのだろう。
昨年秋、50年ぶりに「全日本印刷文化典広島大会」が広島市内のホテルであった。中本社長は16年から広島県印刷工業組合の理事長を務め、広島大会委員長として東奔西走。こんな話をしてくれた。
「印刷業界はバブル景気も反映し、ピークの1991年に製品出荷額8.9兆円と成長カーブを描いていた。ところが以降、新媒体の台頭やデジタル化などによって印刷物が減少傾向をたどり、2021年度で半分近くの4.8兆円にまで落ち込んだ。ほぼ同じ傾向をたどる県の出荷額は16年で955億円。県印刷工業組合の会員数は1997年の184社をピークに、現在は119社。この間に印刷技術に関わる製版や写植会社の多くが姿を消した」
復活の取り組みを次号で。
1月12〜14日、国内外の車メーカーやチューニングパーツを扱う378社が出展した世界最大規模のカスタムカーイベント「東京オートサロン2024」が千葉市の幕張メッセであった。車ファン23万人が来場し大盛況。初日の一般公開前には大手メーカーのトップらが報道陣向けプレゼンで、それぞれ個性的にPR合戦を繰り広げた。
トヨタの豊田章男会長は「普通のクルマ好きのおじさんモリゾウ」と名乗り登場。ブースを沸かせた。日産やホンダは最新コンセプトカー、ベンツは新型車を国内で初披露。中国のEVメーカーBYDは今春に日本で発売する車種を出展し、注目を浴びた。
マツダの毛籠勝弘社長は、
「昨年、静岡と岡山で開催したマツダファンフェスタではそれぞれ予想をはるかに上回る来場者でにぎわった。レース観戦やものづくり体験だけでなく、買い物やランチなど幅広いコンテンツを用意したこともあり、笑顔にあふれるイベントとなった。私たちはもっと車の運転や、遠くへ出かける楽しさを味わい尽くしたいと考えている」
昨年11月にブランド体験推進本部を新設したことに触れて「クルマを楽しみたい人のブランド」へ成長させていくビジョンを発表。カーボンニュートラルと「走る歓び」の実現に向け、独自技術のロータリーエンジン(RE)開発グループを2月に復活させると明言し、胸を張った。「昨秋のジャパンモビリティショーで発表したコンセプトEV『ICONIC SP』は発電用の2ローターエンジンが生み出す長い航続距離に加え、スポーツカーとしても一級品の性能を備えている。REに期待する多くの賛同・激励を受け、夢に近づく技術者の再結成を決めた。課題は甘くない。だが、飽くなき挑戦の新章へ一歩としたい」
後半は前田育男シニアフェローが登壇。近く市販する、レース車の要素を織り込んだロードスターとマツダ3を公開した。
「21年から活動するレースチーム『マツダ スピリット レーシング』がサーキットで得た知見を日常の運転につなげる狙い。チームと同名のブランドを立ち上げ、エンジンやサスペンション、内外装などに手を加えた特別仕様車を商品化する。レースは技術を鍛え、人を育てるための究極の実証実験の場だ。マツダらしい車造りを続けていくため、人材や技術を将来への財産とする」
自らチーム代表を務め、旺盛な開発意欲をにじます。
世界の車メーカーが自動運転や電動化に向かう中、エンジン技術を高め、レースの経験を生かしたいという。巨大な車業界にあって小さな存在に過ぎないマツダならではの隙間戦略に思えるが、トヨタの豊田会長も同日、昨年の自身の活動を踏まえ、
「レースやラリーを通じ、子どもたちに車の楽しさを伝えること。加えてエンジン技術を磨く社内プロジェクトを立ち上げる。最近はエンジン産業の行く先を案じた銀行が、開発製造に関わる人への融資を断ることもあると聞く。日本の産業を支えてきた彼ら、そしてその技術を失ってはいけない。未来へ、車好きの仲間をつくり守っていく」
トヨタとマツダ両社には車メーカーの志が相通じ合うのだろう。それぞれのトップは自らレース車のハンドルを握るほどの車好きだ。その端々に情熱がほとばしり、まさに「指揮官先頭」に立つ。