広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2021年3月18日号
    広島で次々M&A

    企業の合併や買収は、専門コンサルタントの提案から交渉が始まる。企業の存廃を懸け、互いが条件を主張。ビジネスの厳しさがあらわになり、すんなりまとまる例はほとんどない。希望する相手に巡り会うか、巡り会ったとして、取引を円滑に進めることができるかはコンサルの腕の見せどころ。M&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)は2018年4月に設立以来、3年間にM&Aや事業継承などで100件ほどのコンサルティング契約を受託。かつて広島に例のない、目覚ましい成果を挙げている。
     これまで例えば、東広島記念病院などを運営する医療法人社団ヤマナ会(東広島市)はサービス付き高齢者住宅(サ高住)を取得、総合不動産管理業のみどりホールデングス(中区大手町)は山口県の厨房機械・器具販売会社を取得、総合建設業のティーエス・ハマモト(安佐南区)は内装用建材の企画製造販売会社と住宅建築の申請代行会社を取得など。名前は伏すが、中堅から大手まで業種、業態も幅広い。経営危機を乗り切り、飛躍的な発展につながった成功例などが興味深い。
     会社を売却したいという事情の多くは後継者の不在。社長の一番の仕事は後継者を育て、なお会社を存続させる使命があると言われるが、中小企業ではなかなかスムーズに運ばない。高齢化や健康問題などで経営から退きたいが、取引先や雇用を守るために、やすやすと会社を閉じることはできない。そうした経営者の切実な思いを受け、事業承継の実現に成功したときの安堵感は計り知れない。同社にとって大きなやりがいなのだろう。
     会社を買いたいという理由はさまざま。既存事業の強化や新規市場への参入などが主体で顧客やエリアの拡大、サプライチェーンの効率化によるコスト削減などのシナジー効果を見込むものや、自社の経営資源を補って新分野進出を加速させるケースなど枚挙にいとまがない。
     同社の強みは財務。資本を活用したエクイティ・ファイナンス、融資・借入を活用したデット・ファイナンスの両方に専門性を持つ。こうした専門知識はむろんのこと、本音でぶつかることのできる「人間味」が大事という。双方の間で中立公平を貫く。どんなに多くを語ろうと信頼を失うと、相手は耳を貸さなくなる。むろんアドバイザーの責任である。常に緊張感のみなぎる真剣勝負。M&A後も丁寧なフォローを尽くす。次の案件へつながることも多い。土井一真常務は、
    「M&Aの相手先が見つかること自体たやすくはない。売り手にとっては一度しかない事業承継。納得のいく選択をしていただくために、複数社から提案してもらえるよう苦心している。企業連携は互いの立場を尊重し、互いの長所を生かすというスタンスの上に成り立つ」
     昨年入社した齋藤拓也執行役員(38)は、中国経済産業局時代に創業支援等を手掛けた経験と幅広い視点を持つ。
    「M&Aを通じて経営の本質が見えてくることがある。企業活動は奧深く生産、販売、研究開発などで多様性にあふれている。長所を伸ばし、弱点を補うM&Aの手法は、事業発展を促す大きな可能性を秘めていると思う」

  • 2021年3月11日号
    M&Aの勘所

    広島県内の企業の後継者不在率は71.3%に上り、多くの中小企業が事業承継の悩みを抱える。こうした事情も背景にあるのか、近年、M&A(企業の合併・買収)の手法によって事業拡大や新分野進出などのさまざまな経営課題を解決し、一気にチャンスをつかむ事例が増えてきた。
     広島銀行は、2019年度のM&A相談件数が628件で、うち27件を成約。過去10年で3倍にまで増えたという。大手のM&A専門会社が全国に事業を広げる中、地方では珍しいM&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)が頭角を現し、急速に実績を挙げている。18年4月に設立以来、3年間にM&Aで60件、事業承継の40件を合わせて約100件を手掛けるなど、広島の企業連携を加速している。
     同社は、東京の大手コンサルティング会社を経験した若者2人が広島で創業し、現在は金融機関や国の経済行政出身者らスタッフ7人。地元に根差し、地元をよく知る利点を生かし、経営者に寄り添う特有の経営方針を貫く。
     代表の李志翔社長(39)は広島会計学院専門学校出身。20歳の時に国内最年少で税理士資格を取得し、話題になった。何事も「できるか、できないか」ではなく「するかしないか」を決断することが先決と言い切る。猛勉強で難関を突破。卒業後は山田コンサルティンググループ(東証一部上場)に入り、在籍15年でM&Aと事業承継を中心に約200件の受注案件をこなす。医療機器メーカーなどの幅広い業種でマッチングを経験できたことが、独立を決断するときの大きな原動力になったようだ。
     共同創業者の土井一真常務(30)は18歳の時に突発的な病気を患い、大学受験に失敗したが、21歳で公認会計士試験に合格。東京のベンチャー企業などを経て山田コンサルティンググループに転職するやいなや広島支店の立ち上げに携わり、当時は広島支店長だった李社長と出会う。そして会社設立の誘いを受けたとき「優秀な人材は多いが、信頼できる人は少ない」と思えたことが、決断する一番の根拠だったと明かす。
     考え方はシンプル。精魂を込めて会社を守り、事業発展に生涯を懸ける企業経営者に伴走し、少しでも役立つことができれば本望と立ち上がった。目標はでかい。
    「M&Aは事業の継続や成長の手段です。既存事業の強化や新規市場への参入などを促すM&Aによって企業価値を高め、さらに継続的に事業の成長をサポートできる態勢で臨むことが、わが社の基本的な考え方。M&Aなどを通じて広島で100億円企業を100社以上、1000億円企業を10社以上つくる目標を立てた。そして上場を成し遂げる企業のサポートに携わることができれば、地域活性化に果たす経済効果は大きい」
     事業再生や税務相談、会計監査などの専門家グループも形成する。徹底して経営者の悩みに寄り添う。売り手と買い手の事業内容や経営方針を理解し、企業を深く知ることで互いに相乗効果を発揮できるマッチングがかなう。何より〝互いの尊重・信頼〟が事業発展の勘所という。
     同社が手掛けたM&Aや事業承継の事例などを交え、成約の秘訣などを次号で。

  • 2021年3月4日号
    飛べ、テントウムシ

    旬の野菜は格別。採れ立てはなおさら。各地の産直市に作物本来の味を求めて多くの人が押しかける。市内中心に飲食店を展開するインスマート(西区商工センター)は当初、自社の居酒屋やレストラン用に供給するため、農薬を使わない農業に乗り出し、今年4月で9年目に入る。
     東広島市西条町の休耕田を畑に、3年間は2ヘクタールで50品目を作っていたが、現在は5ヘクタールに広げ、大根や茎ブロッコリーなど11品目に絞る。需給バランスなどを考え、3年前から収穫量の約8割をJA広島中央に出荷している。担当の坂田一樹さんは、
    「野菜のおいしさを届けたくて露地栽培にこだわった。きれいに均質に作るのは難しくハウスものに比べて見た目は劣るが、圧倒的においしい。しかし店頭で手に取ってもらうには見た目が決め手。そうすると本来のおいしさはなかなか伝わらず、悩ましいところだ。もともと東広島出身で農業は子どもの頃から身近にあった。農作業を手伝うこともあったが、将来自分でやりたいとは少しも思えなかった」
     地元での営農に意欲はわかなかったが、農業を始めた頃に1歳の長男が同じトウモロコシでも見た目のきれいな、買ってきたものは口にしようとしなかったのに、わが家の畑で作ったトウモロコシをむさぼるように食べてくれたことが強く印象に残った。いまは農作業を手伝ってくれる学生らにも好評だ。数年前からはJA産直市「とれたて元気市となりの農家店」に出す野菜の袋にテントウムシをデザインしたシールを貼って出荷。売れ行きは好調で一定層のファンが増えてきたという。
     八本松地域も再開発が進む一方で休耕田が増える。同社に耕作依頼が舞い込むものの現状では人手に余裕がなく引き受けられない。そんな中、県の伝統野菜「下志和地青ナス」を東広島の特産にしようと「あおびー倶楽部」を2018年12月に設立。この品種は、果色が茄子紺という伝統色の名称でもあるナスの色とかけ離れた淡い緑色だが、果肉は柔らかく、あくが少ないのが特徴だ。昨年末に特産物部門で東広島市農林水産ブランド「東広島マイスター」認証を受け、インスマートは生産者部門、サツマイモの紅はるかをあんに使った和菓子「紅はるかの月」は商品部門でそれぞれ認証された。
     青ナスの種子は、(財)広島県森林整備・農業振興財団の農業ジーンバンクから借り受けた。同バンクは現在、県内に現存する作物種子約1万8600点を保存し、伝統野菜の復活を支える基盤として機能している。貸し出しは年間で80〜100件に上る。近年は有機農業を営む農家からの要望が多いという。09年に実施された〝広島お宝野菜〟プロジェクトの選定15品目に青ナスも含まれる。バンクの船越建明さんは、作物の特性を理解し生育に合った地域や栽培が一番大事で、地道にやる努力が欠かせないという。
     坂田さんは土地に合った伝統野菜で打って出ようと、青ナスの栽培を始め、14年に初出荷。仲間に呼び掛け現在、志和や福富、西条の新規参入やUIターンなどの若手7農家が参画し、東広島のブランド化を目指す。
    「広島県のナスは青い、と言われるまで産地化したい」
     飛べ、テントウムシ。

  • 2021年2月25日号
    知らざるを知る

    あじかん創業者の足利政春さんが語った言葉の端々に、何とも言えぬ迫力があった。穏やかだが、日々精魂を傾けてきた体験の裏付けがあり、引き込まれる。途上で「いったん会社を閉じなくてはいけない」事態さえ危ぶまれたこともあったという。その岐路に立ち、何が明と暗を分けたのだろうか。
     創業者が語る「あじかんの原点と経営思想」に、次の一節がある。
    「母が私を膝の上に抱きながら『癇癪(かんしゃく)は癇癪玉という宝なんよ。宝物はめったに人に見せるもんではないですからね』などと言い聞かせられ、知らず知らずに私の血肉となり、生き方や経営観の底流になっています」
     逸話がある。競合する同業者があることないことを言いふらして歩いたときも、自分自身に言い聞かせたのが「癇癪玉」の教えである。
    「相手を誹謗(ひぼう)するような会社は、世の中で認めてもらえるはずがない。同じように誹謗して歩く会社になったら、相手の同じ位置に成り下がってしまうからやめとこう」
     後に語れば簡単なようだが感情こそやっかいで、火の玉のような「やりがい」を引き出すこともあれば、怒りに負けて身を滅ぼす危険も待ち構えている。勘所だろう。
     京都の吉田喜で修業し、玉子焼きの技術だけでなく商いのイロハも教わり、人を見る目も養ってもらったという。
    「(吉田社長は)若い者を愛情とゲンコツで鍛え、一人前の職人に育て上げてくれた。修業中にはどれほど涙を流したかわかりません。しかし笑って過ごした楽しい思い出はほとんど記憶に残らないのに対し、涙するような苦しかった出来事は年々美化されて、あのときは大変だったなあと楽しく語ることで今あることを感謝できます。人間が生きられるのもそれゆえで、もし苦しい思い出が苦しいまま残っていたとしたら、とても生き続けていることなどできないでしょう。今は楽しく語れる苦労をいくつ持っているか。その数が歩んできた人生の勲章だと私は思っています」
     経営のコツここなりと気づいた価値は百万両。松下幸之助の言葉である。
    「この言葉に初めて接してからというもの、松下さんの著書を読み漁(あさ)りました。著書に−経営のコツとはどういうところにあるのか、どうすればつかめるのかということになりますが、これがまさにいわくいいがたし、教えるに教えられないものだと思います。経営学は学べるが、生きた経営のコツは教えてもらって分かったというものではない。いわば一種の悟りとも言えるのではないかと思います−と書いてあります」
     日夜試案の末、眠りに就こうとした瞬間、パッとひらめくものがあった。あじかんを支えてくださる方々の喜びがコツではないか。自分の実践の中で気づいた「商いのコツ」です、とくくる。
     3代目の足利恵一社長は、
    「倫理と利益の両立が人を豊かにしていく。利益だけを追い求めても駄目。倫理だけでは経済が成り立たない。渋沢栄一の言葉です。資本主義の草創期にそう指摘している。学ぶとはいかに知らざるを知るか。ここから一歩を始め、生涯続けていきます」
     誰も教えられない。わが手でつかむほかないのだろう。

  • 2021年2月18日号
    足利政春さん逝く

    一代で大きな仕事を成し遂げた男のすごさを秘め、どこか人懐っこい、おおらかさがあった。総合食品製造・販売のあじかん(西区)創業者の足利政春さんが1月16日亡くなった。86歳。
     京都市下京区出身。京都の玉子焼の老舗吉田喜の吉田喜作社長からのれん分けされて広島で1962年に前身の三栄製玉を個人創業。瞑想法「阿字観」(われを見詰めて広く意見を聞く)という、商いの原点ともいえる言葉に由来し、78年から現社名に。2000年に東証2部上場を果たす。20年3月期連結決算は売り上げ447億円、純利益は5億5000万円。来年で創業60周年を迎える。
     一燈を下げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。
     同社が創業50周年の年に「あじかんの原点と経営思想」(244ページ)を上梓。江戸時代の儒学者佐藤一斎が「言志四録」で述べた言葉から書き出す。あえて足利さんが語らなければ、途上で「死のうとまで思い詰めた」ことがあったとは知るよしもない。一度だけ本業を離れて、ガラス製造の事業を継承したことがあった。しかし苦心惨憺(さんたん)のあげく、わずか2年でただ同然に手放した。手持ち資金は泡のごとく消え、さらに個人負債まで抱える。資金繰りはひっ迫し、困窮を極めた。
    「ショックのあまり、一時は死のうとまで思い詰めた」
     ずいぶんと高い授業料になったが、性根を入れ替えて、玉子焼を一生の仕事にしようと決める。神様が、ふわふわしていた私にガツンと試練を与え、途中で投げ出さずにちゃんと玉子焼の道を歩めと諭してくださったに違いない。その意味でも、私は幸せ者ですと述べている。
     何とも素直で、なおプラス思考である。経営存亡のピンチにどう立ち向かっていくのか。逃げることなく、真正面からぶつかったことが、危機脱出につながったのではなかろうか。玉子焼を一燈として提げて、ただひと筋に人生を歩む転機となった。
     こんな話もある。地元同業者から申し入れがあり、対等合併で1970年に「広島製玉」をスタート。これが大失敗だった。何のかんのと理屈をつけて作業をボイコット。労働争議である。48時間にわたって交渉を続け、ボイコット派の社員に退職金を支払って辞めてもらうことでようやく決着した。
     しかし、その後も難儀が続く。退職金を手にした彼らが会社の裏手で同じ商売を始めて数人引き抜いたほか、営業の先々で、あることないことを言いふらして歩く。こういうときこそ会社(経営者)が何を考えるかが勝負。ぐっとこらえて聞き流した。案の定その会社は1年半で倒産。つぶさに経過を見ていた社員は企業経営とはこういうものだと正当に評価し、一丸になってくれた。企業思想の継承とは、そうやって受け継がれていくものだと体験から学んだという。長年のうちに鍛え上げられた職人技のごとく骨身に染み込んでいる、特有の経営観なのだろう。
     経営のコツここなりと気付いた価値は百万両。松下幸之助の有名な言葉である。誰かに教わったものでもなく、まねたものでもなく、実践の中で気付いたという「商いのコツ」について次号で。

  • 2021年2月11日号
    応援道を極める

    わが人生の主題をどう捉えるか。誰しも迷うことが多いが、ネッツトヨタ中国(西区庚午中)社長の槙本良二さん(60)は実に明快である。日々是感動。人生は思い出づくり。それが私の信念です、と言い切る。
     今日までの歩みもなかなか興味深い。広島大学付属中・高等学校から東京大学経済学部へ。卒業後、東京海上日動火災保険に入り、企業担当営業、自動車ディーラー担当営業を15年余り。大きな転機が訪れた。上司から「ネッツトヨタ中国の将来の幹部にという話がある。どうか」と問われて、3秒熟考し「広島で頑張りたい。チャレンジさせてほしい」と回答。実に明快である。その後、現在の卜部典昌会長との面接を経て、2011年に同社に入り、15年から社長を務める。先頭に立って社員250人を引っ張るが「私は社員の応援団長」を自認している。
     中学1、2年と学級総代に選ばれ、3年は協議会議長、高校1年は総代、2年は書記局長を務めた。生徒会活動などを通じて人の世話をするのをいとわなかった。昨年7月には全国1万2000人の同窓生を有する広島大学付属中・高等学校同窓会「アカシア会」の会長に就任。世話好きは母親譲りなのか、こんなエピソードがある。
    「中学3年の遠足だったと思うが、故郷の白木山に登ることになり、母が40人全員分の計80個のおはぎを作り、持たせてくれた。みんなから大いに喜んでもらった記憶がある。いつの間にか、人のためにお手伝いする喜びを培っていたのかもしれない」
     高校1年の体育祭で応援団員を経験。エールで人を応援する魅力にとりつかれて、そのまま応援団に入団した。大学でも応援部に入り、4年時には応援団長を務めた。
    「運動部の仲間を中心に東大はもちろん、東京六大学応援団、京大などにも多くの友人ができた。私の宝になっている。毎年の六大学応援団の同窓会には35年間かかさず参加している。応援団はエールで母校の同窓生の心をひとつにし、結束を強くすることが役目と心得ている。都合がつけばどこへでもはせ参じてエールを送る所存。同窓の湯崎英彦知事の出陣式でも過去3回エールを送り、拍手喝采。これからも皆さんが幸せになっていただけるよう、応援道を極めたいと思う」
     人との出会いや縁を大切にしており、小学校の友人から仕事で出会った人までプラベートで送る年賀状は毎年1200枚を超える。
    「本や映画、人との出会い、道端に咲いた花、夕焼けなど日常には多くの感動があふれている。その感動はやがて思い出となり、人生を通じていかにたくさんの思い出づくりができるかが、私の生きる指針になっている。社員の小さな頑張りを見逃さないよう、感謝と激励のために毎週土日に県内17拠点を回り、暑い日も寒い日もひたすら頑張っている社員1人1人に声を掛けるようにしている。これからもみんなの応援団長として多くの人から喜ばれる会社をつくっていきたい」
     日々、感性を研ぎ澄ませ、小さな感動を見つける。その積み重ねが素晴らしい人生につながると言い切る。心に感謝があるから、その言動も爽やかなのだろう。

  • 2021年2月4日号
    中国新聞社の決意

    朝日新聞社は2020年9月中間連結決算で419億円の赤字に転落し、責任を取って渡辺雅隆社長が4月退任する。「構造改革のスピードが鈍かったことが赤字の背景にあることは否めず、責任は社長の私にある」とし、身を引く決意を固めたようだ。
     日本新聞協会のデータによると、20年の業界全体の発行部数は3509万部で、1年間で271万部減。ここ数年は毎年200万部ペースで発行部数を落とす。
     この、とてつもない難題にぶつかって大手各紙は、スマホなどを利用した有料電子版サービスなどワンソース・マルチユースやウェブファーストなどへの対応を急ぐ。一方で、こうした紙とデジタルの両面作戦が、新聞記者の取材活動にどのような影響をもたらすだろうか。デジタルで発信した記事に対する読者の反応は素早く、瞬く間にSNSで拡散する。読者の求める情報は何か。改めて原点の取材力に磨きをかけるチャンスになるかもしれない。中国新聞社の岡谷義則前社長はかつて、
    「地方紙にとって新聞力とは地域の出来事を、あたかも地域の日記を書くように、過不足なく取材し、簡潔な文書で記事にし、事実の裏にある問題点について的確に論評し、読みやすい紙面に組む。こうした一連の仕事がきちんとできる力を言う。とりわけ、中国新聞が取り上げなければ日の目を見ないような地域のニュースを掘り起こし、発信し続けることが、地方に生きる新聞人の最大の役割であるように思う」
     淡々と話すが、新聞人の気概が伝わってきた。
     同社は今期(1〜12月)の重点目標としてデジタル発信力の強化を打ち出し、経営改革を断行する構えだ。まだ明確な姿形はなく、おそらく走りながら戦略を練り、結果を検証しながら作戦を立て直す繰り返しになるかもしれないが、陣頭指揮を執る岡畠鉄也社長の、デジタル化へ向かう決意は固い。
     さまざまな分野でデジタル化の可能性を探っている。県と連携し、今春からベンチャー企業と協業する「アクセラレータプログラム」の実証実験に乗り出す。54社から応募があったうち、次の4社=事業内容を選んだ。
    ▷コンシェルジェ=AIチャットボットプラットフォームの開発・販売・運用。社内問い合わせ業務のチャットボットを複数構築し、サイトに実装する。
    ▷ネクストビジョン=動画売買プラットホーム「ビデオキャッシュ」の開発・運用。ビデオキャッシュへの動画投稿キャペーンを実施する。
    ▷ギフティ=ギフトプラットホーム、ビーコン事業。広島市内中心部50カ所程度にビーコンを設置し、行動データを収集。
    ▷ネクストベース=スポーツ解析技術を生かした有料オンライン野球アカデミー事業。3カ月間のオンライン野球教室を開催する。
     新聞事業と一線を画す用語がずらり。井上浩一専務は、
    「最適な情報を最適な所へ届ける『地域最適』ビジョンに向かって記事、画像、動画、音声情報を発信。 新時代に適した会社に生まれ変わる」
     いつでも、どこでも必要な情報を入手できる時代に突入し、新聞界も大変革期。チャンスをつかむほかない。

  • 2021年1月28日号
    中国新聞の成長戦略

    来年で創刊130周年を迎える中国新聞社が、思い切った経営改革に踏み出す。
     その第一にデジタル対応と報道展開を挙げた。3月にメディア開発室を改め、岡畠鉄也社長直轄のメディア開発局とし、同局にデジタルトランスフォーメーション(DX)推進本部の事務局を置く。デジタル事業を「成長戦略」の核に位置付け、DXの波をあらゆる業務に広げていく構えだ。むろん新聞事業が主柱だが、デジタル事業を販売、広告に次ぐ収益源へ発展させる意気込みを見せる。
     さらに編集局は、紙とデジタルでそれぞれ魅力的なコンテンツを発信する統合編集体制を推進するため「デジタルチーム」を設ける。デジタル独自のコンテンツの立案、取材、デザインも手掛け、ウェブファーストを徹底する体制を敷く。果たしてDXにつながる扉から何が飛び出してくるのか、相当に具体的なプランを仕込んでおり、年頭の辞で、岡畠社長自らデジタル化へ向けた不退転の決意を示したという。
     収益の多元化も目指す。近く西区の井口工場跡地を対象に小売り業者と賃貸契約を結ぶ予定。福山市の旧備後本社でも同様の契約を締結する運びになったほか、廿日市市大野の山あいに広がる大規模な「ちゅーピーパーク」をはじめ、社有財産全体の活用を図るグランドデザインづくりに着手する。
     生命線である戸別配達網を堅持する有効策も練る。昨年秋にグループ各社、販売所で「新ビシネス推進会議」を設けた。デリバリー網を活用した宅配・物販サービスの拡充をもくろむ。例えば、有力なブランド商品を集めて新聞チラシで訴求する物販サービスの準備を進めている。若い世代に向けた訴求力向上へ、中堅や若手を中心とした「ブランドプロモーションチーム」を結成し、営業戦略や商品開発を検討中。潜在化していたグループの価値、力を掘り起こし、総動員する狙いだ。
     4月から新たな賃金制度をスタートさせる予定。痛みを伴う改革だが、変えるべきは変える、そして時には思い切ってやめる。そうした姿勢が強くしなやかな経営につながると考え、社員みんなの理解を求めた。
     中国新聞グループ21社の売り上げは合計779億円に上る。従業員は合わせて約1700人。さらに販売所従業員約6800人を含めると8500人に。新聞・チラシ制作や販売、輸送、放送、広告、人材サービスなど多岐にわたり、地域に根差す。
     発行部数は昨年末で55万4000部。2002年をピークに減少傾向をたどり、歯止めがかからない。昨年はコロナ禍によってイベント事業などの多くが中止になった。こうした新聞界を取り巻く厳しい環境に直面し、何もかも総ざらいで見直す機運がグループ全体に広がり、何よりも危機感が大きなばねとして働いたようだ。
     昨年、新聞社とグループ各社の中堅、若手でつくる「未来創造会議・将来ビジョン検討部会」は、あらゆる資源を生かす「地域最適」ビジョンを掲げ、「創刊130周年の22年までに新時代に適した会社に生まれ変わる」と提言をまとめた。いまが改革のチャンス。ベンチャー企業との協業事業などを次号で。

  • 2021年1月21日号
    レモン生産にAI活用

    国内シェアの約6割を占める県産レモン。その生産性向上へ向け、AIを活用するプロジェクトが進行中だ。
     採れたてレモンの画像から一定の品質やサイズの選別を自動化するもくろみ。広島県と東京のシグネイトが運営するオープン形式AI人材開発プラットホーム「ひろしまクエスト」を通じ、全国から画像選別のアイデアを募るコンペティションを2月1日スタートさせる。
     国産レモンの需要は伸び続け、生産量全国一を誇るが、生産者の高齢化が進み、出荷や選果の負担は大きい。百貨店やスーパーなどの小売り向けや、加工用などの用途次第で購入する際の決め手となる〝見た目〟の判断は出荷者によって微妙に異なり、需要家の求めにしっかり応えることで生まれる商機を逃している可能性もある。産地の呉市大崎下島は世界で初めてミカンの缶詰生産を手掛け、かんきつ畑で潤い、黄金の島とも称された。一方で、若者はどんどん島を飛び出し、黄金の畑は最盛期の3分の1に縮小。
     イノベーション立県を掲げる県はAI人材の育成をはじめ、デジタル技術普及などに体系的な事業を展開。同プラットホームはAI/IoTの実証プロジェクト「ひろしまサンドボックス」の一環で、昨年実施した第一弾のコンペはプロ野球がテーマ。2017年全公式戦で全投手が投じた25万球のデータを基に、翌・翌々年の球種とコースを予測。総投稿件数は3カ月間で1万479件に上り、オンラインで全国から2038人が参加。うち112人が〝カープを日本一にしよう!〟という命題に21件のアイデアを投稿した。想定以上の反響だったという。
     レモンをテーマとする第二弾は、AIに1000枚のレモンの画像データを学習させて自動で一定水準の選別を可能にするアイデアを募る。省力化に加え、付加価値アップも狙う。応募数は画像データ対象のコンペの水準を鑑み、数百人規模を見込む。
     コンペ方式により、データを駆使して地域の課題解決を導き出すAI人材を掘り起こし、県内企業などと人材マッチングを促す目的だが、県商工労働局の片岡達也主任は、
    「AIに対する垣根を払い、敷居を低く、裾野を広げることが先決。今回は比較的に難易度が低く、われこそはと気軽に参加してほしい」
     サンドボックスで18年から始めた、レモン生産へのスマート農業導入を目指す「島しょ部傾斜地農業に向けたAI/IoT実証事業」の一環で大崎下島を舞台に全国からIT人材を集め、実装に向けたハッカソン(ハッカーとマラソンの造語)を一昨年開催。レモン判定装置の開発にこぎ着けた。1月30日、黄金の島再生プロジェクトに取り組む「とびしま柑橘(かんきつ)倶楽部」のとびしまカフェ(川尻町)に同装置を設置する。サイズや重さ、球状などの精度向上や判定ミスの再学習など課題もあり、今回のコンペは画像だけで読み取れる判定技を募る。国内唯一のAI開発プラットホームを運営するシグネイトの中山星一郎さんは、
    「農作業は本当に大変。AIで確実に労力は軽減される。まずは興味を持ってほしい」
     香りと味の選別はまだ先のことになりそうだが、AIの名人技に期待が高まる。

  • 2021年1月14日号
    マツダ頑張れ

    100年前。新型ウイルスによるパンデミック「スペイン風邪」が猛威を振るった。世界で5億人が感染し、2000〜4000万人が死亡。日本では45万人が亡くなったという。再びいま、新型ウイルスの直撃を受け、世界中が大混乱。速やかにワクチンが威力を発揮し、事態収束を願うばかり。
     車産業は100年に一度の変革期といわれる。これにタイミングを合わせたように、東京は「都内で販売される新車について2030年までにガソリンエンジンだけの車をなくし全て非ガソリン車にする」目標を明らかにした。菅内閣は「カーボンニュートラルに向けたグリーン成長戦略」を打ち出し、50年までに温室効果ガスの排出をゼロにすると表明。ひろぎん経済研究所の水谷泰之理事長は、
    「世界的に見ても自動車の規制を強化する動きが強まっている。特に自動車の世界販売で大きな割合を占めている中国、米国などでは将来的にガソリン車を完全に排除しようとする動きが広がってきた。日本勢を含む各自動車メーカーでは独自の電動化方針を掲げ、電動化を強力に進めている。今後、電動化の進捗度合次第では、自動車業界の勢力図が大きく変わることも想定される」
     県経済を引っ張るマツダは「30年までに全車種に電動化技術を搭載する」方針だ。協力企業は広域に裾野を広げている。電動化によって部品点数の増減などに大きく影響を及ぼすといわれており、新たな生産体制、技術を築くまでに時間的な余裕はない。パンデミックの年に創業し、100周年で再びパンデミックに遭遇。この間幾度も荒波をかぶり、厳しい苦境を乗り越えてきたマツダのたくましさ、技術力が試されることになり、しばらく目が離せない。先頭で変革期を突破するくらいの底力を発揮してもらいたい。
    経営者に欲がない
     菅内閣での有識者審議組織「成長戦略会議」メンバーのひとり、デービッド・アトキンソンさん(小西美術工藝社社長)は、
    「日本の人材評価は世界第4位だが、労働生産性は第28位と先進国の最下位クラスに低迷している。規模の小さい企業の多いことが一因。日本企業の平均規模は米国の約6割、欧州の4分3しかないからこそ、その分だけ生産性が低い」
     さらに日本の経営者は「お金に対する欲がない」という具体例として著書「日本人の勝算」で、
    「ラーメン屋さんの社長の場合、人気が出ても3〜5軒の店を展開したら、それ以上に店を増やそうとしない人が多い。社長はベンツに乗れて、六本木で好きなように遊べる収入が取れるから、それ以上に店を増やそうという意欲がなくなる。まぁ、欲がないといえば、欲がない」
     と述べている。
     人材は優れているのに、経営者に欲がなく、規模の小さい企業が多く、そのため生産性が低いと指摘する。こうした意見を受け、菅内閣がどんな施策を打ち出してくるか、しばらく目が離せない。
     かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とたたえられて日本式経営が高く評価されたこともあった。それもバブルだったのだろうか。

  • 2021年1月7日号
    間違いなく回復する

    未曾有の年だった。1年前には米大統領トランプが再選されるかどうかは経済がポイント、東京五輪の経済効果は大きいなどの経済見通しがしきりだったが、全て新型コロナで塗り替えられた。急激に世界経済が縮小。そのダメージはリーマンショックを大きく超える。さて今年の世界、日本、広島県の経済見通しはどうか。シンクタンクのひろぎん経済研究所(中区)の水谷泰之理事長は、
    「ほぼ間違いなく回復する。しかし、そのスピードはワクチン次第。米国は昨秋以降の感染拡大と経済活動の制限が続いていたが、ワクチンの接種が始まり、明るさが見えてきた。中国は昨年もプラス成長を維持。中国国内の経済活動に大きな問題がなく、とりあえずは順調だろう。わが国でも、そろそろワクチン接種のスケジュールが見えてくると思われる。何とか落ち着かせて、東京オリンピックが開催できれば、世界中の空気もがらりと明るくなる」
     バイデン政権は減税から増税へ。対外政策ではアメリカファーストから国際協調へ。西側諸国は一安心。中国への厳しい姿勢は変わらないが、貿易や関税での損得の問題ではなく、香港や中国国内の人権問題のほか、露骨な覇権の誇示を牽制すべく、法に基づく国際秩序に関心が向く。
    「中国も対抗して安全保障上の観点から輸出入の制限を打ち出している。中国ビジネスではその製品について、米国での使われ方や米国でのライセンス契約など、両国での規制内容に注意しておく必要がある」
     菅内閣はどうか。
    「アベノミクスを継承するとしているが、単純な継承ではなく、従来の政策からの発展が期待される。安倍内閣での有識者審議組織の未来投資会議を、菅内閣で成長戦略会議に再編。カーボンニュートラルに向けたグリーン戦略をトップの位置にもってきた。しかしグリーン戦略はコストがかかり大変と消極的な人も多い。確かにわが国のエネルギー政策の転換が必要であり、大規模な投資が必要だが、ここでの投資と新しい技術が、次の成長エンジンになるからこそ、成長戦略会議のトップにもってきたのだろう。これはデジタル・トランスフォーメーションと並び、あるいは一体となって、いまからの経済政策の基幹となる」
     1970年初頭、米国のマスキー法(排ガス規制)を最初にクリアしたのはホンダ。以降30年、ホンダは米国の自動車市場を席巻した。
    「時代に適応した新しい技術を持つ者が、次の時代の王者になる。少子高齢化を嘆くだけでなく、未来を信じて前へ進む。やらなきゃ」
     ポストコロナのほかには、地銀再編、行政デジタル化など多彩な項目が目を引くが、これらはいままでの延長線上で、いままでにできていなかった目録。次に「足腰の強い中小企業の構築」が独立した項目に登場。日本商工会議所の三村会頭やデービッド・アトキンソン氏(小西美術工藝社長)らによる議論に基づく、しっかりとした政策が提案されてくるものと期待。
     衆議院の解散がなければ、秋に衆議院議員の任期が到来する。状況次第で前回の総裁選で次点になった方に期待が集まる。県内経済やマツダのことなど次号で。

  • 2020年12月17日号
    静かな心

    楽しみは清静にあり。茶における上田宗箇の境地を伝える言葉である。宗箇を流祖とし、桃山時代の武家茶をいまに伝える茶道上田宗箇流。16代家元の上田宗冏(そうけい)さんは朝、上田流和風堂(西区)の安閑亭に入り、畳を拭き清め、水屋の掃除を済ませて、庭に出て花を切り、軸を整え、ひとり静かに茶筅(せん)を振る。
     和風堂にいるときは毎朝そうしている。5割くらい多めにお湯を入れて茶を練り、お濃茶の一服点をいただく。とてもおいしいという。
    「息つく暇もないような日々に追われて、とても余裕のあるひとときを過ごすことなどできないと諦めている方が多いように思います。そうした日常の繰り返しの中で一日の始まるときを、どう過ごすのか。工夫して時間を生み出している方もいます。清々しい朝の光や花の美しさ、茶碗にさえる茶の鮮やかな色、茶を飲み干す爽やかさなど、その一つ一つが五感に染み入り、呼吸が自然に長くゆっくりとなり、心が収まり、静かな心になります。日常の中で静かなときを楽しむという、いまの日本人が忘れかけている習慣を少しでも生活に取り戻すことができないか。日常にあって幸せを見つける楽しさも大切ではないでしょうか」
     今年は例年と違って、稽古や茶席を設けることもなかなかかなわなかった。毎年4日間で600〜650人を招く和風堂の初釜を開くべきか否かと迷ったが、新年の始まるけじめの行事として、楽しんでいただきたいと決意した。
     書院の広さなどを勘案し、密を避ける空間を確保。感染対策を優先し、本来は飲み回す濃茶も各服点に。大福茶席と濃茶席をそれぞれ10人に分け、祝膳席は間隔を空けてアクリル板を設置。最大20人をもてなす。いまのところ招待客は400人を予定。
    「現代では大寄席の茶会が普及し一般化していますが、桃山時代の茶会はもともと少人数でした。武家茶を継ぐ当家の流派は全国的にも珍しいと例年、東京や関西など県外からのご参加が半数近くあります。来春の初釜はそれぞれの茶席を少人数とし、より清静とした空気の中で茶の魅力を堪能していただけるよう、もてなしに全力を注ぎます」
     スタッフや関係者ら総出で幾度も打ち合せを重ね、入念な準備に余念がない。
     2007年に発行された宗冏さん著作「日々ごゆだんなきよう」は〝幸せを呼ぶ礼法入門〟をサブタイトルに、宗箇から400年の時を紡いだ武家茶の伝統と精神を伝えながら、日常を健やかに過ごす指南書として文庫化し、版を重ねる。
     その礼法は分かりやすい。姿勢や呼吸、歩き方、所作、室内の設えなど、武家茶の作法に裏付けされており、いまからすぐに実践できる平易なものが多い。伝統を大事にしながら時代の空気を取り入れて「不易流行」の禅の教えを重ねてきた、清水のようなすがすがしさがある。
     一服の茶を点てて、飲む。その単純な行為が茶の湯という。著書で−私は茶の湯を通して三つの心を実践するよう努めています。まずは柔軟な心。次に静かな心。最後に執着しない心です。
     今夏、若宗匠の宗篁(そうこう)さんはウェブで茶道の講習会を開いた。変えてはならない伝統を守り、新しい扉を開く。