広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2019年9月19日号
    ものづくりの魂

    世界に先駆け、先進的なアルミ関連設備を実用化し、自動車部品生産用のアルミ溶解設備分野で国内トップシェアを誇る。工業炉メーカーの三建産業(安佐南区)は世界初の技術とか、日本一の製品とか、かずかずの技術革新を成し遂げながら困難を克服し、8月に70周年を迎えた。国内の自動車・部品メーカーへアルミ関連設備を納入し、大型アルミ溶解炉のシェアは50%以上。街を走る車の半分は同社の技術、製品が関わる。
     今日までの歩みは戦後の産業史とも重なる。大量生産、省力化、省資源などと産業の主題が移り、それぞれの時代が求める技術革新へ敢然と挑んだ。苦難と戦った体験を幾層に重ねてオンリーワン技術をつかみ取り、業界に確たる地歩を築く。自動車や造船などのものづくり産業が集積する広島に拠点を構えた幸運もあったろうが、何より「勇気と知恵」で立ち向かった人間ドラマといえよう。
     三井物産を退職後、1949年に創業者の万代淑郎さんと、三浦四郎さんの二人が豊田郡安芸津町(現東広島市)に三建産業を設立。公共建物などに多く使われる赤レンガを販売していた。これが源流となり、日本で初めてセラミックファイバーを使った大型焼鈍炉、国内市場を席巻したタワー型急速アルミ溶解炉「サンケンメルタワー」のほか、アルミ鋳造の機械加工時に発生する切粉を再利用するために開発した「キリコメルター」などへ拡大発展していく流れにつながるとは、誰もが想像さえできなかった。
     レンガを納入していた三菱造船広島造船所(現三菱重工広島製作所)の鋳造工場担当者から「炉をやれよ」というアドバイスが発端になった。炉の技術、知識などない。数少ない専門書を読みあさり、徐々に工業炉に接近。重い扉をこじ開けた。その後も得意先との二人三脚。とても無理だと思える注文にひるむことなく、ときには厳しいクレーム対応に鍛えられながら革新的技術を身に付けていった。
     主力のアルミ溶解炉は車の軽量化、工場のFA化ニーズに沿って、どんどん注文が入った。当時のアルミ素材は鍋や釜など家庭用品に使われるものが多く、車の工業部品として大量に使用することは想定されていなかった。反射炉しかなく、大量生産に向かないと誰もが考えていた。しかし車の燃費削減に向けた開発競争が始まり、軽量化を追求する国内メーカーはこれまで鉄で製造していたエンジン部品やホイールなどにアルミ素材を使い始め、アルミ溶解炉や保持炉、熱処理炉の需要が一気に拡大。そんな時代に開発されたメルタワーは「世界初の挑戦」を見事に実現し、飛躍的に生産効率を高めた。車が軽いと燃費が良くなるという時代の要請だった。
     FA化のニーズに応えてアルミ原材料の連続自動投入用の搬送機械も設計するようになり、材料投入から溶湯まで一元的にできるようにした。メルタワーの評判は瞬く間に世界へ広がり韓国、イギリス、スペイン、ドイツ、アメリカなどから技術供与、提携のオファーが次々舞い込んだ。
     創業来、顧客と二人三脚で問題を解決し、技術開発に挑戦する姿勢を貫いてきた。当時、首都圏と広島の間が時間的に遠く離れていたことも幸いしたと言う。−次号へ。

  • 2019年9月12日号
    本格的な移民社会へ

    深刻な人手不足を解消するため、外国人材の受け入れ拡大を目的にした「改正出入国管理法」が4月から施行。政府は介護や建設、外食業、ビルクリーニング、宿泊などの14分野を対象に、5年間で最大約34万5000人の受け入れを見込んでいる。新在留資格「特定技能」を盛り込み、これまで認められていなかった単純労働に門戸を開放。日本で働いている技能実習生も多く移行する見通しという。
     自動車や造船など、ものづくり産業が集積する広島県。外国人技能実習の在留資格者は1万5315人(2018年12月末)に上り、愛知、埼玉に次いで全国3番目に多い。そもそもは「日本で技能を習得して母国で生かす」という国際貢献を目的にした技能実習制度だが、ものづくり産業に携わる、特に中小企業にとって欠かすことができない支えとなっている。
     中国地方の自動車部品メーカーなどの製造業向けを中心に、累計5000人の受け入れ実績を持つ外国人技能実習生監理団体の西海協(さいかいきょう)(西日本海外業務支援(協)、安佐南区伴南)の池田純爾理事長は、
    「改正法によって外国人を受入れる人材関連サービスの間口は確実に広がってくる。一方で、人材派遣会社の新規参入などに伴い競争激化は必至。国内だけではなく、外国人材の受け入れに積極的な台湾や韓国など諸外国との競争もある。これからもなお外国人から選ばれる日本であり続けるために、官民が一体となって外国人が安心して働き暮らせる社会インフラを整備していく必要がある。組合設立時から掲げる『一流を目指す』という理念をさらに徹底。人間の尊厳を大切に、より誠実な業務を遂行していく。この基本方針に変わりはない。組合を取り巻く環境も含め、組合の存在価値を高める絶好のチャンス。何よりも働く誇りの持てる職場とすることが、一番の目標です」
     と意欲をにじます。  互いに敬意を持つ
     02年10月に組合を設立。翌年11月、第一期生として中国から女性10人を受け入れて事業を本格スタート。池田理事長は組合立ち上げから業務に携わってきた。
    「外見は日本人と同じながら生活習慣以上に価値観の違いに驚いた。日本人同士であれば、あうんの呼吸で進むことも、主義主張が強く一筋縄ではいかない。常識も異なる場合がありトラブルになることも。来日する外国人の方に日本の文化や習慣、そして日本人の価値観などを理解していただく。私たち日本人も彼らの文化を知り、互いに敬意を持つことが、大切だと実感している」
     組合員は自動車関連や機械器具製造、金属加工、造船など115社に広がり、実習生の受け入れ先は現在74社を数える。むやみに拡大路線を進めることなく、基本方針に沿って着実に、送り出し機関〜技能実習生〜受け入れ先企業の間をつないできた。その堅実な歩みが信頼を醸成し、年々実績を押し上げてきた原動力になったのだろう。
     少子高齢化、人口減により日本の生産年齢人口は減少の一途。外国人材の活用によって人手不足の解消が期待される一方、日本が経験したことのない本格的な移民社会へ突入する。

  • 2019年9月5日号
    感動を呼ぶ

    当初、大方の関係者は半信半疑、むしろ悲観的だった。海や山のほか、何にもないところへ修学旅行で訪れるはずがない。だが、その常識を打ち破り、広島、山口県での体験型修学旅行の受け入れが2019年度で110校・1万6094人(5月現在、予約含む)を予定。過去最高となる見通しだ。
     長年にわたる粘り強い誘致活動と地域受け入れ体制の取り組みが重なり、当初予想を上回る数字をはじき出した。広島商工会議所が旗を振り、00年7月に両県内の9市6町の行政や商議所、商工会などでつくる広島湾ベイエリア・海生都市圏研究協議会(事務局・広島商議所)が発足。観光ルート開発などを経て07年から体験型修学旅行の誘致活動を始めた。初年度受け入れ人数はわずか35人。その後も商議所、自治体職員らが根気よく首都圏や中部、関西の旅行会社などへ営業展開。ようやく数年後から手応えがあり、西日本豪雨の影響もあってか18年度に前年割れとなったが、ぐんぐん受け入れ人数を伸ばしてきた。
     8月下旬に周防大島や大崎上島町、江田島市など受け入れ地の7地域協議会の関係者ら総勢21人で滞在型観光の先進地、長崎県松浦市を視察。「松浦党ほんなもん体験」を推進する(社)まつうら党交流公社と13地区が広域連携組織をつくり、年間3万人を受け入れる。研究協議会の運営委員長を務める中村成朗さん(中村角会長)は、
    「松浦の成功要因は、地元の熱意に尽きると思う。ありのままの自然の力、漁業などを営む人たちのたくましさが共鳴し、都会では体験できない感動を呼ぶのでしょう。大阪から修学旅行で訪れた生徒が卒業後漁師の後継ぎになり、地元で結婚し暮らしている事例も聞いた。一方で、当協議会の大崎上島からうれしい報告が届いた。不登校だった中学生が今春、島を訪れたのを機に登校してくれるようになったと保護者から連絡があったという。魚の三枚おろしを自宅の台所で披露し、保護者を驚かす子も少なくない。1泊2日の短い期間だが、家庭的で和やかな生活に触れ、自然に心が開くのではないでしょうか。別れるときには互いの目に光るものがあります。私も最近は涙もろく、おかげで感動をもらっています」
     長崎県への視察は2回目になる。最初は体験型修学旅行の誘致活動を始める前の、04年に平戸市を視察し、さまざまな示唆を受けたという。
     こうした事前準備に加え、関係者の冷たい態度などにひるむことなく、粘り強く、毎年こつこつと活動を継続してきた成果といえよう。コーディネート機能やインストラクター研修、旅行会社へのプロモーション、安全対策、地域協議会などによるきめこまかな受け入れ体制を構築。生徒や先生から保護者へと支持が広がり、定番化した学校があるほか、先生の転勤で新たに始める学校も増えてきた。その一方で、民泊家庭の高齢化などにより、受け入れ家庭の確保が大きな課題に。受け入れ地域を広げ、さらにネットワーク機能を効果的に運用する方策などを探る。
    「今の仕組みや受け入れ体制を充実させることはあっても品質を落としてはならない。数字だけで計れない、感動を大切に運用していきたい」

  • 2019年8月29日号
    池田さんでどうだろうか

    衆目の一致するところだったのだろう。広島商工会議所の次期会頭候補として広島銀行の池田晃治会長(65)の名が一番に上がり、正式には11月1日に開く臨時議員総会で選任される運びとなった。この流れは、広島経済同友会の代表幹事人事に始まり、舞台を移して商議所の会頭選考委員会では全員一致、池田氏を推す線ですんなりと意見がまとまったようだ。
     広島ガス出身者で、3期9年目の深山英樹会頭は10月で任期を満了。一方で、広島経済同友会では代表幹事に広島ガスの田村興造会長が4月に就任し、代表幹事を2期4年務めた池田氏が任期満了。両経済団体のトップを一つの会社から出すのは負担が大きく、これまでは避けてきた。しかし今回は4〜10月の間、広島ガス出身者で両団体トップを占めることになったが、あらかじめ7カ月限りの例外とし、同友会代表幹事の人事が内定した昨年末ころ、すでに深山会頭は、今期限りで退任する意向を固めていたのだろう。サッカースタジアム建設や商議所ビル移転・建て替えなどの課題に一定の道筋が付いたことも大きい。
     5月に開いた最初の会頭選考委員会で真っ先に「池田さんでどうだろうか」の声が上がり、速やかに広島銀行に打診したところ、行内調整などを経て「臨時議員総会で選出されれば受ける」という回答を取り付けた。深山会頭にも次の会頭に池田氏がふさわしいという思いがあったのではなかろうか。
     これまで会頭は、マツダや広島銀行、中国電力など地元有力企業の財界グループ「二葉会」メンバーから選ばれてきた。戦後の歴代会頭・出身企業は、(敬称略)
     ① 鈴川貫一(中国電力)② 中村藤太郎(広島機帆船運送)③伊藤豊(広島銀行)④藤田定市(フジタ)⑤白井市郎(中国醸造)⑥森本亨(広島相互銀行=現もみじ銀行)⑦伊藤信之(広島電鉄)⑧河村郷四(マツダ)⑨山本正房(中国新聞社)⑩村田可朗(中電工)⑪山田克彦(広島銀行)⑫山内敇靖(広島ガス)⑬中野重美(中電工)⑭山崎芳樹(マツダ)⑮橋口収(広島銀行)⑯池内浩一(中電工)⑰宇田誠(広島銀行)⑱大田哲哉(広島電鉄)
     そして深山会頭。池田氏が選任されると広島銀行からは宇田氏以来12年ぶり、5人目となる。
     かつては二葉会が、会頭人事についても調整役を果たした。あらかじめ二葉会で意見調整して候補者を絞り、議員総会で選任−が慣例だった。しかし79年の会頭改選は混迷。議員改選後の総会でも決まらず、ようやく時間切れ寸前になって山内会頭の再選をまとめた。この以降、二葉会が会頭人事に影響力を行使することは無くなった。
     その後は中電工、マツダ、広島銀行、広島電鉄、広島ガスの5社から会頭を輩出。今後もこうしたケースが続くように思える。あらかじめ二葉会で意見調整する、かつての慣習に戻してもよいのではないか。そんな声も耳にした。
     池田氏は同友会などでの活動をはじめ、金融業務を通じて幅広く地元経済に精通。これからの広島まちづくりで県知事、市長と共に先導役を果たす会頭の責務は重く、その手腕が期待される。

  • 2019年8月22日号
    気の先へ

    長期予報によると、この冬は寒気の影響を受け、厳しい寒さとなりそうだ。さて、広島経済に暖かい風が吹くだろうか。広島銀行系のひろぎん経済研究所(中区紙屋町)の水谷泰之理事長は、
    「コロナの新たな変異株の出現やワクチン効果低減などのリスク要因がある中で引き締めたり、緩めたりしながら経済は回復すると見ている。しかし、業種によって大きく異なるし、タイミングは予測困難。コロナ出現当初を振り返ると、1月は中国から部品が来ない、2月は国内の工場が動かない、3月になると海外で売れない、などと感染が広がる地域によって全く違う影響が短期間に現れた。その後ワクチン接種で欧米が回復すると急激な需要回復に生産や物流が追いつかない、ワクチンが遅れた東南アジアからの供給が止まるといったように経済の流れは複雑。サプライチェーンを読み解くことはコロナの影響だけでなく、いまから世界経済と自社のつながりを理解する上で極めて重要ではなかろうか」 
     急激な変化にどう対応すれば良いのか。飲食や旅行などが急回復したときに人手は大丈夫か、殺到する注文をこなせるのか、そのとき慌てふためくようでは後手に回る。予測困難だからこそ、備えに万全を期すという経営の力量が問われることにもなる。

  • 2019年8月8日号
    ぶれない

    誰しも目的を成し遂げるために目標を立てる。しかし、やみくもに契約件数や売上高などの数値目標を追っ掛け、翻弄されると、何のためかという本来の目的を見失うことがある。だが、経営危機に陥り、従業員が散り散り去っていく事態になれば、創業の目的、経営者の志はこなごなに砕ける。こうした経営破綻の例は枚挙にいとまがない。
     目的と目標がぴたりと重なり、経営の好循環を創り出すことが、経営者の責務なのだろう。2年続けて日本一、全国146信組の頂点に立った広島市信用組合(中区袋町)の山本明弘理事長は、
    「ひたすら足で稼ぐ現場主義を貫いてきた。そうした毎日の経験を重ねて取引先目線(顧客満足)と職員目線(従業員満足)の考えが自然に身に付いたと思う。融資先がつまずくこともある。そのとき毅然として再建計画を提案し、共に前へ進めていくことのできる信頼関係が、全ての土台になる。わが都合だけの営業で信頼を得ることなどできない。常に相手の立場に立って考える。地域、取引先に役立つという金融機関の役割、使命を逸脱した営業は限界があり、やがて取引先からも見放されて信頼関係が破綻することになる。当たり前のことを当たり前にやって、嘘やごまかしがない。基本を守る。大きな声であいさつする。そうすれば取引先は自然と応援してくれる。それが預金集めと融資に徹するシンプル経営の原点と肝に銘じている」
     同信組が大事にしている一枚の表がある。この10年、段階的に、体系的に進めてきた人事制度の見直しで、▷役職定年制度、▷定年延長、▷女性の登用、▷給与の見直し、▷勤務時間管理などの項目ごとに経緯をまとめており、職員の待遇改善へ向けた長期的な取り組みや、その思いが伝わってくる。例えば、
    ・初任給が地場金融機関で一番高い。大卒21万1000円(外勤手当+2万円)
    ・各種手当から基本給への振替(計7万3000円)で退職金のベースが増加し、永年勤続する方が倍率アップする制度を採用。
    ・上位職への早期昇格。店長35人の平均年齢は約44歳で、7月には30歳の最年少支店長が誕生。
    ・出産祝金制度や出産・育児休暇の充実。この5年間で育児休暇からの復職率は100%。
    ・金融機関の本来業務特化のビジネスモデルで、投資信託や保険の販売をしない。
    ・役職定年廃止や定年延長(65歳)を先駆けて実施。
    ・年齢、性別、学歴を問わない上位職への登用。
     この一連の取り組みが予想以上の効果を挙げた。「頑張れば報われる」という士気の高揚。定年延長で金融業務に経験豊かな人材の活用。新卒採用で応募者が増え、優秀な人材の確保。何より職場に活気がみなぎり、業績を押し上げる好循環を見事ものにした。
     ぶれない、シンプル経営のすごさだろう。

  • 2019年8月1日号
    怪物の如く

    軍隊の進退について、
     −疾きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し
     2500年前の兵法書「孫子」の一節だが、今や米中経済摩擦をはじめ、やみくもに激化する世界的なビジネス戦争のただ中にある企業経営で動と静、陽と陰など、めりはりのある進退を説くビジネス指南書のようでもある。
     むろん本人は無意識なのだろうが、突如訪れて、雷のような声で話し、それからさっと引き上げる時のダッ、ダッと歩く姿は風圧さえ感じる。ここまで書くと、広島市信用組合の山本明弘理事長のことかと思い浮かべる方も多いだろう。多少は慣れてきたが、その個性的なでかい声にびっくりする。73歳にして満々の気迫や元気は、失礼ながら怪物の如くである。
     前置きが長くなったが、2年続けて広島市信用組合が日本一に立った。週刊誌「ダイヤモンド」7月6日号の特集「金融機関ランキング」によると、収益力・効率性、財務の健全性、地域密着度・融資積極性を総合評価した結果、同信組が全国146信組の頂点に。山本理事長は、
    「みなさまのおかげです。毎日毎日が預金集め、融資の本業一筋。ひたすら愚直に汗を流しております。マスコミなどで取り上げられたせいか、新卒採用の応募者が約300人と、ひと頃に比べて倍増。ここ10年、職員の待遇改善などに踏み込んで実施した。昨年採用した50人のうち、今日までに一人退職。定着率は高水準を維持し、さらに女性の役席は倍以上の79人に増え、女性職員198人の約40%を占める。おごりなどないが、日本一という職場に活気がみなぎっている」
     風の如く、速やかに働き方改革に取り組み、昨年1月、広島県働き方改革実践企業認定を受ける。かつて金融機関では長時間のサービス残業が当たり前だったが、2013年4月から「入店時間は8時10分以降」を厳守。さらに業務が集中する月末・月初めなどを除き、午後5時40分退社を徹底。集中し効率を高めるほかなく、業務改善につながっているという。
     抜本的に人事制度の見直しを行った経緯は、
     ▷役職定年=14年3月では部長58歳、副部長57歳、支店長・課長56歳、代理・係長55歳だった役職定年を廃止し、60歳まで役職維持。17年4月から65歳に定年延長したのにともない同年齢まで役職維持。その年の60歳誕生日の5月25日をもって定年退職する予定だった人事部の澤田実副部長は、直前の4月に実施された定年延長と役職維持により、人生設計を上方修正。「家族皆で歓声を上げました」と振り返る。
     ▷女性の登用=13年3月末の女性役席は代理5人、係長29人の計34人だったが、翌年に初の女性支店長登用で弾みがつき、現在は34店舗に女性の役席を配置し、その人数は79人に上る。
     19年3月期決算は16期連続増収を達成し、本業の収益を示すコア業務純益94億8500万円を計上。過去最高を更新した。好業績−職員の待遇改善−好業績の好循環を引き寄せた経緯、本業特化の威力などを次号で。

  • 2019年7月25日号
    危機感を持つ勇気

    「いつの間にか、おごりが潜んでいたように思う」
     国内トップの宝飾ブランド「4℃」を擁するエフ・ディ・シィ・プロダクツや、アパレル事業のアスティグループ(西区商工センター)の持ち株会社である4℃ホールディングス(東京)の木村祭氏会長は、
    「2016年度から4℃既存店売り上げは1年以上前年割れが続いていたが、今年に入り、ようやく水平飛行に乗せることができた。このたびの危機感をバネに、4℃ブランドの再構築を決断。革新に挑戦する創業精神の原点に立ち返り、9月から姉妹ブランドのカナル4℃のリブランディングをスタートさせる」
     永続的なブランドを目指しグループ全体の経営改革に踏み出す構えだ。
     4℃は低迷するジュエリー小売市場で、ターゲットとチャネルを見極めた販売戦略が見事に当たり、独り勝ちの様相を呈していた。4℃HDはリーマンショック後の09年から9期連続増益、18年2月期で純利益は6期連続で過去最高を更新。姉妹ブランドのカナル4℃や4℃ブライダルは出店すれば黒字になり、いつしかこのままやればいいという空気が充満。一方で、数年前から市場、消費者の反応などに、これまでになかった微妙な違和感が生じ、「このままで大丈夫か」という危機感も抱いたが、
    「好調な業績におごり、一番肝心な消費者の好みの変化や市場情報を見落としていたように思う。これを教訓とし、根本からブランド戦略の見直しに着手。外部から人材を招いたほか、本質的な商品開発や販売態勢などを刷新し、ようやくグループ全体に活気がよみがえってきた」
     見直しによっていくつか課題が浮上。4℃は顧客の50%を男性が占め、男性が女性に贈るギフト商品として定着。しかし実際に身に着けるのは女性。ギフト需要期のクリスマスの店頭では効率よく売りさばくことに振り回され、本来なら顧客の住所や名前などを伺って、一人一人への丁寧な接客を行う基本を怠っていたのではないか。大幅な予算を組んでいたにもかかわらず宣伝広告も手薄になっていた。結果として16年のクリスマス商戦は振るわず、17年2月期決算は5期連続増収から一転、減収になったが、コスト削減で過去最高益を計上。こうしたうわべの数字に惑わされ、経営全般に打つべき手が緩んでいたとほぞをかむ。
     4℃は25〜35歳のキャリア層がターゲットだが、カナル4℃は18〜25歳を対象に駅ビルやファッションビルで約50店を展開。年間50億円を売り上げるブランドに成長したものの、数年前から4℃と間違える消費者が増え、ブランドの境界線があいまいになっていた。こうした点検を行った結果、4℃ブランドを成長させるためのリブランディングに踏み切る絶好の契機になったのだろう。カナル4℃はファッションジュエリーのセレクトショップへの転換を推し進める。
     19年2月期連結売上高は3期連続減の471億円、経常利益は10%減の68億円。今期は各ブランドの個性や販売戦略を明確化し、4℃ブランドの再構築へ経営資源を投入する。売上高、利益共にプラスに転じる見通しだが、決して油断はない。

  • 2019年7月18日号
    敷居高くも間口広く

    1619年に浅野長晟(ながあきら)が広島城に入城し、今年で400年。広島藩主浅野家は12代(1619〜1871年)にわたり、産業、文化、まちづくり、教育分野などに多大な影響をもたらしたが、その一つ、長晟に従って広島入りした武将茶人の上田宗箇を源流に、その日から広島の地に根差し、全国的にも珍しい武家茶道の流儀を伝えてきた足跡は、広島にとって大きな幸運だったように思う。
     浅野家の家老で、上田流初代家元の宗箇はどんな人物だったろうか。歴史小説「下天は夢か」や「夢のまた夢」などで知られる津本陽が、宗箇の生涯を描いた「風流武辺」のあとがきに、
    「宗箇の足跡をたどると、おおいに共感が湧いた。弱肉強食の言語に絶するばかりの生存闘争のなかを、子供のような矮躯をひっさげ生き抜いてきた、宗箇の心の痛みと諦念がうかがえるような出来事が鎖のようにつながっていた」
     信長、秀吉の家臣団に加わり、その後浅野藩に招かれて庭造りにも才を発揮した。伝来宗箇様御聞書に「ウツクシキ」という言葉がある。芸州藩儒者による宗箇翁伝に「勁質であり、雅文であるものを好む」とあり、ウツクシキは勁(つよ)さだけでも、雅(みやび)なだけでもない。武将としての視線をうかがわせる。家元制度により代々引き継がれてきた上田流の流儀はその時代を生きる人から人へ伝わり、遙か時代を越えて光芒を放ってきた。家元若宗匠の上田宗篁(そうこう)さんは、
    「茶道は敷居が高く、とっつきにくいイメージを持たれています。だからといって時代に迎合し、敷居を低くしてはならないと思うのです。敷居は高くも間口を広げ、伝統の魅力を伝えていく。敷居を跨いで訪れた方々へ、分け隔て無く精いっぱいのおもてなしに務めることが、流派を受け継いでいく者の使命だと考えています。数百年の歳月を費やし、営々とつくり上げられてきた文化も無くなるのは一瞬。上田宗箇流が奇跡的に原爆の被害を免れて、今があることに天命を感じています」  伝統文化とブランド
     伝統文化と企業のブランド戦略には一脈通じるものがあるように思える。マツダデザイン部門のリーダー、常務執行役員の前田育男さんの著書「デザインが日本を変える」の第3章「ブランド論」に、
     −マーケティングに携わる人たちはブランディングと呼ばれるイメージ戦略によってブランド価値を上げられると考えているようだが、私に言わせればそんな魔法の杖など存在しない。錬金術のようなやり方で誰もが憧れる理想の商標を手に入れることなど逆立ちしてもできはしない。ブランドにとって一番大事なもの−それはまず作品である。最高のブランドを作ろうと思ったら、まず最高の作品を作るしかない。作品自体がトップを張れるようなものであれば、おのずとブランド価値はついてくる−
     時代は異なるが、宗箇もまた、最高の流儀を極めようとしたのではなかろうか。浅野氏広島入城400年記念事業として7月21日、熊倉功夫氏の記念文化講演会「浅野幸長と古田織部・上田宗箇」がリーガロイヤルホテル広島である。歴史をのぞき、今を見詰める。将来へつながる渡り廊下になるように思う。

  • 2019年7月11日号
    今に伝わる武家茶道

    広島の経済界と、桃山時代の武家茶道を伝える上田宗箇流との関わりは深い。西区古江東町に拠点を置く(公財)上田流和風堂の理事にマツダ、中国電力、広島銀行をはじめ広島を代表する企業トップらが名を連ねる。経済と文化。この関わりを解き明かす、一つのエピソードがある。戦後、上田流にとって一大事業となった「上田家上屋敷」の構成再現に経済界が率先し、寄付活動を展開。広島のかけがえのない伝統文化を支えていく機運が次第に高まり、次代へとつながる有形無形の貴重な価値、財産を地域ぐるみで守っていく起点になったのではなかろうか。
     およそ400年前の、広島城にあった武家屋敷の配置を描いた絵図面によれば、今の広島県庁やひろしま美術館がある辺りに、上田家上屋敷があった。しかし昭和初期には現在地へ移っていたため、被爆による直接的な被害を免れて多くの古文書や、宗箇自作の茶わん「さても」などの名品の数々が残ったのが、大きかった。
     絵図などを参考に、1979年から30年の歳月をかけかやぶき屋根の数寄屋「遠鐘」などを再建。そして2005年に着手し、08年に書院屋敷を構成再現。茶室、数寄屋建築研究の第一人者である京都工芸繊維大学名誉教授の中村昌生さんが建築設計・監修、庭園の設計・監修は作庭家の齋藤忠一さんが担当。
     現在の16代家元の上田宗冏(そうけい)さん(74)は当時、上田流の若宗匠として経済界以外では初めて、1984年に広島青年会議所の理事長に就任。こんな話をしてくれた。
    「不易流行という言葉があります。いかに時代が移り変わろうとも変えてはならないものがあるが、例え、伝統といえども時代、時代を取り入れていかなければやがて陳腐化し、取り残されてしまうという禅の教えです。私どもの茶道も不易流行の調和こそ大切だと思っています。広島の街は、原爆で多くの建物が失われました。しかし、できるだけ忠実に復元し、再現された建物は、歳月を経て、再び歴史的な価値をよみがえらせてくれるように思うのです」
     古都奈良の東大寺は、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失。再建で間口が3分の2に縮小されているが、1998年にユネスコの世界遺産に登録されている。
    「中村昌生さんとの出会いがあり、上屋敷の構成再現へ向かう過程で多くの示唆を頂いた。寄付集めに歩いていただいた宇田誠さん、多田公熙さんら経済界の多くの方々の協力を得て念願をかなえることができました。戦後の経済復興を経て、ようやく文化への関心が高まってきた頃とも重なり、まして人との出会いという運に恵まれたとの思いが強いです」
     と感謝を胸に刻む。
     被爆で一瞬にして街は瓦解(がかい)し、誰もが生きることで精いっぱい。茶の湯をたしなむ余裕はなく、上田流も危機にさらされたが、そこから立ち上がり、上田流の復興を成し遂げる道筋には計り知れない懸命な努力はむろん、目には見えない伝統の力があったように思う。それらが地域や経済界との強い絆となり、凛として武家茶道をたしなむことのできる空間を再び、今に創り出す原動力になったのではなかろうか。−次号へ

  • 2019年7月4日号
    隣の土地は倍出しても

    よほどの感慨と、さらなる意気込みがあったのだろう。6月21日、中区紙屋町の東館(旧本館)と西館(旧新館)に設けた4階の連絡通路で結ぶツインタワーのエディオン広島本店を開いた。久保允誉社長が内覧会のあいさつで、 「この地は私にとって本当に思い入れの深いエリアです」
     と切り出した。西館で生まれ、そこで幼い頃を過ごしたさまざまな思い出とともに、創業者の父・道正氏(故人)の言葉などを引用し、前身の「第一産業」が30坪で創業以来、順々に土地を買い増し広げていった経過について、
    「祖母が父に、『大きな夢を持つのだったら隣の土地を倍出しても買え』と言う。そして 450坪の一画にすることができた。父は私に、『ここと西館ができて3階か4階にブリッジがあるツインタワーができたらいいな』という風なことをよく言っていた。先日、おふくろが来て『ブリッジのところで昔を思い出しながら涙が出たよ』と話してくれました。先代ができなかったツインタワーを、このようにできたことを、非常にうれしく思っております」
     新しい店のコンセプトは体験、体感、そしてわくわく感とか楽しさを提供。商品を売るのではなく、その商品の価値、機能を売っていることを基本につくったという。 
     5年前にアメリカを視察。その頃、アマゾンなどのネット販売が全米を席巻し、小売業のリアル店舗が非常に厳しくなってきているというニュースにあふれていた。
    「今はウォルマートが世界一の小売り大手だが、その前はシアーズ。そのシアーズの店舗に行ってびっくりした。昔のイメージはなく、20%オフとか、40%オフとか、60%オフとか値段だけで、全然わくわく感や楽しさがない。こういう店舗だったらネットに負ける、ネットの品ぞろえ、価格には勝てない。シアーズは外からやられたのではなく、新しいことにチャレンジすることなく、中から厳しくなったのではないかと感じた」
     ちょうど2年前、広島の蔦屋家電をオープン。居心地がよく、「本」を磁石にして来店客数を上げていく店づくりにトライアルし、2年目になって2桁以上伸び、6月も20%の伸びを見せた。非常に手応えを感じているという。アメリカ視察で確証を得て、新しいことへ敢然と挑戦した結果なのだろう。
     さて、このツインタワーをどういう店舗にするのか。いろいろと悩んだが、やはり家電に立ち戻ったようだ。
    「家電で引っ張る、家電でわくわくして来店していただけるような、家電の原点をツインタワーで実現したいということで家電をベースに、新しい住まいの提案にもつながる店づくりを目指した。不易と流行ということがあるが、決して変わらない部分と、時流に乗って変わっていかないといけないものがある。その中で今、ドローンとか、eスポーツとか、そのような新しい時流に乗った商品、あるいは楽しみ方というか、アミューズメント性を持った構成にしている。ツインタワーの社員は非常に専門知識を持ったコンシェルジュ、そういう人を配置。『買って安心、ずっと満足』していただけるよう一生懸命やっていきます」
     新しい潮流には、危険もチャンスも潜むという。

  • 2019年6月27日号
    手を合わせる

    ますますスマホが手放せなくなりそうだ。面倒なことも指先で片付く。いつ、どこにいても買い物ができ、出先から自宅のリビングで誰がくつろいでいるのか確認できる。便利さの追求はとどまることがないが、どこか危うさも感じる。米中貿易摩擦の一因ともいわれる次世代の移動通信システム5Gは、どんな暮らしをもたらすだろうか。
     伝統的な仏壇の製造・販売に合理的な考え、技術革新を取り入れて成長。今年で創業154年の三村松(中区堀川町)は金仏壇の製造出荷本数で40年連続し、日本一を達成した。社主の三村邦雄さん(71)は、
    「当社に入った頃、江戸時代から続く経営の仕方などに危機感を感じた。それが発奮する動機になり、経営改革へ挑戦する原動力になったように思う。むしろ恵まれた環境下では先々への備えがおろそかになり、戦後から今日まで様変わりした人々の暮らし、ニーズの多様化などを読み、先手で布石を打つことができなかったのではなかろうか」
     入社して数年後、28歳で社長に。常に陣頭指揮を執りながら49年間、時代の流れを見据えてきた。いち早く伝統工芸の工業化を進め、国内では先陣を切り、家内制手工業と工場生産の両輪で仏壇づくりに革新をもたらす。
    「1970年代は、注文に生産が追い付かない状況を呈していた。何より自社工場が必要と考えた。広島の吉島工場を皮切りに、鹿児島、宮崎と生産拠点を配し、規模を拡大。そのスケールメリットが効果を発揮した。自社工場で職人を育てることができる上、新製品を創り出すスピードも速くなり、全国のさまざまなニーズに迅速に応えられる大きな転機になった」
     現在、月間1万本の仏壇を製造。近年、仏壇にもカジュアル化の傾向が強まっているという。漆塗りや金箔張りなど七匠の伝統工芸士の技が詰まった金仏壇ともなれば家が買えるほど。高級仏壇を望む層に応える一方、マンション世帯の増加に伴ってシンプルでモダンな仏壇もよく売れている。売れ筋は50〜100万円だが、三村松は1万円台から数千万円まで幅広い価格帯とデザインをそろえる。
    「仏様に手を合わせる。こうした習慣が脈々と伝わってきたのは、心の安定や安らぎへの願いが根底にあると思う。先祖に感謝し、子どもらに謙虚な心を育む貴重な時間ではなかろうか」
     店舗も工場も毎朝、社員そろって仏様に手を合わせ、それから始業する。三村さんは昨年7月、浄土真宗本願寺派全国門徒総代会会長に就任。幼い頃から食前食後にも手を合わす習慣の中で育った。創業は現在地で、初代の三村屋嘉助氏が仏壇販売を始めた。原爆で店も自宅も失うが、多くの職人の願いを支えに、仏壇製造を再開。
     5月1日付で社長に就任した長男の和雄さん(42)は、さらに経営革新を進める。10年前からⅠT化に取り組み、効率・効果的な生産や財務の管理体制を整備。全店にPОSシステムを導入し在庫適正化を図ったほか、営業や接客にタブレット端末を駆使。スマホがなければ業務が滞ってしまうほどだ。代を重ねて経営革新に挑み続け、一番大事な〝感謝の心〟を継承していく構えだ。