広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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スポーツ応援談― SPORTS TALK―

広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。

  • 2022年10月6日号
    プライベートバンカー / 上野 英雄 代表

    広島銀行、アサヒビールを経て2019年に経営コンサルタントとして独立。ビズサポート(中区橋本町)内に事務所を構え、事業再生の専門家として経営改善計画策定支援(405事業)を手掛けています。
     出身地の下関から小学校3年生で広島に移り、1975年の初優勝を機にカープのとりこに。学校の先生がテレビでカープの試合を見せてくれたり、大きな声ではいえませんが学生服の袖にラジオを忍ばせて中継を聞いていたことが懐かしい。思い出深いのはやはり前田智徳選手の2000本安打達成の瞬間ですね。何とかチケットを入手し生観戦しており、4打席凡退で今日の達成は難しいかと思った直後、チームメイトがつないで再び打順が。打球がライト前に落ちた瞬間、割れんばかりの大歓声に包まれました。
     カープはもはや生活の一部。試合があるときは常にTV中継かスマホの一球速報を手放しません。友人からは、「上野のフェイスブックを見ればカープの試合速報が手に取るように分かる」と冗談交じりに言われるほど。振り返れば大学生まで軟式野球を続けており、これまでのキャリアも野球があったおかげです。もはや、私と野球は切っても切り離せないでしょうね。今季、選手は総じてよくやったと言えますが、若手の打撃陣にさらなる奮起を期待したい。佐々岡監督の打つ手の遅さにいつもファンはやきもきさせられています。9月30日時点でCS進出がかなったかは分かりませんが、いつかは黒田監督と新井コーチというコンビでわくわくする野球を見せてほしい。

  • 2022年9月29日号
    アルツ / 植木 聖 社長

    映画やドラマなどのロケーションコーディネートや映像制作補助、販売促進の企画などを手掛けています。
     2、3軍の若手選手らが暮らすカープ大野寮で30年以上にわたり料理長を務める宮本悦夫君は、広島工業大学高校時代の同級生です。例えば中村奨成選手もそうでしたが、高校や大学を出たばかりの選手たちは細過ぎて、プロの世界で戦える体は出来上がっていません。料理を作ることで、厳しい練習に耐え、試合で結果を出せるプロの体づくりを支えるのが彼の仕事です。そのためにはバランスが良く、おいしいと喜んで食べてもらえるものでなくてはいけません。まさしく陰で若鯉の成長を支える彼の仕事ぶりには「裏方の美学」のようなものを感じます。
     旧市民球場のラストイヤーだった2010年12月。シーズンを終え、球場での最終試合として企画されたOB戦で配られた、球場の砂を入れた小瓶の記念品づくりに携わらせてもらいました。グラウンドから採取した砂を持ち帰り、虫やゴミを省くために全て熱処理を加え、3センチほどの瓶に詰めていきました。相当数があり苦労しましたが、多くの人に喜んでもらえたことが今でも良い思い出です。
     緒方前監督のチームづくりには感心していました。若手を積極的に起用し、育成してきた功績は大きい。プロ野球の選手寿命は短く、たとえ成果が出なくてもまずは起用することが大切。これは民間企業でも同じで、年配者は第一線に居座わらずに、経験を生かして育成に力を注ぐ方がいい。カープに学ぶべきものだと思います。

  • 2022年9月22日号
    Finden / 村田 剛志 社長

    2020年7月に設立し、中区舟入南で写真・映像制作を手掛けています。
     独立前に勤めていた制作会社で、縁あってカープの15〜17年シーズンの春季キャンプや主催ゲームに広報カメラマンとして帯同することに。試合中に1・3塁側スタンドでカメラを構え、ホームページやグッズ用の写真撮影を担当しました。鬼気迫る表情の先発投手をはじめ、先制や逆転打を放って喜ぶ打者、エラーをして悔しがる野手など、ファインダー越しに見る選手たちはどこを切り取っても「絵」になります。一ファンとしてうれしかったですが、名シーンの撮り損ねがないよう、一瞬たりとも気が抜けませんでしたね。
     ありがたいことに、25年ぶり7度目のリーグ優勝を決めた9月10日の巨人戦の撮影も担当させてもらいました。試合前のダッグアウトからいつにも増してピリピリした様子の選手たち。先発登板前の黒田博樹さんにカメラを向けると球団関係者から止められるほど、異様な雰囲気でした。選手とファンが一体となって勝ち取った後の胴上げシーンを収めた瞬間は、なんとも言えませんでした。その写真は後日、記念ポスターとしてマツダスタジアムで販売され、うれしそうなファンが広島駅まで長蛇の列をつくった様子を見て再度感動。当時の監督・緒方孝市さんのインタビュー撮影時にサインしていただいたポスターは、今も家宝にしています。
     躍動する選手たちは一瞬一瞬でさまざまな表情を見せます。勝ち負けだけでなく、一生懸命に野球に向き合う表情を球場で楽しんでほしい。

  • 2022年9月15日号
    広島テレビ 野球解説者 / 石原 慶幸 氏

    シーズンもいよいよ終盤戦。まだCSは十分狙える位置につけており、選手も誰一人として諦めていません。軸になるのは大瀬良、九里両投手といった経験豊富な先発陣だと見ています。現役時代の黒田博樹さんのように、どうやったらチームが勝てるかを常に考え、姿勢で示すような役目を二人には担ってもらいたいですね。
     気になる選手は全員ですが、やはり捕手に最も注目しています。會澤選手はここ数年、故障で万全の状態でないこともある中、責任感を持ってプレーしていますね。坂倉選手は複数ポジションを守りながら、打撃でも結果を残しているのはすごい。私はそのような経験がないですが、大変な立場だろうと思います。他にもベテランの白濱選手から、私と同じ高校出身である新人の高木選手まで、全員で競争してほしい。
     解説者となってもうすぐ2年。刻一刻と変化する試合の状況を分かりやすく、正確に伝える難しさを感じる日々です。生中継は口にしたことを取り消せないので、適切な言葉を選ぶよう意識しています。体の方は引退してからトレーニングをしておらず、そろそろまずいかなと思いつつも、まだ行動には移せていません。その面では、今年3月のカープレジェンドゲームで球を受けた大野豊さんはすごかった。体型を維持されているだけでなく、投げるボールも年齢を感じさせないほど力強かったです。
     信条は、厳しい戦いを続ける選手をリスペクトすること。後輩たちが重圧を乗り越え、歓喜する姿を放送席から見られたらうれしいですね。

  • 2022年9月8日号
    宝塚かもめタクシー / 信原 弘 社長

    父が大阪の南海電鉄に勤めていたため、子どもの頃は阪神ファン。社会人になって転機が訪れました。1953年から続く家業に入る形で、私も広島でタクシー運転手に。乗客とカープについて雑談をする機会が多く、それは自然とファンになりますよね。24歳の頃だったでしょうか、75年にカープが初優勝。そこで一気に染められてしまいましたよ。
     当時は中区新天地の旧宝塚会館ビルに本社があり、パレード後もさめやらぬ街の熱狂に直接触れました。飲食店の多い土地柄、お酒がどんどん振る舞われ、まさにお祭り騒ぎ。その頃はあまり飲めるクチではなかったので、少し残念なことをしましたね。以来、91年までに計6度のリーグ優勝・3度の日本一を達成した黄金期は試合を見ていて本当に面白かった。もちろん、どの選手もすごかったが、山本浩二選手やホプキンスらチャンスに強い強打者をはじめ、〝炎のストッパー〟津田恒美投手や大野豊投手らが印象深い。
     バブル景気と相まって、当時のタクシーの稼ぎは良かった。しかし、今は長年にわたる燃料費高騰をはじめ、最低賃金の引き上げ、既存車種の生産中止によるユニバーサルデザイン(バリアフリー)車両への代替などで経費負担が増加。コロナ禍で観光や飲食の人出がなかなか戻らず、厳しい状況が続いています。カープが強いと街が盛り上がり、消費意欲が喚起されるとともに試合前後の人の移動が活発化。つまり、タクシー業界にとっても重要な意味を持ちます。今季も最後まで諦めず、優勝を願います。

  • 2022年9月1日号
    あいおいニッセイ同和損害保険 理事広島支店長 / 毛利 吉成 氏

    4月1日付で着任し、26年ぶりに地元に戻りました。昔からカープが大好きで、井口中・高校時代は野球部に所属。日頃からカープの話ばかりしているので、妻と息子2人も大のカープファンです。
     2006〜15年の東京恵比寿本社時代は、同僚のカープファン3人で「あいおいニッセイ同和・恵比寿緋鯉会」を結成。本社内で情宣したところ最大30人の組織になりました。主な活動は年3〜4回の観戦(主に神宮球場)と飲み会で、カープモデルのユニホーム制作をきっかけに野球チームまで誕生。当時の役員に知れ渡り、社長率いる野球チームと副社長率いるチームも発足し3チームで試合をするなど盛り上がりました。
     16〜18年の山形支店長時代には、カープがリーグ3連覇を達成。25年ぶりの優勝の際は子どもと風呂場でノンアルコールのビールかけをして喜びを分かち合いました。当時小学生だった息子2人はカープ帽と背番号付きのTシャツを着て毎日通学しており、学校や近所で有名な存在だったと思います。買い物をする際、自然とカープ色を選ぶので身につける物は赤が多くなりがち。洗濯物を干すベランダの光景も近所では有名だったようで、知り合いの方から「そんなにカープが好きなら栗原健太さんを紹介する」と言われ、栗原さんの実家の焼き肉屋で会食させていただいたのは良い思い出です。
     佐々岡監督の今年のテーマ「やっちゃろうやあ」を広島支店のスローガンに掲げました。地方創生にも注力しており、自治体や企業の皆さまと協力しながら大好きな広島を盛り上げたい。

  • 2022年8月25日号
    Revive / 柳田 勝明 社長

    3月、マレーシアの自動車向けケミカル剤メーカー「iglコーティング」製品の代理店業で独立しました。小学生の頃から3歳年上の兄の影響でカープファン。私は野球経験がないため俊足の高橋慶彦さんや、かっこいい緒方孝市さんら印象に残りやすい選手が好きで、東広島から兄と2人で電車を乗り継ぎ旧市民球場へ行っていました。
     社会人になっても変わらず、前職では選手も参加する取引先のゴルフコンペに招待してもらい、一緒にラウンドや懇親会で交流したことも。その時に最も好印象だったのは懇親会で隣の席だったキャッチャーの磯村嘉孝選手。当時入団2年目くらいで2軍にいることが多くあまりよく知りませんでしたが、丁寧な言葉遣いや私の話を前のめりで聞いてくれる姿勢、料理を取り分けてくれる気配りなど、礼儀正しい謙虚な好青年で一気にファンになりました。
     チームのキャッチャーは当時、石原慶幸さんや會澤翼選手が1軍で活躍。後輩も坂倉将吾選手、中村奨成選手と期待の若手が多く、1軍の試合出場は容易ではありません。その中で代打の度に役割をきちんとこなすなど出場機会を増やしています。7月15日にプロ入り後初の満塁ホームランを打った時は、家族全員で大喜び。他球団に行くことがあっても引退するまで磯村選手を応援し続けます。
     今季のセ・リーグは混戦を極めており、首位のヤクルトが2位と10ゲーム近く差をつけているとはいえ、カープにも優勝のチャンスはあると思います。ここから連勝を重ねて、「逆転のカープ」の真骨頂を見せてほしい。

  • 2022年8月11日号
    パンダ接骨鍼灸院 緑井本店 / 藤本 和史 院長

    当院はJR可部線緑井駅から徒歩10分の安佐南区緑井3-2-3に立地。肩こりや腰痛のほか、産後ケア、美容整体に力を入れています。
     山口県宇部市の出身で、青春時代は野球一筋でした。高校は野球部の歴史を一からつくりたいと、元々女子校だった慶進高校を選び、山口県大会ベスト4に進出。川崎医療福祉大学では、軟式で全国優勝を果たすことができました。野球は自分一人が良くてもチームが勝てるとは限らない。院の運営においてもチームとして結果を出すにはどうすれば良いかを考えており、技術研修や接客指導で施術満足度の底上げを図っています。
     仕事柄、患者さまとカープやサンフレッチェなど、広島のスポーツチームの話をします。カープは前半戦をAクラスで折り返しました。クライマックスシリーズを広島でやると経済が盛り上がるので、ぜひ2位以上を。女子サッカーの強豪AICJ高校や、瀬戸内、沼田のサッカー部員の子たちも来院。私も現役時代にケガをし、競技を続けながら治療できるよう配慮してくれた接骨院の先生に救われました。また、阪神タイガースの小滝現一軍トレーナーから、広島に試合で来られた際、直接コンディショニングを教わるなど、スポーツコンディショニングにも注力。短い高校生活で悔いない競技生活を送れるようサポートしています。
     赤ちゃんを数時間抱っこしただけで筋肉痛になったことがあり、子育てママさんには本当に頭が下がります。アットホームな雰囲気で子連れでも気軽に通えるため、日々の育児疲れ解消のお力になりたい。

  • 2022年8月4日号
    カルビーフューチャーラボ / 堀江 佳世 さん

    自分で言うのもなんですが、相当なカープファンだったと思います。カープが絶対的存在の庄原市の家庭で育ち、初期のファンクラブに入り、高校時代は東出選手と結婚すると思い込んでいました。大学時代は一時的に気持ちが離れましたが、関西で働いていた時に同僚から誘われて旧市民球場で観戦したのをきっかけに再燃。以降はたびたび夜行バスで広島に戻り、5月と8月の長期連休中は全試合を球場で観戦していました。20代前半には球団の求人に応募しようとしたことも。
     当時は黒田投手しか勝てないような暗黒の時代。カープを馬鹿にする関西のテレビ中継が我慢ならず、無音にして応援していました。負けると食事がのどを通らないこともありましたね。
     新商品開発の専門チームとして2016年に開設されたカルビーフューチャーラボに入るために広島へ。第1弾のスナック菓子「ふるシャカ」はパッケージにカープ坊やをデザイン。仕事でカープに携われたのは良い思い出です。一方、3連覇を遂げた全盛期で、広島は猫もしゃくしもカープ。「カープ女子ですね」と言われると、「違います、カープファンです」と笑顔で言い返していましたね。別にキャーキャーと言いたいわけではなく純粋に応援していたので、気持ちが少し冷め、以前よりは冷静に観られるようになりました。
     特定の選手ではなくチームを応援しており、真っ赤に染まった球場を見るのが好きです。チームが強いときに観戦者は増えますが、本来ならば勝てないときにこそ頑張る選手を応援していけるといいですよね。

  • 2022年7月28日号
    ベジタブルテック / 岩崎 真宏 共同創業者兼CEO

    広島で整骨院を経営していた宇土善之COO(柔道整復師、鍼灸師)と2015年、「ベジタブルテック(当時Omoi Foods)」(西区)を設立。今年3月に加熱や凍結せず粉末化する特許技術の「オールフィト濃縮乾燥法」で無農薬野菜を原料にした「かける粉野菜」とカプセル状の「飲む粉野菜」を発売しました。原料は宮城県登米市の農業法人と栽培契約し、敷地内に工場も設置しています。
     17年に北京五輪男子陸上4×100メートルリレー銀メダリストの朝原宣治さんらと(社)日本栄養コンシェルジュ協会を設立し、代表理事を務めています。運動指導者、管理栄養士、医療従事者、アスリートらがメンバーで、栄養に対する正しい知識の普及啓発とヘルスケアに関する人材育成を行っています。
     大阪市出身で、管理栄養士として関西電力病院疾患栄養治療センターで勤務し、食事療法に取り組む中で野菜の健康食品開発の必要性を感じ、宇土COOと会社を立ち上げました。神戸大大学院で医学の博士号を取得し、栄養の代謝と細胞機能、生活習慣病予防・治療、運動の効果的な栄養サポート等をテーマに研究。スポーツインストラクター養成校を持つ学校法人三幸学園などで講演したほかプロ野球のDeNA横浜ベイスターズの栄養サポートアドバイザーも務めています。トレーナー、栄養士、調理師が連携し、選手のトレーニング内容を踏まえ、選手に必要な栄養素の提案などを行っています。アスリートや指導者だけでなく次世代の子どもにも栄養学の正しい知識を伝えたいと思っています。

  • 2022年7月21日号
    部屋店 / 松田 弘 会長

    プレー経験はありませんが、中学生の時にテレビゲームにのめり込み、野球が大好きになりました。当時のゲームに収録されていた12球団の全投手の全ての持ち玉(変化球)を丸暗記するほど。社会人となった今も、友人と捕手の配球や監督の采配をあれこれ言い合う時間がたまりません。
     最近は何と言っても、日本球界の復帰先に広島を選んでくれた秋山翔吾選手に注目しています。入団が決まってすぐにホームユニホームをインターネットで購入してからワクワクが止まりません。7月12日の本拠地デビュー戦では真っ赤に染まったマツダスタジアムの独特の雰囲気からか、結果は4三振。はやる気持ちを抑え、日本の「年間最多安打のタイトルホルダー」を応援します。佐々岡監督は3番打者として固定する方針ですが、私の理想の打線は1番・秋山選手、2番・菊池涼介選手、3番・坂倉将吾選手。安打製造機からチーム一の勝負強い打者に初回から打順が巡るので、私が対戦投手だったら気が休まりませんね。そこに調子が上向いているマクブルーム選手、ケガからの復帰が待たれる西川龍馬選手・・・。こんなぜいたくなラインアップを夢見ています。
     林晃汰選手も「推し」です。昨季は100試合以上に出場し、10本塁打を放つなど将来性は大きい。一軍で使い続けて成長を促せば、同じ左打者の村上宗隆選手(東京ヤクルト)に引けを取らない逸材になると信じています。
     カープへの希望、願望を語り出したらキリがありません。とにかく強いカープを応援したいので、佐々岡監督の下、一丸で戦い抜いてほしい。

  • 2022年7月14日号
    村上農園 / 村上 清貴 社長

    サンフレッチェ広島とのトップパートナー契約に続き、女子サッカーチーム「同レジーナ」とパートナーシップ契約を結びました。5月23日に当社のロゴが胸元に入った練習着を贈呈。受け取ってくれた近賀ゆかり選手はワールドカップ日本代表など輝かしい経歴があり、チームの頼もしい存在。昨秋発足のWEリーグの成績は11チーム中6位で、今季は新しい練習着で頑張りたいと話してくれました。
     また、疾病・老化要因の発生源「活性酸素」を除去する有用成分「スルフォラファン」が豊富に含まれた「ブロッコリースーパースプラウト(発芽野菜)」を年間提供します。選手らは屋外で紫外線を浴び、激しい運動で呼吸も増えるため、活性酸素による体内へのダメージが大きくなる。日々のコンディショニングを食事面からサポートしたい。
     当社を1939年に創業した村上ナヲヨは女手一つで4人の子どもを養いながら、困難を乗り越えてきたそうです。私は物心ついた頃から、ナヲヨの姉に当たる祖母に連れられて度々、彼女の家に行きました。「〝女性だからできない〟ということはない」と語る、芯の強さを覚えています。当社は一貫して野菜の芽を育ててきました。若い芽は成長が旺盛で希望にあふれ、未来を感じます。それは人も同じ。広島から生まれた若い芽「レジーナ」の女性たちがすくすくと成長し、日本一になれるよう支援したい。