広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
不動産や会社・法人の登記業務をメインに、海田町で司法書士をしています。土地や建物を相続した際に行う相続登記が昨年4月に義務化されたことを背景に、案件が増加。相続に直面した方の不安に寄り添い、安心して任せていただけるよう努めたい。
広島生まれの広島育ちで、幼い頃から父とよく旧市民球場へ観戦に行っていました。カープ坊やのイラストが入った「ぶっかき氷」が大好きでしたね。北九州市立大学に進み一時広島を離れたことで、地元に球団があることの有り難みを改めて実感。卒業後に帰広してからは、一層応援に熱が入るようになりました。
球場外のさまざまなイベントで選手と触れ合えることも、カープの魅力ではないでしょうか。2023年に出場した「広島県スポーツ振興チャリティーゴルフ大会」の後夜祭でお話しさせてもらった野間峻祥選手はとても礼儀正しく、好青年でした。昨年には、ウエスタン・リーグの試合後に開かれた「若鯉野球教室」に子ども2人が参加。常広羽也斗投手がとても爽やかで優しく指導してくれ、家族みんなの心をわしづかみにされました。大学の同窓生である益田武尚投手にも期待。自慢の速球を生かして一軍で活躍してほしいですね。
待ちに待った球春がいよいよ到来。知人からチケットを頂くことが多く、現地観戦した際の勝率の高さが自慢です。皆さまからのお誘いをお待ちしております(笑)。
プラントの計装制御などFA(ファクトリーオートメーション)を主力に、ソフトウエアを受託開発している。岩国市出身だが、小さいころ父が会社の行事で市民球場へ連れて行ってくれていたので、カープは身近な存在。電車を乗り継ぎ旅行気分で、カープうどんが楽しみだったのを覚えている。
大学卒業後、広島で働き始めてからまた観戦するように。マツダスタジアムが完成してからは一層頻度が増え、チームも徐々に強くなっていった。ボールの乾いた音や生ビールに加え、宮島さんを歌ったり、知らない人と一緒に喜び合ったりする球場の空気が好きだ。
カープロードにある島内選手の紹介パネルに協賛し、4年目になる。一昨年の最優秀中継ぎ投手賞など十分な成果を残しているのに、新しい球種に挑戦するなど研さんに励む姿勢に頭が下がる。当社の業績はありがたいことに堅調に推移しているが、島内選手のように常に上を目指したいとの思いから、生成AIの活用や自社パッケージシステムを検討しているところだ。
昨年に続き選手会長を務める堂林選手にも注目。毎年欠かさない護摩行などいつも真剣な姿が印象的で、打席に立つと華があってなんだかやってくれそうな気がする。今年も強みの長打力で右中間に伸びるホームランを見せてほしい。新しい助っ人や、内田選手をはじめとした若手の活躍にも期待。カープらしい守り勝つ野球で今年こそ優勝を勝ち取ってもらいたい。
駅前通りが未舗装の砂利道だった1960年代初頭に料理店を創業。近隣のカープファンが集う場としても親しまれてきました。大将だった夫が13年前に他界してからは一人娘と2人で店を切り盛り。昨年11月からリニューアルのため休業していましたが、今年2月6日に再開しました。一押しは今も昔も「国産和牛のリブロースステーキ」(3000円)で、濃厚なうまみにビールが進みますよ。
プロ野球のシーズン中は店内のテレビでカープ戦を毎試合放映。熱狂的なファンの皆さんが、まるで評論家のように采配に意見を交わしています。熱のこもった談議を聞きながら調理場に立つのはとても楽しく、つい笑ってしまうこともありますね。東広島市出身の元カープ投手で現在は解説者の山内泰幸さんが現役時代から通ってくれています。普段は厳しい常連客も選手が来ると態度が一変。やっぱりみんなカープが好きなんだなと実感します。また最近では現役の大瀬良大地投手や、藤井彰人ヘッドコーチも来店されました。どなたも礼儀正しく、しっかり応援しようという気持ちになります。
2016〜18年の3連覇も店の調理場で観戦。優勝の瞬間は常連客らと乾杯しました。うれしかったですね。昨シーズンは9月に急ブレーキが掛かりましたが、商売でもスポーツでも、何をやってもうまくいかない時期はあるでしょう。今年こそは若手が躍動して優勝してほしい。
当団体は清掃や緑化、地域活性化などのアダプト活動を行うNPO法人で、自分たちの手でまちをより良く、きれいにしたいという草の根の取り組みを支援している。
毎年1月に広島で開かれ、今年も盛り上がった天皇杯第30回全国男子駅伝。長野県が大会新記録で史上初の4連覇を達成し、皆を驚かせた。惜しくも広島勢は4位入賞。第1回大会以来となる優勝へ、激励したい。私は10年前の65歳まで5回ほど同大会のコース上で審判をしていた。だからこそ思いは強い。
とはいえ若い頃、ましてや西条農高と東京農大の在学中に陸上経験はない。しかし県土地改良事業団体連合会で農業土木設計に携わり53歳で江田島に帰郷する直前に、MIKANマラソンの審判をやってほしいと頼まれた。地域のためなら仕方ないと、講習などを受けて資格取得。せっかくだから自分も陸上に挑戦し、マスターズリーグの100メートル走では県大会2位になった。13秒台後半が最高かな。休止したが、ようやくヒザの痛みが治まってきた。まずはリハビリがてらロードバイクに乗るつもり。自宅付近の畑仕事も良い運動になる。
次男がバスケの社会人チームに所属し、いとこの新宅博生は大阪府バスケ協会専務理事。昨年の優勝で一気にファンが増えたドラフラの応援に熱が入る。他の地元プロとの同時優勝を見たい。自らの目標は、いつまでも無理なく運動すること。そして健康。
ITを活用した経営改善を支援するコンサル事業を手掛けています。10年ほど前には、中区東白島町で軽食や酒を提供する「すきま食堂」を営んでいました。近くにカープの外国人選手寮があったことから、いろんな方にご来店いただきましたね。
印象深いのは、セ・リーグ3連覇を支えたクリス・ジョンソン投手。テレビ越しで見る彼はどこか気難しそうな雰囲気でしたが、実際は気さくなイケメン。よく彼女(今のご夫人)と足を運んでいただき、他のお客さまからサイン攻めされても嫌な顔一つせず応対する姿は今も忘れられません。そして、その少し前に大好きだったのは大竹寛投手です。理由は特にないのですが、なんとなく引かれるものがありました。2009年に彼が43イニング連続無失点を記録しましたが、記録が破れた試合で2点を取られると、その後の試合ではあっさりと大崩れ(2回6失点)してしまったんですよ。それが失礼ながら彼らしくていいなと。今の球界ではなかなかいないタイプの「推しキャラ」でした。
最近は良いサウスポーが多いですね。開幕投手候補の床田寛樹、昨季中継ぎで53登板した黒原拓未に加えて、昨季最終戦(10月5日のヤクルト戦)で1軍初登板した滝田一希投手も気になる存在。彼らがさらに躍動して「投手王国」を築き、カープを引っ張ってくれるよう期待しています。昨年の悔しさをバネに今年こそ、悲願の日本一を達成してほしい。
巨人ファンの多い岡山県出身ですが、呉で育った父親をはじめ親戚一同からカープの英才教育を受け、気付いた頃にはファンでした。夏休みに呉に帰省すると、親戚そろって旧市民球場に出掛けて熱心に応援。外野席からヤジと物が飛ぶのをよく見ていました。ヤジは愛情表現の一つ。今の球場になり一気に減りましたが、個人的にはヤジのある球場も気に入っていました。
好きだったのは衣笠さん。あの連続試合出場記録はすごい。まさしく鉄人でした。生前に一度お会いする機会も。カフェインレスコーヒーの販売で独立し、百貨店に出展している時、ちょうど衣笠さんのトークショーがあり、もちろん会場へ。幼少期からあこがれた選手を前に喜びが強過ぎて、あいさつしかできず言葉が出なかったですね。
しばらくカープから離れましたが、ファンとして再び熱を帯びたのは、黒田投手が復帰した頃。堂林選手を応援する妻が、試合に誘ってくれた影響が大きかったです。その頃は菊池、田中などスター選手も多く、カープ漬けの日々でした。
娘は5歳と小さく、今はたまに家族で観戦に行く程度。しかし、ちゃんと応援歌を歌えますし、球場近くを通ると「応援に行く」と主張します(笑)。わが子もカープを見て育っており、これが広島の守るべき大切な文化だと思います。チームにはもちろん勝ってほしいですが、市民と共に広島の街を一緒に盛り上げる役割をこれからも担ってもらいたいです。
府中町茂陰のクライムセンターCERO(セロ)で、毎月第三月曜日に開催するスポーツクライミングイベント「もみじモンキー」を運営しています。2017年10月から始め、新型コロナの期間を除き、昨年12月に78回目を開催。初心者や経験者、障害のある方が一緒にクライミングを楽しんでいます。参加者は毎回10〜20人程度で延べ約1100人、そのうち約230人が障害を持つ方です。
1月19日にコジマホールディングス西区民文化センター・スタジオで映画「ライフ・イズ・クライミング!」の上映会を開きました。ゲストとして、主演でパラクライミング世界選手権(視覚障害B1)を4連覇したNPO法人モンキーマジックの小林幸一郎代表理事が来場。サイトガイドの鈴木直也さんと米国でクライミングに挑む映画で、日本批評家大賞ドキュメンタリー賞を受けています。小林代表から、大学の同級生のNPO法人ひろしまジン大・平尾順平代表理事に連絡があったことをきっかけに、もみじモンキーの活動を開始。パラクライミングは、ロスパラリンピックで初採用され、注目が高まっています。
市立大大学院で博士号を取得し、専門学校で講師を務め、米国史や衛生法規などを教えています。自身でも2010年からクライミングを始め、パラクライミングジャパンシリーズ・日本選手権で大会MCを務めました。練習を積み上げレベルが上がる手応えが魅力ですよ。
2019年にFPとして独立し、昨年11月に法人化しました。中小企業経営者の個人資産と法人財務の両方について総合的にアドバイスする「法人顧問FP」として活動しています。
呉市出身で、16年に札幌、18年は福岡で日本シリーズを観戦するほどのカープ好きです。しかし子どもの頃は巨人ファンでした。理由は、家で中継を見ながら父が発する、カープへの厳しい言葉。今となっては愛情の裏返しだと分かりますが、当時の私は素直に「ダメなチームなんだ」と思ってしまい、メディアなどで露出の多い巨人に興味を持ったのです。
カープに目覚めたのは愛媛県の大学に進んでから。地元を離れたことで、広島の人々がたる募金で球団を支えた歴史が誇らしく感じられました。松山市の坊ちゃんスタジアムで声援を送った経験もあります。
近年では広島からメジャーに巣立った選手を現地応援することも。ドジャース時代の前田健太投手を見にロサンゼルスに行った際は、残念ながら登板せず。22年には鈴木誠也選手を目当てにシカゴを訪れたところ、なんと直前に第1子の出産立ち会いで帰国したとの情報が。今回も空振りか、と思いましたが、ちょうど私が行った日から試合に復帰。2安打と結果も残してくれ、非常に良い思い出になりました。
今年こそ、誠也のように打線の核となる選手の出現と、赤ヘル軍団伝統の見る人をうならせるような攻守に隙のないプレーに期待したいですね。
小学校高学年の頃、旧市民球場の入り口前の広場で友達と遊んでいたら、球団事務所からこわもてのおじさんが出てきて、ジュニアカープの会員カードを渡されたことがカープにのめり込むきっかけに。それから、カープのグッズやイヤーブックが届くようになって、選手の写真を眺めては楽しむ日々。当時は、〝炎のストッパー〟津田恒実投手のファンを公言し、打たれた翌日は友達から責められたり、抑えた時は褒められたりと津田投手と一心同体のように過ごしていました。
現役では、堂林翔太選手をずっと応援。技術力も華もあるのでもっとやれるはず。今年こそは大成してほしいと、彼への特別な思いは募るばかりです。
昨年9月の失速は非常に残念でしたが、新井監督のやり方や信念は間違っていないと思います。取材で注目の選手やキャンプで一番頑張った選手を聞かれても、個人名は決して言わず、決まって「みんなです」と答える。今の時代に合っているし、組織のトップとして大切な考え方だと思います。
25年ぶりの優勝を果たした2016年に、当社の主力商品「ラサーナ 海藻 ヘア エッセンス」のカープコラボパッケージを発売。昨年にはリニューアルしてPRを強化し、〝かっとばせ、髪の傷みと悩み!〟とうたっています。この商品がゲンを担ぎ、優勝できるよう願っています。
昨年の9月頭までは6年ぶりの優勝、そして40年ぶりの日本一へ期待が高まりましたが、CS進出すら逃す結果に。新井監督は当初から勝負は9月と位置付け、そこまでは投手に過度な負担をかけないよう配慮していました。しかし開幕早々、新外国人打者2人の離脱などで得点力が不足。ロースコアの接戦が続き、投手陣に〝見えない疲れ〟がたまったことが、最終盤の失速につながったと見ています。
8月までの戦い方は、投手と守りを軸としたカープらしいものでした。実績のある大瀬良、床田、森下らが先発ローテを引っ張り、アドゥワや玉村も台頭。右腕が多かったリリーフには森浦、黒原、塹江に新加入のハーンなどサウスポーが増え、バリエーションが広がりました。野手では菊池と二遊間コンビを組んだ矢野が初のゴールデン・グラブ賞など成長しましたね。2人の守備力は球界随一。投手は安心してマウンドに上がれます。
長いシーズンを乗り切る体力も重要ですが、やはり鍵は打線です。私が監督に就いた時は鈴木誠也の存在が大きかった。末包や坂倉のさらなる成長のほか、ドラフト1位の佐々木など若手選手の躍進に期待したいですね。
最近は減ったものの、2年前に新井監督にバトンを渡した頃は、選手の状態について連絡を取り合うこともありました。ただし彼はガラケーしか持っていないので少し不便。「今年こそ優勝せい!」と、ショートメールで送っておきます(笑)。
中区銀山町でキックボクシングジムを運営している。関西出身だが、前職で広島に転勤して以来、サンフレを応援。9月に開業してすぐにPRサポートショップに登録し、ポスターなどを飾っている。
広島で初めて居を構えたのが広域公園近くのAシティで、普段から選手の姿を見かけるなどサッカーが身近だった。当時はボランティアなどの地域活動に参加するたびにチケットをもらえたので、妻や子どもを連れて頻繁に観戦。新スタジアムでも声援を送っている。
サンフレ一筋で、今年引退した青山選手が好きだ。日本代表の試合を終え、チームの合宿に合流する青山選手と新幹線で同じ車両になったことがあり、気さくに話していただいたことで一層ファンになった。
近年は出場機会が少なかったが、青山選手がベンチにいるだけで一気に士気が上がり、選手の動きや雰囲気が変わるのを感じた。劣勢でも決して諦めず最後の1分まで声を上げ続ける姿勢には頭が下がる。試合に負けてうつむく選手に「次がある」と声を掛けていた姿も印象的だ。自身はピッチに立てずとも、選手の痛みや苦しみを自分事として捉え、同じ立場で戦っている気持ちを持っているのだろう。私の本業であるトレーナーのあるべき姿を学んだ気がする。
今年は残念ながらシャーレを掲げることはかなわなかったが、来年はコーチとしてチームを優勝へ導いてくれると期待している。
安佐北区安佐町久地で木製建具を製造。父の耕一からバトンを受け、昨年3月から3代目社長として社業発展にまい進しています。
安佐南区生まれで、小学2年に地域の軟式野球チーム「安佐クラブ」で競技を始めました。小柄で非力だったことから、当時参考にしていたのは東出輝裕選手。171センチという体格ながら、俊足・巧打・堅守の内野手として二度のベストナインを獲得。そのプレースタイルを自らのイメージに重ねるように、テレビ画面にかじりついて観戦していたのが懐かしいですね。その後は伝統の広商野球に憧れて進学。地域の「トップ選手」が集う中、特に印象深いのは1学年上にいらした現ソフトバンクホークスの柳田悠岐さん。「ロング」というあだ名が付くほど当時は線が細かったものの、打撃センスはピカイチ。私が2年時にサードでレギュラーを勝ち取り、球界を代表する好打者の柳田さん(3番センター)とスタメンを張れたことは今でも誇りです。また亜細亜大学で活躍中だった岩本貴裕さん(現カープスコアラー)もオフシーズンによく訪れ、我々後輩にも分け隔てなく気さくに声を掛けてくださるなど、温かいOBや先輩、仲間たちに囲まれた充実の高校生活でしたね。
勝敗だけでなく、県民を元気にする、子どもに夢を与える、そして広島の街を一つにするカープはなくてはならない存在です。新井監督の下、来年も広島を熱く盛り上げてほしい。