広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
日本のコーヒー文化は世界的にもユニークという。1960年代から薄めのアメリカンが普及した。96年以降はスターバックスコーヒー(米国)が上陸し、深いり方式が広がる。第三の波として、2015年に上陸したブルーボトルコーヒー(同)は種子の段階から生産管理を明確にした単一種の豆(スペシャルティーコーヒー)の風味を引き出す方式で、いま若者を中心に人気という。
コーヒー豆販売で1947年に創業した寿屋珈琲飲料社(中区東白島町)の割方(わりかた)光也社長(68)は、
「ブルーボトル社は、サイフォンやネルドリップ式などで職人のような技術が必要な日本の純喫茶文化から影響を受けており、いわば逆輸入。日本のコーヒーは焙煎(ばいせん)方法やいれ方が多様で、香りと味が全く異なる。約50年前に他界した父、海草(かいそう)は創業からしばらくして、コーヒーは未完成飲料と断じたそうだが、まさにその通りだと実感する」
さっそく香りをかぎつけたのか、8月2日にリニューアルした幟町店には、店頭販売用に地元最多級にそろえた30種類超のスペシャルティーコーヒーを求めて、次々に若者が訪れる。木目基調の内装にダウンライトや中庭などを配し、しゃれた雰囲気を演出。新たにカフェを併設し、ハンドドリップで丁寧にコーヒーをいれる。とはいえ一番人気はブレンド。常連客がくつろげるように店頭販売とレジを分けた。食事は女性向けにパニーニなどを用意。本場イタリアのモッツァレラチーズなどを挟んで専用調理器で香ばしく焼き上げる。
創業の地は的場町。現在は東白島町に移り、本社兼工場を構える。52年から72年まで本社を置いた幟町店は豆のひき売りを50年間続け、特に思い入れが深いという。
「全国チェーンがどんどん進出する中、個人経営の喫茶店は30年間で半減するほど厳しい。当社も約60年前に出店した旧宮島タワー内や百貨店内の直営喫茶を順々に閉めてきた。天満屋八丁堀店には全館開業時から入居していたため、施設の閉鎖時は寂しさがこみ上げた。一方、コンビニやファストフードチェーンが力を入れたこともあり、コーヒーの消費量は上がっている。店づくりの工夫次第でファンを取り込めると思う。幟町店のカフェに先立ち、約50年ぶり、2015年に開業した廿日市市の宮内店はくつろげる空間として近隣の常連が多い。近年、コメダ珈琲のように家族で食事しやすい店が繁盛している。子どもが大人になり、なつかしく足を運んでくれる。そして子どもを連れてきてくれる。この流れを手放してはいけない」
小学生の頃、父から「いつか朝食がコーヒーとパンに変わる」と聞いた。世の浮き沈みに惑わず、くじけることなく、ひたすら焙煎技術を磨いてきた。創業以来、焙煎職人に任命されたのは7人だけ。決して妥協を許さない、頑固なほど一徹である。
14年には国内の専門企業で初めて、プレミアムブレンドが国際カフェテイスティング競技会で金賞を受けた。その後に他部門でも受賞。有名バリスタからの缶コーヒー開発の依頼などにつながった。コクもあり、香りもある。コーヒー一筋に歩んだ人生に後悔はない。
創業440年。その歳月をたどると人知の及ばない出会いの不思議や困難、転機の繰り返しではなかったか。
堺で酢造りをしていた職人を尾道に招き、醸造酢造りを始めたと伝わる。以来、造酢に欠かせない蔵付きの酢酸菌を守り続ける尾道造酢(尾道市)は、県東部を中心に根付く調味酢「そのまんま酢のもの」を主力商品として家業の伝統を引き継ぐ。いま転機が訪れた。廃棄処分していたぽん酢原料の橙(ダイダイ)果皮を活用して飲料酢「KAHISU」を商品化。9月から本格販売に乗り出した。発端は思いもしなかった〝感性〟との出会い。新商品開発に臨んで感性という新たな切り口に正直、面食らったという。
県食品工業技術センターの発酵技術に、県が事務局を務める「ひろしま感性イノベーション推進協議会」がKAHISU開発の受け皿となり、爽やか、上質感といった感性に訴える味わい、ボトルやラベルのデザイン、ネーミングまでを仕上げた。同社取締役の田中丸善要(ぜんよう)さんは、
「果皮酢は飲料酢に商品化する前、つくだ煮の風味付けに採用されて好評だったが、何とか自社製品として一般市場へも売り込みたいと考えていた。営業マンもいない中で調味酢は地元の味として長年ご愛顧を頂いており、ボトルも30年以上ほぼ同じ。パッケージの重要性など特に意識することはなかった。協議会で感性という言葉に出会ってその価値を知り、わが社にとって新鮮な発見になった」
商品の背景にある物語など感性に響くアプローチから新たな商品を生み出す、感性に訴えるものづくり。県主導で2014年に設立した同協議会が徐々に産官学の連携体制を整え、今回のプロジェクトをスタート。KAHISUのブランド名を冠し、第一矢を放った。県の担当者は、
「ものづくりで必要な品質や性能、機能だけでなく、選ばれる、支持される付加価値を高めようとした時、何となくいいとか、手にした人の心を動かす〝何か〟が存在する。この何かを、選ぶ人に意味的価値として見えるようにしていく。感性の光を当て、製品設計に落とし込むひと手間が差別化につながるのではないでしょうか」
協議会会員は218社46機関に上る。感性工学や人間工学を取り入れたものづくりを推進。理解や実践を促し人材育成を担う「感性実装カフェ in Zoom」や会員企業の相互協力による商品モニター調査、感性工学などの専門家派遣事業に取り組む。人の心を動かし、新たなマーケット創出につなげる狙い。中国経済産業局、広島市工業技術センター、県立総合技術研究所、(公財)ひろしま産業振興機構、(公財)中国地域創造研究センター、広島大学と同協議会(県)が連携し、昨年設立した(社)感性実装センター(柏尾浩一郎センター長)がプロデューサー役に加わり、連携の要としてコーディネートする。田中丸さんは、
「ものづくりの理想と生産現場との調整が一つの課題として見えてきたが、今回支援を受け、売れているからと固定概念に執着せず、ものの考え方をゼロベースから進める。情報の大切さに改めて気付かされた。地元の農作物の出番も増やし、伝統を守りながら感性を磨いていきます」
約4000平方メートルを造成して伐採したスギとヒノキで五角形の組み立て式ログハウス4棟を設置。県最北の庄原市高野町で、よろずやとスキー場「りんご今日話国」を営むNOSONの瀬尾二六会長(70)が9月、造成地にグランピング施設を開業した。
島根県までひと足。力足らずとも高野町の過疎化に歯止めをかけようと、ブームのグランピングに着目した。まずは県内外から人を呼び込む作戦だ。地域の特産品、近隣の「道の駅たかの」などとスクラムを組み、高野の魅力を知ってもらう。そして交流人口を増やす遠望がある。
グランピング施設はキッチンやシャワー、トイレなどを備え、屋外で地元食材のバーベキューも楽しめる。都会では望めない空気や景色、ゆっくりと流れる時間に身を置くと細胞までが蘇生。何より貴重な自然の力が大きい。
10年ほど前。県産材を使う五角形の家「ペンタ御殿」の開発に乗り出し、被災地の避難用を想定したほか、イベント用など、使う人の発想と工夫で多様な用途を目論み、大人の隠れ家のような遊びの要素も盛り込んで市販も視野に入れていた。だが、コロナ禍に遭遇し、グランピングの事業化に踏み切った。
瀬尾さんに夢がある。近隣の「道の駅たかの」開業から運営を軌道に載せるまで裏方で支えてきた。地域の産品を扱う拠点として機能させ、鮮度抜群の農作物が継続出荷できる体制を整え、売り場の活性化と地元の生産者が〝稼げる〟仕組みづくりに奔走。現在は生産者ら450人が会員登録し、旬を届ける。一方で特産リンゴを使ったスイーツを自社ブランドで商品化し、着々販路を広げる。
「庄原市に合併する前の高野町人口は約3000人だったが、今はその半分。高校はなくなり、小中校も統合されて各1校。高齢化が進む。店がなくなればさらに寂れる。何としても踏ん張り、生産者が元気になる田舎を存続させるために、人が来てくれるようみんなの知恵を絞り、力を合わせる最後のチャンスだと腹をくくっている」
農林業が基幹産業の庄原市は面積の83%を山林が覆う。人口は1市6町合併後の2006年から1万人以上も減り、今年7月末で3万人超。過疎地が消滅しないよう、見落としてきた地域資源、人の力を総動員して立ち向かう心意気が試されていると言う。
大きな希望を抱かせるきっかけになった道の駅は来年4月で10周年。人出の多い日に300〜400万円を売り上げるが、コロナ禍の影響は大きい。道の駅を運営する「緑の村」の根波裕治社長は、
「生産者が元気でないと道の駅は元気にならない。出荷者は65歳以上が多く、特産のリンゴやトマトの後継者が育ってきた。生産者がしっかり稼ぐ。それが若者を引き付ける一番の魅力だと思う」
JR西日本広島支社と庄原DMOと連携した、毎月第三火曜に広島駅北口1階で里山マルシェと称す産品販売や観光PRが2年目になる一方、季節野菜発送のECサイトも本格化し、打って出る。
9月7日に中区本通にある県産品アンテナショップ「ひろしま夢ぷらざ」が開業来初の大規模改装オープン。都会と過疎地をつなぐ、その架け橋を生かしたい。
戦後の、昭和の空気をたっぷり吸い込んでいる。1947〜49年(昭和22〜23)生まれを総じて「団塊世代」と呼ぶ。この3年の合計出生数は約806万人に上り、人口ピラミッドで他の年齢層を圧倒(厚生労働省資料)する。戦後の復興、高度成長経済とバブル景気を満喫し、その後バブル崩壊による失われた時代に悲哀を味わった人も多かったのではないか。
小中学時代には一つの教室に50〜60人がひしめく。そのせいか競争意識が強い。時代の移り変わりとその人口のボリュームが相まって旺盛な消費意欲が企業を刺激し、産業の急成長を支えてきた。長時間働くことに何の疑問も持たない。その反動か、働き方改革や年金制度も含めて社会システムの変革を促してきた。振り返ると、時代から受けた影響が色濃く、前後の世代と比べて少し特殊な集団だったかも知れないと気づく。時に眉をひそめた人もいたかも知れない。団塊世代のみんなが後期高齢者(75歳以上)になる「2025年問題」がささやかれている。
何が問題かと言いたくなるが、生まれながらに背負ってきた極端な人口の多さによって医療費などの社会保障費が膨れ上がり、何と「火葬場が足りなくなる」という。かたくなに自分で自分を守るという気概はあるだろうが、そろそろ人の世話になるという覚悟もいるのだろう。
さて団塊世代の経営者はいまをどう見ているか、後輩へ何か伝えたいことはないだろうか。団塊世代の経営者を対象に今秋からインタビュー企画を始める。当社の22年版広島企業年鑑・人名編データベース(21年11月発行)から検索。紙幅の関係で、できる限りを紹介すると、
石井英邦・増成織ネーム社長、今井誠則・東洋観光社長、内海良夫・データホライゾン社長、川口覚・デイ・リンク副社長、喜瀬清・ユニバーサルポスト社長、下花健男・シモハナ物流会長、長崎和孝・長崎塗装店会長、野口恒裕・ノサックス社長、細川匡・デリカウイング会長、本田昭憲・本田春荘商店副社長、山本静司・創建ホーム社長、大下俊明・フマキラー会長、大中恒男・オオケン会長、苅田知英・中国電力相談役、下岸俊夫・下岸建設会長、中島和雄・広島駅弁当社長、中島修治・福留ハム会長、中村哲朗・カクサン食品社長、西川正洋・西川ゴム工業会長、林春樹・アンデルセン・パン生活研究所会長、福永栄一・白菱会長、三村邦雄・三村松社主、山本一・ゼネラル興産社長、渡辺憲二・かめや釣具社長、渡邊健三・大興顧問、磯部茂見・やま磯会長、伊藤学人・イトー会長、大上正治・ロジコムホールディングス会長、岡本正勝・八光建設工業社長、鬼木春夫・賃金システム総合研究所会長、岸昭文・岸工業会長、蔵田至・西條商事会長、田中隆行・ザイエンス会長、田中秀和・田中電機工業会長、濱野憲生・木住販売会長、堀岡洋行・冒険王会長ら。
そうそうたる顔ぶれがそろう。創業者や2代目、サラリーマンからトップに就いた方々。取材を通じて経営観や信条、印象深い出来事などを軸に伝えていきたい。
もとは海だった。広島の復興を引っ張った初代の公選広島市長、浜井信三さんが伊藤学さんの家を訪れて二人で高須の裏の山頂に登り、そこから井口と草津の沖を指し、
「あの向こうの津久根島を含めて埋め立てしたい。いま、榎町や十日市方面にある中小企業は道路ぎりぎりまで使って社屋を建てている。荷物の荷さばきは全部道路でやるので、大変危険な状態にある。そうした中小企業は、広い場所に移転させたらどうかと思う。飛行場もつくりたいし、大学も移転統合する必要がある。そうしたことで土地がいくらでもいる」
西区商工センターの広島総合卸センター初代理事長を務めた伊藤さんが回想録でこう述べている。もう七十数年前の話だが、これが西部開発構想の始まり。総事業費1000億円を投入し、328ヘクタールを造成。市で戦後最大級のプロジェクトだった西部開発事業は1982年に完成し、今年で40年になる。いま団地再開発構想が動きだした。7月29日、その計画書を松井市長に手渡した卸センターの伊藤学人理事長は中小企業会館の更新と流市法緩和地区の街づくり構想の巻末で、
「われわれが持っているものは提案書であって施工書ではない。これを市長に投げかけるということはこれを参考にしながらこの地域をどう活性化してもらえるのかというボールを投げることになると思っている。これが100%実現するとは思っていないが、これに近いものを考えてもらうべく、市には要望していこうと考えている」
親子で志をつなぐ、壮大なライフワークになった。
大きく二つのテーマがありその一つ。広島サンプラザとその周辺を建設候補地とする「MICE(マイス)関連施設」はメイン展示場約6000平方メートル、ホテルなど。延べ床約3万4500平方メートル。隣接のメインアリーナ約2500平方メートル、観客席は8000人に対応。建築面積約1万2000平方メートル。新たなBリーグのアリーナ(ドラゴンフライズ本拠地)と展示場、ホテルなどを整備することでスポーツのほか、学会などの大会やコンサート、展示イベントが開催できるようにする。
中小企業会館・展示場を建て替える「アクティビティセンター(イノベーションハブとしての活動センター)」の共創事業プラットホーム=ワーククラブシェアオフィス、ギャラリーホール、コラボスタジオ、カフェ、コワーキングスペース、研究開発工房など延べ床約4900平方メートル。新たなループ型事業ハブ=200万人広島都市圏自治体のサテライトオフィス、西の玄関口の街づくり会社、地域医療センター、ローカルアンテナショップ・市場、クリエーターズハウス、コワーキングスペース、シェアオフィス、卸センター事務局など延べ床約6200平方メートル。
Aゾーン(2〜3丁目の約10万平方メートル)=通称「アジト通り」を対象に街づくりイメージを描く。建て替えによる商業化と高度利用を目指して主に来訪者らの歩行に配慮した道路に再整備するA案。物流等の業務に配慮した道路と建て替えの高度利用による再整備のB案を検討。
世の動きが早く、数年先さえ容易に見通せないが、志がなければ取り残される。
2025年に大阪万博が開かれる。その場所は後にカジノやホテル、劇場や国際会議場、展示場やショッピングモールなどを備えたIR(統合型リゾート)になる。このため、多島美とともに多くの都が点在する西瀬戸は世界につながる、と切り出す。
広島総合卸センターは「組合街づくり事業」として、
「広島湾に位置する商工センター地区は、周辺の市町に短時間でつながる交通網や西瀬戸の島々につながる草津港があり、その港には周辺の産品が集まる広島中央卸売市場がある。今後MICE関連施設や中小企業会館の建て替えなどの新たな機能とともに、広島の西の玄関口として再生することができれば、西瀬戸共生圏の生業や産品が集まり循環する新たな広島のSDGs(持続可能な開発目標)の拠点になる」
日本有数の流通団地を擁する西区の商工センター地区を西の玄関口として、大胆な構想を描く。
団地中心部にある「広島市中小企業会館・総合展示館」と「広島サンプラザ」の両施設は老朽化が進み、にぎわい施設を備えた中央市場の建て替え計画も控える。団地をリノベーションする絶好のチャンスを逃す手はない。
中央部には東西方向に広島南道路が走り、その道路は海沿いの広島高速3号線や広島呉道路とつながる。中山間の北方向はバイパスを介して山陽自動車道、中国縦貫自動車道につながる。JRと路面電車の乗降場となっている新井口駅(将来はコンコースを共有する橋上駅とする)から約15分で広島駅に着く。草津港は今後、漁港+観光港として一般の海上交通が入港できるようになれば、おだやかな瀬戸の海を楽しみながら都心や宮島などの島々に行くことができる。
タイミングも周辺環境も申し分なく、何より地元が前向きで、ここは行政の出番。大規模な展示場や国際会議場の建設などは市に要望するほかないが、本来の目的である卸機能の拡充をはじめ、ユニークな提案も盛り込む。
その一つ。「アクティビティセンター」では広域都市圏の行政関係、民間事業者、まちづくり団体などが西の玄関口街づくりや新たな連携事業を考え、流通・消費拠点としてヒト、モノ、カネ、情報が循環するローカル経済の醸成を目指す。このほか、MICE関連施設に隣接する第5公園とアクティビティセンターに隣接する第6公園、新井口駅と草津港をつなぐ歩行者専用ルート(ペデストリアンデッキ)や西部周遊緑地をファーマーズマーケットなどのローカルイベントに活用できる公共空間とするなど。
来訪者の動線と物流などの業務動線を階層分けする歩行者専用ルート(ペデ)を新井口駅から草津港の間に設け、そのルートにつながる西部周遊緑地などに来訪者が街を回遊するパーソナルモビリティルート(自転車やキックボードなどのルート)を設ける。
MICE施設のバスターミナルやアルパーク、レクトなど集客拠点施設をつなぐ循環型交通(バス)を設けて新井口駅と草津港の間の歩行者の移動を容易にし、将来は自動運転する循環型バス、鉄道、船、地区内情報がシームレスにつながるスマートモビリティの実現を目指す。次号へ。
ロシアのウクライナ侵攻、国の安全保障や新型コロナ感染拡大、物価高騰、エネルギー資源などをめぐり、混沌とする世界情勢。そんな折、来年5月19〜21日の日程で「G7広島サミット」の開催が決まった。
大国の米中対立を軸に、果たして世界情勢はどう動いていくだろうか。広島サミットはその時、世界から大きな関心を集めるだろうが、広島にとって、その後のことも大いに気になる。観光客誘致の起爆剤になり、市民レベルで都市の在り方などが問われることになりはしないか。
歴史は繰り返すという。20年近く前。広島市公共事業見直し委員会(地井昭夫座長=広島大学大学院教授)は、南区出島地区に建設を計画する国際会議場・見本市(メッセ・コンベンション)施設整備など5件を「中止」とする中間報告をまとめた。メセコン基地について「経済社会情勢などから緊急性が低い。料金収入の考察が不十分で、将来の維持管理費等の負担が大きく経営見通しが不十分」との理由を示した。散々である。当初での計画があまかったのか、計画後に情勢が変わったのだろうか。
いま出島地区から西区商工センター地区に建設候補地を移し、国際会議などの開催施設「MICE(マイス)」整備の構想が動きだした。広島総合卸センターなど20団体・413社でつくる広島商工センター地域経済サミット(伊藤学人会長)は、MICE施設誘致を核にした「西の玄関口」街づくり構想をつくり、7月29日、広島市の松井一実市長にその提案書を手渡した。
これを受けて、松井市長は「官民連携で商工センターの街づくりビジョン策定作業に入り、2024年度に完成させたい」と応じ、一歩踏み込んだ。どうやら実現へ向けた道筋がつきそうである。
街は古くなった建物を建て替え、新しい街へと変貌を遂げてきた。広島の玄関口、広島駅周辺では長い歳月を要して再開発計画が進展し、いまや高層ビルが建ち並ぶ。経済サミットはこれから先を見据え、広島の「西の玄関口」として名乗りを上げた。やはり卸団地の組合施設や組合員所有施設の老朽化などが発端になった。2年をかけ、このほどまとめた「組合街づくり事業」のはじめ(要約)に、
「高度成長期に誕生した卸団地組合は、約半世紀の歳月を経て、新たな転換期を迎えている。卸業界は中抜き現象、通販の台頭、大手スーパーの寡占化などにより経営環境は大きく変化し、年間販売額・業者数は大きく減少。構造不況業種の倒産や業種転換による組合からの転出から、組合員は減少の一途をたどる。さらに組合施設や組合員所有施設は耐用年数が到来し老朽化が進んでいることや、現状の経営形態に合った施設の在り方が求められている」
16年に設立40周年を迎えると同時に活性化策を発表。六つの取り組むべき施策を決定し、このうち「組合員施設の更新」「人作り〜ビジネススクール」「防災・防犯対策」「景観事業」の四つは既に事業化し、それぞれ成果を挙げている。残る二つの「流市法の緩和・廃止」と「中小企業会館・展示場の更新」は、街づくり議論の中で解決に向けた方向性を見いだすことにより、全て出そろう。次号へ。
世界的な脱炭素の潮流を受け、2050年までに温室効果ガスをゼロにするカーボンニュートラルへ向けた取り組みが広がり、自動車業界はEVシフトを加速。給油所の経営環境が厳しさを増す中、綜合エナジー(安芸郡府中町茂陰)は昨年2月、全国初のエネルギー自立型給油所として八本松SSを開業した。
環境省のレジリエンス強化型ZEB支援事業の補助金を活用して同SSを改修。関連メーカーと共同で電源切り替え自動制御システムの開発も進め、太陽光発電の電気を蓄電池に充電しながら利用し、不足分は中国電力から再生可能エネルギーで発電した電気で賄う。停電時などこれらの電源が確保できない際は非常用発電機が自動で稼働する。貯水槽も備え、災害時も通常営業が可能で、燃料の安定供給ができる防災型給油所の機能を備える。次いで同年12月に沼田SSも改修し、自立型2号店をオープン。
いち早く環境や災害対策を講じた給油所に着眼し、独自のアイデアを取り入れた給油所を運営する同社は13年3月開業したペガサス新大州橋SSを皮切りに、セブン-イレブンと複合型の災害対応型給油所を実現し、多店化に乗り出す。今年3月リニューアルした矢野ニュータウンSSなど市内中心に5店を展開。直営全9店は自家発電設備を備え、資源エネルギー庁の住民拠点SS認定を受ける。狩野一郎社長は、
「月1回、各店代表が集まって防災ミーティングを実施する一方、定期的に防災訓練も行う。近年、給油所はサービスステーション(SS)と呼ばれるようになったが、当社は数年前から〝強靭(きょうじん)なインフラステーション〟を合言葉に地域になくてはならない拠点づくりにまい進。車の動力源がどのように変わろうとも、地域のライフラインとして存在価値を高めていきたい」
目標は明確だ。ガソリン販売量よりも来店客数に主眼を置く経営も珍しい。一人でも多く〝入りやすいSS〟がインフラステーションへの入口という。24時間営業のコンビニや洗車サービスなどもその一環。新大州橋SSは1日当たりの洗車台数が全国のエネオス系列店で1位になったこともある。顧客志向をとことん考え、求められているものは何かと追求し続けた。全9店の平均顧客数は全国でもトップクラス。見事に時代の潮流を捉えた。
原油高騰などで石油元売り大手3社の22年3月期決算は過去最高益となったが、エネオスHDは6月、NECのEV用充電サービス事業を譲受。出光興産は給油所の「スマートよろずや」構想を打ち出し、脳ドックなどの拠点転換を試みる。コスモエネルギーHDも系列SSでEV充電サービスを始めた。
綜合エナジーの22年2月期売り上げは過去最高を更新し95億円超。同社の坂油槽所は年中無休で陸海輸送体制を敷く。一方で、LED照明導入の省エネ化支援でビジネスの輪を広げるなど地域に役立つ運営に徹する。
「東日本大震災や西日本土砂災害を経験した。いつでも誰でも入りやすいSS、インフラステーションであり続けるためにも全店エネルギー自立型にしていきたい」
リスクを革新の原動力とした辺りが勘所なのだろう。
自由にやってよい。そう言われて、大いにやりがいを感じるのか、戸惑って途方にくれるだろうか。企業や団体などの組織に所属していると、自主性と協同などをめぐり、どう組織を調和させるのか、何のために仕事をしているかなどと、誰しも素朴な疑問にぶつかったことがあるのではないか。
出社時間も服装も自由。給与は自分の働き方とその貢献度を自ら評価し、自己申告する。会社の目的を実行するための活動なら自己責任でそれを実行できる。自治体コンサルティングを手掛けるE.S CONSULTING GROUP(中区大手町)は、社員の自己責任と自由に軸足を置くユニークな就業規則、人事評価制度などを導入する。社員の人間性を信じる考え方が根底に流れる。
同社の佐藤祐太朗(37)CSO(最高戦略責任者)は地元銀行、会計事務所の営業を経て独立。2019年3月に設立以来、3期連続増収を達成し、数人から始めた従業員数は14人に拡大している。
「経営を指揮する立場に立って、改めて組織とは何かと問い直した。私自身は前職で心身のバランスを崩すことがあった。懸命に働いている人が必ずしも幸せそうに見えなかった。経営学的には、1人では実現できない困難な目的を達成しようとするとき、複数の人間の協同で行う。それを組織と言うが、それだけでは不十分。社名のES(従業員満足度)は、みんなが幸せを感じることができる働き方を突き詰めて考え、その目的を実現させる決心を込めた」
会社理念を実現するための相乗効果を図りつつ、全員が幸せになれる組織はないか。フレデリック・ラルー著「ティール組織」に出会って、大きな示唆を受ける。
「組織は猿の群れのボス猿を頂点とするようなトップダウン型からピラミッド型、達成を重視する実力主義型など、時代とともに変化している。ティール組織は個人の自律と性善説によって統治を放棄するという、より高次元の考えが根底にある」
同社が存在意義としている「地方自治を駆り立てる」と共鳴し、共感できたと話す。
しかし日本企業にティール組織のモデルケースはまだ少ない。社員に意見を募り、話し合いながら新しい組織をつくり上げていく方針だ。企業を一つの生命体として捉え、会社は何のために存在しているのか、社員一人一人は何のために働くのかを明確化。会社目的を実現するための活動であれば自ら意思決定して良いとし、上司の承認というプロセスを不要とした。経費や日々の行動などもクラウドアプリで見える化。読書などで得た知識もシェアして集合知を高め、社員の成長と環境変化に素早く対応する組織体を描く。効率化や収益の最大化を図ろうとすると無理が生じる。たとえ成長意欲の低い社員がいても、その価値観も認める風土が大切と言う。
「当社では江田島に移住してキッチンカーを営業しながら地域活性化に取り組んでいる社員がいるが、収益だけを考えたら非効率。会社の目的と社員が大切と考える価値観や生き方などを実現するバランスが大事だ。もし会社に終わりがきたら、社員とその家族から勤めて良かったと思ってもらえる組織にしたい」
5月に開業した安佐市民病院(安佐北区)の2〜5階エレベーターホール壁面を、グラスビーズを編み込んだ鮮やかな内装アート作品が飾る。横長で大きさは3×1メートル。多彩な色合いのビーズや他の素材も組み合わせ、さまざまな色柄を表現。朝方や夕方、見る角度によって光を反射し、その表情を変える。患者の治癒力を高め、その家族や病院スタッフに安らぎを与えてくれるヒーリングアートとして創作された。
ビーズ業界の常識を覆す、画期的な技術が組み込まれているという。これまで手作業で刺しゅうし、小物やアクセサリーなどを作っていたが、同作品は全てミシンによる自動化で完成させている。
簡単ではなかった。ビーズを製造するトーホー(西区)と、刺しゅう機メーカーの二つの技術が重なり、開発に成功。同病院の壁面はその苦心を隠し、人の心を和ます。トーホーの山仲巌社長は、
「紀元前から続くビーズの歴史が変わったと言っても過言ではない。われわれは直径わずか2ミリのガラス製ビーズを寸分の狂いもなく造る。刺しゅう機械でビーズを高速で刺し、多様なデザインを表現できるようになった。病院や福祉施設、駅や空港などのターミナル、公共建物や商業ビルなどのインテリア、サイン・ディスプレー業界向けにビーズの需要を広げていく大きな可能性を示した」
7〜8年前、刺しゅう機メーカーの問い合わせが発端だった。中国製などのビーズは直径や穴の大きさなどが不均一なため機械刺しゅうの試みが行き詰まり、そこでトーホーに相談があった。形状にほぼ誤差のない最高級品質の「Aiko Beads」を造り、世界のオートクチュールブランドから依頼を受けるなど品質に自信はあった。
「半信半疑だったが、実現したら面白そうだという期待感もあり、先方の要望に応え続けた。当初は既存のビーズを試したが、なかなかうまくいかない。最終的には専用品を開発することに決めた。求められたのはコストと精度の高さ。そのバランスを取るのに苦労した。完成させたビーズは通常品と直径はほぼ変えず、穴の大きさを広げた。つまりガラス部分が薄い。当然割れやすくなり、製造工程の難易度は上がる。これを実現できる技術力が誇りだ」
創業者の故・山仲一二さんは「打ち込め魂一粒に」をスローガンに、品質にこだわり続けた。1000℃を超える溶解炉で溶かした40センチほどのガラス棒を、中央に空気を送り込みながら約40メートルまで引き延ばす。出口にたどり着くまでに冷え、2ミリに切断して完成する。製造工程はおよそ30に及ぶ。その日の気温や原料の状態を判断し、調合や引っ張る速度を調整するなど、経験に裏打ちされた職人の技が現場を支える。
2020年に専用の刺しゅうミシンが完成した。ミシンを導入した全国の刺しゅう店と連携し、営業に乗り出そうとした矢先、新型コロナ禍に遭遇。主力取引先のアパレル業界に甚大な影響を及ぼしたが、安佐市民病院の実績を皮切りに、機械刺しゅうによるビーズの新しい市場を探る。
「建て替えが進む広島駅など地元のランドマークに採用を働きかけ、広島の街をビーズで彩りたい」
軍を指揮し、兵を前へ進めるか、退くか。とりわけ撤退戦ほど困難を極めるものはなく、戦国時代に信長、秀吉らの有名な退(の)け陣が伝わる。
自陣を撤退させて敵兵を背にすると軍に恐怖心が走り、統率は乱れに乱れ、全軍われ先にと逃げ出す。敵兵は一気呵成(かせい)に襲い掛かり、あわや国を滅ぼす最大の危機に遭遇する。信長唯一の撤退戦で、人生最大の危機になった「金ヶ崎の退き口」は、信長が越前の朝倉義景領へ侵攻し、金ヶ崎城を攻めるさなか、背後から浅井長政の軍が迫り、極めて不利な迎撃を避けるために撤退を決意。その退け陣は非常に統率が取れており、見事だったという。
秀吉の「中国大返し」は、信長が光秀に討たれる本能寺の変を知るやいなや、備中高松城で毛利軍と対陣していた秀吉軍を電光石火のごとく反転させ、瞬く間に山崎の合戦で光秀を破り、やがて天下へ向かう分岐点となった。
前へ進めるか、退くか。会社存亡の岐路に立ったとき、どう采配を振るのか、企業トップの真価が問われることになる。判断を誤り、失敗すれば会社はたちまち潰れる。先を読み、見事に戦線を縮小して成功を手にした例もある。
門や塀などのエクステリア用の化粧れんがを製造する竹原市の松本煉瓦は1938年に創業し、64年に日本工業規格表示認可工場を取得。高度成長期の波に乗り、盛んな公共工事や住宅建設需要を受けて赤れんがを主力に20億円近くを売り上げ、全国トップクラスへ業績を伸ばした。
だが、バブル経済が崩壊。受注量が激減し、素早く戦線縮小を決断した。松本好眞会長がいまから30年近く前、40歳で5代目を継いだ頃の話をしてくれた。
「売上高は伸びても利益が付いてこない。このままでは潰れてしまうという危機感があった。そうした折の社長就任後に、売り上げを落として利益を重視すると宣言。それから20年以上をかけて徐々に売上規模の縮小を図り、ようやく利益を確保できる経営体制になった。意図的に売り上げを減らすのは、増やすよりも数倍難しい。会社の全ての数字を細かく把握していないと簡単には落とせない。いまは少子高齢化時代。要らないものはどんなに安かろうと売れない。価値あるものは高くても売れる。一歩先を読み、体力があるうちに会社をいかに小さくできるかが重要。例えば、規模縮小によって製品供給責任や原材料高の影響も少ない。戦略なき戦いに勝算を立てることは難しい」
赤れんが主力から脱し、いまはビンテージ調などの付加価値の高い商品開発に力を入れており、商品数は700種を超える。多品種少量生産を貫く。新たな需要を掘り起こし、見事に困難な戦線縮小を図って陣形を立て直した。昨年8月、会長に退き、長男の真一郎さんが6代目の社長に就任。意に反してか、ここ数年は売り上げ、利益共に上向きという。社長とスクラムを組む次男の真明専務は、
「増収増益は事業ポートフォリオ見直しの結果。しっかりと戦略を練り、業績を伸ばすことができた。会長の路線とは少し異なるが、いい会社にしたいという思いは同じ。親子でも見方が異なり、互いの意見のせめぎ合いが楽しい」
強い信頼があるのだろう。
にわかに日本酒が海外で人気を呼んでいる。昨年の輸出額はコロナ禍で落ち込んだ前年から66%増の401億円に上り、輸出数量は47%増の3万2053キロリットルと共に過去最高を記録。相手国は輸出額100億円を超えた中国が米国を追い抜き、初めて1位。次いで米国、香港向け。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産登録を機に日本の伝統的な食文化が一躍、海外でブームになった。
日本を訪れた観光客らの口コミで広がり、各国の主要都市に日本料理店が増えたことも日本酒の需要を大いに刺激したようだ。だが、国内では1973年の出荷量170万キロリットル強をピークに減り続け、昨年はピークの4分の1以下にまで落ち込んだ。
この流れに立ち向かうかのように、酒商山田(南区宇品海岸)は〝日本の酒〟に特化した酒類販売の戦略を立てた。2022年3月期決算で前期比12%増の売上高10億2100万円、経常利益は23%増の3421万円を計上。小売り80%、卸売り18%、海外向けは2%に過ぎないが、2年前から輸出に乗り出し、前年比2.7倍と大きく伸びた。山田淳仁社長は、
「昨年夏、米国の事業パートナーと約2週間をかけ、定評のある9蔵元を訪ねた。土地柄や気候、歴史など銘柄にまつわる物語が酌み交わす場を豊かに彩り、味わいを一層深めてくれる。商品を売り込むだけでなく、物語を知れば興味や関心が湧いてくる。コロナ禍で海外へ日本酒文化を発信する活動は足踏みしたが、いまはオンラインで個人や企業と面談を重ね、現地パートナーの発掘を進めている最中。国ごとに日本酒の発信力を高めていきたい」
実働する酒蔵は全国で約1000と言われ、うち95%以上は中小や個人の蔵。工業製品ではない、小さな蔵のこだわりや酒造りにかける情熱を丁寧にすくい上げることが、日本の食文化を支えることにつながる。海外のワインやウイスキー、ビールなどに勝るとも劣らない日本酒の魅力を知ってもらう。酌めども尽きぬ酒の魅力を国内外へ発信するサポートこそが、わが社の使命と言い切る。
酒類業界を盛り上げ、酒屋を復活させたい。その信条から、酒屋向けのオリジナル酒を相次ぎ商品化している。全国の蔵元を訪ねて選りすぐった逸品銘柄に、提携デザイナーと組んで新しい魅力を付加したシリーズ「コンセプトワーカーズ・セレクション」(CWS)や、ワイン樽で熟成させた新感覚の日本酒「FUSION」、酵母の香りから想起する果物をラベルにデザインした新酒シリーズなど。ラベルコレクターも現れているという。一方で、9月末に西武池袋本店に直営で出店する。酒商山田の店づくりに勝算をみた西武担当者から取引先の蔵元経由で、酒売り場を任されることに。初の東京進出だ。今期は売り上げ14億円を見込む。31年の創業100周年に臨み、新たに〝独創的価値共創企業〟のコンセプトを打ち出す。
目には青葉、山ほととぎす初鰹。初モノを喜ぶ江戸っ子に限らず、全国各地、四季折々の旬の味わいは格別。いまならパリッと塩を利かせた焼き鮎に、切子の猪口(ちょこ)をひんやりと満たす冷酒がいい。日本に生まれてよかったと思う。