広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
明日、広島を支える産業は何か、現在の自動車産業と産学官金は一緒に何ができるのか、熱をもって話し合おう。個人や一社だけの知では到底勝ちきれない時代になった。集中と「オープンイノベーション」でこの難局を乗り越えていこう。誰かがやってくれる、ではなく、俺が、私が広島を変えていくのだ、という一人一人の精神こそが大きなイノベーションにつながることは間違いない。
最後に、過去、広島の人たちは何度も倒れては立ち上がってきた。幾度となく過酷な危機を乗り越えてきた。そのスピリットは確実にわれわれに脈々と受け継がれている。われわれは一人ではない。さまざまな人と話し合ってみよう。対話と行動こそ最初の第一歩−。と締めくくる。
一点集中のトップ技術開発の戦略と、その一点集中によるリスクを回避するためのオープンイノベーション。さらに広島人のチャレンジスピリットを重ね、どんな革新が飛び出してくるだろうか。尾上さんの提言はふるさと広島への思いが底流にあり、別項で東洋工業(現マツダ)の歩みにも触れている。
近代の広島の発展と繁栄の歴史はマツダなしで語ることはできない。幾度も時代の波にさらされ、企業存続を脅かされてきたマツダはそのたびに不死鳥のごとくよみがえり広島を発展させてきた。広島でイノベーションを起こした革新的な企業である。コルク板や機械工具などを生産し、そこから削岩機、工作機械、小型四輪トラックの製造などを経て自動四輪車の製造へと進化している。
また、産学官金とも密接に関わってきた。現在の南区にあるマツダ宇品工場は、県が公共工事として1954年ごろに埋め立てを行い、そのほとんどを東洋工業に払い下げている。そのおかげで広島の湾岸部に大きな生産拠点を立ち上げることができ、広島の発展に大きく寄与。金融機関からの支援が経営を幾度となく救ってきたことや、地元大学との共同研究による技術開発など、産学官金とともに歩んできた深い歴史がある。
秘密工場
やはりマツダの歴史を語りたかったのだろう。少し横道にそれるが、世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した山本健一氏(後に社長、会長)の話。東京帝国大学から海軍少尉として招集され、終戦後に東洋工業へ。設計部次長時代に軽三輪トラックの秘密工場をつくり、プロトタイプを制作。後に社長の承認を得るという離れ業で、K360の発売につなげたという。一歩踏み外すと、わが身を危険にさらす賭けだったが、敢然と革新に挑み、胸を躍らせていたのだろう。
いま、イノベーションを起こすための取り組みが世界中で行われている。ドイツのベルリンや愛知県では一定の分野に特化した開発施設などを用意し、世界中からスタートアップを集めてオープンイノベーションの仕掛けを作る。
「世界の情勢を読み、他地域の取り組みを参考にし、広島の過去のイノベーションの経験を生かし、いまこそ産学官金が同じテーブルについて、明日のイノベーションを起こすための開かれた話し合いを始めるべきだと思う」
残された時間は多くない。
スマートフォンなどの一つのインターフェイス(境界)から複数のサービスへ接続することが加速している。企業のサービスだけではなく、国や自治体、商取引から医療や介護、農業、工業までありとあらゆる分野が平等につながり始めている。サービスの提供者は受益者目線で自社のサービスを見直し、他のサービスと対等に横でつなぐ発想がなければ、待っているのは自社サービスのガラパゴス化なのだ。さまざまなものに接続できるスマートフォンが、接続できない商品、サービスを駆逐してきたことを目の当たりにしている。
広島の自動車産業のあるべき姿はどうか。自動車やモビリティもまた、ある分野、技術に特化し、さまざまな業界や業種と連携、接続することが可能で、世界と戦える「グローバルニッチトップ技術」を深化させることに尽きる。それは安全品質の高い車体製造技術かもしれないし、美しい自動車のデザイン性かもしれない。または、もう自動車とは関係ない製品の製造技術かもしれない。
その選択は慎重に考え、決断する必要があるが「全てをやる」という戦略から「集中する」という戦略への転換を広島全体の戦略として実行する。そして、その先に特定の技術、領域において世界から求められる自動車産業が広島に存在している。それがあるべき姿ではないだろうか。
一点突破の戦略はとても大きなリスクを抱えている。基本的な企業の生存戦略としてはいかにリスクを分散し、あらゆる環境変化に対応できる体制を広く構築することが正しい。しかしそれでは世界の競争にはとても追いつくことができない。そこでもう一つの提言は、産学官金が協力するオール広島で広島の自動車産業だけでは足りない技術やサービス、資金、アイデアを補うオープンイノベーションを実行する。
地域が総体になり、地域にある資源(人、モノ、金、時間)をどこへ集中的に投下していくのか。地域の永続的な発展をどう促すのか、それを一人一人自分事にして考え、正しく知り、正しく伝え、正しく行動すべきだ。従業員が一人のスタートアップの社員でも、従業員が3万人を超える大企業の社長でも同じ平等の仲間なのだ。
自動車産業をはじめ、広島の産学官金の組織は秩序を乱してしまう他所(よそ)者、若者、馬鹿者と呼ばれるイノベーター(イノベーションを起こすことを志す者)にチャンスと権限を与え、他地域からの知識や経験の導入、若い人の前のめりの挑戦意欲への支援、周りの空気を読まずに独走し、ムーブメントを起こせる者への後押しを行っていただきたい。彼らをリーダーとしてたたえ、しっかりとフォローしていくことで広島にイノベーションの気運を醸成することを始めるべきである。
異質なものが混ざり合うことによって化学反応が起きるのは人間も化合物も一緒である。この混ざり合うチャンスを広島のいたるところに創っていくべきだ。自動車産業関係者だけではなく、あらゆる業界から志を持った人々が集い、明日の広島をどうしていくべきか、いままさにすべきことである。以上が尾上さんの提言の骨子。マツダの歴史にも触れている。−次号へ
100年に一度の大波にさらされており、広島の自動車産業はいかにして、この難局を乗り切ることができるだろうか。
電動化や自動運転に加え、移動するだけの価値を超えて楽しさ、便利さなどの複合的な価値を持つ自動車の技術開発が世界的な規模で加速し、トップレベルの燃費性能を備えたガソリンエンジン、電気とガソリンのハイブリッドエンジンで世界をリードしてきた日本の自動車産業が一夜にして崩壊する可能性が大きくなってきたという。
いつの間にか日本車がさっぱり売れなくなり、生産を止めて廃墟と化した工場群。繁華街や料飲街の灯が消え、住宅街は県外、海外へ移住してしまった空き家が並ぶ。
もし何年か後、広島の街がこんな光景になった時、経済界や行政関係者らはなぜ重大な判断を誤ったか、何をなしたかと厳しく問われることになる。
本誌の創刊70周年企画として昨年7〜10月に「10年後の広島の自動車産業のあるべき姿」をテーマに、ひろしま自動車産学官連携推進会議の協力を得て懸賞論文を募った。大学の研究者や学生、行政、企業関係者らから19件の作品が寄せられた。それぞれに共通して、ここで将来への目測、進むべき方向を見誤ると、戦後から広島経済を支えてきた自動車産業が一気に瓦解してしまうという危機感があり、広島の個性、長所を発掘して難局をチャンスとする具体的な戦略を述べる。こうした提言が埋もれることにならぬよう受賞作を冊子にまとめて県や経済団体、関係方面へ渡すことにしている。
一般の部で2位に選ばれた尾上正幸さん(36)は、2008年に広島大学法学部を卒業後、5年間のマツダ勤務を経て県商工労働局イノベーション推進チームに所属。その経歴に興味を覚え、話を聞いた。一点突破で世界と戦える「グルーバルニッチトップ技術」の深化を図り、オール広島で技術やサービス、資金、アイデアを補完し合う「オープンイノベーション」を骨子とする提言の一部を抜粋し紹介したい。(要約)
広島の自動車産業はどうあるべきか。これまでの移動による便益や、人が運転することで得られる喜びに加え、自動運転などの利便性、地球を汚染しない環境性、さまざまなサービスへの接続、これらをバランスよく向上させた次世代モビリティを世界へ送り届けている、それが目指すべき姿だろうか。
いや、そうではない。一企業、一業界、一地域で全てを補う時代は終わった。なぜなら社会変化のスピードが加速度的に速くなっている。これまでと同じことをしていてはもう後発の企業は追いつかない。資本と技術が特定企業に集中し、その集中が次の集中を加速度的に誘発している。世界規模の情報系産業がさまざまな企業を吸収して急拡大し、自動車産業の領域へ進出してきている。
さらに、カーボンニュートラルをはじめとした劇的な環境変化はこれからもどんどん起きてくる。だから、自社や地元でできないことは思い切って他社や他の地域に頼り、合従連衡してイノベーションを起こしていかなければ産業競争のレールから脱落してしまうだろう。 −次号へ
広島修道大学は今年度後期から「広島の事業承継を学ぶ」と題し、全15回にわたる講義を行った。1月13日の最終回に登壇した広島銀行執行役員国際営業部長の坂井浩司さんは経営者の高齢化、事業承継を取り巻く環境、事業承継の種類や事例、投資ファンドなどを話した。
同講義は、後継者不足が指摘される広島企業の事業承継に焦点を当て、経営者や専門家から直接話を聞くことにより、少しでも学生自身のキャリアや人生を考えるきっかけになればと初開講した。これまでに旭調温工業の粟屋充博社長、合同総研の篠原敦子社長、アイグランホールディングスの重道泰造会長兼社長らが登壇。全学部全学科の2、3、4年生が履修した。
坂井さんは、中小企業の経営者年齢の分布や平均引退年齢の推移(中小企業庁「経営者のための事業承継マニュアル」)などを示し、今後10年間に70歳を超える中小企業・小規模事業者の経営者は全体の約6割になり、そのうち約半数(日本全体の3分の1)の企業は後継者が未定などと解説。2021年の広島県の後継者不在率は64.4%(帝国データバンク調査)で前年の71.3%から改善したものの、全国11位。20年1〜12月に倒産した企業は全国で7773件と前年比7.2%減少した一方で、休廃業・解散した企業は4万9698件と過去最多を更新(東京商工リサーチ調査)した。
同行が支援した第三者承継(M&A)で安佐南区のバロ電機工業の例を紹介した。
「社長は娘や従業員などに経営を引き継ぐ人がいないため廃業も検討。しかし取引先や従業員のことを考えると、会社を守らなければならないと決心し、70歳を目前に広島県事業引継ぎ支援センター(当時)を訪問。1年半で約30社の候補先リストを当たった結果、同じ安佐南区の東洋電装が引き受け、社員の雇用が守られて社名も残りました」
他に「親族内承継」の事例として、社長が還暦を機に息子を後継者に考えたが、30歳と若く若社長誕生に不安の声もあってホールディングス組織とし、複数ある事業を分社化。社長がグループ全体をかじ取りし、常務と息子が事業会社の社長に就いた。後継者の負担を軽減して経営者の経験を積ませることができ、従業員も次期社長になれる可能性が生まれてモチベーションが高まったという。
「従業員承継」では、後継者の息子が父の経営方針に同感できず家出。同行が運営する事業承継ファンドの担当者を通じて説得し、息子に移転していた株式を集約。役員4人で設立した会社に株式を承継した事例がある。
坂井執行役員は1987年同行に入り、店舗、インターネットバンキングなどチャネル部門が長く、神戸支店長、個人ローン部長、営業統括部長、執行役員などを歴任。広島経済同友会事業承継委員会で委員長を務め、親族承継、役員・従業員承継、第三者承継の三つのスキームごとに専門家の知見や体験談などを情報収集し、課題を抽出した。
さまざまな課題を論理的に解決していく、売買条件の交渉も大事だろうが、格別の志を持って創業した人ならなおさら、志ある人に受け継いでもらいたいとの思いが募るのではなかろうか。
宮島の町家通りを散策すると、ひさし下の出桁を支える腕木や持ち送りの意匠など、そこここに往時の職人の仕事が見つかる。出格子の町家が建ち並び、歴史的な風情が漂う。土産店が軒を連ねる宮島表参道商店街の東側に弓状に並行し、歩みを向けると趣を変え、島民の生活がある。
昨年8月、厳島神社を要とし東西に扇のように広がる市街地のうち16.8ヘクタールが戦国時代由来の門前町として重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に選定された。県内で4カ所目。東町の町家通り、西町は神社の南西側に大聖院や大願寺の門前の町場が広がり奥深い景観をつくる。
日本を代表する景勝地として文化財保護法や自然公園法など多くの法の下、土地利用や建物形態意匠、色彩に至るまで制限があり、島に暮らす人たちもその規制に応じてきた。古来、弥山を神体山として居住はご法度だったが、推古天皇元年(593)創建とされる厳島神社が平清盛の庇護の下、大きく発展。海上交通の要衝として栄え、大内や陶、毛利ら群雄割拠に明け暮れた戦国期に、いまの門前町が現れ始めたという。島で生まれ育った宮島地域コミュニティ推進協議会の正木文雄会長(正木屋代表)は、
「歴史的な町並みを文化財として保存する重伝建の選定は当時にタイムスリップする町並みづくりのスタートと捉えており、観光や産業振興にもつながる。しかし、これからが大変。昨年7月、伝統技術を継承すべく伝建宮島工務店の会が設立した。島全体が国立公園。厳島神社や原始林など島の約14%が世界遺産で、自然美を維持保存する風致地区という特殊な土地柄。住んでみないと宮島のことは分からないと思う。一方で空き家が増えている。島全体の調和を大切にしながら関係者ら多くの力を借りて貴重な価値を未来へ残していきたい」
ピーク時に5200人を数えた島民は市と合併した2005年には約2000人に半減し、今年1月1日付で1452人。高齢化率は48%。過疎地域でもある。重伝建地区内に住宅が約560棟あり約750人が暮らす。島外に住む所有者も少なくなく空き家が増えている。
合併前から今後の宮島のあり方を模索。重伝建地区の先進地視察などを重ね、町並みを生かす島づくり計画を01年に策定。04年に町家調査をし、外観は変わっても内部は当時のままという建物が数多く判明。有識者らから保存の価値が指摘された。20年9月に宮島エコツーリズム推進全体構想が中国地区で初めて環境、国交など4大臣認定。自然や文化歴史の価値を守りながら生かす工夫やシステムづくりが決め手になった。
町家通りにある宿の厳妹屋(いつもや)は県外から移住した若者が切り盛りして13年目。100年前のしつらえに欧米客の人気も高いという。10年に宮島土曜講座を始めた広島工業大学は学生らが町家の活性化に向けて活動中。少人数やファミリーで訪れるケースも増えており、重伝建選定によって多様に楽しめる観光の可能性が広がりそうだ。
市は宮島の空き家管理や総合相談窓口を担う島づくり組織の準備会を22年中に立ち上げる予定。歴史から未来を見通し、次代へつなぐ責務は重く、多くの楽しみがある。
金属加工品製造の内海機械(府中市)は昨年12月、キャッチコピー「ぶっちぎりの短納期」を商標申請した。新規開発の工作機械の試作品や部品の破損、損失など少量の発注に原則、3日以内に納品する目標を掲げており、業界の〝駆け込み寺〟と呼ばれている。内海和浩社長は、
「知りうる限り、短納期で負けたことはない。さらに同業他社を圧倒するスピードをもって〝ぶっちぎり〟1番の心意気と決意を込めた」
短納期の秘訣は何か。父滋之さんの後継として3代目社長に就いた2007年ごろはどこにでもある町工場。不良品が発生し、納期も遅かった。現状のままでは生き残れないと考え、改革に着手。さっそく事業計画を策定し、整理・整頓などの5S活動に加え、3定(定品、定位置、定量配置)の徹底に乗り出した。
50本以上ある切削工具は、太さ別に壁掛けで定位置を用意。ガムテープ、メジャー一つにいたるまで置き場所を決めている。移動のムダが発生していたマシニング作業では、市販品の大きなツールボックスを廃止し、専用棚を増設。工具を取りに行く手間を少なくし、3定の徹底で整然とした見た目に加え、扉や引き出しを〝開けて取る〟などのひと手間を省いた。工具や部品が入った引き出し棚は極力撤去し、工具はすぐに使えるように壁掛けとした。原則1週間以内に使うものだけを周辺に置き、当面使う予定のないものは倉庫へ。3カ月以上使わないものは廃棄し、その総重量は9トンに及んだ。
「環境整備によって、品質に対する責任や納期に対する意識が高まってきたことを実感している。毎工程の1歩、1秒のムダでさえ、年間に換算すると相当になる。こうした追求を積み重ねた結果、生産効率は30%アップした」
人材の採用、育成にも力を入れる。従業員数14人だが、ここ数年は大卒者を採用。今春は広島修道大学商学部の学生が入社する。エンジニアは旋盤やフライス、溶接、研磨など各種工程を一人で担う「多能工」を推進。入社1年で玉掛け、クレーン、ガス溶接、フォークリフトなど10の資格取得を支援する。人材育成では日常業務を通じて会社の姿勢や考え方を伝え、社員研修やOJT、社外講習なども充実。仕事がしやすいよう常に考える人材を育てる。
「大手も採用に苦戦する中、どうやって募集しているのかと驚かれることが多い。中小企業の魅力を徹底的に訴求していくことに尽きる。福利厚生では大手にかなわない。しかし仕事のやりがいや幅広く経験できるなど、明確な目標を持って成長意欲にあふれた人にはうってつけの職場だと自負している。いまでは社員が率先垂範で採用に動いてくれるようになった」
2020年に経済産業省の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定された。いまはDX(デジタル変革)に取り組み、スマートファクトリーを掲げる。2年前から府中市の産学官連携推進事業で生産工程をIoTで可視化し、AI分析。ビッグデータからボトルネックを見つけ出し、段取りロスなど普段気付かない非効率にもメスを入れる。日本のものづくり現場力が高まればと見学者を常時受け入れる。「ぶっちぎりの短納期」の道は果てしない。
宮島の海にたたずむ嚴島神社の大鳥居は美しい。修復工事のため、大鳥居を囲う足場が組まれて2年余り。当初計画では既に修復を完了しているはずだったが、柱の内部に想定外の損傷があり工期を見通せないという。古来の建築技術を駆使した世界でも稀な海上の社殿を次世代へ継ぐ、専門業者による工事が慎重に続く。
元請けとして工事全体の管理を担う増岡組広島本店(中区)は、本殿や能舞台などに多大な被害をもたらした1991年の台風19号による復旧工事をはじめ、長く嚴島神社の保存修復に携わる。10年前から現場を統括する舛本貴幸所長は、
「長さを表す尺や寸、部材名など、一般建築ではあまり使われなくなった用語がいまだに残る。着任当時は一級建築士として10年以上の経験があったが、現場で交わされる会話を理解できなかった。同じ建築でも異世界だったが、当社が蓄積した過去の実績と神社仏閣の復元法を習得することで理解を深めた」
大鳥居の工事は、設計監理を行う嚴島神社の原島誠技師と、耐震診断と構造補強設計を担う(公財)文化財建造物保存技術協会(東京)の下で、塗装・檜皮(ひわだ)屋根・瓦・大工など専門業者と連携して進める。複数の木材を組み合わせる仕口継手が多用され、今も伝統的な工法が生きている。内部構造は表面を開けて初めて分かることが多く、大工や神社技師と相談しながら工法を決めるため、どうしても時間を費やすという。
緊急時も気が抜けない。台風前は被害を想定し、できる限りの対策で備える。台風災害の際は、
「破損して海に流された木材などもできる限り回収し、乾燥させて再び利用する。部材の一つ一つが文化財であり、扱いには細心の注意が必要。くぎの痕跡からその時代や工法などを解明できることもあり、その価値は計り知れない。伝統建築は一般建築と比べて難しさもあるが、そこが奥深さであり、やりがいでもある。世界遺産の維持修理に携わらせていただけることは、われわれの誇りだ」
中区鶴見町の同社広島本店には、各地で請け負った伝統建築修復の概要を記したファイルが並ぶ部屋がある。嚴島神社をはじめ、呉市豊町の御手洗町並み保存地区や下蒲刈町、鞆の浦(福山市)の古民家修復など200件以上の実績が集められている。山﨑正雄上席執行役員が各事務所の倉庫などに散在していた施工資料を集め、整理してきた。
「神社や仏閣、古民家はそれぞれの建物に独特の建築工法が採用されており、過去の実績が将来の重要な技術向上につながる。しかし案件ごとの特徴を理解し、どのような施工をすべきかを判断できなければ意味はない。伝統建築は一般建築よりも手間がかかり、工期が長くなる。しかし地域の文化財を守るという使命感がある。建築屋の誇りにかけ、伝統技術の習得に全力を注ぐ」
活動中の中期計画には神社・仏閣・古民家などの施工能力向上を目指すプロジェクトがある。山﨑役員や舛本所長ら5人が毎月集まり、資料の活用法などの勉強会を続ける。文化財と共に、それを守り維持するノウハウを伝承するための体制整備を急ぐ。
長期予報によると、この冬は寒気の影響を受け、厳しい寒さとなりそうだ。さて、広島経済に暖かい風が吹くだろうか。広島銀行系のひろぎん経済研究所(中区紙屋町)の水谷泰之理事長は、
「コロナの新たな変異株の出現やワクチン効果低減などのリスク要因がある中で引き締めたり、緩めたりしながら経済は回復すると見ている。しかし、業種によって大きく異なるし、タイミングは予測困難。コロナ出現当初を振り返ると、1月は中国から部品が来ない、2月は国内の工場が動かない、3月になると海外で売れない、などと感染が広がる地域によって全く違う影響が短期間に現れた。その後ワクチン接種で欧米が回復すると急激な需要回復に生産や物流が追いつかない、ワクチンが遅れた東南アジアからの供給が止まるといったように経済の流れは複雑。サプライチェーンを読み解くことはコロナの影響だけでなく、いまから世界経済と自社のつながりを理解する上で極めて重要ではなかろうか」
急激な変化にどう対応すれば良いのか。飲食や旅行などが急回復したときに人手は大丈夫か、殺到する注文をこなせるのか、そのとき慌てふためくようでは後手に回る。予測困難だからこそ、備えに万全を期すという経営の力量が問われることにもなる。
米中対立と日本
バイデン大統領は就任後、パリ協定への復帰、WHO脱退の撤回までは矢継ぎ早に実施したが、TPP加盟は進んでいない。アフガン撤退作戦の不手際で支持率ダウン。西側同盟の盟主としての信頼に傷がついた。秋の中間選挙を控え、米国が不安定になる可能性が高いと指摘する。
一方で中国は「中華民族の偉大な復興」を掲げ、習近平の個人崇拝を強化。こうした「民族と独裁」に西側諸国が警戒感を強める。「共同富裕」を口実にした企業統制に注意する必要があり、日本は米中の報復合戦に巻き込まれないよう、情報収集と戦略の熟慮を求められよう。
岸田政権はどうか
岸田内閣の経済政策の影響がどう出るか。新しい資本主義の具体化はまだこれからだが、成長戦略のグリーンとデジタル化は菅政権から引き継ぐ政策の中心。中でも「デジタル田園都市構想」では地方からのデジタル実装を目指していることが注目される。そのほか、企業のイノベーションを促す政策としてトーンが少し変わった産業政策、これに新しく経済安全保障が加わった。グリーン、つまりカーボンニュートラルへ向けた動きは今後より具体的になってくるだろう。だが、電動車一つとっても充電インフラ、電力需要の大幅増、電源構成の脱炭素化など、産業の垣根を越えた課題が山積。経営者としては、自社がつながっているサプライチェーンからプレッシャーがかかってくることを想定した対応が必要となってくる。油断できない。
新年はコロナへの警戒を怠らないようにしながらも、国家間の対立が少しでも緩和され、地球温暖化など人類共通の課題やデジタルを用いた生産性の向上など、わが国の重要課題に前向きに取り組んでいける1年になることを期待したい。
むろん専門は経済で、政治は専門外だが、何と予想が当たった。本誌新年号の本欄で広島銀行系のシンクタンク、ひろぎん経済研究所(中区紙屋町)理事長の水谷泰之(ひろゆき)さんがズバリ、今年一番の大ニュースになった岸田文雄総理誕生を示唆していた。安倍さんの退陣後、昨年9月にあった自民党総裁選に敗れて「岸田は終わった」とさえ言われたが、まさに起死回生である。ドヤ顔の水谷さんは、
「むろん確たる根拠はなく、もしやという期待だった。だが、いまは鼻高々。予想なるものが当たることはめったにないので、こんな時くらい笑って許してください」
カープはさておき、広島の街に久々に明るいニュースが走った。
総理就任の直後、10月にあった衆議院議員総選挙は、政治分野に精通するマスコミの大方の予想を裏切り、自民党が絶対安定多数を確保。何やら岸田さんに少し余裕が出てきたようにも感じるが、これからが本番。来年7月には参議院議員選挙(半数改選)が控える。米中覇権争いの中、外交や経済などに難関が次々押し寄せており、ひるむことなく、したたかな日本丸のかじ取りを託したい。先ごろ「新しい資本主義実現会議」が立ち上がり、今後は果たして成長と分配の歯車がうまくかみ合うかどうか、景気を占うポイントになりそうだ。
今年もあとわずか。長引くコロナ禍に加え、中国の恒大集団経営危機、半導体不足、原油高、原材料価格の高騰、脱炭素化の動き、米中のきしみなど、世界の荒波に日本経済が翻弄(ほんろう)され続け、いや応なしに世界が近いことを実感させられた。
わずか40年ほど前。日本経済の黄金期ともいえる高度成長期の要因を分析し、日本的な経営を高く評価した社会学者エズラ・ヴォーゲルの1979年の著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーになり、一世を風靡(ふうび)した。その後失われた時代とも呼ばれる日本経済の凋落ぶりは一体どんな理由によるものか。研究所の水谷さんは、
「分析すればさまざまあるだろうが、もうこれくらいでいいだろうという日本人らしい謙虚な満足感が少なからず影響したのではないか、油断につながったかもしれない」
今年1月亡くなった作家の半藤一利氏の40年周期説によると1868年の明治維新、約40年後の日露戦争勝利、その40年後に敗戦、そして約40年後の1989年に株価が最高値を更新し、その後にバブル崩壊。周期説だと2030年まで低迷を続けることになるが、新しい資本主義で一刻も早く克服してもらいたい。その先にどんな世界が開けるのか、新しい年にその第一歩を期待。
▷今年5月、おかげさまで本誌創刊70周年を迎えることができた。ひろしま自動車産学官連携推進会議の協力を得て「10年後の広島の自動車産業のあるべき姿」を課題に懸賞論文を募り、素晴らしい力作が寄せられた。新年1月に最優秀作を発表予定。まさにここ10年、車産業は大変革のときを迎え、それを予感させる提言がそろう。大学や関係団体、金融機関トップらにお願いした審査員の方々を困らせるに違いない。今後もできるだけ多く広島の街を元気にするオピニオンを載せたい。
2008年冬、老朽化した給油所地下タンクが破損し、5000リットルものガソリンを流出させてしまった。近くの川の本流へ流れだすと、莫大な損害を発生させる事態さえ危惧された。
同給油所は、三次市甲奴町の小川モータースが運営しており、大ピンチに直面した小川治孝社長に、地元の多くの人が手を差し伸べた。当時を振り返り、
「報道関係者らが詰めかける中、地域の方々が率先して冬の冷たい川に入り、懸命にガソリンの流出を防ぐオイルフェンスを張ってくれた。地下水を汚されて、恨まれて当たり前。だが誰も皆、嫌な顔ひとつ見せない。心で手を合わせ、感謝の気持でいっぱいになった。周囲への聞き込みを終えた新聞記者から、あなたたちのことを悪く言う人は一人もいなかったと。この地で創業し、代々まじめに経営してきた先祖に感謝した。窮地を救ってくれたふるさと甲奴と共に生きる覚悟を決めた」
4代目を継いで半年後の出来事だったが、その後の人生を一変させた。甲奴のために何ができるのか。日夜考え、実行に移してきた。
今夏、耕作放棄地にブルーベリー農園「ルイガーデン」をプレオープンした。55種類1100本を栽培。小川モータースが運営し、来年から観光農園として本格開業する。このほか、地域資源を生かしたスモールビジネスを次々立ち上げている。
「80年前に甲奴町の人口は7000人だったが、いまは2300人に減った。移住者を増やす上で、暮らしを支えてくれる仕事が決め手になることが多い。働く場所となる〝小さな箱〟をたくさん生み出し、雇用の受け皿を増やしたいと考えた。多彩な箱ができれば、町の産業も多岐にわたり豊かになる」
岡山の大学を卒業し、自動車ディーラーを経て家業へ。先々の展望もなく悲観していたが、ガソリン流出事故が一大転機になったと話す。
最初に本業と関連のあるカーシャンプー開発に着手。化学薬品商社に勤めていた大学時代の後輩をIターンで迎え、洗浄とワックスがけを同時にできる商品を発売した。順調に軌道に乗せ、そのまま事業を後輩に譲った。続いて廃棄するアスパラガスの葉に含まれる養分に着目した機能性食品を開発。13年には減農薬で育てたコメを広島市などの企業に仲介販売する事業を立ち上げた。企業にとって農業体験ができ、収穫したコメを福利厚生や販促に活用。一般流通よりもやや高めの値段を設定し、生産者にもメリットのある仕組みにした。同事業は経済産業省の「がんばる中小企業・小規模事業者300社」に選ばれた。
「事業を起こし、甲奴に住んでくれる人に譲渡していく。ブルーベリー農園は県立広島大学2年の藤原塁(るい)くんに運営を任せ、園名に彼の名前を付けた。甲奴に住み続けたいと語る彼の思いに賛同し、初期投資の1000万円を当社が借り入れた。大人が本気でやらないと若者からも見透かされる。この地域で本気で楽しむ姿を見せることができれば、若い人もきっと集まる」
次は、出資者100人のためだけに造るワイナリーの開設準備に入った。「地域を資源と捉え、産業を創る」を信条とし、自ら率先する。
もしかしたら、このまま死ぬかもしれない。まだ若い30代後半に大病を患い、死線をさまよった。武家茶道の上田宗冏(そうけい)家元の長男で、流祖宗箇(そうこ)から17代目を継ぐ若宗匠の宗篁(そうこう)さん(41)は、
「生死のほども分からない闘病生活を経験し、限りある命を楽しく生きようという思いが突き上げてきた。その後は考えること、感じることも変わってきたように思う」
茶道の要点でもある「一座建立」がコロナ禍の影響でかなわず、常の茶会が2年近くも開けていない。しかし、ひるむことなど一切なく、何ができるかと考えた。
特設サイトを通じ、茶碗や茶せんなどを竹茶籠にまとめた「おうちで一服セット」を今夏から販売。日ごろ茶道になじみの薄かった人からも問い合わせが入るなど好評で、10月末から始めた2期販売も約1週間で完売となった。一服したいとき、湯を沸かしさえすれば、たちどころに400年前の息吹に触れることができる。
できそうなことはとにかくやろうと昨年、今年と新たな試みを重ねている。苦しい時を苦しいままで終わらせたくはないという思いが募り、次々に挑んだ。一服セットのほか、茶事形式での少人数の茶会は30回以上開き、ZOOMを使ったライブ配信のウェブセミナーや、これまでになかった企画や動画などフル活用。〝上田宗箇流の拡散〟にも乗り出した。まだまだ実行に移したいアイデアが渦巻いているようだ。
家元の長男に生まれ、400年の歴史を受け継ぐ宿命を腹に据えるまでには紆余(うよ)曲折があった。力量にかかわらず家元になれることに疑問を持っていた。そのまま定まった道を進むことに反発もあり、ヒップホップダンスの世界へ飛び込んだ。そうしてプロとして海外でも活動するまでになったことが自信を生み、家業を継ぐ決意へと導いてくれたという。
茶道から遠く離れ、外から見て、茶道に入るまでのこうした経験もまた、考える力を養ったのだろう。いかにして茶道に興味を持ってもらえるようにするのか、いかにもてなせばよいのか。同じようにダンスも楽しみ、喜んでもらえるかが大切。相通じるところがあるという。
総合芸術ともいわれる茶道は経験を重ねるほどに奥深さが増す。日々未知との出会いがあり、歩めば歩むほど新たな学びや感動があり、これでよしという境地に至る道は果てしない。
一方で、伝統的な価値や魅力は時代の移ろいとともに変遷し、せわしさなどにかまけて日常生活から離れていく難問を抱える。禅の教えに「不易流行」の言葉がある。変えてはならないものと、変えなくてはならないものをどう解き明かすのか。いつの時代にもこの問いを突きつけられてきたのだろう。
宗篁さんは病で脚を手術し茶道に大切な正座が難しくなっている。茶道の精神をそのままに、いまの時代に無理なく楽しめるように、机と椅子で行える立礼様式も工夫。変革期にはより一層個人の生き方が問われる。伝統や歴史から何を学び、新しい時代の動きや技術革新から何を学び、何を成すのか。伝統と新しい知恵を重ね合わせる心が求められているように思える。
志を立てて、もって万事の源となす。江戸時代末期、現在の山口県萩市にあった吉田松陰主宰の私塾「松下村塾(しょうかそんじゅく)」は塾生の中から高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文ら、その後の新しい日本を導く人物を輩出した。歴史上に有名な小さな私塾だが、その教えから「志塾」と呼ばれる。
中高一貫教育の叡智学園を誘致するなど「教育の島」構想で成果を挙げる大崎上島町に、昨年4月、新しい教育方針を掲げる高等教育機関「瀬戸内グローバルアカデミー」が開校した。2019年7月に米アトランティック大学理事会が同アカデミーと協働することを決議。1期生2人が約10カ月のプログラムを無事修了し、9月に同大学2年次に編入した。同プログラムは大学1年次の単位を認定。現在は2期生3人が島内で生活しながら学ぶ。アカデミー代表の長尾ひろみさんは、
「文部科学省の認可を得ない私塾で、学部や学科のくくりを廃止した。そうして自分自身の人生を模索し、生きるために必要な知識を自由に選び取るよう促す。海外を含むフィールドワークなどで地域課題を肌で感じてもらい、解決能力を養う。世界で活躍できるコミュニケーション力を身に付けるために実践的な英語力の習得や、プレゼンテーション能力などを重視。自分たちで〝学び〟をつくり上げるうちに、生き方に自信が湧いてくる。小さな志塾です。ボーダーレス化が進む時代の中で、どのような状況であっても世界と主体的に関わることができる人財を育てたいと考えています」
中央教育審議会委員や広島女学院大学学長などを務めた経験があり、教育理念に、自分だけが利益を上げればよいという考えではなく、自然保護、社会貢献につながるソーシャルビジネス展開の考えが底流に流れる。
島内の空き家をシェアハウス(学生寮)に活用。長尾さんも一緒に暮らし、学生の生活に寄り添う。島内全体をキャンパスに見立てて公共施設や図書館を利用しながら、フィールドワークや地域企業の有償インターンシップなどで経験を積む。英国グローバルNGOヘルプ・エージ・インターナショナルの理事やエジプトの国家開発マスタープラン策定支援者、国内外の研究者らによる授業も行う。
「瀬戸内海の島という恵まれた自然環境で、学生たちは果樹園で土を耕し、かんきつ類を有機栽培。草刈り一つとっても試行錯誤しながら汗を流し、丁寧に実を育んでいく体験が大事だと思う。ヒューマンエコロジーはこうした環境に身を置き、肌で感じることが第一歩。パソコン画面に表示される知識だけでは真に身に付かない」
10月には原発事故に遭った福島でフィールドワークを実施。国の有識者会議の資料を読み込んで現地インタビューを重ね、エネルギーと環境問題について考えた。
「多くの自然環境問題や社会課題にはどう立ち向かうべきなのか。この問いに対して簡単で明確な正解はない。まずは実践を通じて課題意識を持つことから始め、自分なりの答えを見つけることのできる考える力が求められている。それを行動に移し、挑戦していくことこそが、ソーシャルビジネスの創出につながるのではないでしょうか」