広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2021年8月26日号
    わくわくしている

    無観客だったが、東京オリンピックのテレビ中継で、アスリートの懸命な姿に心を動かされた人も多かったのではないか。続いて東京パラリンピックが8月24日開幕し、9月5日まで開かれる。大会の期間中、世界をつなぐ空港の存在が改めて浮き彫りになった。新型コロナ禍で閑散としていた国際空港はひととき息を吹き返したが、地方の空港は依然として厳しい。
     7月に完全民営化した広島空港。2050年度で年間旅客数586万人の数値目標を掲げる。コロナ禍前の18年度に比べて約2倍。国際線は同7倍の236万人を見込んでいる。小型機やLCC(格安航空)を主体に、アジア各地域の路線誘致とデイリー化を段階的に進め、最終的に現在の2.5倍の国内・国際30路線をもくろむ。
     民営化のポイントは大きく三つ。これまで別々に運営されていた滑走路などの「航空系事業」(国)と空港ビルなどの「非航空系事業」(民間委託)を民間が一体的に経営し、全体を見通した収益改善策が可能になったほか、国が特別会計で収入を管理していた全国ほぼ一律の着陸料の自由化によって路線誘致を促進。商業エリアの集客拡大で増えた施設収入を着陸料の引き下げに充てることができる。
     民営化に当たり、三井不動産や東急、マツダ、中国電力、広島銀行、広島電鉄など16社が出資し、昨年11月に広島国際空港を設立。出資者の広島マツダ取締役で新会社の施設営業部参与を兼務する槌谷省悟さんは、
    「おりづるタワー立ち上げから携わったノウハウを広島のために活用したい。改めて広島空港のブランド力、地域からの期待の大きさを実感している。搭乗者だけなく、空港での体験や買い物を目的に来てもらえるよう、ブラッシュアップしていく」
     7〜8月にエイチ・アイ・エスと竹原市立賀茂川中学校との共同企画で空港体験の日帰りバスツアーを実施。観光事業者と連携して中四国の周遊需要の創出を目指し、地域一丸でエリアプロモーションに取り組む。施設内で物産展などのイベントを定期的に開くほか、多彩な期間限定店を受け入れる。一押し商品を並べ、来場者を飽きさせない工夫も凝らす。7月には2階商業エリアに3店舗とイートインスペースを新設した。今後もビル改修や免税店の拡張などを計画する。
     運営参画を決断した松田哲也会長兼CEOは、
    「大企業と一緒に大きな事業を手掛けてみたかった。当社の店舗運営の経験や知識の提供はむろん、各分野のプロフェッショナルから多くを学ぶ機会になる。滑走路とビルを一体運営できるからこそ創意工夫しやすく、搭乗までの待ち時間をくつろぎ、楽しむことのできる施設を目指す。当社はおりづるタワーから平和のメッセージを発信してきた。大きな舞台に臨み、わくわくしている」
     広島国際空港は30年間の運営権を国から185億円で買い取り、ビル改修などに5年間で約200億円を投じる。6月には総額約326億円の協調融資が決定。コロナによる運休で20年度の旅客数は1993年の開港から最低の約73万人。上昇気流をつかみ、広島の元気につなげてもらいたい。

  • 2021年8月19日号
    酒屋を元気にする

    日本酒の国内出荷量は1973年の170万キロリットル強をピークに、昨年はその4分の1まで落ち込んでいる。かつて100近くあった県内の銘柄は47に半減。実際に醸造する蔵は30ちょっとという。コロナ禍で宴会や会食などの自粛ムードが広がり、酒類を提供する飲食店の休業、営業時間短縮が相次ぐ。酒屋さんは憤り、悲鳴を上げる。
     だが、いまがチャンスという。広島市内で酒販店を経営する酒商山田(南区宇品海岸)の山田淳仁社長はピンチを逆手に取り、新たな海外販路の開拓に乗り出したほか、就業規則を抜本的に見直して働きがいのある職場づくりを進めるなど、思い切った経営改革に乗り出した。中国地域ニュービジネス協議会が7月20日に開いた第1回「各界のリーダーを囲む会」のメインスピーカーに登場。興味深い話をしてくれた。
     直営酒販店が4店舗のほか、酒類卸の免許も取得。全国の蔵元を直接訪ねて逸品の銘柄を選りすぐり、開発を促し、これを全国の酒販店に卸す商品シリーズ「コンセプトワーカーズ・セレクション」(CWS)を2016年に立ち上げた。現在は国内のデザイナー19人と提携し、醸造元は24蔵が参画。同CWS商品を全国の酒販店へ供給する。〝日本の酒の伝道師〟というミッションを自らに課し、国内から海外へ翼を広げようとしている。
     米国の事業パートナーと共に7月下旬から約2週間をかけ、酒質に定評のある国内の9蔵元を順々に訪ねた。事業パートナーが米国内での日本酒の啓発活動と販路拡大を担当。酒商山田は蔵元の推薦と輸出商品の開発を受け持つ。
     世界に広まるワインやウイスキーなどは産地名がブランドになり、それぞれが特有の個性を醸す。蔵元を訪ねて日本酒の造られた背景や産地の風景、歴史、気候、水質、その土地柄なども銘柄に折り込み、海外へブランド価値を売り込む狙いがあるのだろう。大きな希望があるから、へこたれることがない。
     年商は10億円規模。三代目の実父が病に倒れ、1989年に実家の酒販店に戻り、経営を継いだ。当時の年商は約1億5000万円。借入金の返済金利に追われる、厳しい状況だった。出店規制に守られていた酒販業界は、大店立地法の施行による大型店の出現や2006年の酒類販売免許完全自由化などによって大打撃を受け、街角にあった酒屋さんが次々と姿を消していった。
     売り上げの主力だったビールとたばこの扱いをやめて日本酒に特化。小さな蔵のうまい酒に着目し、身をそぎ落とすような競争と一線を画す経営に軸足を移した。こうした一歩一歩の取り組みから商いの確信を得たのだろう。
    「こだわりのある飲食店と飲み手を創り、小さな蔵の需要を創り、日本の酒文化の魅力を国内外へ発信する。立ち止まるわけにはいかない。希望を見いだし、柔軟な発想、社会的な課題の解決、そして新しい価値を創造することで共に前進していきたい」
     国内市場は先細るが、清酒の輸出額は10年以上、右肩上がり。昨年は過去最高を記録した。近く、小さな蔵のうまい酒が海を渡る。並行して新感覚の店舗開発と新しい卸売事業展開の構想も練る。

  • 2021年8月5日号
    社長を叱る

    独裁すれども独断せず。民主主義の危険を知れ。社長の権限委譲は会社をつぶす。
     むろん政治体制の話ではない。7月12日にあった中国地域ニュービシネス協議会の経営者セミナーで「社長の姿勢」と題し、データホライゾン(西区)社長の内海良夫さんが講師を務めた。オンライン参加も含め、社長や幹部ら約70人が耳を傾け、メモを取る。社長の仕事とは何か。この一点に絞り、自らの体験を踏まえながら話した。
     内海さんは1981年に創業し、2008年に東証マザーズ上場を果たす。昨年はDeNAと資本提携。国の大事業とも言える健康増進や医療費適正化をけん引するデータヘルス(PDCAによる効果的な保健事業)を中心に、医療関連情報サービスの開発などを手掛ける。
     創業から15年は黒字と赤字を繰り返し、見かねて辞めていく社員もいた。よくも生き延びることができたと思うほどの〝ボロ会社〟だった。その頃にまさに運命を左右する、経営コンサルタントの一倉定氏(故人)との出会いがあった。考え方を学び、実践し以降、増収増益を続けた。一倉氏は空理空論を嫌い、現場実践主義を徹底。社長を叱りつけることもしばしばだったという。
    「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも社長の責任。世の中は常に変わるという前提でものを考えよ。事業経営の成否は99%社長で決まる。外部環境のせいにするな、全ては経営者の責任である」
     など、有名な語録の枚挙にいとまがない。
     内海さんは、
    「社長の役割は経済に関する危険を伴う意思決定をし、その結果全てに責任を取る。社員に任せるのは決定ではなく実施。正しいワンマン経営は社長自らの経営理念に基づく会社の未来像を持ち、その未来像を実現するための目標と方針を、自らの意思と責任において決定し、これを経営計画書に明文化する。経営計画書を社員によくよく説明し、協力を求める。経営計画書の最も重要な施策は自ら取り組み、他は任せる」
     関心と行動の焦点を未来に合わせ、市場と顧客の要求の変化に対応して絶えず革新を行い、高収益型事業を創り出すことこそ、社長の仕事であると言い切る。考えに考え、体験と重ね合わせて到達した境地なのだろう。
     環境整備にも及んだ。
    「規律、清潔、整頓、安全、衛生の5つの環境整備こそ人々の心に革命をもたらす。全ての活動の原点である。決められたことを守る規律、いらないものは捨てる清潔、物の置き方と置き場所を決める整頓の3つをやれば、安全と安心は自然にできる。社長自ら巡回し、チェック。抜き打ちは厳禁」
     など、まさに現場実践主義である。
    「会社の真の支配者はお客さまである。優れた会社は顧客の要求に基づいて目標設定する。凡庸な会社はわが社の実情に合わせて目標設定する。変転する市場と顧客の要求を見極めて、これに合わせてわが社をつくり変える。社長はお客さまのところへ行く。アナグマ社長は会社をつぶす」
     考えに考え、企業の運命を決定し、その責任の全てを引き受ける。社長ならではのやりがいもあるのだろう。

  • 2021年7月29日号
    捨てる経営

    道理と共に行動する者は必ず栄える。大河ドラマの主人公で、日本の資本主義の父とされる渋沢栄一が著書「論語と算盤」(1916年刊行)でこう述べる。道徳と経済の調和を図り、言動に裏表があってはならない。元来、人が持っているやる気を引き出し、成長を促す。そうして経済を発展させる。生涯、この考えを貫いたという。
     合理主義だけで企業は成り立たない。人情に流されるようでは経営が崩れる。どう調和させるか。どこに道理があるのか。リーダーは正解のない問いに決断を下し、右か左か、進路を決める。その行き先に結果が待っているが、ここでも度量が試される。今も昔もこれから先も、企業経営者は肩にのしかかる重圧から逃れる術はない。一層やりがいもある。
     広島市信用組合の山本明弘理事長(75)は、
    「預金を集めて融資する。当信組の生きる道です。ひたすら本業に専念し、本業以外に手を出さない、いわば、捨てる経営に徹してきた。顧客本位の営業を徹底し、全役職員が取引先にお金を使っていただくという認識を持てば、顧客は必ず振り向いてくれる。応援してくれる。融資をやらなければ昇進できないという当信組の風土もできた。足で稼ぐ現場主義を最も大切にしている。足を使った仕事は非効率と指摘する声もあるが、現場に行かないと決して知ることのできない貴重な情報が山ほどある。工場の活気、働く人の姿、経営者の熱意、成長性や技術力などの定性的な部分を評価した上で、融資の可否を判断している。足しげく出入りしていれば、取引先の事情が分かるようになる。他の金融機関にとっての非効率は、当信組にとって融資のスピードを速め、渉外の動きを活発にする効果的な効率につながっている。融資を決定する場合の判断は財務内容が全てではない。そうしたリスクを取った上で、融資先が成長し、活躍している姿を見たときに、一番のやりがいを感じる。それで地元経済がより元気になると、これ以上の喜びはない」
     この考えは一朝一夕でつくられたものではない。
    「私が新人の頃に外回りで経験した挫折から得た教訓として、お金は貸すのではなく、使っていただくということを身に染みて感じた。以降、上司や本部の役員と衝突しても何より取引先にとって、当組合にとってプラスかマイナスか、この一点で押し通してきた。上司から稟議書を投げ返されたことも一度や二度ではない。上司の反感を買いながらも、この考えと行動のおかげで取引先が私を応援してくれた。その実績が反感を凌駕(りょうが)してくれた。私に出世や給与を上げてもらいたいという打算があれば、上司と衝突しない。歴代の理事長には理解を頂いていたと思う。融資はスピードが命。小口の融資だからこそ、いかに困っておられるのかを察し、できる限り速やかに対応したい」
     2005年理事長に就任以来、融資のスピードで商機をつかむため、毎朝5時台には出勤し、全職員が出勤する前に全ての決裁書類を終える。そして毎朝、6時台に役員会を開く。ちょっとやそっとではまねができない。その言動に裏表がなく、強力なリーダーシップで引っ張る。

  • 2021年7月22日号
    凄いと言うほかない

    大谷翔平は宇宙人なのか。テレビ中継でアナウンサーが「オオタニサーン!」と絶叫し、凄(すご)い勢いでまくし立てている。ポンポンと飛び出す大きなホームランに興奮しているのだろう。野球少年そのままの明るさがあり、どんな猛者もかなわない。カープの憂さも晴らしてくれる。
     厳しい金融界にあって、凄いと言うほかない。来年5月で創立70周年を迎える広島市信用組合は2021年3月期決算で、金融機関の収益力を示すコア業務純益が過去最高になり、101億円を計上。19期連続増益を達成し、今期も記録更新が確実という。
     10年前に比べて貸出金残高は倍の約6478億円。預金残高は倍以上の約7446億円。日本格付研究所(JCR)は5月11日時点で、同信用組合の信用格付を「A(ポジティブ)」へ格上げ。全国の信用金庫254、信用組合145にあって堂々の3位。JCRはこう評している。
    「資金量約7000億円。経営トップの強力なリーダーシップのもと、経営資源を預貸業務へ効率的に集中させ、スピーディーに融資可否の判断を行えることが強みになっている。こういった当信組のビジネスモデルに対する評価や収益力の高さなどが格付を支えている。コロナ禍が長期化した場合には、ミドルリスク先を主要な貸出先とする当信組の与信費用にも相応の影響を与える可能性がある。もっとも、コア業務純益は堅調に推移しており、厳しい環境下でも与信費用はコア業務純益で十分に吸収可能な範囲内に収まるとみている。これまで格付を制約していたコア資本比率は着実に改善してきている。今後も持続的に改善していく公算が大きい」
     新店開設や店舗リニューアルを契機に顧客開拓を強化したこと。足元では新型コロナの感染拡大の影響を受けた事業者への資金繰り支援を積極化したことなどが寄与し、貸出金残高は比較的速いペースで増加。保有株式や債券にかかるリスク量は資本対比でみて限定的など、まさに「本業特化」を推し進めてきた経営方針を評価。同信組にとってこれから先の確信になったのではなかろうか。
     役職員の待遇改善も急ピッチで進めた。全国の金融機関に先駆け、5年前に定年を60歳から65歳に延長し、併せて役職も維持。初任給は段階的に引き上げ、例えば4年生大学卒で21万7000円。金融機関で群を抜く。応募者が増え、優秀な人材が増え、業績が伸び、待遇改善という好循環の軌跡を描く。
     派閥をつくるような人は役員に不適格です。即座に役員を辞めてもらいます。徹頭徹尾に取引先目線、職員目線のシンプル経営を貫く山本明弘理事長の持論だ。
     1968年に入組。35歳で三篠支店長に抜擢(ばってき)された後、中広、出島、可部、商工センターの支店長を経験し、本店の営業部長、審査部長から常務理事、専務理事、副理事長を経て、2005年に理事長に就く。出世街道を駆け上ったその履歴の裏側で挫折感を味わったことや、融資案件をめぐり上司と衝突したこともしばしばあったが、「取引先のため、市信用のため」と一歩も譲らなかった。「継続」を経営信条とする山本理事長の現場主義、本業特化の真の狙いなど、次号で。

  • 2021年7月15日号
    上場の夢かなう

    マットレス、ベッドフレームの製造販売を主力に、リビングソファや寝装品などを扱うドリームベッド(西区己斐本町)が6月23日、東京証券取引所第2部に新規上場を果たした。県内で上場した企業は52社、広島市内では25社になった。
     まさに夢がかなった。2017年2月24日亡くなった前社長の渡辺博之氏の遺志を受け継ぎ、創業70周年の節目に当たる2020年を目途に上場を目指していた。国内のベッドメーカーではフランスベッド、パラマウントベッドに次いで、3社目になる。小出克己社長は、
    「1950年の創業以来、品質に対する統一した考え方が根付いており、われわれが造る製品に対する自信と誇りが根底にある。たゆむことなく研究、開発を重ね、製造現場では改善、改革に懸命に取り組んできた。マットレスはコイル(鋼線)の太さ、形、配列で寝心地が決まる。当社は線径の異なるコイルを1台の機械で作り、任意に配列する技術の特許を持つ。一人一人の寝心地に対応できる素晴らしい技術だと自負している」
     これからも優れた品質の製品を造り続けるという創業来の方針がぶれることはないと言い切る。
     戦後間もなく、寡婦や戦災孤児の救済へ創業者の渡邊禮市夫妻が私財を投げ打ち、現在の中区基町で授産場を経営した後、米駐留軍の払い下げ物品を受け、ベッドの修理販売を手掛けるようになった。1957年に禮市氏が広島ベッド商会を立ち上げ、その年の夏、製造部門を切り離し、ドリームベッドを現在地に設立した。60年代後半には安芸高田市にマットレスなどを製造する八千代工場を完成。現在のベッドメーカーとしての礎を築いた。製造部門と販売部門を分離したほか、部門別に子会社を相次いで設立。しかし不況下で経営効率化を優先し、2002、03年にかけて、11社あったグループ会社を合併・統合。現在のドリームベッド1社に集約した。小出社長は03年に広島銀行から出向し、同行退職後、渡辺博之社長の逝去にともない専務から現職に就いた。
    「一般的に同族経営には優れた点も多くあるが、ガバナンスが機能しなくなった時に、社内外から意見が入りにくく、受け入れにくくなるという危険もある。経営の風通しをよくするというのが、どの企業にとっても大事なことではなかろうか。当社では経営の柱でもある、『いいものを作ろう』というものづくりの精神が大事に守られてきたことで、品質やブランドの評価は高い。上場で得た資金は八千代の新工場建設に投入し、徹底的にものづくりの力を磨く。さらにブランド力を向上させ、ウェブ、SNSやテレビ広告などによって認知度を高める。全国3カ所のショールームにご来場いただき商品に触れてもらう、知ってもらうことで、必ず評価してもらえると確信している」
     20年3月期売上高は2期連続で大台の100億円を突破した。21年3月期はコロナ禍の影響を受け、商業施設向けの売り上げが減少。89億円で減収に転じた。しかし、今期はおおむね順調という。
    「ものづくりに慢心があってはならない。創業の精神を大切にし、先輩から後輩へ繰り返し伝えていかなければならない」

  • 2021年7月8日号
    愛着の湧く逸品

    艶やかで華やか。しっとり手になじむ椀(わん)や鉢をはじめ、上から見るとしずくの形が印象的な、酒を注ぐ片口(かたくち)やちょこ。中区堀川町の仏壇通りにある仏壇店「高山清」2階ギャラリーに、4代目高山尚也さん(40)が精魂込めて仕上げた漆器約300点が並ぶ。
     もともと仏壇を展示していたが、5月に廣島漆器のギャラリーに刷新した。どこで買えるのかという声に応じ、踏み切った。尚也さんは2年前から百貨店や外部のギャラリーで漆器の個展を開くようになり、伝統工芸の展覧会などで数々の賞も獲得。店の4階に設けた工房で制作に励む。
    「伝統を守ることは何より大事。加えて現代生活に合うデザインなどの工夫も大切だと思う。使う人のアイデアで自由に使っていただける漆器を目指した。普通の日を特別にしてくれる、漆器の楽しみや魅力を堪能してもらいたい」
     1619年、紀州藩主浅野長晟(ながあきら)が広島城へ入城した際、随従した職人によって漆(うるし)塗り技術が伝わった。その後、僧が持ち込んだ京都や大阪の仏壇仏具の製造技術と重なり、広島仏壇が製造されるようになった。瀬戸内海から大阪や京都へ出荷し、大正末期には全国一の産地に。熊野筆に次ぎ1978年、国の伝統的工芸品に指定された。高山清は大正2年(1913年)に塗師屋で創業。2年後に110周年を迎える。仏壇仏具の製造販売だけでなく塗師として寺院や神社の仕事も受ける。
     京都の仏教系大学に在学中に、ある工房を見学。やってみるか。親方の誘いに乗り、漆塗りを始めた。次第にのめり込み、住み込みの徒弟制度で半年間、親方の容赦のない駄目だしを受けながら、ひたすら塗り続けた。
    「刷毛(はけ)で塗ったとは思えない漆の肌合いに驚いた。職人の道を目指す原点になり、刷毛を扱う圧や引っ張りなど、その手仕事の見事さに魅了された。半年ほどで〝これか〟とコツが飲み込め、3年目でようやく認めてもらえたのか、一人仕事を任された時の感動は忘れられない。いまや徒弟制度は通用しないだろうが、今の自分の基盤を築いたかけがえのない6年間だった」
     寺から依頼されて椀を修繕したことが漆器を手掛けるきっかけになった。手にして使う漆器の心地良さに、われながら感動したという。
     県内の伝統的工芸品は経済産業大臣指定が5つ、県指定は9つあったが、後継者不在で2つが取り消される。どの産地も後継者難や販路開拓が共通の課題。伝統の粋や技がいくら素晴らしく目を見張るものでも、それだけでは通用しない。市場を読む高感度のアンテナ、商品として流通させる知恵や工夫が求められており、現実から目をそむけることはできない。漆塗りや箔(はく)押しなど七匠の技が結集する広島仏壇。その技を現代にどう生かすのか、将来を切り開くヒントになりそうだ。
     しずくのような、優美な片口は木地ではなく、乾漆(漆下地に布を張り重ね型抜きした素地)によって、そのフォルムを可能にした。
    「漆器は修繕が利く。日々使い続け、表面が痛めば職人が直し、また使い続ける。いわば自然循環の文化。丁寧に仕上げられた逸品は、使うことで一層愛着が湧く」
     生活に根差し、ものを大切にする心根も育むと言う。

  • 2021年7月1日号
    全国一を目指す

    激務にさらされる医師、看護師が少しでも安心して働いてもらえるよう、そして地域の医療崩壊を招かないよう、病院内を主力に事業所内保育園の受託運営で全国トップのアイグラン(西区庚午中)もいま、医療関係者らと共に戦う。コロナ禍がなかなか収束しない。24時間保育に携わる保育士らにも心身への負荷が、大きくのしかかる。
     命を預かる現場に寄り添おうと、認可園など含め全国464園とフィットネスジム17カ所の全社員約4500人に特別感謝金を5月給与に上乗せした。昨年に続く2回目。計4日のワクチン休暇導入と合わせ最大、総額約2億円の拠出を予定している。重道泰造社長(56)は、
    「病院に働く医師、看護師、関係者の子どもを預かる院内保育園の重要性が高まり、医療を保育で支える気概で臨んでいる。必要な時間、求められる場所に安心して預けられる保育が機能して初めて、使命が果たせる。病院のほか、国の方針もあり、働き方改革や女性の活躍が進む産業界も多業種にわたって事業所内保育を採用する企業が増えている。人の役に立てるというモチベーションは大きい」
     有期雇用で保育士資格が取れる制度や、無料で全国の自社保育園やジムを利用できるなど福利厚生にも万全を期す。全国的に採用難の職種にもかかわらず応募、採用人数共に業界最多という。 
     もともと手掛けていたスーツケースのレンタル事業が米国同時多発テロで売り上げが急減。雇用を守るため2001年に始めた保育サービス事業は「待機児童」解消という社会ニーズに応じ、急速な全国展開を促した。昨年12月期決算で売上高164億円、経常利益12億円を計上。今期も増収増益を見込む。重道社長には全国一を目指す、強い信念がある。
    「私自身が子どもの頃、共働き家庭で寂しい思いもした。いま、子を持つ身になり自分が預けたいと思える保育園の在り方を追い求めている。例えば、全園で地域の食文化を大切にしながら天然のだしや手作りおやつを提供。実際には手間もコストもかかる。しかし事業規模拡大によるスケールメリットを生かして収益が確保できれば、理想とする保育環境に近づくことが可能になる。親御さんや子どもを守り、雇用も守ることができる。決してきれいごとではない。保育をめぐる好循環を創り、やがて卒園した若者が日本の将来を担うようにと夢を描いている。困難かもしれないが、1000億円企業の目標こそ新しい境地を開くエンジン。今後も理想に向かって走り続ける」
     一人親で乳幼児を抱えながら働くケースが増えているという。仕事、子育てに奮闘する親を支える、日本一の応援団を自負し、子らの成長を温かく見守る保育を志す。事業を始めて間もない頃、昼夜働く保護者から、父親のいない3歳と5歳の男の子を預かった。重道社長自ら保育園まで送迎する途中、夕暮れの公園で一緒に遊んだという。
    「1日1万2000人の乳幼児を預かる。いろんな家庭がある。生まれてよかった、生きる価値があると自己肯定できる人に育ってほしい。全国の保育が必要とする現場をしっかりと支えることが、私の一番の仕事です」

  • 2021年6月24日号
    ものづくりネットワーク

    広島という才能を、眠らせない。広島経済同友会のものづくり委員会がまとめた提言の巻頭言で、向田光伸委員長(マツダ本社工場長)は同友会の活動テーマである言葉を引っ張り出し、ものづくり復活へ懸ける決意をにじませた。日本の誇りだったものづくり。世界的な技術革新の潮流に乗り遅れたためか、急速に力を失ってきた。
     日本の製造業の労働生産性水準はOECD加盟38カ国のうち、2000年まで1位に輝いていた。だが、年々順位を下げ、18年は韓国に次ぐ16位に低迷。広島県の製造業労働生産性は全国で18位。従業員一人当たりの付加価値額(労働生産性)は全国平均を下回る。県の付加価値額は輸送用機械器具製造業が29.6%、続いて生産用機械器具製造業、食品製造業のトップ3で実に半分近くの47%を占める。しかし、このトップ3も各業種の労働生産性で全国平均を下回る。広島という才能は今後、どの方向へ向かうだろうか。
     同友会は「広島のものづくりのあるべき姿」として、
     −ものづくりに携わる人々が集まり、それぞれの強みを持った、各企業と人が「広島ものづくりネットワーク」でつながり、開発・生産・物流で「まるで一つの企業のようにつながり」高い付加価値の商品を開発して、高い品質と生産効率でモノを造り、高い効率で流通させ、販売する姿を実現−、と広島ものづくりネットワークをつくる使命、ビジョンを定める。企業の壁を越え、自前主義から自分の強みを他社との連携によって全体最適な仕組みをつくり、最大価値につなげる。広島一丸でぶつかる作戦である。
     その実践活動もこなした。経営者、工場長、幹部を対象に「ものづくり現場革新カレッジ」、「現場力実践交流会」、「デジタルものづくり塾」などを企画。例えば、ある食品メーカーで加熱による温度上昇推移と食感と色の関係を分析し最適な製造条件を見つけて生産性向上につなげることができた。複数企業による共同物流トライアルでは、日立製作所とマツダロジスティックスの協力で物流ロス削減が可能か検証するため往復共同輸送、迂回回避共同輸送、物流センター活用共同輸送を実施し、効率を向上させることができたという。人づくりではムダ取り塾(広島商議所)のほか、現場イノベーションスクール(ひろしま産振構)などの研修を活用したほか、ひろしまデジタルイノベーションセンターの協力を得て、デジタル技術活用につなげる取り組みなどを行った。公的な試験研究機関も整備されており、ものづくりネットワークをつくる素地はある。 
     13年から2期4年、同友会代表幹事を務めた森信秀樹さん(森信建設社長)は、北九州市イノベーションギャラリー(現在休舘・来春に新科学館の一部として開館予定)を引き合いに、
    「子どもらにものづくりの必要性や楽しさなどを伝え、人材を育てる体験工房などがある。広島も製造業の人づくりや技術伝承などをオープンな場で行う、産学官連携が求められている。バタンコで一世を風靡(ふうび)した東洋コルク工業は世界のマツダとして広島経済を引っ張る。子どもの夢を育む、飛躍的な広島ものづくりの挑戦を止めてはならない」

  • 2021年6月17日号
    都市再生と西国街道

    都市再生緊急整備地区指定を受け、老朽化した建物建て替えを含め、広島市の真ん中で再開発構想が次々に持ち上がってきた。市は、広島駅周辺地区と紙屋町・八丁堀地区を東西の核とし、相互に刺激し合う「楕円形の都市づくり」を進めている。面的な開発に加え、歴史と未来をつなぐ時間軸の発想も入れて奥行きのある街の実現へ、いまこそ正念場ではなかろうか。
     中区にある仏壇通りの店主や有識者らでつくる市民団体「まちなか西国街道推進協議会」(山本一隆会長)がまちづくり功労者として、国土交通大臣表彰を受けた。江戸時代に京都と太宰府をつなぐ西国街道(近世の山陽道)は、現在の猿猴橋から京橋、仏壇通り、本通、元安橋を通り、広島城の城下町を東西に貫く。広島城絵屏風などに当時の風景が描かれており、沿道には商家が建ち並ぶ、最もにぎわいのある通りとして栄えた。
     刀を差した武士、荷物を馬に乗せて運ぶ商人、立ち話をする町人、ずらりと軒を並べた店の中には職人、と現在と変わらない生き生きとした広島の暮らしを目の当たりにできる(広島仏壇通り活性化委員会の承諾を得て市作成のパンフレットより)と往時のにぎわいを伝えている。
     こうしたまちなかの歴史を可視化できないか。2016年立ち上げた準備会を重ね、18年3月発足した推進協議会の大きな目的でもあった。「楕円形都市づくり」の主軸として西国街道を位置付け、駅前大橋東詰めの歩道に西国街道案内板を寄贈したほか、市下水道局に働きかけ、西国街道をかたどったマンホールを街道沿いに配置。国交省の夢街道ルネサンス認定など、地域住民と協力しながら活動を進めてきた。一方で、西国街道の歴史を子どもたちに伝えようと広島東、広島安芸ロータリークラブと共催で小学校を対象に出前授業を開く。
     19年秋には浅野藩入城400年記念事業として、華やかな時代絵巻を再現する広島江戸時代行列を開催。徳川家康の50回忌から50年ごと、神輿(みこし)行列が東照宮から猿猴橋を経て西国街道を通り廣瀬神社まで巡行された「通りご祭礼」に倣って、広島城入城行列も併せて実施した。多くの市民が押しかけた。推進協議会の山本会長は、
    「伝統的な祭りの継承のため今後も5〜10年に一度の間隔で続けていきたい。地域の文化やイベントなどのソフトを伝えていくことが街づくりにとって大切だと思う」
     街道に息づく伝統や歴史と現代をつなぐ商品化にも乗り出した。今春に街道沿いの4蔵の本州一(梅田酒造場)、蓬莱鶴(原本店)、御幸(小泉本店)、八幡川(八幡川酒造)の酒を「廣島醸酒《西國街道》四天王蔵」と銘打ち、ブランドオリジナルの統一ラベルで商品化。売れ行きは上々という。創業100年以上の仏壇製造販売の高山清は伝統工芸品の広島仏壇の漆塗り技術を生かし、家庭でも楽しめるデザイン性に優れた漆器を用途に応じて仕上げた。ほかにも商品化の動きがある。
     国土交通大臣表彰の功績概要に、「原爆により失われた街の歴史を後世に伝えるとともに、西国街道の歴史と文化を生かした新たなにぎわいづくりを推進」とある。ゆくゆくは3D画像によって西国街道を復活してもらいたい。

  • 2021年6月10日号
    創業以来の危機

    広島空港の国際線は全便欠航になり、2020年度の搭乗者はゼロ。一方で、国内線は前年比約72%減の約73万人にまで急降下し、1993年の開港以来で最低だった。観光客が激減し、緊急事態宣言で日常の移動も自粛ムードが広がり、公共交通を取り巻く環境は一段と厳しい。
     広島電鉄(中区)は2021年3月期連結決算で約33億円の赤字を出した。赤字額は連結決算になった1977年以降で最大になり、今期も7億円近くの赤字を見込む。
     「創業以来の危機」とし、昨年5月に公表した「広電グループ経営総合3カ年計画」の見直しを行った。固定費の圧縮や業務効率化など既存事業の「変革」と合わせ、新たな事業機会への「挑戦」という二つの主題を打ち出す。よほど打撃が大きかったのだろう。椋田昌夫社長は、
    「多くの産業でコロナ禍を変革の機会に捉えている。公共交通もその渦中だが、さらに人口減と高齢化という、ゆるがせにできない大きな難問が立ちはだかっている。既存の路線をひたすら走り続けるだけでは、どんどん乗客が減っていく。ヒントがあった。2012年に呉市交通局のバス事業を継承。高齢者にとって乗降地の分かりづらさや車内転倒などの事故が怖いというイメージがあり、これを徹底的に改善した。安心して外出できるようになったと感謝の言葉を頂き、利用者数が増加に転じた。今後さらに若い人が減り、高齢者が増える。安全はもとより、こちらから乗車機会を創り出す工夫がいかに大事か、痛感した。全ての人が楽しく、あちこちを巡る街づくりこそ、公共交通の原点にあるのではないか」
     さっそく動いた。14年から中区東千田町の広島大学本部跡地の再開発事業に参画。20年4月の分譲マンション完成で各種施設の整備に一区切りがつき、にぎわいを生む。15年にはグループ会社が住宅団地「西風新都グリーンフォートそらの」を造成し、バス路線再編で住民が市内外へアクセスしやすい環境を整えた。団地内に商業施設ジ・アウトレット広島を誘致し、交流人口の拡大にも成果を挙げる。今後、都心部の車庫用地などの有効活用策も検討し、経営3カ年計画に反映させた。
    「広島に人が集積、回遊する仕組みづくりに挑戦する。4月に発足した広島都心会議の会長を引き受けさせていただいた。旧市民球場跡地や広島城、サッカースタジアム整備など大きな動きがあり、エリア全体の価値や魅力を高めていく使命がある。多くの人を呼び込むための空の玄関口の機能も拡充し、AIオンデマンド交通の導入などで空港アクセスの改善を図りたい」
     18年からの保育事業や検討中の介護支援事業などの「暮らしを支えるビジネス」も掲げ、イベントや大規模会議、文化観光施設と連携し、高齢者を含めた移動機会の創出を目指す。併せてDX(デジタル変革)で業務の仕組みを抜本的に改め、採算性を確保。AIオンデマンド交通を五日市湾岸地区で導入済みのほか、自動運転の実証実験も検討。将来は路面電車に信号自動化や集中指令を採用し、管理コストの削減を図る。
     「変革」と「挑戦」は事業存続の永遠の命題。被爆後すぐに電車を走らせた心意気がいまも息づく。

  • 2021年6月3日号
    誇れる決断

    市場拡大が当たり前だった時代から、人口減による市場縮小へ移り、新たな成長戦略が求められている。大きく潮目が変わり、かじを取る船長にとって腕の見せどころ。しかし乗組員がそっぽを向いてしまえば、たちまち荒波に翻弄(ほんろう)されてしまう。
     国内全家電メーカーを扱う広陽家電販売(中区舟入幸町)は大手量販店や家電店など全国の取引先約1500店に卸す。日高寛彰社長(52)は、
    「かつての成功体験が危機を招く。いまの時代に対応できる人をつくり、育てることが先決ではないか。上司を見て働くのではなく、市場動向や取引先、現場の情報をいち早くつかみ、分析し、営業戦略を立てる。自ら考え、動くことができる環境、つまり権限と責任を持たせることが何より大切と考えた」
     素早く動いた。2019年9月に分社化に踏み切り、持ち株会社ソシオグループを設立。日高社長のほか、役員3人を事業会社4社の代表取締役社長に起用する予定。たちまち効果を発揮した。20年度グループ売り上げは、広陽家電ほか、ソフトバンク代理店事業「Crear」、家電製品企画開発の「デバイスタイル」(東京)、自社ブランド家電製品販売の「デバイスタイルマーケティング」(同)合わせて前年比17%増の34億円、経常利益は過去最高の1億5000万円突破を見込む。グループ従業員数は40人強。今期は売り上げ40億円、経常利益1億円以上を計画。自ら考えて結果に責任を持つ。日々の言動が変わった。小さな事でも、ないがしろにすることがなくなった。
     給与の評価基準も抜本的に改正。まず幹部から年間目標や課題に合わせた「年棒制」を導入し、翌年に課長クラス以上にも採用した。役員報酬には担当の事業会社の実績5割、グループ全体の実績5割を反映し、算出。そして日高社長と面談の上、最終的に年俸額を決める。事業会社の社長は親会社ソシオグループの株を保有し役員も兼務。全社の情報を共有しながら、相互に経営に関わる体制を明確に打ち出した。
     二つの経営軸を決めた。グループ全体の「純資産」を増やす。そして各自が「誇れる決断」をする。このシンプルな判断基準を定めたことで、人に依存し、人に物事を考えてもらう〝お伺い〟や、失敗したときの言い訳などがなくなり、失敗をとがめる人もいなくなった。非常に厳しい環境になり、失敗したら改善策を講じるほか、道はない。創造的に意見を語り合う。否定的な意見が出なくなった。互いに肯定的に捉える関係性が生まれた。
     シンプルな二つの軸が新しい考え方や行動を促し、持ち株会社制の根幹を成すようになったという。より高い意識を持つことで、能力もより高まるという証しではなかろうか。今後は戦略的なM&A(企業の買収・合併)に乗り出すほか、65歳以上の人が集まり経営、元気で働く事業会社の構想も温めている。
     日高社長は大学卒業後、3年間ほど電力会社関連の設備メーカーに勤める。先輩らがフル稼働できるよう朝6時に出社し事務所を掃除。持ち前の、相手の立場になって考える能力が磨かれた。新しい経営体制は、自らの体験に裏打ちされているのだろう。